ep.10 終わりの始まり
ユキのツアーは無事に再開されて
俺自身ユキの担当から外されることもなく
いとも簡単に日常に戻っていった。
ただユキの現場に同行することはもうそう多くない。
自分自身意識的に離れたこともあるし
それを咎める人間もいなかった。
若いスタッフも増え、それによって自分の仕事も少しずつ変わっていった。
あれ以来俺の部屋にユキは来なかった。
俺も担当のアーティストが増えたこともあって
ユキが自殺を図ったことも
その後で俺の中で小さな波紋が生まれたことも
どんどん色褪せてしまい、それを俺は安堵していた。
これ以上ユキのことを考えすぎてはダメなことはわかってる。
自分と現実世界が
あたかも乖離してしまったかのように
まるで現実感がなく
ただひたすら恐ろしい。
それは夢だ。
なぜなら
その世界に引きずり込まれるのを
心の底では半ば望んでいたから。
ある朝
いつものようにベランダでタバコに火をつけて下を通る保育園児を見ていたら
突然ユキのかおりが肩先を通り過ぎた。
小さな波紋は大きな波紋になって
俺の心をざわざわと波打たせる。
俺の中の音楽はとうに消えて
何も残っていないんだという感覚。
それでもまだここにいたい。
それでもまだ会いたくて。
いったい誰に?
誰か。
誰か。
電話が鳴った。
社長の声。
その瞬間、あの明け方のことがよみがえり
頭の芯に熱いものが流れ込んで
身体の平行感覚がなくなった。
「飛んだ」
え?
「あいつ、またやった」
耳のそばで何か爆発したようだ。
「止める間もなかった。照明のイントレに登って」
聞いてない。ニュースになってない。
なんで?
これは夢なのか?
「大丈夫だ。死んでない。足を骨折しただけ」
俺はいつの間にか部屋の真ん中に突っ立っていて
その言葉を聞いた瞬間、床に崩れ落ちた。
「昨日は仙台でしたっけ」
「アンコールで飛び降りた。お客は多少ざわついたけど…なんだか受けてた」
どうかしてる。
なんなんだ。
スマホを掴んで"水島ユキ"で検索
「水島ユキライブ中に怪我」
「セットから飛び降り全治2ヶ月」
「飛んだ!目撃者の証言」
先日の睡眠薬はなんとか秘密にできたのに
もうこれは如何しようも無い
幸いなことに奴の自殺願望は明るみには出ていない
ただ破天荒な若者の自業自得というムード。
Twitter検索での現地にいたファンの証言もそんな感じで
ただ肺炎という名目ででスケジュールをキャンセルしたのがついこの間のことなので
各方面からのお叱りは避けられないだろう。
自分の中で相反する思いが
ぐちゃぐちゃにせめぎ合ってる。
仕事に徹するのか
それとも人間として向き合うのか
それを同時にできないもどかしさ。
息を整えて
ユキの携帯に電話をかける
今度はなんて言うんだろう。
とうに終わっていることを
もう一度ちゃんと終わらせるために
俺はなんて言うんだろう。
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