ep.7 ライオンは寝ている
あの日からユキは2日間ほとんどの時間眠っていた。
本当にただ眠りたかっただけなのかと思うほどだった。
あのことについてユキは何も言う気は無いらしく
俺もそれを聞こうとはしなかった。
ツアーは九州地域を延期し他の地域は予定通りに行われることになった。
本当のことは漏れることもなく
誰も何も言わず
何事もなかったように物事が進んでいった。
でも俺はユキの考えていることがわからなくてただ恐ろしかった。
いや、わからなければ知ればいい。
知ろうとすればいい。
でも俺はユキの心から逃げた。
眠っているのは俺の方なのかもしれない。
退院の朝
俺が病室に入るとユキはベッドの端に座ってぼんやりと窓の外を見ていた。
丸まった背中。
細い背中。
背の真ん中ほどまである髪の毛が少しもつれている。
無精髭が伸びた青白い顔には何の表情も窺い知れない。
これから俺はこいつをまた表の世界に引きずり出す。
安全な檻の中から。
振り向いたユキの顔に笑みが浮かんで
その表情があまりにも儚げで美しくて
俺は危うく泣きそうになってしまった。
俺は猛獣使いだから
しっかりとヤツの首を捕まえて
歩かせなければいけないんだ。
ロープの上を。
高いロープの上を。
そして火の輪をくぐらせる。
だから
そんな目で見るな。
「ヨウさん、ごめんね。ありがとう」
静かにそう言うとユキはベッドから立ち上がった。
「今日は帰っていいの。帰って風呂に入りたい」
俺は、ああ、と頷いて荷物を両手に持つ。
俺はもう一度ベッドを振り返って
患者の名前が書かれたプレートを見た。
ユキの家族は病院へは来なかった。
母親は体が弱く膝が痛くて出歩けない、と電話口で俺に謝った。
迎えに行きましょうかと申し出たのだが
なんだかんだと病院に行けない言い訳を俺に言う
よろしくお願いしますお願いしますと何度も繰り返して。
親と疎遠になっていることはなんとなく知ってはいた。
今までそれを特に気にしているようには見えなかったんだが
こんなことがあると
ユキの心の中で実際何が起きているのか
全てが疑わしく思える。
俺が考え込んでるように見えたのか
ユキが俺の肩をポンと叩いて歩き出す。
ニヤリと笑って
「さあ行くよ!来週からツアーだからね!元気出して!」
なんだって?お前が言うか。
俺はふっと笑ってユキの後に続く。
簡単なことじゃない。
お前をどうにかするのは。
わかっていたはずじゃないか。
出会った時、この男は特別だと思ったじゃないか。
でも次に死にたくなったら俺も連れて行ってくれ
ふとそんなことが頭をよぎる。
タクシー乗り場に着いた時スマホが震えLINEメッセージがきたことを知らされた。
「ヨウちゃんお疲れさま。今日は早く帰れる?」
メッセージの主は
山下奈緒子。
俺の恋人。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます