ep.2 永田りな

母がよく言っていた

私と話をすると落ち着くんだって。

ただ話を聞くだけ。

相槌をうち

とりあえず相手の言うことを聞く。

特に感想も挟まず、聞く。

喋るのが苦手で

言いたいことも後になって思いつくという

あの時ああ言えばよかった!って

後悔や悔しさに苛まれることもしばしば。

もっと打てば響くようなキャラに憧れるし

自分としては本当に嫌なんだけど

でもどうやらこんな私だからこそ

安心して任せられると言ってもらえるみたい。

誰も自分を否定されたくないし

本当は問題を解決して欲しくもないし

感想もいらない。

吐き出すだけ吐き出して

サッパリしたいんだと思う。


私の名前は永田りな

ヘアメイクの仕事を始めてから3年。

目の前の人間に対して

愛情を持ってその肌、その髪に触れるということが私の生業(なりわい)。

自分を大切にするのと同じように

任された人を大切にする。

メイク前の人はとても無防備で

とても壊れやすい。

ただ少しのあいだリラックスできる時間を過ごしてもらい

私は最大限、その人が美しく輝けるようにお手伝いをする。

所詮自分ができるのは少しだけ後ろから支えてあげること。

でも体の中から、魂から光が漏れ出している人の前では

自分はなんて無力なんだと

あの人に最初に出会ったその時思った。


「この子、水島ユキくん。よろしくね」


デビュー間近のその男の子を最初に見た時

少し怖かった。

存在感があまりに透明で。そしてその目が。


寝起きで車に詰め込まれ、連れてこられた写真スタジオ。

初めてのアーティスト写真を撮るためにやってきたその子は

少し不安そうに周りを見渡している。

スタジオの片隅、冷たいパイプ椅子に腰を下ろして

彼は鏡ごしに私を見た。

その目。

何もかも知ってると見透かしているような眼差しに

居心地悪さに私はすくみ上った。

でもすぐに射抜くような光は消え

すっと穏やかな笑みを浮かべる


「よろしくお願いします。水島ユキです。俺こういうの初めてだから…」


我に帰って、私、今どのくらいこの子の顔見てたんだろうと不安になった。

私はプロだ。まだ3年だけど…

これでも腕には自信がある。

どんな美しいモデルにも気後れしたことなんてない。

でもこの子は…

まだ20歳そこそこだろうか?

若い匂いを身体中から発している。

草いきれで窒息しそうだ。


「あの…」


相変わらず鏡ごしに私の目を覗き込む。


「髪の毛、切らないですよね?」


ああ。

よくいる髪を切りたくない男の子か。

一般的に髪は女の命、とか突然髪を切ると失恋したの?とか

そういうことよく言う人いるけど

女の子にとってヘアスタイルはメイクの一環。

ちょっとした気分転換に髪を切ることはよくある

言うほど意味はないことの方が多い。

髪型や長さを気にするのは男の子の方が多いんだ。

なんだろう…力の象徴?アイデンティティ?

でもこの子の場合は何かもっと…

特別なものがあるんだろうか。


「特に事務所から言われてないし…あなたがそう言うのなら」


柔らかで豊かな髪を

私は何度も指ですく。

青白いほおに少しの紅をのせる。

何か特別な儀式であるかのように。

なぜか厳粛な気分でいるとユキが口を開く。

遠くから聞こえるような雷鳴のような何か

私は私の心臓の在処をありありと感じた。


「髪を切らないでくれてありがとう」


鏡の中の彼の笑顔が

朝の不安そうな顔ではなくなっていた。


あの日以来、どういうわけか

取材や撮影があるたび彼は私を指名して

私以外には顔を触らせないと言っているらしい。


鏡ごしに私を見て

その日の他愛のない話をする

私は大抵何も言わずにユキの話を聞く

メイクが終わっても席を立たないこともある

でもただそれだけの関係。

時折グラビア写真で見る彼の顔とは別人のように感じる

そこに座っているその時しか

彼は生きていないかのような

そんな気がしたのは

うぬぼれが過ぎるんだろうな。


私、彼が好きなのかな

いや、彼が私を好きなのかな



いつものように唐突に立ち上がってカメラの前に歩き出す、ユキの後ろ姿を私は見守る。

カメラの後ろに私はずっといて

時々髪を直しに近くことが許されるのだ


シャッターの音が私を外界から遮断する


ユキが私の手を取り

自分の顔に誘導する

私はゆっくりと

彼の唇の間に指を滑り込ませる

ユキは少し歯を立てて

くぅ…と声にならない声を上げる。


そんな妄想をして

ちょっと笑った。

誰にもいえない私だけの秘密。






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