ライオンは寝ている

CHATO

ep.1 脇田洋次

「ヨウさんってギター弾けたんだ」


背後で不意に声がした。

俺はマンションのベランダでタバコに火をつけて

近所の保育園の子供の声を聞いていた。

ちょうどこのくらいの時間に

いつも下から賑やかな声が聞こえてくる。

ここに引っ越してきたときは静かな環境が気に入っていたんだが

最近は子供たちの間でなんの遊びが流行っているのかもわかるようになってきた。


「ヨウさん」


振り返るとユキが立っていた。

肩にタオルをかけただけの姿で。

朝の光の中で白い肌に水滴が光っている。

細身だが程よくバランスのとれた身体。

ギリシャ彫刻というと言い過ぎだが

腹回りが少々気になりだした俺からすると

その美しい青年の身体が

少し眩しくて目を細めた。



「お前そんな格好で出てくるなよ。外から見えたらどうするんだよ」


「シャワー借りた。昨日そのまま寝ちゃったから」

悪びれる様子もなくタオルで髪をゴシゴシ擦る。


「ヨウさんこそ、ベランダでタバコなんて吸っちゃダメだよ。灰が下に落ちたら迷惑でしょ」


「ああ…」


「それよりさ、昨日は気がつかなかったけど…けっこういいギター持ってるじゃん。なにこれ、ビンテージ?」


壁にかかった古いレスポールを見てユキが言う。


「まさか」

「俺がアメリカにいる時買ったんだ。昔はもっと持ってたけどほとんど売っちゃったからな」


「へえ。そうなんだ」

「俺ヨウさんのこと何も知らないね」


「別に何も面白いことはないよ」


部屋に戻って俺は火をつけたばかりのアメスピを灰皿に押し付けた。


俺の名は脇田洋次。

昨夜は今俺が勤めてる音楽事務所HotBeatsで猛プッシュしようとしてる水島ユキのショーケースライブだった。

いわゆる業界のゲストを招待して新人のライブを観てもらおうというイベントで

ユキだけではなくウチの事務所のアーティストもたくさん出演した。

まあまあの盛況だった。

純粋に音楽が売れない世の中で何か特別な物を見つけると俺は年甲斐もなく浮き足立ってしまう。

プロとしてというよりかつて音楽を愛していた少年の心が。


ユキは俺が"路上"で見つけてきたアーティストだ。

ひょろっと背が高く、服、というより布切れを幾重にも身にまとっているような格好で

アコースティックギターを下げてただそこに立っていた。

ただ立って

行き交う人の目をじっと見据えてた。

聴衆に媚びてギラギラしてる他の路上アーティストとは明らかに違う。

まるでそこに自分しかいないみたいに…彼自身がどんどん透明になっていくようだった。

印象的なのは目だ。人の視線を怖がらずまるで射抜くような目。

ライオンのたてがみみたいな柔らかくウエーヴした髪は肩より少し長い。

でも不思議と女性的な感じはしない。

自作のCDRを配っていたが誰も立ち止まらず見向きもされず(そりゃそうだ。歌わずただ立っているんだから)

たまたま通りかかった俺の手にそれをユキが押し付けてきたのだ。


「お兄さん、持って帰って。聴いてみてよ」


俺の顔をじっと見て、ふっと笑った。


「きっと気にいると思うよ」



その頃仕事が忙しくてそのことはすっかり忘れていて

実際にそれを聴いたのは2週間後だったのだが…

俺は聴きながらいつのまにか泣いていた。

静かに染み入るかと思えば引き裂かれるような叫び。

銀色の円盤につまっていたのは若い慟哭だった。

こんな顔はあの時路上で見せてはくれなかった。

とにかく素晴らしかった。

俺はあれ以来路上ライブに通い詰め、熱に侵されたようにユキにのめり込んでいった。



後になって…ユキにどうして俺を呼び止めたのか聞いても

ユキはただ笑って

「別に。そこにあなたがいたから」


あの日路上で歌わなかった理由も

「顔を見たかったから」




「ヨウさんって意外と…」


ユキとの出会いを思い出してたのを見透かしたように

俺の後ろから俺の首に手を回して身体を密着させてきた。


「なんだよ」


「ふふ、知ってる?ヨウさんってすごいいやらしいところにホクロがあるんだよ」


ショーケースが終わってのアフターパーティー。

事務所の連中や招待したたくさんのゲストの間をふたりして飛び回って大変な夜だった。

ライブはうまくいって評判も上々、俺は高揚してしていて少々飲み過ぎた。

事務所の社長が珍しく上機嫌で俺の肩を掴んで言った。

「おい脇田、お前、頼んだぞ!お前にかかってるんだからな!」

客は少しずつ他の場所へ流れていき、人付き合いの苦手なユキは明らかに疲れ切っていた。

酔っ払って足元のおぼつかない彼をタクシーに乗せたが

俺の手を離さずどうしても俺の家に来るといって聞かない。


「嫌だ。帰らない。ヨウさんとこ行く。でないともうライブやらない。もうやめる」


何を言ってるんだ。子供か。

俺も相当疲れていて、家に送っていくのも正直面倒だった。

仕方なくこのマンションに連れて帰った。

それが昨夜のこと。


俺たちの関係のことは

うまく筋道を立てて話すことができない。


はっきりしているのは

俺はこの美しい生き物に囚われていたということだ。

天上の存在のこの男に自分だけが手が届く、自分だけが地上に繋ぎ止めていられると。

守護欲は情欲にすり替えられやがて独占欲に変わる。

頭の芯が痺れていた。パーティーで何かやばいものでも間違って飲んでしまったのだろうか。

俺は隣に寝ているユキが恐ろしかった。

旧約聖書ではサムソンの髪には神の力が宿っていて

決して刃を入れてはいけないのだ。

それでも…豊かに波打つユキの髪に俺は手を伸ばすのを抑えられなかった。

ユキはそれを制して含み笑う。


「ダメだよ。ヨウさん。それはダメ」


ユキの言葉に1ミリも動けずにいた俺に、しょうがないなあという顔をして


「何がしたい?ヨウさん。どうしたいの?」


笑うユキはまるでネコ科の猛獣のように俺を誘う。

しなやかな身体が俺を組みしだく。

俺が抵抗できない箇所をちゃんとわかってて、飽くことなく攻め立てる。

俺は叫んでいたのか?

それともユキが?

ユキは俺の首に噛み付いて、そして俺は…。





「ヨウさん?何考えてるの」


昨夜のこと、なんて言えやしない。


「お腹すいたよ。何か作ってよ」


ユキはゆっくりと伸びをする。



ああ、わかったよ。

美しいライオン。

餌をやったらまた飛んでくれるかい?火の輪をくぐってくれるかい?


"俺のために"



「ヨウさん、あとでギター弾いてね。俺のために」


ユキは小さくあくびをして物憂げに言った。

俺は少し驚いて、頷いた。

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