第4話 一夜

 ユーリアに連れられるまま人のいる町まで移動している。そこで元の世界に帰る手段を探すつもりで入るが、自分の正体を告白する気にはなれなかった。

 異なる世界の人間に対して、どのような目で見られることになるか分からないからだ。

 今のところ出会ったユーリアにも、車に乗せてくれた男にも、不審こそ与えたものの異物扱いは免れている。

 廉太郎れんたろうも、ユーリアも、操縦者も何も喋らなかった。

 静かな旅路はまるで何かから逃げているかのようで、世界に対して肩身の狭い廉太郎は落ち着かされる。

 どれほどの時がたったのだろう、車はやがて動きをとめていた。

 眠ってはいなかったが目を閉じていた廉太郎に、操縦者が到着を告げる。


「着いたってさ」


 それを受けて、廉太郎は動こうとしないユーリアへと躊躇いがちに声をかけていた。


「――分かってるわ。で、でも……待って。……少しだけでいいから」

 

 彼女は立ち上がる力もないようだった。

 荷台から降りようものなら転げ落ちてしまうだろう。かといって、手を貸すことはできない。

 なにせ彼女は、目が見えなかろうが死に体であろうが、文字通り人の手を借りようとしないのだ。

 獣を撃退した後、足を負傷した彼女はさらに歩きが遅くなった。それを見かねて廉太郎は再度手を貸そうかと提案したのだが、彼女は困ったようにそれを拒んだ。


 ――気を悪くしてほしくないから言うのだけど。


 人に触られるのが嫌なのだと、彼女は教えてくれた。絶対に触れないで欲しいと、念を押された後、


 ――誤解しないでね。その気づかいはありがたく思うのよ。


 そう言って、すまなそうに笑っていた。

 常人よりいくらか特殊な感覚を持っているのだろう。感覚を制御しなければ車に乗れないのと同様に、人に触れられる感覚に耐えられないのだ。

 

「――ん、もういいわよ」

 

 やがて落ち着いたユーリアと共に車を降り、目的の町の外観を一望する。

 町は城壁に覆われており、設けられた門でしか出入りができないようになっていた。城壁には灯りがともり、暗闇のなかでその全貌を表している。

 見上げる程の石の壁は、廉太郎の住み慣れた地域では目にすることのない剛健さを感じさせられる。しかし、囲われている敷地はそれほどでも広くもない。それがより廉太郎を尻ごみさせる。 

 果たして、本当に入ってしまって大丈夫なのだろうかと。

 ユーリアは運転手から譲り受けた外套を身に纏い、負傷を隠しながら門へと近づいていく。

 そして、反応するように現れた男に告げた。


「開けてくれる?」

「……そっちの男は」

「あなたには関係ない話でしょう? 黙って入れなさいよ」


 詮索を許さない返答。

 その会話には明確な上下関係すら感じる。そして、互いへの反発心も。

 男は無言で二人を通した。やはりユーリアの態度は不可解だったが、とても詮索できる気がしない。その場から逃れるように、彼女に続いて町の中へと足を踏み入れる。

 心なしか軽快に歩いているユーリアを背後にして、目的地へと先導する。もちろん初めての町並みであるので、目印を互いに口で伝え合う形となる。

 城門から続く大通りは幅広く石で舗装されており、その道の両側には民家とも施設とも判断できない建物が敷き詰められていた。石作りの建物が隙間なく並ぶ景観は西欧の都市を思わせ、さながら観光地にでも旅行に来た気分にさせられる。

 立ち並ぶ街灯が暗い夜を繁華街のように明るく照らしている。遠目に見える町の全体と比較しても、その道は一際明るさが際立っていた。


「いい町だね」

「あぁ、そう……?」


 別世界への警戒と恐怖は変わらないが、ようやく落ち着けるような場所についたのだ。それに目の見えない少女を引率する責任感に、これまで気を張っていたのかもしれない。安全な場所までたどり着いたことで、少なからず緊張が解かれていくのが分かった。

 子どものように町並みを眺め歩いていると、通りをまばらに歩いている人たちが目に留まる。


「――うっ」


 彼らに不審な目を向けられたような気がしてならず、慌てて視線を下げる。

 再び、ここに居ていいものか不安になってしまう。町の出入りは管理されている以上、ユーリアの口添え無しに入れたとも思えない。

 どうにも、ユーリアには一定の権力があるようだった。

 魔術師だと名乗っていた以上、軍人のような特権を持っていてもおかしくない。


「なに?」


 廉太郎のほんのわずかな動揺を、ユーリアは敏感に感じ取って問いただしてしまう。そんなやり取りは前にもあった。何も見えていないのだから、そんな態度は不安を煽ってしまうのだろうと、今さらながらに思い至る。


「いや……綺麗な町だなと思って」


 大通りの中央には噴水が設置されており、突き当りには背の高い木々に囲まれた公園が見える。見栄えの良さを追求したような、住んでいて気持ちのよさそうな都市設計だった。


「褒めるわね……」 


 不満そうだった、なぜか。


「その、公園とかあるし……」

「じゃあその公園まで向かってちょうだい。そこから左手に見える、一番高い建物が目的地よ」

「わかった」


 そうして周囲に大きく差をつけて高い立地にある、敷地の開けた建物までたどり着く。正面の階段を避け緩やかな坂へと回り込んだために、少し距離を歩くことになった。

 遠目で塔のように見えた建物は荘厳そうごんな造形で、その建物が特別な物であることを誇示している。

 見上げるほどの高層の建物。

 町を一通り観察しても、ビルのように現代的な建物は見当たらなかった。必要が無いのか、或いは技術が違っているのか……どちらにせよ、この建物は異質に思える。

 ユーリアの家ではあるまい。マンションだというのなら納得する。


「ここは?」


 その質問に、彼女は答えなかった。


「あなたの客室を用意させるから、今日はそこで過ごしなさい」


 それきり用があると言って、奥へと一人入ってしまった。詳しい話は明日にしようと言いいのこして。

 町についてからはいくらか気分もよさそうに見えたが、その実心身共に限界なのは間違いがない。

 負傷を思えばその苦痛は想像もできない。構わずに、養生してほしいと思った。

 ユーリアが呼び出した女性は職員のような制服を纏っていた。彼女に案内されるまま階を二つ昇り、空いた一室へと通される。ベッドと机だけが並ぶビジネスホテルのような簡素な部屋であったが、体を休めるには上等な部屋である。

 半ば忘れかけていた足の怪我を治療を受けると、その職員は頭を下げながら退室していった。

 それで、廉太郎は一人になった。


「ふう……」


 靴をドアの脇へと並べ、ベッドに腰を下ろす。途端に、どっと疲れが襲ってくる。

 知らない世界の、知らない町。それも城壁に囲まれ、入場も厳しく管理されるような町だ。そんな場所の中心のような建物の一室で、落ち着けるほうがどうかしてる。

 依然として胸にあるのは、ここにいることが許されるのかという恐れ。

 ユーリアだけが、廉太郎をこの場所に存在させうる存在だったのだ。それだけの力は持っていた。彼女が傍にいない今、滞在しているだけで咎められるような気がしてならない。

 この部屋で一晩を過ごすことが、急に恐ろしいことのように思える。なんの知識もない以上、自分の身の保証に確信などもてない。いつ身柄を拘束されてもおかしくないのだ。

 不審人物、不法侵入者、身元不明、人種、異世界人……いくらでも不安材料は挙げられる。

 不安を振り払うようにベッドに横たわると、体の汚れが気になってしかたない。汗もかいているし、服は多少血や泥で汚れている。不快だったが、それ以上に貸し出された備品を汚すことを避けたくて汚れた上着とズボンを脱いだ。

 切実に体も洗いたかったが、部屋から出る気力すらも湧かなかった。

 ――帰りを待つ両親は、連絡も取れない息子の外泊に気が気でないだろう。そんなことなど、これまで一度もしたことがないというのに。

 それを思うと眠れそうになかったが、廉太郎は疲れの余りに目を閉じた。部屋の外で、物音一つしないことを願いながら。




――




 廉太郎と別れた後、ユーリアは報告を終えて治療を受けていた。ベッドに横になったまま目を閉じ、今日自分の身に起こった出来事に思いを巡らせる。

 彼女が受けた任務は逃亡した諜報員の殺害。その任は果たしたと言ってよい。自分が手にかけたとは厳密には言えなかったが、標的が絶命したのは確かである。


 ――最低だ……。


 とても誇る気にはなれなかった。彼女にしてみれば、ほとんど失敗どころか、最悪の結果でしかない。彼女がこの任務でもっとも重視していたのは、敵が連れて逃げた娘である、トリカの命だった。

 諜報員がどうだとか、町の存続に関わる問題だとか、そんなものは彼女にとっては二の次の話だ。

 そんな彼女を手にかけたのは、他でもない自分自身。

 この場に一人で居たのなら、きっと涙を流していただろう。嗚咽さえしたかもしれない。

 だが今は、複数人がかりで治療を受けている状況だ。人前で弱い姿をさらすことなど、彼女にはとてもできない。


 ――それに、そんな資格なんて……。


 情けないと、自嘲するしかない。

 一日に二人の人間に助けられ、こうして命をつないでいる。。

 無論、そのような態度はおくびにも出さない。自分が今、死んでしまいたいほど打ちのめされていることを秘めているのと同様に。

 殺してしまったトリカのことを思うと、胸が凍り付いて砕けてしまういそう。自責の念などどうでもいい。ただ彼女が居なくなってしまったことと、彼女が負った苦しみを想像するだけで、心が麻痺してしまいそうになる。

 ――親をかばうように身を投げたあの娘は、その身に余る激痛と共に、何を思って死んでいったのか。

 目の前で娘を殺された敵は、最後まで訳の分からないことを言っていた。

 自分を刺してそのままどこかへ消えた同僚のベリルに、恨み言一つ湧いてこない。

 ベリルの言うとおりに、ほんの少しの対話さえ許していれば防げたはずの事故だった。トリカの姿が視認できなかったのは、父親の能力で守られていたからだ。現れた追手二人が娘の身を案じていると分かれば、黙って身柄を預けてくれたかもしれない。

 敵は、この町では到底知り得ぬ魔術を使っていた。空間ごと捻じ曲げていたのか――とにかく理屈は分からないが、ユーリアの魔力探知能力をもってしても見破るのが困難なほどに、罠だって隠蔽いんぺいして見せていた。

 だから、自分に落ち度があるわけじゃない――そんな風に本気で思い込むことは、とても難しかった。


 ――分かんねぇだろうな、てめぇには。


 今さらながらに、ベリルの言葉が突き刺さる。無視した言葉で、的が外れていると思った言葉だ。

 確かに、ユーリアには他人の心を理解する能力に欠けていた。それは、生まれつきの体質と感性を考えれば仕方のないことだ。しかし、それを理解しようとする努力まで、いつの間にか放棄していた。

 どうせ理解できないのなら、対話すら必要ないと思っていたのだ。

 誰かに迷惑をかけるような生き方ではないと思っていた。それが取り返しの利かない過ちを引き起こすことになるなど、夢にも思っていなかったのだ。

 

 ――だめよね、このままじゃ……。


 大人になる時が来たのだと、ユーリアは思った。

 自分の態度が意地を張った子どもの様だということは、彼に言われなくても十分わかっていることだったから。

 それでも感情に折り合いをつけるには、かつてこの町に与えられた悲しみと怒りは大きすぎたのだ。

 ――あぁ、これではまた、何のために生きているのかすらわからなくなってしまいそう。

 そして最後に助けられた、まだ顔も目にしていない男の事を考えたる。名前を思い出そうとして、そこでぴたりと思考が止まってしまった。

 確かに聞いたはずなのに、全く覚えていない。それどころか、きっと自分は覚えようともしていなかったのだろうと気づいてしまう。


 自分の性格に、ほとほと嫌気がさすようだった。


 こういうところが駄目なのだろうと、自然と唇を噛んでいた。いくら他人が理解できぬといえども、人に興味ぐらい持たなければいけない。それも、世話になった相手なのだ。

 明日、再度名前を聞き出すのも、それはそれで相手が気の毒に思える。焦りながら記憶を引っ張り出し、耳に残った音の響きを必死に言語に当てはめようと努力する。

 やがて、その名を思い出すことができた。

 

 ――あぁ、良かった……。


 変わった名前だったなと、思わず愉快な気分になる。音の羅列られつに覚えがない。どこの地域から来たのだろうかと、僅かな興味すら湧いてくるようだった。

 この調子でまずは彼に興味を向けてみようと、彼女は思った。明日は落ち着いて会話もできるだろうし、顔も合わせることになるのだ。

 

 ――あんまりお礼、言えてない……そういえば。

 

 そうやって、無理にでも前向きに保とうとした気分が落ち込んでいく。普段意識していない己の一面に目を向けてみれば、こんなにも酷く、つまらない人間であるのかと憂鬱になってしまう。

 意識が眠りに落ちていく前に、ふと首元を手で抑えていた。

 幽霊に首を絞められていたからだ。

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