第3話 距離

 ――ユーリア・ヴァイスよ。

 

 名乗れば、彼女は名乗り返してくれた。名乗り忘れていたわけでもなく、ただ名乗り返したという様相であった。気のない異性への対応のようで気が下がるが、こちらも名乗っていなかったことを考えると気風が似てるだけなのかもしれない。


「出口か……」


 二人が洞窟を抜け出した時、すでに日は沈んでいた。夜を照らす月の光が、地上に顔を出した二人を出迎えている。

 世界が違っているのは間違いない。道中交わした何気ない会話の断片で、すでにその確証は得ていた。

 しかし、


「変わらないな、風景は」


 穴空いた山地の中腹から見下ろすのは、広がった森林。空には星空が広がり、まばらな雲が適度に散っている。

 世界の色彩や肌で感じる空気は、見知ったものと何ら変わらない。

 

「ねぇ、その辺に車がないかしら?」


 洞窟からでるなり、ユーリアが開口一番にそう聞いてきた。


「いや、みつからないけど」

「……まぁ、そうでしょうね」


 つまらなそうにそうつぶやくと、彼女は周囲を見渡すように首を回していた。何も見えてはいないのに、それでも探そうとする意志が行動に出ている。車が無ければおかしいということだ。

 聞かれた車は彼女が乗って来たものであろうし、それが現に無いということは誰かに奪われたと考えるのが自然である。彼女の身に起きたことに直結する以上、詳しく聞く気にはなれない。


「さて、町まで歩くことになるのだけど……とりあえず、ここから東に向かってくれない?」

「東……」

「ええ、整備された道に出られるから」


 彼女はそう言って廉太郎れんたろうに先導を譲ろうとしている。しかし、そう言われたところでどうすることもできない。


「いや、その……東って、どっちだっけ?」


 土地勘などない。

 

「えっ? ……あ、あれ? こっちだったかしら……確か向こうから――」


 迷路のような狭く暗い洞窟を抜けたというのに、二人そろって行く道を見失っている。

 廉太郎はともかく、ユーリアは視力を失ったことで混乱してしまったのだろう。道は覚えていても、方角となると盲点になってしまう。誰だって目を閉じて少しでも移動してしまえば、簡単に方向感覚を失うであろうことは想像に難くない。

 

「――あっ、そうだ」 


 廉太郎は灯りとして握りしめていた携帯端末に目を落とした。

 外に出たことで、もしかしたら電波が届いてるかもしれない。世界が違うことはすでに確信していたとはいえ、確かめずにはいられない。

 以前として表示される、当然のような圏外の二文字。


「え?」


 唐突に画面が暗転する。映し出された己の顔が、画面に走る無数の白い線に刻まれていた。そのまま、何の反応も示さなくなってしまう。

 獣と格闘しているときに画面でも割ってしまったのか、完全に壊れていた。


「あぁっ――最悪だ! 駄目だろう、今壊れたら……いや、使えなかったけれど」

 

 遭難したとはいえ、別世界であるのならそうは役に立つまい。だから大した損失ではないのだが、話はそれだけではない。

 携帯端末は高価である。買い与えてくれているのは両親であり、それを軽率に壊してしまうことは少なくない負担。同時に、申し訳ないという心苦しさに襲われる。

 家に帰ればこれを報告し、代わりの物を用意させることになってしまう。

 

「――憂鬱だ」


 別にこれで怒るような親でもなければ、金銭的に余裕のない家庭でもない。

 それでも親に迷惑をかけるというのは、廉太郎にとってはあってはならないことだった。

 一人落ち込む廉太郎をよそに、方角を探っていたユーリアはしばらく首を捻ったのちに口を開いた。

 

「……面倒だから、ここから向かって正面に進みましょう。少し、迂回がいると思うけれど」


 彼女が指さす方向には段差が広がっていた。廉太郎はよじ登れない事もないが、ユーリアの背丈とコンディションを考えれば、確かに迂回が必要な段差である。

 手を貸せば可能だろうが、ただ手を引かれるのも拒んだことを考えると、きっとそれも受け入れないのだろうなと、廉太郎は思った。



「その足、痛くないの?」


 獣に噛みつかれたユーリアの足からは血が流れている。廉太郎も同様の怪我を負っていたし、脂汗をかくほど痛い。だというのに、彼女は顔色一つ変えていない。

 血まみれの腹部を考えれば、軽傷にも見えてしまう。


「痛覚は遮断できるから」

「それは、凄いというか……」


 目が見えていない以上、自分の怪我の具合が正確に分かっているのか心配になってしまう。



 広がった木々を抜け、人の通りがあるような道にたどり着くと、そこから道に沿い北へと足を進める。

 田舎の脇道のような幅広い道で、左右には遠く耕作地が広がっている。

 日が沈んでいるからか、人の姿は見当たらなかった。

 やがて後方から、一台の車が走ってくるのがわかった。


「あぁ、ようやくつかまったわ」


 ユーリアは安堵したように呟くと、手をあげてその車を停止させた。

 乗用車とは呼べない、小型の牽引車のようだった。後部に荷台を連結した、屋根も座席もろくにない車。


「何だ……って、おいおい――」


 運転していた男は、ユーリアの血に濡れた姿を見て明らかな動揺を見せていた。そのまま、車高の高い操縦席から声を投げかけてくる。


「あんたか。で、そりゃあどうしたよ?」

「……答える義務はないわ」


 聞くなと、ユーリアは問いを切り捨てていた。腕を組み、顔も向けずに要求する。


「町まで乗せて行って欲しいのだけれど、構わないわよね?」

「……そう言ったって、俺に拒否権なんかないだろうがよ」

「そうね」


 そんな短いやり取りで、有無を言わさず後部の荷台へ乗り込んでしまった。

 見えずとも手探りだけで器用に、無遠慮に身を収めている。


「ほら、あなたも乗りなさい」


 その様子に唖然としている廉太郎を急かす声。慌ててそれに続いて隣へと腰を下ろし、運転手に告げた。


「お、お願いします……」

「……あぁ」


 そのまま無言で車を動かしている。後ろから運転手の表情は伺えなかったが、憮然としている態度は伝わる。

 当然だと思った。先ほどのユーリアの態度は、明らかに礼節を欠いていたから。


「……知り合いなの?」

「さぁ? 見かけたことくらいはあるでしょうけど、名前も知らないわ。多分」

「そ、そう……」


 小声で話しかけた廉太郎など意に介さず、ユーリアは当人に聞こえる声で自然と話してしまう。

 思わず頭を抱えたくなるほど、気まずくなってしまう。

 廉太郎は混乱していた。この短時間でユーリアの人となりを把握したとは思っていないが、礼儀と品のある人だという印象は確かにあったはずなのに、今の態度は明らかに不遜。

 疲れているのだと思った。他の事など気が回らないほどに。

 確かに、それだけの怪我をしているのは間違いない。

 それでも隣で腕を組んでいるユーリアからは、明確な敵意のようなものが感じられてしまう


 ――殆んど、初対面なはずの相手なのに……? 


 初対面なのは廉太郎も同じだ。

 思わず、指摘したくなってしまう。或いはその理由が知りたかっただけなのかもしれない。

 しかし、それらの言葉を口に出すことはない。それほど個人的なことを聞けるような仲ではないからだ。ほんの短時間行動を共にしただけで、友人にでもなったわけでもあるまい。

 あまりに余計なおせっかいであるし、そこまで踏み込まれることを許すような性格でもないだろう。

 

 ――友達……友達か。


 自分で思い浮かべた言葉を、つい反芻する。

 それは廉太郎にとって、最も気の滅入るような呪いの言葉。実際に友達相手になら、果たして自分は同様の事が指摘できたのだろうかと、ためしに思い巡らせる。

 たぶん、できない。

 どれだけ相手と交友を深めようが、自分は踏み込んだ関わり方ができない。そう廉太郎は自覚していた。

 迷惑に思われるかもしれないし、嫌われてしまうかもしれない……そのようなリスクが僅かでも思い浮かべば、廉太郎はもう何も言うことが出来なくなってしまう。

 事なかれ主義とすら言えない。

 確かにそうしていれば人当たりはいい。実際に友人と呼べそうな相手は比較的多い方だと、自分でも思う。

 それでも、それは一緒にいるだけだ。ただ日常を彩るという目的を互いに果たすために、都合がよかったというだけだ。


 ――楽しいだけでは友達とは呼べない。


 そう言われたことがある。だから、お前には友達など一人も居ないのだと。

 その真意は、本当の友達とはお互いに信頼し高めあえるものであり、そのような関係を目指しなさいという啓蒙めいたものでしかない。しかし、それを聞いた廉太郎は変に納得させられてしまっていた。

 自分には真に心を開ける相手などいないし、そう接してくる相手もいないと。

 友人関係などそのような物で構わないし、日々の生活を互いに楽しく過ごせるだけで上等……それは分かっている。

 それでも一度気づいてしまえば、自分が築いてきた人間関係がひどくつまらない物に思えてしまった。

 つまり、憧れてしまったのだ。無二の親友と呼べるような、何もかも打ち明けられるような存在に。

 それでも、誰の心に踏み込んでいく勇気も、己をさらけ出す勇気も持つことができない。


 だからおそらく、一生その願いは叶わない。


 そう諦めてしまったから、新たに人間関係を作ることに酷く消極的になってしまった。それでいて、今まで蓄積した関係を維持しようと躍起になってもいる。孤立することが怖かったからだ。

 特別に他人に興味がないわけでも、心が冷えているわけでも、臆病なわけでもない。むしろ、人との関係を切に願うだけ情が強く、無視してもいいような問題と向き合う度胸があるとも言える。

 だから、理想と現実の差異に悩んでいた。

 年齢ゆえの青い悩みでしかない。それでもその葛藤は、廉太郎という個人を大きく縛り付けていた。


「はぁ――」 

「……なによ?」


 知れず吐いたため息に刺さる、真意を問う言葉。

 感じが悪かったと反省する。ユーリアの態度にあてつけるつもりはなかったが、そう思われてもしかたない。

 取り繕う様に言葉を探す。


「い、いや……なんか――」

「なんかって何? 卑怯な言葉よね……私は好きじゃないわ」


 そう言うと、彼女は苦笑するように口元を緩めだした。言葉の刺々しさとは裏腹に、気を害した様子はない。それが彼女の自然体のようだった。


「その……これはどういう状況なのかな、って」

「あぁ、私は町の魔術師だからね。町に属する者は魔術師わたしたちに協力する義務があるのよ」


 納得はした。つまりは正当な権利だったのだ。態度を除けば必然の行為。もっとも、廉太郎が知りたかったのはその態度の方の理由なのだが。

 ユーリアはそれきり、話しをするつもりもないのか口を閉ざしてしまった。そっけないようだが、その実本当に余裕がないのかもしれない。

 うつむいており、顔色も悪い。

 それでも、傷が痛む様子は相変わらず見せない。むしろ、乗り物酔いでもしているような様相だった。

 別世界の車は未知であったが、気後れに反して乗り心地は大人しい。荷台に乗っかっているだけだというのに、音も静かで揺れも少ない。

 道は舗装されていないが、平坦へいたんに踏み固められている。長時間乗っていても、苦痛にはならないだろう。

 座席さえあれば、快適だったかもしれない。


「――酔うかも」

「……あなたも車が嫌いなの?」


 何となくつぶやいた言葉だったが、意外にも反応が帰ってきた。印象が気難しいものに変わってしまった彼女から話かけられたのが嬉しくて、会話が続くような言葉を探していく。


「嫌いってわけじゃないけど……こう不安定だと外に落ちそうで」

「ふふっ……それもそうね。私は全部苦手だけど」

「全部?」

「ええ。揺れも音も酷くて、気が狂いそう」


 それほど揺れてないし、車体の音は僅かである。むしろ、よく乗る乗用車より遥かに静かな車だった。電気ででも動いているのかと疑う程に。

 ユーリアの言葉は大仰に聞こえる。しかし、何を辛いと感じるかには個人差があるのだ。


「気持ちはわかるよ。俺も酔いやすい方だから」

「――そう」


 楽な体勢を探しているのだろう、脱力するように座り直している。相変わらず目元だけはこちらに見せようとしない。

 弱々しく、痛ましく見える。怪我人や病人が、寝床で呻いているような姿だった。

 声も、絞り出しているようなものに変わっている。

 彼女は車に乗ったことで、大きく体調を崩しているようだった。


「だから普段は感じないようにしてるのよ。……感覚制御の魔術でね」

 

 それが使えないとなると、車に乗ることすら苦痛に感じるのか。

 普通の人なら耐えられることに耐えられない――そういう体質なのだと思った。

 個人差はあるが、そういう感覚には廉太郎にだってあるし、誰にだってあるものだ。眩しいのが嫌いだとか、特定の服が嫌いだとか。

 彼女は、きっとそれが強い。

 気が狂うとまで言ったのだ。


「辛いなら――」

  

 あまり喋らない方がいい、そう声をかけようとしたところで、ちょうど再びうつむかれてしまいタイミングを逃した。

 まるで電車内で眠りついた乗客の様で、体裁を気にする余裕もなさそうに見える。

 そんな姿など見ているのは悪いだろうと、視線を逸らすべきだと思う。

 しかし彼女の弱っている姿に、廉太郎は不思議と惹きつけられてもいた。

 瀕死でありながら弱みを見せず、助けも借りようとしなかった彼女からはかけ離れた姿。それは、見せようとしない素顔同様に、自然体であるに違いないのだから。

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