第2話 関心
携帯端末の灯りを頼りに、洞窟を歩いている。道案内と言われたものの、少女の記憶を頼りに指示通りの道を選んで先行しているだけだ。二手に分かれていると告げれば、彼女が正しい方向を教えてくれる。複数の道が分かれていれば、口で伝えた周囲の特徴を頼りに正しい道を選択していった。
とても複雑な道だった。それを総て覚えているという事実は、やはり称賛に値する。
彼女は名乗らなかった。だから、
少女は廉太郎の少し後ろを、ゆっくりと歩いてくる。目が見えないのだと言った通り、杖代わりの大剣で地表をなぞりながら。杖の扱いに慣れていないのか、おぼつかない足取りだった。
その様子では、足を刃で傷つけてしまうのではないかと心配になる。道は平たんではないのだ。見かねて、思わず声をかけた。
「……手、貸そうか?」
「結構よ」
しかし、彼女はその提案を拒んだ。少し無理をした、端的に言って勇気のいる提案であったのだが、余計な気回しであった。望まれない援助など不要である。
廉太郎はそれを実体験で知っていた。全盲ではないが、片目を失った妹がいたからだ。仲は良くなかった。変に気を遣おうとして、意図せず傷つけたことがある。
それから、二年近く話ができていない。
「ふぅ……」
少女の一息が聞こえた。
彼女が重そうに抱え、地に突いていく大剣を見て、思う。
――あれは彼女の物なのだろうか、戦う人なのだろうか、と。
だとしたら彼女に傷を負わせた存在や、他に脅威となるものがこの周辺にはいるのかもしれない。そして、今の彼女は戦える状態ではない。
当然、廉太郎には戦う力などない。喧嘩をしたこともなければ、魔法など想像の外。
彼女がこの世界の常識で自分を当てにしてしまったら、どんな事故が起こるか分からない。
「何かに襲われたらまずいよ。俺、戦えないし……」
どれほど続き、どこに出るのかも分からない暗闇を進むのは、異世界に迷い込んだ者が自ら退路を見失おうとする愚行にすら思えてくる。
ここが異世界なら、廉太郎は迷い込んでしまったはずだ。その出入口のようなものが元いた場にあったのかもしれない。ならば、離れてしまうのは軽率ではないのか。
そして、危険なのではないか。
「大丈夫よ。ここにはもう何もいないから」
廉太郎の警戒心や恐怖が、挙動の気配で分かったのだろう。
その声に、わけもなく口元が緩美、安心させられてしまう。脅威は自分が排除したと言いたいような、そんな自慢気な様子だったからだ。
魔法が使えると言い、大けがをしていて、武器を持っている。それらを加味しても、彼女が何らかの戦闘行為に身を投じていることが明らかである。
彼女は常人が死ぬような傷を負っても取り乱すことなく、そんな怪我を負わされる可能性のあるものと戦っている。それも、年若く細身の女の身で。
そのあり方は非現実的で、同じ人間とは思えないほど。憧憬すら覚えるし、素直にかっこいいとも思う。
だからではないが、力になってやりたかった。
もとより死にかけのような盲目の少女に頼られたら、他の事情など放りだして体が動いてしまうだろう。たとえ、現実から目を背ける事になったとしても。
――後で、戻ってくればいいしな。
廉太郎は、努めて楽観的に考えるようにした。
異なる世界に関わり、踏み込んでいくことに恐怖はある。自分の世界と決定的に、とても相いれないような差異があるのではないかと疑わずにはいられない。
自分が異物だと知られれば、敵意を向けられるかもしれない。あらゆる恐怖や理不尽を味わうことになるかもしれない。
――もしかしたら、背後をついてくる少女は自分を騙そうとしているのかもしれないし、そもそも人の形をした化け物なのかもしれない。
そのような怪談の顛末など、いくらでも目にしたことがある。いずれにせよ、そうであったのなら無力な自分にはどうすることもできない。だから、どのような現実を前にしても楽観視するしかないのだ。
選択肢すらない。
そもそも廉太郎が異変に気付いた時、つまり自分が洞窟の中を彷徨っているという現実に気付いた時、その場所には何もなかったのだ。元の世界とつながっているような、そんな不思議な穴や扉など見当たらなかった。
だからここで時間を浪費するよりは、彼女と共に安全で落ち着ける場所まで移動したほうがいい。それに、いつまでも一人でこんな空間にいたら頭がどうにかなってしまう。
歩きながらすべきことを模索していると、少女が足を止めたのが分かった。彼女は大剣の柄に体重を預けるように寄りかかり、肩で息を整えている。
「疲れた?」
「……ええ、少し休ませて」
休憩を兼ねて、手ごろな岩に腰かける。することがなくなると、無言の間が居心地悪くなる。状況が心を浮つかせてしまったのか、思わず会話を振っていた。
「君、その剣で戦うの?」
「えっ……? いえ、これは……拾ったのよ。私の物じゃない」
もう一人いたでしょう……と、彼女は静かに答えた。
場を離れるその時まで気づけなかったのだが、あの場にはもう一人の人間が倒れていた。
本物の死体である。
戦って、相討ちにでもなったのだろうか。それとも仲間だったのだろうか。彼女は何をしにここを訪れて、何が起こったのか。
とても聞けることではない。
「重そうだね」
ぼそりと、代わりに呟いていた。
「……ええ、腕が痺れそう」
杖として扱うにはその形状、大きさ、重さはあまりに適していない。加えて、杖を用いた歩行にも慣れていない。おそらく、魔力によって常時視力は確保していたのだろう。そのことからも、負傷と疲労は彼女にとっての異常事態であることが伺える。
早いところ心身共に休めらる所まで連れて行かなくてはいけないと、使命感に似た保護欲すら湧いてくるようだった。
「手間をかけるわね。町までついてきてくれたらお礼をするから……というより、ついてきてくれないと困るのだけど」
洞窟を抜けても一人では帰れないということ。それに付き合うのに抵抗はない。むしろ人のいるところまで案内してくれるのは、廉太郎としても助かる話だった。この世界の人間集団と関わることに不安がないわけではなかったが、それでも他に打つ手がない。
「町って、どんな町?」
「どんな町……そうね、あの町は――」
少女は不意に言葉を切り、勢いよく背後を振り向いていた。つられて、廉太郎もその動きに視線を合わせる。
そこにいたのは、一体の獣。気配なく現れた見慣れない四足獣が、こちらを睨んでいた。瞬間、心臓をつかまれたような恐怖に襲われる。
「うっ、うぉッ――!?」
「落ち着きなさい。何が見えるの?」
声を上げて動転している廉太郎と対照的に、彼女は動じる様子一つ見せなかった。目が見えないのであれば、些細な事でも不安になってしまって当然だというのに。彼女はむしろ廉太郎を落ち着けるために、努めて平静な態度を取っていた。
そして、冷静に状況を見ようとしている。
「い、犬……? 襲ってきそうだ!」
体躯としては人の子ども程度。が、脅威であることを悟らせるには十分な様相であった。廉太郎にも容易に想像がつく脅威。現実としての馴染みはないが、よく聞く話だ。
――鎖に繋がれてない犬が人を殺すことなど。
獣は威嚇するように一度吠えた。そして、静かににじり寄り距離を詰めてくる。
それに対し少女は、
「そう、一匹なのね」
そう呟くと、廉太郎と獣の間に立つように移動し、手にした剣を構える。
唖然とその様子を見ていた廉太郎に、告げた。
「行きなさいよ。運が良ければ助かるから」
「な、なにを……!?」
その動きに反応し、獣が一気に距離を詰めた。
地を駆け、少女の首元目掛けてとびかかる。牙を晒し大口を開けて、喉元を食い破るべく迫っていく。少女は胴の前で刀身を構え、盾のように身を守っていた。とびかかった獣の頭部が刀身にぶつかり、牙が突き立つことはない。それでもその勢いは受け止めきれず、彼女は体制を崩しながら後ずさる。
そして、未だ立ち尽くしていた廉太郎に声を張り上げた。
「行きなさいッ――!」
叫びざまに刀身を振るった。上段からの振り下ろし。目が見えずともその剣筋は敵を完璧に捉えていた。刀身は獣の背部に振り下ろされ、毛並みが赤く染まっていく。質量で叩きつけるような一撃に、怯んだ獣が痛むように鳴きながら距離をとる。だが、人を恐れた様子も、逃走する気配もない。撃退にたる一撃に思えたそれは、軽く肉を抉るにとどまった。女子供の筋力では、一太刀で致命傷を負わせることが出来ないのだ。
目も見えず、小柄な少女に今の一撃に勝る剣が振れるというのだろうか。ましてや、その剣は自分の得物ではないと言っていたのに。
廉太郎は、その光景を前に逃げることが出来なかった。
恐怖に足が止まったわけでも、少女を見捨てることが出来なかったからでもない。
不可解だったからである。
――この娘……なんで、俺に頼らないんだ……?
この獣、その詳細は知らない。しかし成人に近い男性が必死で相手をすれば、怪我は避けられないとしても撃退くらい出来るはずだ。廉太郎の姿は見えないにせよ、声や雰囲気で歳くらいは分かるはずだ。
目も見えず非力な彼女が一人で相手をする必要はない。初対面で顔も知らず信用できない相手とはいえ、襲われて命を落とすかもしれない状況。普通は、協力を求めようとするはずだろうに。
一人で打ち倒す自信があるようには見えなかった。逃げろと言うからには足止めの、それも決死の覚悟を示したのだろう。二人ならば、生存の確率も上がることはあれど、下がることはないというのに。
出会ったばかりの、会話すら碌にしていない他人にそこまでする人間がいるだろうか。気高い自己犠牲とでもいうのだろうか。
「――いや、違うか」
彼女は廉太郎に対して、何も期待していないのだ。最初から勘定に入っていない。道案内はついでに付いていくだけだから、誰でもできることだから提案されたのだ。誰でもできないことは頼らない。
名前を名乗らなかったのも、詮索しなかったのも、つまるところ興味がなかっただけ。気を遣ってくれているだのと、かってに思っていただけだ。
廉太郎は人付き合いにおいて、期待を裏切ることを極端に嫌う男だった。正確には、それによって嫌われることが。
だから、少女に助けを求められると思った時、それを恐れた。現状できることは何もないと思ったから。
それでも、そもそも期待されないことがこれほど心苦しいとは思わなかった。
屈辱ですらない、単純な羞恥心。
「くそ……」
見ていることしかできなかった。彼女はすでに廉太郎のことなどなど忘れたように、獣との攻防を繰り返している。獣が接近し、その気配へ牽制する。
互いに致命傷を与えられない。
しかし、少女が疲労しているのは明らかである。爪、牙、自刃による傷痕が増えていく。
――何で動かないんだ、俺も……。
手を貸すなり、逃げるなり行動を起こさなければならないというのに。脳が、現実逃避を始めていた。
「ッ――!」
ついに、獣が少女の足へ噛みついた。一瞬の怯みの後、その頭蓋に剣先を突き立てる。獣は牙を離し、うめき声を上げながら距離をとった。
――その時、痛みか疲労からか、跳ね上がった獣の勢いによって剣が彼女の手元から弾き飛ばされていた。そのまま、空を切り地に落ちて転がっていく。
鋭い音を響かせながら、廉太郎の目の前へと。
少女は、音の響かせた方へ顔を向けた。単なる反射だろう。その目に、廉太郎は映っていない。
廉太郎は少女の顔を初めて正面から見た。彼女は会話の際も目を閉じるか、伏し目がちだっから。恐らく、閉ざした瞳を見られなくないがために。
ひどい表情をしていた。
綺麗な顔だと思った。
「……ぁ」
その光景を前に、一気に現実に引き戻されていく。
このままでは彼女は死ぬ。獣は未だ闘争心を捨てていない。丸腰となった少女に、威嚇をしながらにじり寄っている。それでも少女は諦める様子もなく、怯える様子すら見せなかった。素手で相手をしようとしているのか、笑みすら浮かべて構えている。
見ていられない様相ではあるが、まだ見ていたいとも強く思った。
「よしッ――!」
気づけば、廉太郎は剣を拾っていた。そのまま間に割るように走り出した動きに反応し、獣が標的を替え飛びかかってくる。
撃ち落とそうと、上段から剣を振るった。
荒事に慣れてないとはいえ、体は部活で鍛えている。少女よりは重い一撃になったはずだ。
「グゥッ――!」
剣は獣をとらえたが、その勢いを削るのみにとどまった。剣は武器として頼もしい重量を持っていたが、その柄を握ったのは初めてである。うまく握りこめず力もこめにくい。当然隙だらけの一撃に、突進の衝撃がぶつかって姿勢を崩す。
握っていた剣を落とさなかったのは、幸運でしかない。
「うッ――!?」
左足を噛みつかれる。当たり前のように血が噴き出し、骨が折られたのかと思うほど圧迫されていた。泣きそうな痛みに襲われるが、彼女もまた同じ痛みを味わっていたのだと思うと、妙な満足感すら
境遇が少しでも重なることに、安心感を覚えてしまうのかもしれない。
彼女がそうしたように、足に食らいついた獣の頭部へと剣を突き立てる。急所を二度も突かれた獣はその勢いを弱めて逃れようと暴れだしていた。
この一撃から逃がすわけにはいかない。そう何度も捉えるには、気力も体力も不安があるからだ。そのまま体重ごと叩き潰すに、力任せに剣を振り下ろしていく。
それを、絶命するまで繰り返す。鼠一匹殺したことのない廉太郎にとって、それは気分が悪くなるほど残虐な行為。しかし、躊躇う余裕などどこにもない。
やがて、弱弱しく残した鳴き声と共にその獣は動かなくなった。
一気に緊張がとけ地面に腰を下ろす。彼女の方へ顔を向けてみたが、何が起きているのか分からないといった表情を浮かべていた。
廉太郎が地に座り込んで見上げているせいで、また彼女の素顔が見えてしまっていた。
「……だ、誰よ?」
どうやら、第三者が来たとでも思っているらしい。
その様子に、廉太郎は何やら苦笑してしまっていた。
そもそも廉太郎に助けられたとも思っておらず、それだけ期待せずに忘れてさえいるような態度。それでも一つ役に立てたことで得意気になっていたのか、笑って話しかけられるだけの余裕が廉太郎にはあった。
「
「――え? あ、あぁ……あなた、まだ居たのね」
これで名前ぐらい名乗ってもらえるものだろうかと、密かに心を躍らせていた。
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