第39話 「明滅する洞窟」

 フィリップはがくりと膝を落とした。

 玉のような汗が顔から流れ落ちる。

 荒い息を吐きながら顔を上げた。

 炎の塊が洞窟の奥へ、浮力を失った風船のように、高度を下げながら飛んでいくのが瞳に映る。


 その目がチカチカすることに気づいた。

 頭をふって正気を取り戻そうと、一度大きく目をつむり、開く。

 眼精疲労ではなく、鈍く輝いていた岩肌が明滅をしているのがわかった。


 いったいどうしたのだろう。

 それよりも、果たしてあの魔女と魔人は消滅したのか。

 天より与えられた業火で燃え上がる姿は確かに見た。

 フィリップは唇を噛む。

 もしかするとあの男のほうだけは、救えたかもしれないと。

 インカムから聴こえるきりの声に、はっと我に返る。


「神父さん!

 大丈夫か!」


「きりさん、ぼくは、ぼくは」


 声が続かない。


「フィリップよっ」


「マ、マルティヌス先生」


「ようやった。

 おまえさんは『聖パウロの杖』を見事に使いこなしたわい。

 ここからでもあやつらが、神の炎に包まれる姿が見えたぞ」


「先生、ですが」


「もうよい。

 おまえさんはこれで見習いは、卒業じゃ。

 このマルティヌス・オルガンティーノから独立した、一人前のエクソシストじゃ。

 よう頑張ったのう」 


 マルティヌスはらんの膝に寄りかかり、背中から腹部にかけて貫かれた傷を手で押さえながら洞窟を見渡す。

 けっして軽傷ではないが、この程度の怪我は慣れている。

 明滅する岩壁。

 この意味の記憶をたぐった。

 なにか大事なことを忘れている。

 それがなんであったのか。


 きりは肩で呼吸する頓殿とんでんに寄り添い、油断なく「火焔鞭かえんむち」を手にしていた。


「お、おい、頓殿」


 背後から聴こえた甲高い声に、思わずきりは鞭で攻撃態勢に入る。


「社長?」


 頓殿は「一反木綿いったんもめん」の腹巻をした格好で、後ろを振り返った。

 骸野むくろのが目を見開き、口を大きく開けているではないか。


「ここは、いったいどこなんだっ。

 俺はなぜこんな所に」


「しゃ、社長!」


 頓殿は背中の傷の痛みを堪えながら立ち上がると、ガバッと骸野を抱きしめた。


「よかったっ、社長がいつもの怪しい社長に戻ったです!」


「お、おい、頓殿、俺はそっちの気はないんだっ」


 きりは鞭を構えて周囲を見まわす。

 襲ってきていた全員が苦しそうな声を上げ、ひざまずき嘔吐している。

 真っ黒な吐瀉物としゃぶつが飛び散る。

 きりたちに叩きのめされていた連中も、転がりながら吐いている。


「きりさん!」


 フィリップは「ネオンリング」を腕輪にもどし、「聖パウロの杖」を抱えながら走ってきた。

 周囲の状況をさっと見渡し、きりのすぐ横に立った。


「これはどういうこった?

 神父さん」


 そこへマルティヌスからの交信が届く。


「安心せよ。

 どうやらデラノヴァの魔術が解けたようじゃ」


「では先生、このかたたちは」


「おうよ、呪縛から解放されたんじゃ」


 フィリップは思わずきりを抱きしめた。


「良かった!

 本当に良かった!」


「神父さん」


 きりもフィリップの背中に両腕を回す。


 らんはゴーグルをヘルメット内部へ収納し、辺りをうかがっている。

 その瞳に、安心感は浮かんでいなかった。


「神父さま、このかたたちが元の姿におもどりになるのはよいとして」


 マルティヌスは腹部を押さえながら起き上がる。


「嬢ちゃん、おぬしは鋭い嗅覚をお持ちじゃな。

 おいっ、フィリップや!」


 抱き合っていたふたりはマルティヌスの声に我に返る。

 はっとして離れた。

 お互いの顔は赤く染まっていた。


「わしも歳じゃな。

 この岩肌の明滅が何を意味するのか忘れておったわ」


 フィリップときりは、お互いをかばいあうようにしながら天井を見た。

 いつの間にか、いやらしい声で啼いていた下級魔の姿が消えている。


「わしはその昔、このヘルマウスに入ったことがある。

 二度とも先へ進めなんだ。

 その理由は」


 ぐらり、と大地が揺れた。


「この洞窟はまもなく塞がれる。

 デラノヴァのやつめ、最後にここを崩す魔術を発動したのじゃ。

 地獄へ通ずる道を開きし悪魔はの、封印される際に必ず道を閉ざすんじゃ」


 らんの第六感が危険を知らせていたのだ。


「すぐに退避しなきゃ、危ないじゃん!」


 きりはヘルメットにゴーグルを収め、かたわらのフィリップを仰ぎ見た。

 二百人を超える人々は、まだ苦しんだままだ。


「あわてずともよい。

 まだ時間はある。

 じゃが急がねばならん」


 そこへクロスボウを抱えた源之進げんのしん高見沢たかみさわが、らんの顔色をうかがうように低姿勢でやってきた。


「ええっと、らんちゃん、ごめんね。

 まさか当たるなんて思ってなかったからさ」


 上目遣いでコワい妹に言い訳をする兄。

 その横で高見沢は、極力目を合わせないように黙って地面を見つめている。


「まっ!

 お兄さまでしたのね!」


「ヒイイィッ」


 源之進と高見沢は頭を抱えて土下座した。

 この場にいてほしい、きりがいない。

 今度は恫喝どうかつだけで絶対に終わらない。

 場合によっては所持する剣呑な武器で、手足の一本くらい跳ね飛ばされるかもしれない。


「さすがはわたくしたちが尊敬いたす、お兄さまでございますっ」


「えっ?」


「お兄さまのご活躍があってこそ、憎っくき悪魔を封じ込めることができたようでございますわ」


 らんが鈴を転がしたような美しい声音で賞賛しながら、地面にすがる源之進の手を取った。

 源之進と高見沢は顔を大地にこすりつけながらも、ほっと息を吐いた。

 高見沢は顔をあげて報告することにした。


「社長は紫樹むらさき家の当主でいらっっしゃいますから、当然です。

 ところで、らんさま」


 高見沢は立ち上がり、後方を振り返って指さした。


「ご覧のように、おっと、出口がまた増えて十三になっているか。

 ここから脱出するには、どの道を選んだら」


 そこでようやく地上への脱出口が、いつのまにか増えていることに気がついた。

 らんの顔から、能面のように表情が消えていた。


「おやまあ、帰りの道が増えておりますわね。

 これはどういうことかしら。

 わたくしに出口を見つけろ、そうおっしゃいますのね。

 しかも。

 その口調から推測いたしますと、とっくに知っていたのに隠し立てしていたと。

 そう解釈してもよいのかしら、タ・カ・ミ・サ・ワ」


 呼び捨てに変わっている。

 高見沢の顔面がサーッと白くなった。


「おいっ!

 こらっ!

 高見沢ーッ!」


「は、はいーっ」


「おどれはこの現象を、鼻をほじってボーッと眺めておったんかいや!」


 高見沢の喉が「ヒッ」と鳴る。


「ウラアッ!

 おどれはこうなってることを知りながら、わしらになぁんの報告もせんと、のーんびりと高見の見物としゃれこみやがっておったんかい!

 このボケが!」


 普段は薔薇のように美しいらんの目元は、般若も失禁するくらい吊り上がり、その手がベルトの「九尾剣きゅうびけん」のつかにかかっていた。


 きりとフィリップが並んで駆け寄ってきた。

 場の様子に、きりはすぐに気づいた。


「やべっ」


 らんは「九尾剣」の鋭い刃先をシュッと柄から出した。

 グラリッ。

 またしても洞窟内が揺れる。

 岩壁の明滅が先ほどより、やや早くなってもきている。

 すかさずきりはらんに走り寄り、耳元で叫ぶ。


「らんっ!

 それは後回しだ!

 早くここから脱出する算段しなきゃっ」


 ギロリと振り返るらんの吊り上がった光る瞳に、きりの真剣な表情が映った。

 途端に憑きものが霧散していく。


「あら、わたくしとしたことが、もう少しでバッサリと高見沢さまの首を跳ね飛ばすところでございましたわ。

 うふふっ」


 取り巻いていた全員がホッと胸をなでおろす。

 当の高見沢は腰を抜かし、涙を流しながら震えていた。

 源之進がしゃがみ、そっと肩を抱いた。


「それで、この現象はどういうことなんだい、神父さん」


 きりは幾つも伸びる穴を指さした。

 マルティヌスは首をふった。


「このようなトラップを仕掛けることができるのは、『蠅の王』ベルゼブブくらいの大物じゃ。

 地上と違うて、ヘルマウス内では魔力をいかんなく発揮できるからの」


「先生、ではそのベルゼブブをなんとかできれば、ここからみなさんを脱出させることができるのですね」


 フィリップは洞窟の奥へ、今にも走りだそうとする。

 きりは、あわててスータンの袖を引いた。


「いっちゃあ、ダメ!

 この穴が崩れ落ちて戻れなくなるっ」


「きりさん、ぼくはお約束しました。

 必ずきりさんと、らんさんをお守りすると」


「だったら一緒にいて!

 お、お願いだから」


 きりは自分の発した言葉に耳を疑った。

 いったい何を言っているのか。

 そこにはどんな感情が秘めているのか。


 明滅の速度が、さらにアップしていく。

                                  つづく

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