第40話 「脱出」

 デラノヴァの魔力から解放された「百式党ひゃくしきとう」員たちは、驚愕の表情を浮かべていた。

 フィリップときりによって肉体的ダメージをくらった者もかなりいるが、重傷を負わせられているわけではない。

 またらんの「塗壁ぬりかべ」で固められた人々は、らんがトライク後部の収納ケースから溶解剤のスプレーを持ってきて、凝固している個所を溶かしていた。

 

 骸野むくろのは抱きついたまま放そうとしない頓殿とんでんの肩を、何度も何度も叩いて、しまいには骨折覚悟で殴りつけて、ようやく解放されていた。

 

 マルティヌスは高見沢たかみさわがビートルに積んでいたタオル、これは多汗症気味の高見沢が常に所持しているのだが、それを裂いて包帯代わりに応急処置を施している。


「さあ、ここから脱出せねばならぬが」


 マルティヌスはフィリップと相談する。


「先生、あの穴はどこへ入っても、結局地表へ出られるということはありませんでしょうか」


「ううむ、わしもここまで入り組んだヘルマウスには、足を踏み入れたことはないでのう。

 万が一トラップであれば、二度ともどることはできぬ」


 きりが腕を組む。


「つうことは、命が尽きるまで洞窟を歩き回るってことか」


「なんでしたら、わたくしが愛車で探索にまいりましょうか」


 らんの発言に、マルティヌスは首をふる。


「いや、そんなに時間はない。

 それに迷宮に入れば、それっきりじゃでな」


 ゴーッと洞窟の奥から地鳴りのような音がこだましてきた。

 呪縛から解かれた人々が悲鳴を上げる。

 フィリップは大声で叫んだ。


「みなさん!

 落ち着いてください!

 ぼくたちはなんとしてでも、みなさんを無事にここからお連れしますから!」


 もちろん英語であるから、きりがすぐに訳す。


「安心してくれとはいえないけど、信じてほしい!」


 きりやらんの制服姿に、ほとんどのひとたちは自衛隊か警察の特殊部隊の人間だと思ったのだろう。

 異論を唱える者はいなかった。

 骸野が元に戻ったことで頓殿は一安心し、きりの前に来た。


「どこのどなたか知らないけども、本当にありがとうございます、です」


「いやあ、まだお礼を言われる状況じゃあないんだけどなあ」


 頓殿は坊主頭を丁寧に下げる。

 その細い目が、きりの胸元で止まった。


「えっ?

 なんだい、あんちゃん」


 きりは急に恥じらうように、胸元のアーマーを両手で隠した。

 頓殿は口を半開きにしたまま、まだ見ている。

 そして首を傾げた。


「あのう、とても綺麗な、おねいさん」


「は、はいよ」


「ええっと、胸にさした懐中電灯のスイッチが入れっぱなしなんだけど。

 節電のために、消したほうがいいのではないのかなあと」


「はあっ?」


 きりは懐中電灯など持ってはいない。

 ヘルメット内蔵のゴーグルがあれば、暗闇でも活動できるからだ。

 視線を胸元へ向けた。


「あらっ?

 なんだこりゃあ」


 頓殿が指摘したように、ブレストアーマーの上部から淡い光が漏れている。

 あわてて指を胸元へ入れた。


「ええっ!」


 指先でつまみだしたのは、首からかけていた勾玉まがたまのペンダントであった。

 白く光を発している。

 らんも驚きの声を口にした。


「あらいやだ、なぜこんなときに」


 らんの指先にも同じ勾玉が光っていた。


「おい、らん。

 これって」


「ええ。

 あの『子守こまもり地蔵』ちゃんからいただいた、のペンダントよ」


 ふたりは目の前に輝く勾玉を掲げた。

 フィリップが眉間にしわを寄せ、耳に手を持っていく。


「みなさん、聞こえますか?」


 そこにいる全員が辺りを見回した。

 すると十三に分岐した洞窟の、右から三番目の穴から鈴を鳴らすような音が、かすかだが聴こえてくる。

 シャン、シャン、シャン。

 その音に伴って、ゆらりゆらりといくつもの影が伸びてきた。


「まさか、また悪魔か!」


 フィリップは「ネオンリング」を起動しようと身構えた。

 その手をきりが優しく抑える。


「待って。

 あの影は」


 徐々に近づいてくる影からは、悪意がまったく感じられないのだ。

 むしろ温かな微風が心を落ち着けさせる。

 明滅を繰り返す岩壁の光に、その姿が浮かび上がった。


「ハアッ?」


 疑問符が全員の頭に浮かぶ。

 先頭をゆっくり歩いてくるのは若い男性であった。

 ところがそのスタイルが奇天烈なのだ。


 金髪のウエーブした髪をグリスで四方に向かって立たせ、耳にはリングのピアス、濃いブルーのアイシャドウに薄い唇には真紅のルージュを引いている。

 さらに細い上半身は裸体の上に黒い革ベスト。

 ベストには銀色の稲妻が数本刺繍してあった。

 細長い脚は革のパンツ、足元には銀色の鋲をいくつも打ち込んだブーツを履いている。


 どこかの、ロックバンドのボーカリストなのか。

 そもそも、なぜこのヘルマウスにロックシンガーが登場するのか。

 まさか、ライブを始めるとでもいうのか。


 らんは気づいた。

 その男性は幼子を背負っているようなのだが、肩からちょこんと顔をのぞかせている。

 おかっぱ頭の目の細い三歳児くらいか。

 そう、以前にらんたちが『猿神さるがみ』から救出した『子守地蔵』であった。

 相変わらず青っ洟あおっぱなを垂らしており、男性のベストの肩辺りにペトッと先がくっついている。


「き、きりさん、あのおかたをご存じなのですか」


「い、いや、知らない。

 ただ背中の子どもは知ってるけど」


 男性は片手をふりながら大声で言った。


「イェーイ!

 エブリバディ!

 ヒャアウイゴー!

 お待たせぇっ!」


 場違いな妙に明るい声が、逆にコワくなる。

 さらに男性の背後には、編み笠をかむった石像のお地蔵さんが手にした神楽鈴をシャンシャン鳴らしながらついてきていた。

 いったいどれほどのお地蔵さんを引き連れてきているのか。

 列は穴の奥まで伸びている。


「よっこらせッと」


 男性は身体を寄せ合ったきりたちの前で止まると、背中の「子守地蔵」を大地におろした。

「子守地蔵」は満面笑みを浮かべ、ちょこちょこと走り、らんの脚に抱きついた。


「えーっと」


 相手は日本語であったので、きりが代表して訊く。


「あんたさんは、いったいどちら?」


 男性は周囲を見回しながら、両手を頭の上に乗せた。

 両手のすべての指にドクロの指輪をはめている。


「いやあ、こんなところに洞窟なんて造っちゃたんだねえ。

 まいったなあ。

 まあ、仕方ねえか」


「もしもし、聞こえてる?」


「あっ、そうそう、俺っちかい。

 俺っちはさ、みんながご存じだと思うんだけど、観音かんのんよ」


「カ、カンノン?」


 きりは博識高い兄の源之進げんのしんに助けを求める。


「カンノンってことは、もしかすると、あなたさまは『観音菩薩』さま、でしょうか?」


「ピンポーンピンポーン!

 大当たりぃ、ってか。

 うはははーっ」


 きりは英語でマルティヌスとフィリップに訳す。

 ふたりは目を皿のように広げ、「観音菩薩」と名乗った若い男性を上から下まで見た。


「『観音菩薩』って、あの『観音菩薩』?」


 きりは疑わしそうな目を向ける。


「おりょ、信じてくんないの?

 俺っちは正真正銘、『観音菩薩』さまでぇす。

 いや、マジよ、これ」


 きりは薄目でジッと見つめる。


「なになに、その疑わしそうな目はさ」


 しゃがんで「子守地蔵」の頭をなでている、らん。

「子守地蔵」が内緒話をするように、らんの耳元に小さな口を近づける。


「なにかしら?

 えっ?

 ははあ、なるほどぉ。

 それでですのね。

 おねえさん、嬉しいわぁ」


 ギュウッとかすりの着物を抱きしめる。

 らんは、そのままみなを振り仰いだ。


「この『子守地蔵』ちゃんがね、わたくしたちが困っているだろうって、そこにおわす『観音菩薩』さまにお願いして、ここまで来てくださったようよ」


「なぜその子に、わかったんだい?

 それよりも、この変態チック野郎が、マジで『観音菩薩』さまってか!」


「『子守地蔵』ちゃんは本来、お子たちを見守る、『地蔵菩薩』さまのおひとりらしいの。

 わたくしたちも『子守地蔵』ちゃんから見れば、かわいいお子なんだそうよ」


「観音菩薩」とは、人々の苦しみの声を聞いて、救いを与えてくれる菩薩である。


「ふだんはさ、ちゃんと菩薩の格好よ。

 そこんとこ、よろしくな。

 えっへん。

 でもさあ、たまにゃあストレス解消しなきゃ。

 俺っちがヘヴィメタルのリズムに乗せて経を唱えたらシャウト、これがまた若い女子にウケるウケる!

 ヘヘーイ、カマーンベービー!

 般若心経はんにゃしんぎょうーッ、カンノンバージョーン、いってみよーっ!

 なんてな。

 ウヘヘヘーッ」


 冗談なのか真面目なのか、皆目見当がつかない。

 ゴゴゴゴッ!

 不気味な音が響いてくる。

 岩壁の明滅がさらに早くなった。


「うむっ、急ごうぞ!」


 マルティヌスは洞窟を振り返り叫んだ。


「よっしゃあ、んじゃさ、動けねえ連中はよ、地蔵くんたちが運んじゃうからさ。

 おーいっ、皆の衆、頼むぜぃっ」


「観音菩薩」はライブが始まるときのように、腕を振り上げた。

 シャンシャンと鈴を鳴らしながら、石の地蔵たちが倒れて動けないひとを何体かで頭上に担ぎ上げる。

 歩けるひとは全員が疑問符に首をかしげながら後をついていく。

「子守地蔵」を背負った「観音菩薩」がしんがりだ。


 らんはマルティヌスを、きりはフィリップをタンデムシートに乗せた。

 源之進と高見沢の乗ったビートルが先にゆっくりと進みだす。

 その後ろをらんのトライクが続く。

 きりはフィリップを振り返った。


「神父さん、いくか」


 フィリップはまだ洞窟の先に目をやっていた。

 果たしてデラノヴァと猾辺かつべの魔は封じることができたのだろうか。

 それに今回は「蠅の王」ベルゼブブが一切姿を見せていない。

 邪教を広めんとする悪魔の野望は終わったわけではないのだ。

 だが今はここを去るしかない。

 フィリップは笑顔をきりに向け、うなずいた。

                                  つづく


 


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