第38話 「最後の戦い」

 きりは負傷している巨漢の坊主頭を守るべく、「火焔鞭かえんむち」をふるって鋭い音を鳴らす。

 そして、点火した。


「さあっ、どっからでもかかってきな!

 ひとでも魔物でも、こうなりゃ一緒に成敗してくれるわっ」


 両脚を開き、四方の半人半魔を睨みつけた。

 

 らんは横たわるマルティヌスを、片膝にその上半身を乗せ、腰のベルトから「九尾剣きゅうびけん」を抜く。

 サッとつかをふった。

 岩壁の光を受け、伸びた剣先が鋭い輝きを放つ。


「これ以上悪さいたすなら、もう容赦いたしませんわよ。

 幸いここには本部へチクるおかたもいらっしゃいませんし、全員ぶった斬って差し上げます!」


 ひとか魔物かそんなことはおかまいなしに、双子は剣呑な武器を手にする。

 威嚇ではないことは、ゴーグルの下に燃える瞳が語っている。

 フィリップのような敬虔な心など皆無であるから。

 ところが、ふいに半人半魔がぴたりと停止し、らんときりは拍子抜けしてしまう。

 静止画像を見るように、その場から指先ひとつさえ動かなくなったのだ。


「らんっ」


「きり、これはいったい」


 しばし呆然とするふたり。

 どさっと音が背後から聞こえ、きりはあわてて振り返る。

 巨漢の男が足元から崩れ、フィリップから渡された金属棒を手にしたまま両ひざを地面についた音だ。


「おいっ、大丈夫か!」


 きりは火を消した鞭を素早く丸め、巨漢の男、頓殿とんでんの傍らに片膝をつく。

 頓殿の丸く大きな顔は、血の気を失ったように白くなっていた。

 背中からはまだ鮮血が流れたままだ。

 きりはベルトの背後から片手大の金属製のボックスを外し、蓋を開けた。


「応急手当だ。

一反木綿いったんもめん』なら使えるかもしれないし」


 箱から包帯のように丸めた布を取り出す。

 端を持って宙に躍らせた。

 するとやや黄ばんだ木綿の布がふわりと伸びる。

 意思を持っているかのように、その「一反木綿」はフワフワと漂っていた。


 鹿児島県かごしま肝属郡きもつきぐん高山町たかやまちょうに伝わる妖怪「一反木綿」。

 一反は長さ約十メートル、幅約三十センチである。


 本来は「塗壁ぬりかべ」同様、拘束用に所持しているのだが、伸縮性があるため、きりはこの布を頓殿の止血用に使おうと大きな胴体に回した。


「どこのどなたか知らないけども、あ、ありがとうございます、です」


「いや、礼なんていいさ。

 とりあえずこれで止血しなきゃな」


 頓殿は不思議そうな表情を浮かべ、きりにされるがまま両腕を真っすぐ上げていた。


「らん、神父さんのほうはどうなんだ?」


 きりは「一反木綿」がくるくると頓殿の胴体にまきついていく様子を見ながら交信する。


「致命傷ではないと思われますが」


 らんは膝に乗せたマルティヌスを視覚に捉えながらも、油断なく動きの止まった半人半魔に目配せする。


「じょ、嬢ちゃんや」


 眼鏡の奥で、うっすらとまぶたを上げるマルティヌス。

 らんは顔を近づけた。


「わしはよい。

 それよりもフィリップが、心配じゃ」


「神父さま、フィリップさまは、あなたさまのお弟子。

 心配なさることはありませんわ。

 あんなに勇敢に戦われていらしてるんですもの」


 ふたりの会話はもちろんフィリップのインカムにも聴こえていた。

 軽く耳のインカムにふれ、猾辺かつべに真っすぐな視線を向ける。


「あなたはわかっているのですか!

 その姿はもう人間ではない。

 だけど遅すぎることなんてありません。

 少しでも、ひととしての心が残っているのなら、やり直すのです!」


 羽ばたく猾辺はフィリップを見おろし、笑った。


「バカなことを。

 わたしは人間を超える力を手に入れたのだ。

 あるじの洗礼で、さらなる力を与えられる。

 その力でもって日本を、いや、世界を治める王となるのだ」


「悪魔の力など神には遠く及びません。

 なぜなら、天界を追われ行き着いた先が地の底なのです。

 全悪魔が結集したとしても、神の光の前では無力なのです!」


 フィリップは悪魔に魅入られたこの男を、なんとしてでも救いたかった。

 デラノヴァのように生まれいでたときより魔物ではないはずだから。

 

 猾辺は羽ばたきながら周囲を見回した。

 岩壁には鋭利に尖った岩石が、いたるところから突き出ている。

 身体中にみなぎる、あふれるようなパワー。

 ザッと舞い上がり、試しに一抱えほどの岩石を両手で掴んだ。

 ボコッといともたやすく壁から抜けた。

 重さを感じることもない。

 それを思いっきり眼下のフィリップめがけて投げつけた。


 音を立てて落ちてくる岩石。

 フィリップは身体を軽くひねって回避する。

 その程度の見切りは、武術家である彼にとっては容易たやすい。


「ほう、やるね。

 ではこれならいかがかな」


 猾辺は蠅のように天井を飛び回り、次々と岩石を崩しては投げた。

 フィリップは飛来する岩石を、「ネオンリング」で武装した手や脛で破壊していく。

 太古より地表の下で固められた岩石。

 ダイナマイトの威力を上回る聖なるグローブが、白銀色のスパークと共に砕いていく。


 土煙がもうもうと辺りに立ち込め、視界を奪う。

 武術を極めたエクソシストは、研ぎ澄まされた心眼で凶器と化した岩石を木っ端微塵にしていった。

 フィリップは師から託された「聖パウロの杖」を腰のベルトから抜き、意識を集中する。


「わがしゅよ!

 天界におわす全知全能なる神よ!

 哀れなる魔を封じるためにお力を!」


 グローブをはめた腕で、杖を天に向かって差した。

 グローブがまばゆく白銀に輝く。

 その光が杖に移り、聖なる光が渦巻いた。


 次の一手を仕掛けようとした猾辺は、太陽の光を浴びたように顔が苦悶に歪んだ。

 猛烈な熱波が肉体に襲いかかる。

 猾辺の体毛から焦げた煙が揺らぎ始めた。

 薄い皮膜の羽が融かされれば、デラノヴァの二の舞だ。

 

 ウワーンッと羽ばたく音を引きながら、猾辺は天井部分から急いで身を隠せる岩山を探す。

 ふいに光と熱が消えた。

 理由はすぐにわかった。


「は、放しなさい!」


 フィリップの背後から、デラノヴァが抱きかかえるようにしがみついているのだ。

 半分潰された巨大な複眼の頭部。

 片脚は妙な角度に折れ曲がっている。

 さらに砕かれた岩石が、身体のいたるところに突き刺さっていた。


 フィリップは集中していた精神を乱され、「聖パウロの杖」から発していた光が消えていた。

 デラノヴァは口吻こうふんから黒い体液を垂らし、最後の力をふり絞るようにフィリップを羽交い絞めにする。

 大地に降り立った猾辺は、プスプスと上半身から煙を舞い上がらせ、ゆっくりと歩いていく。


「クックックッ、さすがは魔女。

 それでいい。

 あなたの遺志はこのわたしが、しっかりと受け継いでさしあげよう」


 フィリップは渾身の力を込めて振りほどこうとする。

 辺りに漂う土煙。

 魔人と化した猾辺が鋭い爪を光らせながら近づいてきた。


「ぼくは諦めない!

 絶対に負けない!

 あなたたち悪魔から人々を守るために、ぼくは!」


 フィリップは歯を食いしばり目の前に迫る男を睨む。

 ギラリッ!

 猾辺の指先が光りながら持ち上げられた。

 フィリップは本能で閉じそうになる瞼を堪え、さらに四肢に力を入れた。

 そのときだ。

 背後に抱きついていたデラノヴァがフィリップを押しのけるように横へ払い、猾辺に向かって跳んだ。

 すかさず羽ばたき宙へ舞い上がる。

 その下半身にデラノヴァは掴みかかった。


「ゆ、許さぬ」


「なにをこざかしい!

 おまえは無に帰すのだ!

 放せっ」


 猾辺は宙を旋回しながら、しがみつくデラノヴァを落とそうと腕をふった。

 鋭利な爪が残る複眼を潰す。

 もつれあいながら、洞窟の奥へ飛んでいく。

 

 フィリップはもう一度精神を集中し、「聖パウロの杖」を高々とさし上げた。

 先ほどよりさらに強い光が杖の先からほとばしる。

 強烈な熱波が洞窟の奥へ走った。

 猾辺の体毛から炎が上がり、そこだけ人間のままであった顔面が熱で炙られ皮膚がめくれ上がっていく。

 デラノヴァの身体を、黒い炎がなめまわしていた。

 長い口吻を上向け、最後の力をふり絞り口笛を吹いた。

                                  つづく

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