第37話 「迫る危機」

「あっ、当たっちゃたねえ」


「ええ、ひとり、と申しますか一匹と呼ぶのでしょか、墜落していきます」


 源之進げんのしん高見沢たかみさわはクロスボウを構えたまま、羽を失い落下していくデラノヴァを見つめている。


 フィリップの研ぎ澄まされた感覚は、目前の排除すべき相手と、天井付近から落下するデラノヴァの姿を同時に捉える。


 スータンの内側ポケットに入れていた三十センチの金属棒を素早く取り出すと、「三節棍さんせつこん・改」の鎖を解き放った。


「あなたを救出するために時間をください!

 この集団を操る悪魔を討たねばなりませんからっ。

 誠に申し訳ありません!

 この武具であれば、振り回すだけで防御は可能です!」


 頓殿とんでんは肩で息をしながら、フィリップからそれを受け取る。


「ええっと、なにを言っているのかさっぱりわからないけど、多分これを使いなさいってことかな」


 きりは鞭で迫りくる半人半魔たちを威嚇しながら、うなずいた。


「あんちゃん、しんどいだろうけど頑張って!」


 頓殿は背後の骸野むくろのを一度振り返り、「うん」とうなずいた。


 らんとマルティヌスは息を合わせた方法で、すでに三十人以上を動けなくしていた。

 だが、まだ圧倒的な数の半人半魔たちが迫ってくる。

 らんが「塗壁ぬりかべ」で動けぬようにし、マルティヌスが聖水銃を連射しまくる。

 半人半魔の絶叫や立ち込める黒と灰色の煙で、まさしく阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図であった。


 デラノヴァの落下は無論マルティヌスも視界に捉えている。

 だが先へ進もうにも人間壁が邪魔になり、フィリップたちの様子すらわからない。

「聖パウロの杖」を使えば排除は可能だ。


 若かりしころであれば、多少の犠牲はやむを得ぬと一気呵成いっきかせいに、殲滅せんめつを第一に動いた。

 それが「世界一凶暴」と侮蔑された意味を含んでいる。

 悪魔の討伐とひとを救うことと天秤にかけた場合、マルティヌスは前者を選んでいたのだ。

 

 弟子であるフィリップは違った。

 どんな場合であろうと、ひとの救出を、己の身を犠牲にしても第一に考える。

 青いと思った。

 エクソシストを名乗るのであれば、優先すべきは悪魔を封印することだ。


 だがフィリップは、「ぼくは差し伸べることができるなら、躊躇ちゅうちょせずにこの手を差し出します」などと涼しい顔でぬかす。

 マルティヌスは聖水銃を撃ちまくりながら苦笑した。

 それがフィリップの弱点であるのか。


 いや、そうではない。

 フィリップは自分を遥かに超えるエクソシストになるであろうと思う。

 弱みではなく、それこそがしゅの教えなのだから。


「神父さま!

 後ろっ」


 らんが叫んだ。


「むうっ」


 マルティヌスは振り返ろうとした直後、宙に跳躍した半人半魔の鋭い爪をまともに背に受けてしまった。

 ザクッ!

 長く鋭利な爪が深々と背に食い込んでいる。しかも腹部からスータンを破りその先が突き出していた。


「アアッ!」


 らんの悲鳴はインカムを通して、きりとフィリップの耳にも聴こえた。


「らん!

 どうした!」


「し、神父さまが」


「先生っ」


 フィリップは落下した悪魔の元へ走り出そうとした足を止めた。

 倒れこむマルティヌス。

 らんは「塗壁」を当たりかまわず噴射しながら駆け寄る。


「じょ、嬢ちゃん」


 マルティヌスは顔面蒼白だが、その顔には笑みを浮かべている。

 転がった大地に赤い染みが広がっていた。

 らんは向かってくる半人半魔を「塗壁」で一気に固めながら、片腕でマルティヌスの上半身を起こした。


「神父さま!」


 マルティヌスは腰に差した「聖パウロの杖」を握り、言った。


「嬢ちゃんや、お使いだてして誠にあいすまぬ。

 こ、この杖をわしの一番弟子に渡してはくれまいか」


 らんは「塗壁」の筒を腰のベルトに戻し、杖を掴んだ。


「マルティヌス先生!」


 フィリップは師の元へ駆け寄りたいが、人間壁がわんさと押し寄せてくる。

 らんは杖を手にして立ち上がる。


「きり!」


「おうよ!」


 ツインズはときとして、言葉を交わさなくても心が通ずる。

 らんは立ち上がると人間壁を見渡し、きりたちが戦っていると思われる場所めがけて「聖パウロの杖」を投げた。

 弧を描いて飛ぶ一本の杖。

 きりは「火焔鞭かえんむち」を手繰り寄せ、宙を見つめる。

 立ち込める煙や土埃の間を、ゆっくりと飛来する細長い棒。


「よっしゃあ!」


 きりは鞭を放った。

 杖に絡まる。

 そのまま一気に引いた。


「らんっ、受け取ったぜ!」


 きりは鞭に巻き付いた杖を素早くほどき、フィリップへ渡した。


「先生!」


「わが弟子、フィリップよ。

 その聖なる杖で悪魔を討ていっ!」


 デラノヴァが大地へ叩きつけられる姿を、猾辺かつべは浮遊しながら見おろしていた。

 

 たかが人間の放った矢ごときに、なんと無様なことを。

 魔女とはいえ、所詮はあるじの下僕に過ぎないのだ。

 わたしは違う。

 あるじの洗礼を受ければ、あるじと同等の位置にまで昇ることができるのだ。


 猾辺は背中の羽を動かし、大地へ降り立った。

 さすがは魔女。

 これだけの高度から地面に叩きつけられれば、ひとなら即死だ。

 たとえるなら、ビルの十階以上の高さから、大地に墜落したと同じ衝撃を食らったのだから。


「くうっ」


 蠅の頭部を持ち上げるが、デラノヴァにとってもこの物理的衝撃は相当な苦痛を伴う。


「わ、わたしを連れて早くあるじの元へ」


 デラノヴァは剛毛に覆われた腕を持ち上げる。

 猾辺は白い歯を見せ笑った。


「お礼を申しあげますよ、デラノヴァ殿」


 複眼の頭部が傾く。


「お礼だと?」


「さよう。

 ここまでくれば、あとはわたしひとりでもあるじのおわす玉座ぎょくざまで行けますからね」


「な、なにを言う」


「人間ごときが放った矢に、魔女ともあろうおかたが。

 そんな情けない姿であるじにお目にかかるわけにはいかぬだろう」


「き、きさま!」


 デラノヴァは腕をついて起き上がろうとした。

「ふんっ」と猾辺は思いっきりその腕を蹴り上げる。

 悲鳴を上げ転がる蠅の魔物。


「あなたもここでわたしを見送りなさい」


「キーッ!

 わ、わたしが与えた恩を忘れたとは言わさぬぞっ」


「恩?

 魔女が口にすべき言葉ではありませんねえ。

 わたしは、ひとでなし。

 前にあなたがわたしに、そう言ったではありませんか」


 猾辺の真っ黒な双眸が妖しく光った。

 デラノヴァは動かぬ身体を片腕でもがくように後退する。

 猾辺は笑みを浮かべたまま、デラノヴァの肉体を蹴る! 蹴る! 蹴りまくった。


「ウワッハッハッハッ!」


 魔力を繰り出そうにも、猾辺はほぼ同じ悪魔と化しているから、無駄である。

 デラノヴァは悲鳴を上げ、その声がさらに猾辺の残忍なサディズム心を燃えさせた。

 伸びた口吻こうふんから黒い液体が飛び散り、複眼が潰されていく。


 猾辺は大声で笑いながら、さらに蹴り上げる。

 デラノヴァはすでに四肢を痙攣させていた。

 それでも、やめない。


 ふいに猾辺の視界が銀色にスパークした。

 思わず両腕で頭部をガードする。

 顔を上げると、わずか十メートルほど先に黒い詰襟姿の若い男が立っているのがわかった。

 その手には古い杖が握られている。

 しかも両手には金属製のグローブをはめている。

 ズボンの脛部分にも同様の金属が覆っている。

 その男は激しい怒りをその目に宿していた。


「わたしはバチカンから派遣された神父、フィリップ・チェンです」


 歯を食いしばりながらも、丁寧に英語で自己紹介をする男。

 猾辺はもちろん英会話は得意だ。


「ほう、それはご丁寧に。

 初めまして、神父さん」


「あなたは悪魔に魂を売りました。

 わたしはエクソシストとして、あなたを封じさせていただきます」


「おやおや、あなたがこの魔女が恐れていた相手ですか。

 まだお若いのにご苦労さまです。

 だがわたしは人間ごときに封じられる存在ではない!」


 言うなり宙に舞った。

 フィリップは師の「聖パウロの杖」を、「ネオンリング」で武装した両手で構える。

 猾辺は顔以外の肉体が、完全に魔物と化している。

 相手は人間であるから地上戦を仕掛けるだろうが、そうはいかない。

 こちらは自在に飛ぶことができるのだ。

 空中戦なら勝ったも同然だ。


 猾辺は両腕を槍のごとく伸ばし、フィリップの顔面を狙って空を切る。

 その指先は鋭利な爪が光る。

 フィリップは「聖パウロの杖」で薙ぎ払う。

 銀色のスパークが散った。

 猾辺は片眉を上げ、もう一度宙にもどる。


「ただの小汚い杖ではない、そういうことですか」


 倒れ伏していたデラノヴァが、半分つぶれた顔面を冷たい土の上からゆっくり起こした。

                                  つづく


 

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