第36話 「救出」

 フィリップは走りながら「三節棍さんせつこん・改」を元の長さまで縮めてスータンの内側ポケットに納めていた。

 いくら悪魔に操られているとはいえ、相手は人間だ。

 致命傷を負わせたくない。

 可能であれば、悪魔に惑わされている魂を救いたいと真剣に思った。

 

 荒れ狂う集団のなかへ飛び込んだ。

 真っ先に目に入ったのは、坊主頭の巨漢が次々と襲い掛かる連中を、腰を落とした姿勢で、両手を高速ピストンのように動かし弾き飛ばしている姿であった。


「神父さん!」


 追いついたきりも、その光景に驚きの声を上げる。


「あのおかたは、間違いなく人間です!」


「加勢しようぜぃっ」


 言っている間に、ふたりに気づいた半人半魔たちは首をふり、歯をむき出して奇声を上げながら襲ってきた。

 フィリップは「ネオンリング」は起動せず、素手で立ち向かう。

 両手を鎌の形にして螳螂拳とうろうけんの構えを取った。


「ハイッヤッ」


 鋭い気合を発し、二重三重に取り囲んで襲ってくる相手に攻撃を仕掛けていく。

 半人半魔たちはデラノヴァの放った蠅により、肉体が変貌していた。


 爪は大型肉食獣さながらに鋭く伸び、大きく開いた口からは大量の涎を振りまき、鋭い牙が音を立てフィリップに飛びかかる。

「ネオンリング」を起動すれば瞬殺できる相手だ。

 だがフィリップにはできなかった。

 まだ救うことができるはずだと信じているから。


「イヤーッ、ハイッ!」


 両腕で顔をガードし、片脚を軸に回転しながら蹴り技を繰り出す。

 

 ドゥンッ!

 ダンッダンッ!

 ダダダダッ!


 肉体を打つ音。

 宙に舞う幾つものひと、ひと、ひと。


 きりは「火焔鞭かえんむち」を点火せずに走りながら操り、首に絡めて引き倒し、脚を打ち抜き大地へ転がしていく。

 張り手を繰り出している頓殿とんでんは驚いた。


「おおっ、どこのどなたかは知らないけれど、お手伝いしてくるのか」 


 細い目に笑みが浮かんだ。

 

 らんは大地に自ら転がり込み、手にした「塗壁ぬりかべ」を半人半魔の足元へ噴射していく。

 瞬間に固まり、一歩も動けなくなったところへマルティヌスが構えた銃から聖水を撃つ。


 普通の人間であれば水が、たとえ聖水であってもあたったくらいでは痛くも痒くもない。

 だが、デラノヴァの傀儡となった党員たちは違った。


 銃口マズルから勢いよく発射された聖水が命中した途端、熱した油をかけられたように激しい煙を巻き上げて絶叫をほとばしらせる。

 動こうにも足は大地に塗り固められているため、逃げることもできない。


「あらあら、みなさまお苦しそう」


 らんはふり仰ぎ、片手で口元を押さえる。


「体内に寄生しおった魔物たちが、苦しんでおるのじゃ」


「ではこれで元にお戻りになるのかしら」


「わからぬ。

 わからぬが、神はけして見放しはせぬ」


 マルティヌスは親指を立てた。

 だが人数が多すぎた。

 頓殿の腕は疲労が蓄積し、当初の破壊力がなくなっていく。


「ご、ご飯を食べていないから、力がでない」


 Tシャツからのぞく太い腕に、爪を立てられ幾つもの赤い筋が描かれ、テッポウを繰り出すたびに鮮血が飛ぶ。

 背後に守る骸野むくろのは半開きの口のまま、焦点の合わない目でただじっと立ったままだ。


 その後方から髪を振り乱した女が奇声を発し、両腕を高々と上げて攻撃を仕掛けた。

 頓殿は気配に振りむくも、そこへすかさず別の半人半魔が飛びかかってきた。


 頓殿は己の身を守ることなど考えてはいない。

 社長のをガードすること。

 骸野を片手で抱きかかえながら、女に張り手をくらわす。


 ザクッ!

 

 肉を切り裂く音が背中から聞こえた。

 頓殿のTシャツが大きく切られた。

 真っ赤な血が吹き上がる。


 それでも頓殿は顔をゆがめることなく、さらに迫って来る相手を片腕でつかむと、思いっきり頭突きをくらわした。

 額を割られた相手から、赤黒い粘質の体液が飛び散る。

 

 フィリップは柔和な目元を吊り上げ、怒りの声を振り絞った。

 なぜ坊主頭の巨漢がたったひとりでここにいるのかは知らない。

 もしかすると悪魔が巧妙に仕掛けた罠で、魔物をひとに見せているだけかもしれない。

 騙されてもいい。

 師に罵倒されようとかまわない。

 神父として、いや、同じひとりの人間として同胞が傷ついているならば手を差し伸べる義務がある。

 フィリップは髪を逆立てて、攻撃しながら走る。

 行く手を邪魔する半人半魔の群れ。


「ウオオォリャアーッ!」


 手足を武器に変え、頓殿の元へ。

 きりも鞭を鳴らし、打ち、飛び、走る。


 グワッ!

 

 長身痩躯の男が鋭い爪を、頓殿の裂けた背に食い込ませようとした。

 頓殿は骸野を守るために、盾になる覚悟をする。

 もうこれ以上突っ張りを放てるほど体力は残っていない。

 思わず目をつむった。


「セイッ、ヤアッ!」


 フィリップは大地を蹴り宙に舞い、足の甲で長身痩躯の頭部を薙ぎ払った。


「It is all right,now!」


 フィリップは頓殿の前に降り立った。

 そこへきりも鞭を回転させて走り寄る。


「おいっ、あんたっ、もう大丈夫だ!」


 きりはフィリップの言葉を伝える。

 頓殿は砕けそうになる腰に力をこめ、顔だけ向けた。


「えーっと、どこのどなたか知りませんけど、ありがとう」


 フィリップはニコリとほほ笑んだ。

 そして言葉を口にするが、英語はさっぱり理解不能の頓殿。

 きりが伝える。


「あたしらは悪魔退治にここまで来たんだ。

 あんたは人間だよな?

 傷が深そうだけど、もう少しだけ辛抱してくれよな。

 だからさ、ここからはあたしたちに任せな!」


 きりは早口で伝えると、フィリップとともに半人半魔を迎え撃つ態勢を取った。


 源之進げんのしん高見沢たかみさわはビートルの後方に身を寄せ、顔だけをのぞかせて様子をうかがっていた。


「高見沢くん」


「は、はいっ」


「ぼくたちは実に無力だ」


「お言葉を返すようで恐縮ですが、社長」


 高見沢はごくりと喉を鳴らす。


「わたしたちは、世間一般の人間であります。

 これは悪夢だと思うほうが、よいのではないでしょうか」


「悪夢か。

 まさしくそうだねえ。

 愛する妹たちの力になりたい身としては、なんとも歯がゆい気持ちだよ」


 源之進はメガネのブリッジを指先で持ち上げ、ふと視線が上向いた。


「高見沢くん」


「は、はいっ」


 源之進は中腰の姿勢のまま、指で洞窟の天井付近を差した。


「ほら、あそこに浮かんでいる人影がわかるかい」


 高見沢は眉間にしわを寄せ、源之進が指し示す方向を注視する。


「ええっと、あれはなんでしょう。

 また化け物の類でしょうか」


 ふたりは、光る岩壁に長い影を揺らめかせて宙に漂うふたつの物体を見つめる。


「あれは、ひと型だね」


「ええ。

 暗くて今ひとつはっきりいたしかねますが」


「すくなくとも、ぼくたちの味方ではなさそうではないかな」


「はい。

 なんだか下で行われている戦いを、ただ眺めているような気配ですが」


 高見沢は源之進が立ち上がる姿を見つめる。


「社長」


「なんだかジッとしていられなくてね。

 でも、らんちゃんたちには内緒だよ」


 手にしたクロスボウを構えた。

 高見沢は脳裏に浮かぶ、怒髪天を衝く、らんの恐ろしい憤怒の形相を払うように首を振り、持ったままのクロスボウを見おろした。


~~♡♡~~


 デラノヴァと宙に並んで浮かぶ猾辺かつべ

 もはやひととしての心は、一片も残ってはいなかった。

 闇を凝縮したような真っ黒な二つの眼。


 眼下では猾辺とその掲げる思想に共鳴し、「百式党ひゃくしきとう」員として働いてくれた者たちが、いまや悪魔の傀儡として追ってきたエクソシトたちを皆殺しにしようとしている。


 それでいいではないか。

 ひとには役割がある。

 あの連中は猾辺が真の主に洗礼を受け、日本を統治する偉大なる存在になるための礎にすぎないのだから。


「人間のわりに、やるじゃないのあいつら。

 でも果たしてどこまでもつのかしらねえ、うふふふっ」


 デラノヴァは複眼に映る大地を楽しんでいる。

 長く伸びた口吻こうふんを震わせ始めた。

 ここからさらに、地獄に巣くう魔物たちをいっきに呼び寄せるためだ。


 猾辺は気づいた。

 宙をこちらに向かって飛来する物体に。


 ビュンッ!


 二本の矢が瞬時に走り抜けた。

 猾辺はわずかに羽ばたきやり過ごしたが、デラノヴァは口笛を吹くことに意識を集中していたため、避ける暇がなかった。

 一本の矢が、デラノヴァの羽をむしり取るように後方へ飛んでいく。

 羽が破られ、デラノヴァは落下した。

                                  つづく


 

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