第26話 「地獄への門」

 千早赤阪村ちはやあかさかむら

 天空は暗雲におおわれ、星のまたたきも遮断されている。

 持ち上げた掌さえ見えぬ暗闇。

 瞬間、目を貫くような光が走った。

 重なり合った雲を切り裂き、稲妻が轟音とともに山並みを浮かび上がらせる。


百式党ひゃくしきとう」の本部を置く本殿。

 どこからも明かりは見えないが、その奥手にある森林からチロチロとゆらめく灯火がもれている。


 情報屋と刑事を生贄いけにえとして捧げた三十メートル四方の広場。

 すぐ背後には杉やブナの樹木が密生する山裾である。

 広場には以前よりも多くの人々が立っていた。

 二百人は軽く超える。

 骸野の配下も全員が入党していたからだ。

 全員が黒いローブをまとい、フードですっぽり頭部をおおっている。


 広場の四隅には燭台が置かれ、太い蝋燭ろうそくが妖しげな光を浮かばせていた。


 ドゥーン!


 遠くで落雷の音が響いてくる。

 不思議なことに雨粒は落ちてこず、風さえも大気が凝固したように吹かぬ。


 いまや政治政党としてよりも、デラノヴァを教祖とする邪教集団と化しつつある「百式党」。


 本殿から数名の人間が現れた。

 五人のローブを着た党員が、後ろ手に細いロープで縛られ、頭から黒い袋をかむせられた三人の人間を引っ立ててきたようだ。


「た、助けてくれっ」


「ここのことは誰にも言いません、お願いだから殺さないで」


「ヒッ、ヒッ」


 三人の男女は党のTシャツ姿だ。

 広場の山側に立つ猾辺かつべ

 ローブをまとい、フードははずしている。

 その双眸そうぼうが群衆のなかを連れてこられる三人に注がれた。


 黒い袋は視覚を奪っている。

 そのためしゃがみ込もうとした女性を、ローブをまとったひとりが蹴り上げた。

 悲鳴が山裾を走る。

 天空からは大地を震わすような低い轟音が降ってきた。

 猾辺はさげすむような目つきで三人を見渡す。


「諸君」


 猾辺のバリトンボイスが広場に立つ集団に向けられた。


「われら『百式党』はこの国を根底から変えてみせる。

 そのためにわたしは政界へ打って出るのだが、それに伴いわれわれをお導きくださるあるじあがめねばならない。

 デラノヴァ殿はあるじの忠実な片腕であり、われわれにありがたき説法を解いてくださっている。

 ところがだ」


 言葉を切ると、連れてこられた三人を指さす。


「こやつらはわれわれを裏切り、あるじの教えに背くばかりか脱走を試みたのだ!」


「裏切りもの!」


粛清しゅくせいだっ」


「主に贄として捧げましょう!」


 集団から怒りの声が上がる。

 デラノヴァの魔力は人間の脳に働きかけ、良心を融かす。


 だがその魔術は完全ではなかった。

 以前会いまみえた老エクソシスト、マルティヌスの「聖パウロの杖」により顔面を殴打された。

 そのときに魔力の一部に亀裂が入ってしまっていたのだ。

 脱走をしようとした三人には、絶対服従という刷りこみがされなかったのだ。


 三人は元々猾辺が政治団体として興した「百式党」の立ち上げメンバーであった。

 猾辺に心酔し、猾辺を大阪府知事にするべく奔走していた。


 だが、猾辺が堺市さかいしから本部をこの千早赤阪村に移した頃より首をかしげるようになってしまったのだ。

 政治顧問として入党したはずのブロンドの女性、デラノヴァがことあるごとに政治とはまったく関係のない宗教の説法をするようになった。


 当初はこの三人も受け入れようとしていた。

 だが同じ仲間たちの様子が、日を追うごとにおかしくなっていることに気づく。

 誰もがデラノヴァの寵愛ちょうあいを受けたがるようになり、デラノヴァがあるじとする不気味な肖像画を、まるで本当の神のように崇め始めたのだ。


 あれだけ精力的に町へ繰り出しては政治演説をしていた猾辺が、日中は千早赤阪村の本部に籠りっきりになったことも不信感をいだいた。


 いったい「百式党」はどこへ向かおうとしているのかがわからなくなってきていたのだ。

 さらに見も知らぬ男ふたりを、生贄をささげると称し、この山裾で殺害した。

 遺体はどこかへ埋めたのか、誰も知らない。


 殺人を目にした三人は心底恐怖を覚えた。

「百式党」から離れなければ、さらなる悪事に手を染めていく可能性が高い。

 この地から去る一大決心をしたのであったが。


「粛清っ、粛清!」


「粛清!」


「粛清!」


 稲妻が走り、広場を浮かび上がらせる。

 同じローブにフードをかむった大勢の人間が、雷鳴に負けないような叫び声を合せる。


 捕えられた三人は狂ったように身を悶えさせるが、捕縛されているためその場で無茶苦茶な舞踏を踊り続けることしかできない。


 猾辺の背後にローブ姿のデラノヴァが出現した。

 妖艶な笑みを黒いルージュの唇に浮かべ、ペロリとやけに赤く長い舌で口元を舐める。


「この者たち贄を、わがあるじに捧げようぞ!」


「オオッ」


 デラノヴァの姿を見た途端、猾辺と脱走者三人をのぞく全員が呼応する。


「見よ!」


 デラノヴァが背後の森林を指さした。

 天空を走る稲妻のフラッシュが樹木を照らす。

 メキッ、メキッと乾いた音がそこかしこから鳴り始めた。


 バキバキバキッ!


 高さ二十メートルほどの木々が根元から折れ、左右に倒れ始めた。

 倒壊した樹木は見えないロープで引っ張られるように、左右へ引きずられていく。

 広場と同じだけの幅、高さにして五十メートルほどの山肌が現れた。

 そこだけ伐採したような土壁となる。

 デラノヴァはむき出しの山肌に向かい、両手を高く上げた。


「獄界を統べる魔王サタンさま!

 わがあるじ、ベルゼブブさま!

 これより地獄への門をこのデラノヴァが開錠いたします。

 その前に新鮮な贄を捧げ申し上げます!」


 袋をかぶせられた三人が、突き倒されるように山肌へ転がされた。


 ドーンッ!


 すぐ近くで落雷があり、大地が揺れた。

 立て続けに雷鳴が響き、稲妻の閃光が天を走り抜ける。

 ガサッ、ガサッ、ガサガサガサッと山肌が崩れ始めた。

 まるで透明のショベルカーで山を切り崩すように土が削られていく。


 その速度が増していった。

 削りだされた土は闇に吸い込まれていく。

 二メートル、七メートル、どんどん巨大な穴が掘り進められていった。

 二十メートルほど暗い穴が開いたときだ。

 そこに不気味な物体が置かれていた。

 それもふたつ。暗闇を走る稲妻の閃光。


 そのふたつの物体は結跏趺坐けっかふざしたような姿勢の、ひとであった。


 表面が、もぞもぞ波打つように蠕動ぜんどうしている。

 正体は、何千、何万をも超える蠅の幼虫、蛆虫うじむしであった。

 蛆虫の大群がひとの身体に張りつき、うごめいていたのだ。

 哀れなる生贄となった情報屋と刑事の末路であった。


 生きながら大量の蛆虫に身体を喰われていたのだ。

 転がった三人の新たな生贄。

 なんとか逃れようと必死に地面を這いずっている。


 えぐられた巨大な穴の奥から、成長した黒蠅が次なる獲物を見つけ、羽音を立てて三人に襲いかかった。


 何万匹もの地獄の蠅が生贄に喰らいつく。

 断末魔の悲鳴も雷鳴にかき消されていく。

 のたうちまわる三人。

 袋をかむせられた頭部、後ろ手に縛られた胴体、脚にバケツで真っ黒な土砂をかけるように蠅が重なっていく。


 党員たちから狂気にも似た大歓声が上がった。

 黒い塊となった三人の身体が、ズルズル、ズルズルと穴に向かって引きずられていく。

 何十万もの蠅の羽音が落雷の音に重なる。


「ククッ、クククッ、オーホッホホホッ!」


 ブロンドの髪を逆立て、魔女が笑った。


「わがあるじのお待ちになる地獄へと続く道が、いよいよ開門のときを迎えるのよっ。

 さあ、あなたもお会いするがよい。

 そしてあるじの偉大なる力をもって、あなたはこの国を統べるのよ」


 猾辺はデラノヴァの言葉にひとつうなずき、「百式党」員たち、というよりも、いまや地獄におわすあるじの教えを受けた邪教集団を見渡した。


「諸君!

 われら『百式党』に栄光を!」


「栄光を!」


 ドドーンッ!


 大地を揺るがす雷が巨大な穴の上方に落ち、裂かれた樹木が音を立てて飛び散っていった。

                                  つづく

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