第19話 「新たなる指令」

 アルゼンチンで悪魔に憑りつかれた少女を無事救出したフィリップとマルティヌスは、英気を養うために休暇を利用してハワイ諸島へ来ていた。

 ワイキキビーチには大勢のひとたちが、思いおもいに常夏の浜を楽しんでいる。


 砂浜に立てたビーチパラソルの下。

 赤と白のボーダー模様の半袖つなぎを着用し、ビーチマットの上に寝そべっているのはマルティヌスである。

 丸いサングラスをはめ、ちらちらと周囲をうかがっていた。


「うーむ。

 近ごろの女子おなごは大胆よのう。

 ほとんど全裸に近いではないか。

 ああ、あのプリップリとしたなど、たまらぬのう」


 濃いグリーンのレンズはマルティヌスの卑猥ひわいな視線を隠してくれる。これ幸いとばかりに、マルティヌスは鼻の下を思う存分伸ばしていた。


 そこへ黒いボードショーツをはいたフィリップが海から上がったばかりなのか、少し長めの髪を濡らしもどってきた。

 鍛え抜かれた肉体は無駄な部分はいっさいなく、女子たちが目をハート型にして見つめている。


「はあっ、やはり海はいいですね、先生」


「なんじゃ、もう泳いできたのか」


「軽く十キロほどです。

 先生もご一緒にいかがですか。

 日頃のストレスが発散できますよ」


 チエッとマルティヌスは舌打ちする。


「わしがカナヅチと知っておろう」


「えっ」


「陸の上ではコワいモノなしのわしが、唯一苦手とする水へ誘うておるのか」


 フィリップは笑いを堪えるため、奥歯を噛みしめる。


「す、すみません、先生。

 ぼくは先生がハワイでも行くかとおっしゃったので、てっきり水泳がお得意かと」


 マルティヌスは砂地に視線をはわせ、指先で砂をいじり始めた。


「弟子であるおまえさんに、つかの間の休息をとらせてあげようと、苦手ではあるがあえてここを選んだのじゃ。

 師の心弟子知らずとは、よう言ったものじゃて」


「も、申し訳ありません!

 先生がわたしのことをそれほど考えていてくださったとは、露とも知らずに」


 生真面目なフィリップは腰を九十度曲げて謝罪する。


「い、いや、わかってもらえたらそれでよい」


 若い女子たちの水着姿に心を癒されていたマルティヌスは、斜め下を向いた。

 そしてその視線はサングラス越しに、横を通るビキニの女の子たちに食い入るように注がれていた。


 ふたりが水着のままホテルへもどり、着替えて近くのレストランで遅めの昼食を摂りに出かけようと、フロントでキーを受け取るときに「ご不在時にお電話が」と折りたたんだメモ用紙を受け取った。

 フィリップは苦笑いを浮かべた。

 マルティヌスは肩をすくめる。


「おいおい、休暇中にまた仕事なんてことは」


 言いながらフィリップの顔色をうかがう。


「チッ、やはりそうなのか」


「先生、残念ながら休暇は中止になります。

 すぐに出国準備をしなければなりません」


「世界中をドサ回りする聖職者かあ。

 して今度はどこよのう」


 フィリップは渡されたメモ用紙に書かれたアルファベットと数字の暗号を解読し、師に伝える。


日出ひいずる国、東洋の島国である日本です」


「日の本ときたか。

 あの国は世界のなかでもちと特殊じゃからのう」


 マルティヌスはいつになく真剣な表情を浮かべていた。

 フィリップの瞳に闘志のほむらが浮かぶ。


「マルティヌス先生、今度の相手はまたもベルゼブブ関係の悪魔のようです」


「なに、また『蠅の王』か。

 もしや逃げ去ったあの魔女ではあるまいのう」


「それと今回は、日本のある機関と連携せよとのことです」


「ある機関?

 待てよ。

 日出る国といえば、たしか悪魔退治ではのうて、土着の荒ぶる神とその眷属けんぞくを『ヨーカイ』とか『カイイ』と呼んで、専門に討伐する組織があったな」


 マルティヌスは記憶をたどる。


「そうじゃ、思い出した。『KBEC』なる専門機関であった」


「K、B、E、Cですか。

 なにかの略でしょうか」


「ふむ。

 たしかにKはKnockout、BはBeast、EはEvil、CはChaosじゃったかな」


「東洋のエクソシスト、ですね」


「これはなにやら面白うなってきそうじゃのう、ふへへへっ」


 マルティヌスは不敵に笑った。


 ~~♡♡~~


 東京都千代田区霞が関かすみがせきに文部科学省の建物はある。

 文部科学省は教育、学習を中心に学術、スポーツ、文化の振興を行うとともに、科学技術の総合的な振興、そして宗教に関する行政を行う組織である。

 中央合同庁舎第七号館に所在している。

 庁舎は官庁塔と呼ばれる東館で地上三十三階、地下二階の構造になっていた。


 現在わが国において、影となり荒ぶる神々と戦う唯一の組織である検非違使庁けびいしちょうは、この庁舎の地下三階に本部を置いている。

 当然のことながら第七号館に地下三階があることは、一般には知らされていない。


 内閣総理大臣をはじめ、主だった閣僚や防衛省、警察庁、海上保安庁などの保安組織に属する公務員のみが検非違使庁なる組織を知っているだけだ。

 さらに、神宮伊勢神宮の職員もそのなかに含まれている。


 佐々波さざなみは検非違使庁の副官として、防衛省からの出向組であった。

 長い黒髪を真ん中から左右にわけ、常に紺地のスーツに赤いネクタイを寸分のくるいもなくしめている。

 鍛え抜かれた筋肉はスーツの上からでもわかった。


 副官室のデスクに向かって両肘を付き、眼光鋭い面長の顔を両掌にのせているのだが、その目にはいつになく憂いを帯びている。


 ハアッと、知らずため息が口元からもれた。

 机上に置かれた一枚の用紙。

 今朝届いたファックスだ。

 送り主はバチカン情報部であった。


 すべて英文で書かれているが、佐々波は英語、仏語、独語に精通しており、内容は充分に理解できる。

 できるからこその深いため息であった。

 バチカン情報部とはこれまで、何度も意見交換や情報提供のやりとりをしている。

 だが今までこのような依頼はなかった。


 検非違使庁のトップである長官の合羅ごうらは一週間前からアメリカへ出張している。

 したがってその間の一切の権限は佐々波にあった。


 今回のバチカンからの依頼はすでに合羅へ伝えており、「ああ、そうかいそうかい、わかったよう佐々波くん。あんたにお任せするからさ、好きなように動いてちょうだいな。

 なにかあったら責任はすべて、このあたしが引き受けるから安心しな」と言ってくれているが。

 佐々波は顔を上げた。


「よし、要点を押さえるか。

 ひとつ、バチカン情報部によれば、悪魔なる存在がわが国に現れるということ。

 この悪魔は邪教を広めんと、魔力を駆使して人心を虜にする。

 邪教がはびこれば、わが国に甚大な被害が起きるやもしれんと。

 そのために、バチカンからエクソシストを日本に送るので、援助願いたい。

 であったか。

 ふう、問題はそのエクソシストだ。

 俺も噂は聴いたことがある。

 なんでも『世界一凶暴なエクソシスト』として若かりしころは暴れまくっていたらしい、ということだったな。

 それとその弟子が随行する、か。

 エクソシストが暴れるって、いったいどんな戦いかたをするのか想像もできん」


 佐々波は額を指で押さえる。


「この国には八百万やおよろずの神々がいらっしゃるから、悪魔などはびこる隙もなかったというのに、世の変化か」


 副官室には天照大神あまてらすおおみかみが神棚に祀ってある。


「さて、もうひとつだ。

 悪魔はどうやら関西南部方面に狙いをつけているらしい。

 この土地にわが国をお守りくださる神々の盲点の地があったとはな。

 関西か」


 両腕を組んで椅子の背もたれに深く傾ける。


「関西南部方面の保安官。

 あのツインズじゃないか」


 バチカンからの依頼には、援助者には英語が堪能であることが条件としてあった。

 紫樹むらさきらん、きりの女性保安官。

 彼女たちは元大阪府警の交通機動隊員であり、バイクの運転技術はもちろんのこと、保安官が使用する武器にも精通している。

 だからこそ検非違使庁に引き抜かれたのだが。


 さらに、二人は学生時代にイギリスへ留学をしており、英語は母国語なみであることは履歴から承知している。

 まさに今回の同伴者としてはふさわしい。

 だが、問題があった。


「あいつらときたら、お構いなしに怪異や妖怪を成敗する。

 こちらは『日本一凶暴な双子の保安官』ときたもんだ。

 でもなあ、適任者は彼女たちしかいないしなあ。

 他の保安官たちも多忙だしなあ」

 

 佐々波は苦悶の表情を浮かべるのであった。

                                  つづく


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