第18話 「生贄」

 大阪府富田林市とんだばやししの東側に千早赤阪村ちはやあかさかむらはあった。

 大阪府で唯一の村である。


 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての活躍した武将、楠木くすのき正成まさしげの出生地として知られている。

 総人口五千人弱の小さな村だ。


 十年ほど前に新興宗教団体が山裾の森を切り開いて本殿を建てた。

 当時信者は五百人を超え、団体は潤っていた。


 だが栄枯盛衰の言葉通り、会計責任者が信者から集めた億を超えるお布施を、帳簿を細工して私的流用したのが判明する。

 その責任者は現金を持ったまま国外へ逃亡し、行方不明となっていた。


 結果、団体は破産し消滅してしまう。

 土地はもちろんのこと本殿には資産価値がなく、売却したところでほとんど現金化にならないため、いつの間にか債権者から放棄されていた。


 村役場も臭いものに蓋をするように、周囲の立ち入り禁止の立札を置く程度で近寄るものもいなかった。


 整備されていた県道への道もいつしか雑草に覆われ、本殿は朽ち果てていった。


 そこを買い取りたいと申し出があったときに、村役場は騒然となった。

 いったいどんな酔狂なお金持ちかと半ば呆れ、それでも二束三文にしかならない建物に値段を付けてくれることに村長は満面の笑みを浮かべる。

 相手は「百式党ひゃくしきとう」を名乗る政治団体であった。


 妙な宗教団体であれば断るつもりであったのだが、「百式党」といえば、新たな政党として関西方面ではかなり知名度が上がってきている。


 村会議員のほとんどが保守政党に属しており、いってみればライバル的な革新系の政党であることには間違いない。

 だが売却代金は村の年間予算を大幅に上回る。

 このチャンスを逃す手はないとして、本殿と土地を合わせて「百式党」へ売却したのであった。


 〜〜♡♡〜〜


 厚い雲が天を覆い、星々のきらめきを遮断している。

 闇が支配する深い森。

 平屋建ての本殿は巨大ないわおのように存在感をしめしている。


 およそ三百坪ほどの土地に合わせて建てられている。

 本殿とはいえ、神社のような建物ではない。

 鉄筋コンクリートの壁に屋根は三段になった瓦があり、さらに物見やぐらのような塔があった。


 内部には儀式用に作られた大広間があったが、すでに以前の宗教団体がまつっていた祭壇は撤去されている。

「百式党」は塔にシンボルであるマークを描いた大きな旗を掲げていた。


 本殿の裏側。

 山裾がすぐ目の前にある。

 三十メートル四方に渡り土が整理されちょっとした広場になっていた。

 周囲は木々や雑草で覆われている。


 そのむき出しの土の広間には灯りがゆれていた。

 高さ一メートルほどの燭台が広間を囲うように立てられ、何十本もの蝋燭ろうそくが広場を浮かびあがらせている。


 広場には大勢の人間が肩を寄せ合うように立っていた。

 全員がフードのついたローブをまとい、頭部をフードで覆っている。


 奇怪なのは山裾の前であった。

 高さ二メートルほどの大きな木製の台が置かれている。

 台の四隅にも燭台が設置され蝋燭の炎が揺らめいているのだが、その明かりは赤や黄色ではなく、黒く輝く炎が灯されている。


 台の上には大きな塊が乗っていた。

 黒い炎に浮かび上がる塊は時おりビクッビクッと動いている。


 台の横に人影が現れた。

 ローブをまとい、フードが頭部を覆っていた。

 居並ぶ集団の前に立つと、頭部のフードをはらりと下げた。


 猾辺かつべである。

 オールバックになでつけた髪、射るような目つき、口元はまっすぐ結ばれている。


 猾辺は目を細め、さげすむような表情で台の上に乗った塊を見据えた。

 その塊には真っ赤に染まったワイシャツとよれた紺のスラックスがまとわりついている。

 頭部とおぼしき部分は黒い布袋がかむせられていた。


 ひとである。

 大きく突き出たシャツの腹部が痙攣けいれんするかのように震えていた


今宵こよい、この哀れなるにえをわれらのあるじに捧げようぞ」


 猾辺はよく通るバリトンボイスで集団に向かって声を上げた。


「われら『百式党』は、この国を見事に治めてみせよう!

 この大阪を首都とし、党員であらずば国民であらずっ。

 さあ諸君!」


 両手を高々と上げた。

 猾辺の背後の大気が揺れ、ボウッと影が現れる。

 影は凝結するように形を変え、ひとの姿になった。


 黒いローブを羽織り、ブロンドのロングヘアにピンク色のメッシュが蝋燭の明かりにきらめいている。

 以前にフィリップたちから逃れた魔女、デラノヴァであった。


 黒いルージュのやや厚い唇をゆっくりとすぼめていく。

 音もなく灰色がかった吐息が集団に吹きかけられていった。

 脳を刺激する官能的な香りがミストとなり降り注いだ。


 集まっていた党員たちはあわててフードを頭からはずし、覚醒剤中毒者ジャンキーのように上気した顔でそのミストを吸い込んでいく。


 男も女も、目を閉じて肺に充満させていった。

 そのなかに、骸野むくろの頓殿とんでんの姿もあった。

 台の上に寝かせられた男がくぐもったうめき声を上げ、猾辺は顔を近づける。


「お、おまえたち、こんなことをして、た、ただで済むと思っているのか」


「おやおや、まだ口がきけるとは」


「俺は、け、警官だ。

 俺が行方不明となれば、警察は総力を挙げて、おまえたちを」


「ふふふっ、ハッハッハッ!」


 猾辺は顔を天に向け高笑いする。


「警察?

 そんなものは気にもしない。

 なぜなら、あなたはこの世をはかなんで自ら死を選ぶのですから。

 わたしたちとは縁もゆかりもないのです」


「お、俺をジョージのように殺すのか」


「言ったでしょ。

 ここにいるあなたは生贄になるのです。

 かわりに今ごろもうひとりのあなたは市内の高層ビルから、飛び降りている頃」


 男、志摩裏しまうらは渾身の力をふりしぼり、頭を上げる。


「バ、馬鹿な!

 俺の身代わりをたてたところで、現代の科学捜査で俺じゃないってことはすぐに判明するんだっ」


 猾辺はデラノヴァに顔を向ける。


「大丈夫よ、うふふ。

 あたしの手にかかれば、たかが人間の技術でわかるわけないもの。

 DNA?

 いくらでもコピーできるの」


 デラノヴァは志摩裏のシャツにこびりついている血を指ですくうと、真っ赤な舌先でペロリと舐めた。


「い、いったい、おまえは何者だ!

 猾辺、きさまは地獄へ落ちるぞっ」


 猾辺はニタリと微笑んだ。


「地獄。

 いいですなあ。

 願うところなのですよ、今のわたしにはね」


 〜〜♡♡〜〜

 

 猾辺はあの日、源之進げんのしんからていよく話を断られ帰宅した。

 そこへ現れた女、デラノヴァと名乗った。


「わたしはあなたとどこかでお会いしましたか」


「いいえ。

 あたしは存じておりますけど、あなたはご存じではないわ」


 デラノヴァとマンションのリビングで猾辺と向かいあってソファに座っている。

 デラノヴァはひさしの大きな女優帽を脱いだ。

 猾辺は思わず生唾を、音を立てて飲み込む。


 なんと美しい女性なのだ。

 いや、美麗なだけではない。

 男の魂をゾクリとさせる妖艶な雰囲気を醸し出しているのだ。

 ウエーブのかかったブロンドのロングヘアがはらりと肩にかかる。

 ところどころにピンクのメッシュが入った髪がセクシーさを強調していた。


「あら、あたしをそんな目で見つめたら大事なお話ができなくなりますわよ」


 デラノヴァは鼻にかかる声で言った。

 母国語のように日本語を操っている。

 帰国子女かもしれないと猾辺はソファの上で長い脚を組んだ。


「お話とはいったいなんでしょう」


 デラノヴァはすぐには応えず、じっと猾辺の目を見つめる。

 ブルーの瞳が妖しく輝いている。

 猾辺は咳払いし、視線を外した。


「あなたは以前、世界中を旅されていました」


「はい、よくご存じですな」


「あたしはある国であなたを知り、こうしてお会いできる日を待ち望んでおりましたの」


「ある国?」


 まさかこの金髪美女は猛烈なストーカーなのか、と思わず構える。


「あら、勘違いなさらないでね。

 あたしはストーカー? ではありませんのよ」


 心が読まれた?

 猾辺は緊張する。

 デラノヴァはククッと笑った。


「あなたは相当な悪さをしてきたようね」


「ああ、そういう話ならお引き取り願おう。

 わたしは清廉潔白だ。

 すべてデッチあげられたんだ」


「いいのよ、隠さなくても。

 あたしにはわかるの。

 生まれついたときから良心が欠落している、本当の悪い人間が」


 猾辺は次の言葉が出てこない。


「あの国であなたがしていたことを、すべて見させてもらったわ。

 この人間はひとではないと、あたしは身震いするほど喜びましたのよ。

 それにあたしがこの国へ来た理由はもうひとつ。

 あなたは神を信じてる?」


「わ、わたしは無神論者だ」


「そうでしょ。

 この国は信仰が自由なの。

 たとえどんな神であっても、あがめることが許されている」


「だからなんだと言うんだっ」


 語気を思わず荒げる。


「あたしと契約しませんこと」


 デラノヴァの瞳がブルーから黒へ変化していく。

 白い部分も墨を流すように黒く染められていった。


「あなたはこの国の統治者におなりなさい。

 あたしはその手助けをして差し上げます。

 もちろん報酬はいただくわ。

 いえ、金銭などではありません。

 あたしが崇めるあるじをこの国に広めること。

 どう?

 あなたならできるわ」


 魅入られたように猾辺は固まった。


「さあ、いらっしゃいな」


 デラノヴァはふわりと立ち上がり、両腕を広げる。

 猾辺は操り人形のように立ち、デラノヴァを抱いた。

 ヌメリとつややかに輝く黒い唇が、猾辺の口に近づき接吻する。


「ウッ」


 猾辺は思わず顔をしかめた。

 デラノヴァの鋭利な歯が唇を噛みきったのだ。

 プクリと浮かんだ赤い血をデラノヴァが舐め、次に自身の黒い唇を噛み切り、浮かぶ血を猾辺の口に流した。


「これでいいわ。

 あなたとあたしは血の契約を交わした。

 うふふふっ」


 猾辺の体内でなにかが膨れ上がっていった。

              つづく


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