第17話 「情報屋」

 大阪市中央区ちゅうおうく本町ほんまち

 その昔は大坂城下における中心として繁栄した。

 現在はその流れを継いで、大阪市を代表するオフィス街となっている。


 地下鉄御堂筋みどうすじ線、堺筋さかいすじ線、中央ちゅうおう線、四つ橋よつばし線の四つの路線がこの町の地下を走っていた。


 通勤時間のラッシュアワーは首都圏にも引けを取らないほど、ひとがあふれ返る。

 サラリーマンを相手に多くの飲食店も看板を掲げており、昼はランチに夜はアルコールを提供する店も多い。


 路地裏にある一軒の喫茶店。

 大手のチェーン店がしのぎを削るなかにあって、小さいながらも長年の固定客を持ち、廃業することもなく細々と営業していた。

 店内は喫煙ができるため、嫌煙者の姿はない。

 長年の紫煙のせいか、壁は黄色く変色している。


 四人掛けのテーブルが六席、カウンターにはスツールが六脚あり、ランチタイムをとうに過ぎたこの時間には一番奥のテーブルに座るお客だけである。


 季節はもう秋だというのに、ネクタイを崩したワイシャツに袖を腕まくりしている。

 ワイシャツはもう何日もクリーニングしていないように黄ばみ、よれていた。

 五十歳代前半の男であった。


 紺色のスラックスも折り目が消え、足もとの黒い革靴も汚れている。

 頭髪はうすく、はれぼったい目に厚めの唇。

 両耳は格闘技をやっていたのか、つぶれていた。

 ワイシャツの下はたるんだ肉体で、腹が相当出ている。

 男は空になったコーヒーカップを持ち上げ口に運ぶが一滴も垂れてこないので、舌打ちをした。


 店の木製ドアが開き、枯れ枝のように痩せた男が店内を見渡し、奥に座る中年男に気づいた。

 新しいその客は、髪はボサボサでところどころ白いものが見える。

 栄養不足のネズミを連想させる顔。

 黄色い前歯が二本、うすい口元からのぞいていた。

 黒い安物のジャケットに白いシャツ、ジーンズを履いている。

 

 男はカウンターの奥にいる初老のマスターに、「ホットな」と言いながら中年男の座るテーブルへ近寄った。


「へへっ、志摩裏しまうらさん、お待たせしちゃって」


 出っ歯の男は椅子を引いて腰を降ろした。


「俺を待たせるなんて、おまえさんも偉くなったなあ、ジョージ」


 腫れぼったい両目に怒気が混じっている。


「すいやせん。

 このところ色々ありましてね」


「らしいな。

 今日はそのあたりのことを、聴かせてもらおうと思ってな」


 ジョージはニヤリと口元を曲げる。

 もちろん外人ではない。

 出っ歯男の通り名である。


「昼飯がまだなんで、カレーライスでも食っていいすかねえ」


「ああ、いいよ。

 ただし、だ。

 俺に変な隠し立てしているようなら、俺のコーヒー代も合わせておまえさん持ちだからな」


「なにいってんすかぁ。

 おいらは志摩裏さんに隠しごとするくらいなら、はなっから来やしませんて。

 ひがし署組織犯罪対策課の志摩裏さんとおいらの仲じゃねえですか」


 メタボの中年男は、大阪府警の刑事であった。

 ジョージはカウンターのマスターへ、カレーライス大盛りを追加注文した。


「それで、なにかわかったのか」


「へへっ、おいらは伊達に情報屋やってませんて」


「わかってる。

 だからおまえさんに頼んだ」


 そこへマスターがトレイにカレーライスとコーヒーを運んできた。

 志摩裏はホットコーヒーのお替りを注文する。


「いっただきやす」


 ジョージは前歯を大きくのぞかせ、嬉しそうにスプーンを手にした。


「おまえさんと仲良くデートする時間はない。

 食いながら話せ」


「ランチくらいゆっくり食いたいんだけどなあ。

 でも、そうっすね。

 じゃあお行儀悪いけど手短にいきますわ」


 ジョージはもったいぶるように座り直し、神妙な表情を浮かべて顔を志摩裏へ近づけた。


「やつら、消えちまってんですよ」


「消えた?」


「ええ。

 このところ市内もそうですけど、神戸や京都でも誰も見かけなくなっちまったようなんです」


「あいつらはどこの組からもさかざきはもらっちゃあいない。

 だが組織ぐるみで犯罪を行っているのは調べ上げてるんだ。

 もしや」


 志摩裏は眉を寄せた。


「どこかの組といざこざでも起して、大阪湾にでも沈められたんじゃあ」


 ごくりと口いっぱいに頬張ったカレーライスを飲み込み、ジョージは頭をふる。


「いえいえ、そんな話がありゃあこの早耳ジョージの網に引っ掛かりますぜ。

 骸野むくろのの組織、一応表向きは会社形式で、今じゃあ百人前後の従業員がいるんですぜ」


「ああ、表じゃあ健康食品販売や、投資セミナーを開いてあこぎに儲けてるからな」


「でさあ。

 全員がいなくなっちまうなってことはありえねえ。

 百人を海に沈めたとあったら、すぐニュースになりますぜ。

 まあ山に埋めるか、産廃物処理施設で骨まで溶かすかすればやれないことはねえですけど」


 ジョージは続ける。


「だけど、ひとりやふたりならいざ知らず、組織全員を処分するには目立ちすぎますよ、志摩裏さん」


 もっともな話に、志摩裏は息を吐く。


「じゃあ、どこへ行った?

 まさか今度は中部地方か、関東方面へでも出稼ぎにいったとでも」


 ジョージはスプーンを置き、急に辺りをキョロキョロしだした。


「なんだ、この店には他に客はいねえぜ」


「志摩裏さん、実はね、おいらはとんでもない情報を手にしちゃったようなでさ」


「とんでもない?

 なんだそりゃあ」


 ジョージは声を潜めた。


「『百式党ひゃくしきとう』ってご存知ですかい」


「ヒャクシキトウ?

 ああ、『百式党』か。

 政治の世界は俺には縁はないが、この町に住んでりゃあ知ってるさ。

 あれだろ。

 元国会議員の先生が新しく立ち上げた政党だろうが」


「さすがは刑事さんだ」


「おべんちゃらはいい。

 なぜ政治団体の話がここで出てくるんだ」


 志摩裏はマスターが運んできたコーヒーのカップを手にし、熱い液体を口にふくんだ。


「その政党なんですがね。

 党首は猾辺かつべ統介とうすけって名で、ほらマネロン疑惑で叩かれた二世議員ですよ」


「そうだったな。

 やつのオヤジさんは立派な国士だったが、せがれはマスクがいいだけの中味のない政治家だった」


「ところがですよ。

 今回は『日本にカジノを! わが国を変えるんだ』なんてことを合言葉に、若い世代を中心に盛り上がってきてますわな」


「ああ。

 たまにキタやミナミで黒いシャツを着た連中がビラを配ってる。

 それで?」


 志摩裏は再びコーヒーを口に運ぶ。


「どうやら骸野たちはその『百式党』へ入ったみたいなんですよ、これが」


「はあっ?」


 ジョージの言葉に志摩裏は驚いた。

 骸野はどこの組織にも属さず、己の手腕だけで裏社会にはびこっている。

 捜査二課の連中は詐欺の疑いでも内偵を進めていると聞いている。


 政治の世界にあの男が首を突っ込むなんてあるのか?

 狙いはなんだ?


「ここまでは情報屋のシロートでも掴める話なんでさ」


「ほう」


「実はですね。党首の猾辺は昔、骸野と手を組んであくどい仕事をしていたらしいんでさ」


「国会議員の先生がか」


「いや、オヤジさんの跡目を継ぐまでの頃らしいんです」


「ということはだな。

 猾辺なにがしと骸野はもう一度手を組んだ、そういうことか」


 ジョージはうすい唇を舌で湿らせる。


「その『百式党』ってえ団体なんですがね。

 どうやらちょっとおかしな点があるって小耳に挟みやしてね。

 怪しげなバックがついているらしいんですわ」


「極道か」


「いや、そんなんじゃねえ。

 どうも暴力団やアジアマフィアとは別の組織らしいですぜ、志摩裏さん」


 むき出しの腕を組んで、志摩裏は目を閉じた。

 では、いったいどんなグループがついて、さらに骸野まで取り込んだのか。


「ジョージよ」


「みなまでいいなさんな、志摩裏さん。

 おいらはプロの情報屋ですぜ。

 ここから調べあげていくのが真骨頂」


「頼めるか。

 ただし、やばいと思ったらすぐに俺に連絡するか、姿を隠せよ」


 ジョージはニヤリを不敵な笑みを浮かべた。

 これがジョージとの最後の会話になるとは、志摩裏は想像もしていなかったのである。

                                  つづく


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