第15話 「ピンク男とボディガード」

 大阪府堺市さかいし南海本線なんかいほんせんさかい駅近くには、雑居ビルやマンションに民家が密集している。


 サカイ第三ビルはその一角にあった。

 五階建ての建物はかなり築年数が経っているが、空き室はない。

 一階には整体医院とチェーン店のピザ屋が看板を掲げている。

 二階から三階までは職種もさまざまな事務所が入居していた。


 四階と五階はビルのガラス窓に「百式党ひゃくしきとう本部」と書かれ、横には黒い円に赤い円が三つで党のマークがあった。

 二ヶ月前に猾辺かつべは賃貸契約を結んでいたのだ。


 午後八時すぎ。

 ビルの前に一台の乗用車が停まった。

 ブラックボディが光る、トヨタのアルファードだ。

 フロント以外のウインドウにはフィルムが貼られており、誰が乗っているのかはわからない。


 助手席のドアが開けられ、坊主頭の巨漢がのっそりと降りたった。

 二メートル近い背丈に、体重百六十キロはあろうか。

 ノーネクタイに黒いスーツだ。

 元力士かプロレスラーか、耳は潰れ、細い目が素早く周囲を見回した。

 と本人は思っているようだが、実際にはかなりスローなテンポである。

 スライド式の後部ドアを開けた。


 なかから現れたのは、ショッキングピンクのスーツを着た男である。

 真っ赤なシャツに桃色のネクタイをきっちりとしめ、足もとは趣味の悪いエナメルの、これまたショッキングピンクの靴であった。


 肩まで伸ばしたワンレングス、こけた頬、ピンク色のレンズをはめ込んだサングラスをかけている。

 病的な土色の顔。

 年齢は三十歳代半ばから四十歳前半であると推測できる。


 ピンク男は舗道に降り立つと、雑居ビルを眺めた。

 四階に明かりはなく、五階も真っ暗だ。


「ここか」


 かなり甲高い声質のようだ。

 声変りをしていないボーイソプラノに近い。

 いや、そんな可愛さは微塵もないのだが。

 金属をこすり合わせたような、聴くものに不快感を与える声だ。


「は、はいぃ。

 えーっと、多分、ここかなあと思いますです、はいぃ」


 巨漢の男は鼻づまりの声で返す。

 直後、ピンク男の胸元が振動した。

 ピンクのネイルを施した細い指先でスマートフォンを取り出す。


「ご指定の場所に到着したんだが」


 言いながらふと横を見ると、巨漢の男がアスファルト敷きの舗道にしゃがみこんでいた。

 ピンク男は立ったまま様子をうかがう。

 巨漢の男は、とうに息絶え干からびているアブラゼミを、じっと見つめているのだ。


「うん?

 ビルの五階?

 明かりがついてないんだがなあ。

 ああ、わかった」


 ピンク男はスマホを胸にしまい、セミのカラカラになった塊を指先で突いている巨漢の男の尻を思いっきり蹴った。


「グエッ」


 耕運機にかれた蛙のような悲鳴をあげたのは、ピンク男のほうである。

 蹴った爪先が妙な角度に曲がっていた。

 巨漢の男は何事もなかったかのように立ち上がると、ピンクの男を振り返りニヤリと口元を曲げた。


「しゃ、社長、セミさんを埋葬してやりましょうか」


 ピンク男はしゃがみこんで苦痛を堪えながら、両手で足首を押さえている。


「ああ、丁重にな。

 知り合いの偉い坊さんに弔ってもらうから。

 だがその前に、仕事だ」


「ああ、そうでしたです。

 今から乗り込んでいって、このセミさんとようにしてやるんですね、たしか」


「いや、おれたちは極道でも暴力団でもないって、何度も教えたよな。

 ビジネス。

 ビジネスだよ。

 それに頓殿とんでん


「はいぃ、骸野むくろの社長」


「きみはおれのボディガードとして雇われているんだったよな。

 覚えているか」


「はいぃ、無論です、ます。

 よ、ヨージンボーとも言いますです。

 トージンボーは自殺の名所らしいです、ます」


 知識をひけらかすことができ、頓殿は上向いた大きな鼻の穴を、さらに広げる。

 ピンク男の骸野は深く大きくため息をついた。


 なぜこんなボンクラを雇う羽目になったのか。

 見てくれがとにかく気に入っているのは確かであった。

 後ろに連れて歩くだけで、そこいらのチンピラは道を開ける。

 しかも元プロの力士であるから、腕っぷしもめっぽう強い。

 その分、頭脳への栄養供給は遮断されてはいるが。


 骸野は足首が折れていないことを確認すると、助手席を開け、運転手の部下へ待機を命じ、ビルの入り口からエレベーターへ向かった。

 途中、振り返りキンキン声で叫んだ。


「いいから!

 セミさんはあとで立派なお墓を作ってあげるからっ。

 早く来いよ!」


 頓殿は何度も舗道のセミを振り返り、骸野の後に続いた。

 チンと音が鳴りエレベーターが五階へ到着する。

 巨漢の男、頓殿が先に箱から出て用心深く辺りを見回す。


 もちろんマイペースであるから、骸野は何度も閉まりそうになるエレベーターの「開く」ボタンを押しつづけなければならなかった。


 エレベーターを出ると左右はコンクリートの壁であり、正面に鉄製のドアがある。

 この階は「百式党」だけが占有しているようだ。

 ドアには「百式党」の名称とマークの入ったプラスティックの板がかけられている。


 頓殿はドアをやや乱暴に太い指を丸めてノックした。

 ノックというより、鉄の扉を破壊しかねない威力のため、狭い廊下にガンガンッと音が響き渡る。


 骸野は耳を押さえながら頓殿の肩を叩いて、止めるように指示する。

 ガチャンッ、とロックを解除する音がして、ドアが表側へゆっくりと開かれた。

 骸野は鼻を引くつかせる。

 なにやら匂うのだ。

 芳香剤か、と少し首を傾けた。


 ドアは全開されず、なかから「どうぞ、お待ちしておりました」とバリトンボイスが聞こえる。

 猾辺のようだ。

 頓殿は鼻炎体質なのか、匂いを気にすることもなく、背中越しに骸野をふり返ると、うなずいた。


 ドアの内側は暗かった。

 正確には明かりはあった。

 だがその光は蛍光灯の類ではなく、どうやら蝋燭ろうそくを何本も置いた柔らかな灯火だ。

 明るさに慣れた目には室内の様子がまったくわからない。


「どうぞ、奥へ。

 骸野社長」


 奥から声だけが聞こえる。


「おい」


 骸野は頓殿に奥へ進めと目で合図を送った。

 蝋燭のゆらめく明かりに、黒いスーツ姿の猾辺が浮かび上がった。

 ドアを入ると三和土たたき部分は黒いカーテンで囲われており、置かれた燭台に蝋燭がチリチリと輝いている。


 骸野の鼻はさらに匂いが強くなるのを感じる。

 芳香剤ではないようだ。

 もしかしたら香木を焚いているのかもしれない。

 だがそんなことはどうでもよかった。

 猾辺は口元に笑みを浮かべ、仕切られたカーテンにそってドアの右側へふたりをいざなう。

 そこには木製のドアがあり、猾辺はそれを開いた。


「狭いので恐縮ですが、ここが唯一の応接室なのです。

 さあ、どうぞ」


 猾辺はドアノブを持ったまま言った。

 六畳ほどの部屋はやはり電灯はなく、四隅に置かれた燭台から細い明かりが室内を照らしている。

 部屋の真ん中には向かい合わせのソファとテーブルのみが調度品であった。


 頓殿は骸野を警護するように先に部屋へ入り、骸野がソファに腰を降ろすとその背後に立った。

 猾辺はドアを閉め、骸野の前に長い脚を曲げて座った。


「本日はわが党の集会がありましてね。

 お客さまにお茶をお出しせねばいけませんが、あいにくわたしは不調法でして」


 猾辺は悪ぶれた様子もなく骸野を見る。


「招かれざる客ってことかい。

 まあ、お茶はいらないさ。

 それよりもかなりご無沙汰だな、猾辺くん」


 甲高いが押し殺したような声。

 そして、続ける。


「以前はあれほど仲良くしてくれていたのにな。

 この頃はどうしたのよ?

 一向に連絡もくれずに。

 こちらは何度も連絡したんだ」


 背後に立つ頓殿をふり仰いだ。

 こういう場合には、いかにも暴力的な配下がいきなり相手を恫喝どうかつし、それを「まあまあ、ここはオトナの話合いをしているのだから」といさめるような素振りを相手に見せつけるのが常套じょうとう手段である。

 相手はビビり、こちらが会話のイニシアティブを取るのだ。


 だが頓殿はそんな思惑はどこ吹く風、とばかりに口元を動かして独り言をつぶやいている。

 セミさんがどうの、宗派はどうのと。

 明らかに人選ミスであった。

                                  つづく

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