第13話 「百式党集会」
街に吹く風に秋独特の、懐かしさを感じる香りが混じり始めた。
いくら広いとはいえ設置された調度品があるのだが、源之進は慣れたものだ。
パープルにカラーリングした長めの髪を揺らめかせ、ソファや観葉植物の間を漕いでいく。
眼鏡の奥で二重の大きな目元がまるで少年のように輝いている。
さすがに社長室ではセグウェイを使用できないため、シンキングタイムにはもっぱら一輪車を愛用しているのだ。
「たしかにタピオカなるスイーツは美味い。
ぼくは三度三度のご飯の代わりにしてもよいくらい好きだ。
ではここで問題。
タピオカの次にぼくが食べたくなるスイーツとは、いったいなんであるのか」
室内には源之進しかおらず、したがって口にしているのは大きな独り言である。
源之進は新しいスイーツ店を出店する計画を持っている。
双子の妹たちは甘いものよりも、アルコールを好む。
源之進は残念ながら一滴もお酒が飲めない。
かわりに甘いものが大好物である。
その趣味を活かして次に流行する、もしくはさせるスイーツを考えているのだ。
コンコンッ、社長室のドアがノックされた。
源之進はくるりと回れ右をすると、ドアまで一輪車を漕ぐ。
「失礼します」
スーツ姿の
上背があるため、やや頭を下げて入る。
「高見沢くん、やはり次はスイーツだなぁ。
新店は女性のお客さまを、いっぱい呼び込もうよ」
「タピオカの次、を狙っていらっしゃるのですね」
高見沢は人差し指を立てる。
源之進は満足そうにうなずいた。
「さすがは高見沢くんだねえ。
ぼくの考えをピタリと当てるなんて」
「もちろんです、社長。
ところでそのスイーツに」
「ああ、プロティンは今回はやめておこうよ。
健康志向は無論大事だけどさあ、老いも若きも乙女たちは禁断の甘いものをやはり口にしたいからさあ」
残念そうな高見沢。
「承知いたしました。
不動産部門の半期計画書がようやく整いましたので、こちらに」
源之進は一輪車を降り、壁に立てかけるとデスク前のソファに座る。
高見沢から差し出されたバインダーを受け取ると、眼鏡のブリッジを持ち上げ目を通し始めた。
「ああ、そうだ」
「はい」
「ほら、何か月か前にね、ここにいらっしゃた
高見沢は大抵のことには動じない太い精神力を自他ともに認めている。
しかし猾辺と聞いて、眉を寄せてしまった。
「紫樹エンタープライズ」にはそれこそさまざまな人種が近づいてきて、あわよくば甘い汁をかすめとろうとする。
経済界は当然ながら、政治家や果ては暴力団関係まで。
それを取捨選択することを、源之進は高見沢に一任しているのだ。
それくらい信用されている。
だから寄ってくる政治家はたとえ大物と言われていようが、高見沢の裁量で源之進と面談する時間を取る取らないを決めている。
源之進の類まれな事業経営者としての能力に、無駄な時間を割いてほしくなかったから。
その猾辺がいったいどうしたのか。
「ぼくには先見の明がなかったようだ」
源之進は両腕を肩の位置で開く。
「社長は猾辺さん、いやあの『
元国会議員、猾辺
「うん、そうだねえ。
まさかこの何か月かでここまで人気が出るとは。
もしあのときに、猾辺さんに我が社がバックアップする約束をしていたらさあ、こうしてない知恵を絞って新事業を考えなくてもよかったなあってさ」
高見沢はニヤリと口元を曲げる。
「社長はご冗談がお好きです。
むしろお断りになってよかったと思っていらっしゃるはずです」
「なぜ?」
「猾辺さんはあれから腕利きの政治コンサルタントでも雇われたのか、それとも豊富な資金源を持つバックを得たのか。
どちらにしてもまともな相手ではないでしょう」
源之進はクスクスと笑った。
「きみもそう思うかい?
短期間で急成長する企業にはどこか綻びがある。
ましてや
あっ、化け物相手となれば、ぼくの可愛い妹たちの出番じゃあないか」
源之進こそ先見の明の持ち主であろうと高見沢は深く納得した。
~~♡♡~~
南海
収容人数は百人である。
その日夕暮れ時。
五十人を超えるひとが大宴会場に入っていた。
だがざわめきがない。
しわぶきひとつないのだ。
静まり返った会場内で聞こえるのは空調の音だけである。
ホテルの入り口に掲げられた本日の会場催しのプレートに、「百式党定例報告会」とあった。
集まったひとたちの多くは二十歳代の男女であり、しかも全員が黒いTシャツを着ている。
胸元には党の紋章が入り、背中には白抜きで「百式党」と染め抜かれている。
一段高くなった演台が設けられており、講演台にはマイクとペットボトルの水が置かれていた。
演台の下手に立つスーツ姿の若い男性が手にしたマイクでしゃべり始めた。
「えーっ、ただ今よりわが『百式党』の現状報告と今後の施策につきまして、猾辺党首よりお話しいただきます」
会場内に一斉に拍手が打って変わって大音量で響き渡る。
演台の上手から三つ揃いのスーツを着用した猾辺が登場した。
拍手はさらに大きくなる。
猾辺は講演台の前で軽く一礼すると、両手を台の上に乗せ、会場内を見回した。
知的で端正なその顔は自信に満ち溢れ、若きリーダーとしての風格さえにじみ出ている。
源之進に面会を求めたころとは明らかに違う。
「みなさん。
日頃はわが『百式党』のために全身全霊のご努力をいただいており、大変感謝申し上げます。
この国を変えていくべく邁進しておりますが、みなさんの御助力を得て、党の政策方針に興味を持ちさらには党に参加したいと賛同されるかたが、若いあなたたちの世代を中心に右肩上がりに増加してきております!」
ここでもう一度盛大な拍手が巻き起こる。
猾辺は満足そうに目を細め、小さくうなずいた。
ちらっと
「恒例になります、わたしの掲げる政策および今後についてお話し申し上げる前に」
ここで一拍置いた。
会場を埋め尽くす党員たちの目つきが変化する。
男性も女性も顔を上気させ、呼吸が荒くなってきた。
猾辺は
「その前に、『百式党』の顧問であるデラノヴァ先生にお出ましいただき、先生が掲げられる理想世界についてご訓話いただきましょう」
声にならぬどよめきが会場にあふれる。
まるで餌を前におあずけをくらった犬に「食べてよしっ」と言うように。
いや、もっと別の本能に呼びかけているようだ。
つまり、性欲である。
男性の呼吸音が激しくなる。
女性の両目があえぐように濡れる。
猾辺は口元に笑みを浮かべた。
あの日。
最大の屈辱を受け自宅へもどった。
紫樹エンタープライズの後ろ盾があればもう一度政界へ進出できると確信していたのに、あっさりと謝絶されてしまった。
マンションで待っていたのは、そう、デラノヴァと名乗る若い女性であった。
デラノヴァとの出会いが猾辺の未来を大きく変えることになった。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます