第10話 「緊急出動」

 大阪府堺市さかいし

 大阪市の南に位置する政令指定都市である。

 

 二〇一九年七月、アゼルバイジャンの首都バクーで開催中の第四十三回世界遺産委員会において、この堺市の中心部にある「百舌鳥もず古市ふるいち古墳群」が世界文化遺産に登録されることが決定した。


 百舌鳥古墳群は堺市中心部に広がっており、仁徳にんとく天皇陵てんのうりょう履中りちゅう天皇陵てんのうりょう、いたすけ古墳、御廟山古墳ごびょうやまこふん、ニサンザイ古墳、反正はんぜい天皇陵てんのうりょうの六大古墳が主たるものである。


 JR堺市駅近くに建つ高層マンション。

 乗用車を契約しているマンションの駐車場に置き、猾辺かつべは眉間にしわを寄せたままマンション玄関のセキュリティボックスを操作した。

 そのときだ。


「お帰りをお待ちいたしておりました」


 突然背後から声をかけられ、猾辺はビクッと肩をふるわせる。

 ここへ来るまで誰にも会わなかったうえ、玄関付近にも人影がなかったからだ。

 声は若い女性であった。

 やけに官能的な声に、猾部は肩越しに背後を見る。


 声の主は大きな黒い女優帽をかむり、黒い光沢のあるすその長いドレス姿である。

 帽子のひさしからのぞくのは口元だけだ。


 その唇にはつややかな黒いグロスが引かれ、微笑んでいるのか真っ白な歯がのぞく。


「どなたかとお間違いではないかな」


「いいえ、猾辺さま、滑辺統介とうすけさまでございますでしょう」


 名前を言われ、一瞬身構える。


「わたしにはあなたのような知り合いはおりませんが」


「いま初めてお会いいたしましたもの、うふふっ」


 女性は黒いレースの手袋をしたまま、庇を少し持ち上げた。

 ブロンドの髪がはらりと顔にかかった。


 東洋人ではない。

 彫りの深い、それもかなり美形な西欧系の面立ちである。

 吸い込まれそうなブルーの瞳がじっと猾辺を見つめた。


~~♡♡~~


 大阪府と和歌山市を結ぶ阪和はんわ自動車道。

 すでに太陽は西へ移動し、ブルーとオレンジのグラデーションを描いている。


 和歌山方面へ向かう下り側。

 この時間はトラックや社用車が頻繁に通り、渋滞を起す。

 宅配のトラックでハンドルを握る中年ドライバー。


「ちぇっ、なんでこんなに混むのかねえ」


 ぼやきながらノロノロと走行車線を徐行運転している。

 横にある追い越し車線を走ってもいいのだが、万が一覆面パトカーに捕まったらやばい。


 ちなみに道路交通法第二〇条三項で、追い越し車線を走行車線のように走行する長距離走行は「通行帯違反」として、取締り対象になるのだ。


 すると一台の軽自動車が法定速度を超過する猛スピードで、追い越し車線を走っていくのが目にはいった。

 直後、ヒュィーンヒュィーンとサイレンの音が後方から聴こえてくる。

 サイドミラーで確認するとパトカーではなく、白バイのようだ。

 赤色灯の回転が見え、さらにサイレンの音が大きくなる。


「ばっかだねえ、あの軽自動車」


 ドライバーはニヤリと口元を曲げる。

 前を見ながらも、チラチラと横に車線に視線を投げる。

 赤色灯の光にサイレンを響かせて、二台の白バイが風のように通り過ぎていく。


「えっ?

 いまの、白バイか?」


 中年ドライバーは片手で目をこすった。

 毎日ハンドルを握る職業であるから、もちろん白バイは何度も見かける。

 大型自動二輪のホワイトカラーで、乗車する交通機動隊員はブルーのユニフォームを着用している。


 ところがたったいま追い越し車線を走っていったバイクはパープルに輝くボディで、続く一台は後輪がふたつあったような気がした。

 しかも運転していた警官は黒い制服であった。


 だが緊急走行を示す回転する赤色灯にサイレンは、間違いなく白バイと同じだったのだ。

 ドライバーは首をかしげた。


「やべえっ、白バイじゃん!」


 軽自動車を運転している茶髪の若者は舌打ちした。

 横に座る同じ茶髪の彼女が口をとがらせる。


「逃げ切っちゃってよ、コージ」


「ええっ、馬鹿言うなって、マヤ」


「あっ、それかさ、停められたらさ、あおり運転くらって逃げてたって言えば許してくれるよ」


「おっ、いいね、それ」


 バックミラーに迫る白バイが映る。


「あれっ、白バイじゃねえよ」


 もしかすると新しい交通機動部隊かもしれない。

 若者は減速し始めた。


「おい、前をチンタラチンタラ走ってる軽自動車!」


 拡声器から女性の声が聴こえた。


「なんだ、オンナのケーカンじゃん」


 助手席で彼女が振り返り、驚いた。

 バイクがすぐ真後ろの距離に走っているのだ。

 もし軽自動車が急ブレーキを踏めば、間違いなく事故を起こす。


「おーいっ、コラッ、聴こえてっか、運転手」


 ガラの悪い口調で拡声器から声が聴こえる。

 若者は焦り、クラクションを鳴らしながら走行車線へ無理やり割り込んだ。


 その横を並走する大型バイク。

 やはり白バイではなかった。

 しかもその後ろにはもう一台、三輪のオートバイが走っている。

 万事休す。

 ところが。


「お急ぎのところ、誠にごめんなさーい」


 後ろのバイクから拡声器を通してこれまた女性の声が。

 てっきり停車を命じられるものと思っていた若者は、ちらりと横を見た。


「てめえらよぅ、イチャつきながら走ってっと事故るぜぇ。

 気ぃつけなよ、あんちゃん」


「こちらは公務執行中ゆえ、ごめんあそばせぇ」


 二台のバイクはそこから加速し、追い越し車線を駆け抜けていった。

 走行車線は相変わらず徐行運転をよぎなくされているが、カップルふたりは顔を見合わせた。


「あれって、ケーカン?

 コームシッコーチューって言ってなかったっけ」


「いやあ、あんなバイクって白バイにあったかなあ。

 あっ、コウグーケーサツとかってあったっけな」


 なにはともあれ違反切符を切られなくてホッとする若者であった。


~~♡♡~~


 スズキ・トレーサーとホンダ・トライクは追い越し車線を走る乗用車やトラックを次々と走行車線に無理やり割り込ませ、和歌山ジャンクションで京奈和けいなわ自動車道へ転回する。


 らんときりは元白バイ隊員だけあって、ふたりの運転するバイクはまるで一陣の風である。

 岩出根来いわでねごろインターチェンジで国道へ下りた。

 ヘルメット内蔵の無線で会話する。


「ったくなあ、せっかく今夜はとっておきのシャトー・ル・パンで一杯ひっかけようって思ってたのにな」


「あら、あのシンデレラ・ワインですわね、きり」


「そうだよ。

 高見沢たかみさわがネットで購入してくれてたんだ」


「それでは、ちゃっちゃっと片付けまして、のちほど一緒に乾杯いたしましょうね」


「だな、らん」


 二台は国道六十三号線を西に向かう。

 まだ太陽が西の空にしがみつくように光を発していた。


~~♡♡~~


 小高い丘を切り崩し、新興住宅街が造成されているところであった。

 大手の建設会社が建売住宅を建てていたのだ。


 この場合、その土地に住まう神さまに許しを得るために地鎮祭が執り行うのが常識である。

 地鎮祭とは、土木工事を行い、建物を建てる際に、神さまに工事の無事や安全と建物や家の繁栄を祈る儀式のことをさす。


 建物を建てる土地や、土木工事をする土地の氏神さまの神主を招き地鎮祭をとりおこなうのだ。

 お供え物をし、祝詞のりとをあげ、お払いをしてきよめ、施主が初めてその土地にくわすきを入れる。


 元々はその土地の氏神さまを祀っている神社が地鎮祭をしていたが、近年では氏神、産土神うぶすな、鎮守の神が同一視されるようになってきており、もっとも近い場所にある神社に依頼することが多くなってきているようだ。


 もちろん施工主である建設会社は地鎮祭を滞りなく行い、四十坪から五十坪に区分けされた土地に木造二階建ての家を建てていった。


 すでに販売は始まっており、土日などの休日には若い新婚カップルから年配の夫婦が建設会社の営業マンに案内されて、建てられていく過程を実際に見ながら商談を進めていた。


 ある休日の夕暮れ時。

 中年の夫婦を共だって、中堅どころの営業マンが訪れた。


 本来であれば昼間の太陽がサンサンと照らす時間帯に見学してもらうほうが良いのだが、中年夫婦は仕事の都合でどうしてもこの時間でないとふたりで見ることができないと言われてしまった。

 営業マンはもちろん顧客優先で引き受けたわけである。


 最寄りの駅までは徒歩で二十分とあるが、小高い丘に造成されているため、駅からの帰路は徒歩だと三十分近くかかるであろう。


 そのぶん四LDKの二階建てに駐車スペースが設けられての価格は、かなりお値打ちである。


「あらっ、かなり広いリビングね」


 奥方は対面式キッチンに十五畳のリビングを見回した。


「ここから見る夕焼けは格別だな」


 ご主人はリビングの窓ガラスから差し込む夕陽を、目を細めて納得する。

 営業マンは我が意を得たりとばかりに満面の笑顔で説明した。


「いかがですか。

 これだけの広さに抜群の景観、しかも今なら特別融資を銀行から受けられます」


 夫婦は互いに顔を見合わせうなずいた。


 グラリッ。


「地震?」と三人の顔に緊張が走る。


ミシミシッ!


 新建材の壁がイヤな音を立て、さらにフローリング仕立ての床が小刻みに揺れ始めた。

                                  つづく

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