第9話 「カジノでウィンウィン」

 源之進げんのしんは落ち着いた口調で言う。


「さあ、お顔を上げて下さい。

 まずは座ってコーヒーをいただきましょうよ。

 せっかく高見沢たかみさわくんがれてくれたのだから。

 ああ、高見沢くんもそうカリカリしなさんな。

 ここへ座ってさあ」


 猾辺かつべは視線を下に向けたまま、土下座の姿勢からソファに坐りなおす。

 高見沢が怒り心頭なのも無理はなかった。


 猾辺統介とうすけの父親は法曹界から国会議員になり、何期も務めて大臣にまでなった地元大阪府堺市の名士であった。

 このころに源之進の実父は後援会で後押しをしていたのだ。


 ところが七十歳半ばの議員として脂がのっている最中、不慮の事故により他界してしまう。

 国会議員には世襲により先代の後釜になる場合は多い。

 猾辺は後援会からの強い要請により補欠選挙に名乗りを挙げ、当然のように議員バッチを手に入れたのである。


 この補欠選挙では多くの女性票が入ったと言われていた。

 俳優やモデルとしても充分通用するその容姿がモノをいったというわけだ。


 猾辺は地元関西の有名私立大学を中退し、放浪の旅に出ていたのは有名である。

 親のすねかじりなどと揶揄やゆするマスコミもあった。

 実際のところ、父親の死去に伴って地元へ帰るまでの行動は謎であった。


 勝てば官軍。

 親譲りで弁が立つうえ、世界中を旅したお蔭で英語はもちろん、五ヵ国語を自由に操る才もあり、国会議員として海外でも知名度は高かった。


 ところが、である。

 とんでもない記事がすっぱ抜かれたのだ。


 中東の軍事組織、テロ集団に深く関わり、大規模なマネーロンダリングに手を貸していたというのだ。

 記事には組織の主導者と握手する写真までご丁寧に掲載されていた。


 わが国、日本はFATFに加盟している。「Financial Action Task Force」、金融活動作業部会のことであり、G7諸国を含む三十五ヵ国とEC、GCCが加盟している政府間機関のことだ。

 主に、テロ資金対策やマネーロンダリング対策を行い、国際的に強調指導や協力推進している。


 日本は、二〇〇八年の第三次対日相互審査で厳しい評価を受け、二〇一四年六月にFATFより迅速な立法措置等を促す異例の声明を受けたという苦い経験がある。

 そのため、ことさらマネーロンダリングに関しては過敏になっているのだ。


 現職の国会議員が自らテロ組織を支援するなど絶対にあってはならない。

 このスキャンダルは国中をにぎわした。

 猾辺は事実無根であるとし、司法機関にその出版社を名誉棄損で告訴する。


「あれは、められたのです」


 猾辺は苦渋の表情を浮かべた。


「でもあなたは告訴を取り下げましたよね」


 高見沢は憤懣ふんまんやるかたない表情で語気を荒げる。

 源之進は口を閉じたまま、猾辺を見つめていた。


「たしかに、わたしは世界を放浪し、色々な国や地域の文化にふれていました。

 だが誓ってやましいことはしていないっ」


 高見沢はさげすんだ視線を向けた。


「口ではなんとでも言えますよ。

 仮にテロ組織との話がでっちあげだったとしても、それ以外にも色々なスキャンダルが暴露されたではないですか」


 猾辺は大学生の頃に出会い系のサークルを作って詐欺まがいの資金集めをしたり、闇金融の胴元になったり、違法薬物や脱法ドラッグのグループに親のお金をこっそり提供し利益を得たりしていた、というのがそれである。

 万が一警察の捜査対象になったところで、国会議員である父親がうまく揉み消していたとまで書かれた。


 源之進は猾辺が国会議員に当選する直前に、父親から会社を引き継ぐと同時に後援会の理事席まで譲り受けた。

 本業がかなり多忙なため、後援会へ顔を出す時間もなく、ただ資金提供だけをしてきた。


 源之進はようやく事業を把握してきて頃、どうしても猾辺のことが気になり、高見沢に調査をさせる。

 そして議員としての表の顔はともかく、とんでもない裏の顔があることをつかんだのである。

 スキャンダルな記事は真実であったのだ。


 学生時代に関わっていた闇社会の連中とは手が切れていなかったことも知った。

 当然ながら源之進は個人として法人として、援助をすべて断ち切ることを決めた。

 後援会からは必要以上に引きとめられるも、源之進の考えは変わらなかった。


 猾辺は当時、源之進や「紫樹エンタープライズ」の資金力や影響力を軽視しており、自ら頭を下げに来ることはなかったのだ。


 かろうじて刑事事件にはならなかったものの、衆議院は本会議で初の「糾弾決議」を全会一致で可決した。

 事実上辞職を求める内容だ。

 法的拘束力はないが、所属していた保守政党を「除名」されることになる。

 これにより辞職せざるをえなくなった。

 それが一年前のことだ。


紫樹むらさき社長、わたしは誤った報道により世論から叩かれました。

 火のないところに煙は立たないと思われるでしょうが、報道がすべてではないものの猛省しております。

 父が偉大であったことに胡坐あぐらをかいていたことは否めません。

 だが、この一年、わたしは一から出直すために勉強してまいりました」


 猾辺は必死の形相で、テーブルへ両手をつく。

 源之進は滑辺の言葉を百パーセント信じていない。


「ほう、勉強ですか」


「はい。

 わたしは元国会議員としてこの国を憂えています」


「と、おっしゃいますと、どういうことなのかなあ」


 源之進は興味深そうに身をのり出した。


「このままでは遠くない将来、わが国は他のアジア圏の大国に隷属れいぞくするか、もしくは米国の五十一番目の州として存続していくほかないでしょう。

 それを止めるのはわたしたち、若い世代です。

 わたしたちが一丸となってこの国を変えていくのです」


 猾辺の目の周りが赤くなっている。

 興奮を自制している証拠だ。


「そうですか。

 の国の属国になるのも、日本州になってしまうのもイヤだなあ」


 パープルの髪を左右に振り、源之進はため息を吐いた。

 すかさず猾辺が口を開く。


「そうなのですっ。

 紫樹社長、あなたならわたしが掲げるマニフェストをご理解いただけると信じています」


「マニフェスト?

 それはどういう意味なんでしょうねえ」


「はい。

 率直に申し上げます。

 わたしは新たな政党を立ち上げるつもりなのです」


「政党、ですか。

 では再び議員を目指されると?」


 源之進の発言に横で聴いている高見沢の眉が寄る。


「わたしは父の遺志を継がねばならないことに気づいたのです。

 この国を、国民を未来永劫繁栄させること。

 バブル崩壊以降、少子高齢化、経済悪化の流れは止まりません。

 放っておけばわが国は衰退していくしかないのです」


「それは困りますねえ」


「わたしはこの国を経済的に復活させるには、カジノを早急につくることと結論付けています。

 さらにわたしはこの大阪に地盤を持っている以上、大阪に誘致する考えなのです」


「カジノ、ですか。

 それはまた」


 源之進は面白げに高見沢を振り返った。

 高見沢は眉間にしわをよせたままだ。


「わたしは以前のわたしではありません。

 心を新たに今度は国会ではなく、この大阪を治める知事として政治家にもどりたいのです。

 そのためにぜひお力を貸していただきたいのです」


「ようは、ぼく、いや『紫樹エンタープライズ』の知名度と資金力でもって、応援してはくれないか。

 そういうことでしょうかねえ」


 猾辺は我が意を得たりとばかりに、大きくうなずく。


「おっしゃる通りです。

 社長や御社のバックアップがあれば、わたしがつくりあげる政党は、この大阪の地をどこよりも活気あふれる都市に変えられると思います」


「それはすごいなあ。

 そうなれば」


「はい。

 知事になったあかつきには、当然御社や社長のご協力をたまわり、もちろんそれにより御社はさらに飛躍され、国内どころか海外でも有数の巨大企業を形成できることでしょう。

 つまりは」


「ウィンウィンの関係、ってことですねえ」


 ここで初めて猾辺の目に笑みが浮かんだ。


「カジノに関わる利権は、すべて御社の物になるでしょう。

 莫大なお金が動きます。

 建設や物流、そして食品。

 わたしが本日こちらにうかがった理由はそこです」


 源之進はソファに腰を降ろしたまま、宙を仰いだ。


「それは、とてつもないお金が動きますねえ。

 企業経営者として、このお話に乗らなかったら生涯笑いものですか」


 高見沢はその言葉を耳にし、驚いたように口を開ける。

 源之進は横目で高見沢の表情を見ながら言った。


「猾辺さん。

 あなたが再びぼくたち若者の代表になることに、精一杯応援したいなあ」


 高見沢は思わず身を乗り出そうとする。

 まさか社長がそんなことを言うとは、思ってもいなかったからだ。

 猾辺は飛び上がらんばかりに歓喜の表情を浮かべた。


「では、今後、御社の支援をもう一度」


 そこで源之進は片手を挙げた。


「ただねえ。

 ひとつ問題点があることを思いだしました」


「も、問題点、と言われますと」


 源之進はわざとらしく額を指で押さえる。


「実はですねえ」


「はい」


「ぼくは賭け事が不得手で」


「えっ?」


「つまり、カジノにはまったく興味がないのですよぉ」


 猾辺の表情が固まった。


「だ、だが、あなたは時代に先端をゆく経営者だ。

 企業が利益を上げるためには」


「そう!

 まさしくそうなんですう。

 ぼくはこの会社を経営してはいますけど、スタッフ全員に唯一申し伝えていることがあるのです」


「額に汗することで得る価値こそ、本物である」


 高見沢が真っ直ぐな視線を猾辺に向け、言った。


「ちょっと待ってください。

 わたしは楽をして政治家になろうとは思っていないっ」


 源之進は指を一本立てた。


「ええ、もちろん猾辺さんは優秀な政治家に今度はおなりになるでしょう。

 ぼくらのお手伝いがなくてもね」


「カジノ構想こそ、これからのわが国には必要なんです。

 紫樹社長ともあろうかたが行く末を考えておられないなんて」


「いやあ、これでも企業家の端くれですから、ない知恵をウンウン唸りながら絞っていますよう。

 だけどね、猾辺さん。

 カジノのテラ銭を稼いで会社を繁栄させるなんて、ぼくからすれば論外なんですよう。

 むしろカジノ構想のデメリットのほうが、ぼくは怖い」


 広い社長室に空調の音だけが聞こえる。

 時間がゆっくりと、確実に過ぎていく。

 猾辺はソファから立ち上がった。

 その双眸そうぼうは爬虫類のように温度が消えていた。


「よくわかりました。

 今後お会いすることはもうないでしょう。

 これで失礼いたします」


 源之進と高見沢も席を立つ。


「陰ながら応援しておりますよう」


 ニコリと微笑む源之進になにか言おうと口を開きかける猾辺。

 だが無言できびすを返し、ドアに向かう。

 見送りに行こうとした高見沢を猾辺は手で制し、礼もなく出ていった。


「ふむ、これは相当ご立腹の様子だったねえ、高見沢くん」


「はい。

 でも社長のご判断に間違いはないと思います。

 あの男がそうそう改心するとは考えられない」


 源之進は髪をかきあげながらうなずいた。


「まあ、来年の大阪府知事選がみものだなあ。

 この国にはさあ、カジノをつくる前に、もっと手をつけなければならない事項がヤマとあるように思うんだけど」


 最後は独り言のように高見沢には聴こえた。

                                  つづく


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