第6話 「逃げる妖怪」

 らんはそれを見越していたかのように、ヘルメットに内蔵された無線マイクで交信した。


「こちら、らんでございまぁす。

 せっかくわたくしが成敗いたそうと思うておりましたのに、対象物は上方へ逃亡、『猿神さるがみ』でしたわ」


 らんのかむるヘルメットに、返信が来る。


「おう!

 がってん承知っ。

 やっぱり先にお山に登っていて正解ってか」


 と、若い女性の声。


「では、お任せいたします。

 わたくしは要救助者を保護いたします」


「たのむぜ、らん」


「お任せくださいまし、きり」


 らんはゴーグルをフリッツ型ヘルメットの上部へ押し上げた。

 大きな二重のアーモンド型の両目で、山裾やますそにちょこんと座る子どもを見下ろした。


 面を表したらんは、女子大生と言われても納得するくらいに若い。

 大きなつぶらな瞳に高い鼻梁、薄紅を引いた口元。

 卵型の顔は、清楚で可憐な印象がある。

 ミスナントカ大学と言われても納得できる美しさだ。

 ベルトに取り付けられた小さなボックスのボタンを切り替える。

 これでヘルメット内蔵の無線回線を切り替えるのだ。


「本部、本部、こちら関西南部方面担当の、紫樹むらさきでございます。

 あっ、お疲れさまでございまぁす。

 佐々波さざなみ副長はお手すきでしょうか」


 らんは「九尾剣きゅうびけん」を腰のベルトへ収め、左腕の時計に目を向けた。


「あっ、お疲れさまです。

 紫樹でございます。

 はい、一〇二〇ヒトマルニイマル現在、要救助者を発見いたし、保護下にいたしました。

 ええ、『子守りこまもり地蔵』ちゃんはご無事でございます。

 下手魔は『猿神』でございました。

 はい、はい。

 もちろん、下手魔は成敗させていただきます。

 えっ?

 ええ、きりが対応いたします。

 はっ?

 下手魔を成敗するために、このお山を木端微塵にするのだけはやめてほしいと?

 まあ、きりのことですゆえ、場合によっては『天狗筒てんぐづつ』を使用するかもぅ。

 いえ、軽いジョークでございまぁす、うふふ」


 無線の相手は明らかに大きくため息を吐いたようだ。

 らんはニッコリと美しい笑みを浮かべる。

 不眠不休で我が国をお守りするために疲労困憊の上官に、少しでも一服の清涼剤になれば、との思いから口にしたジョークであった。

 らんは気づいていないが、相手のため息はむしろストレスを増長させる意味が込められていた。


 無線を切ると、草の上で体操座りのままこちらを見上げている男の子、「子守り地蔵」を振り返り、目線が合うようにとしゃがんだ。


「それでっと。

 お次はこの子を返しにいかないとね。

 ほら、ぼく、おねえさんがおんぶしてあげる」


 らんは鼻水を垂らした「子守り地蔵」に背を向けた。

 嬉しそうな表情を浮かべ、ぎゅっと背中に抱きつく「子守り地蔵」。


「あら、意外に重たいのね、『子守り地蔵』ちゃんは。

 さあ、帰りますわよ。

 えっ?

 ちょっとお待ちになって。

 ズズーって、なんだかイヤな音が聞こえるけど」


 らんは背中越しに「子守り地蔵」を見やった。


「いやですわ!

 ちょっとぉ。

 その青っ洟あおっぱなをジャケットにつけちゃダメですわよ」


 垂れた鼻水をブレストアーマーにくっつけ、糸を引きながら、ニッコリと満面笑みの「子守り地蔵」はコクンと可愛くうなずいた。


 一方、「猿神」は大きな傷を負いながら、山の頂を走っていた。

 熊笹や乱立する樹木に遮られながらも、元をたどれば野性の猿が神格化した妖物なのだ。

 闇夜など苦にもならない。

 らんによって深手を負ってはいるが、ここで逃げなければ存在自体をきよめられてしまう。

 つまり、抹消されてしまうのだから。


 目前に迫る大きな樹木を避けようとしたときだ。


 シュパッ!


 大気を切り裂きながら、オレンジ色に光る細い炎が真っ直ぐに向かってきた。「猿神」はあわてて横っ飛びする。

 ところがその炎が向きを変え、追ってくるのだ。

 シュルシュルッとそのオレンジ色の細い炎が「猿神」の頭から巻きついていく。


 く間もなく、「猿神」の身体が真紅のほのおに包まれた。

 巻きついていた細い炎が解かれ、木々の間を戻っていく。

「猿神」を燃え上がらせた炎は周囲の草木には一切飛び火していない。

 真っ黒な彫像と化した異形は、サラサラと崩れ始めた。


 頂の上から現れた影。

 その姿は、らんと同じく黒のフリッツ型ヘルメットに黒いブレストアーマーを着用していた。

 手には一本のムチを持ち、輪を作りながら握っている。

 炎に包まれていた鞭のはずが、ただの細い革に変わっていた。


「へへっ、一丁上がりってか。

小右衛門火こえもんび』で作られた『火焔鞭かえんむち』をくらったらお浄めどころか、灰になってハイお終いってな」


 面白くもない冗談に苦笑を浮かべ、ヘルメットのゴーグルを上げた。

 ちなみに「小右衛門火」とは、奈良県葛下郡かつげぐん松塚村の川堤に現れた怪火である。


 きりは大きな二重のアーモンド型の両目、女子大生と言われても納得するくらいに若い。

 大きなつぶらな瞳に高い鼻梁、薄紅を引いた口元。卵型の顔は、清楚で可憐な印象がある。

 ミスナントカ大学と言われても納得できる美しさがあった。

 

 このフレーズは二度目の表現になる。

 そう。

 ニヤリと笑む顔は、下方で「子守り地蔵」を救出したらんと瓜二つであった。

 紫樹むらさききりは、らんと一卵性双生児の姉妹なのだ。

 同じ顔、スタイルであるものの、きりの口調はかなりくだけている。

 むしろお下品だ。

 清楚で可憐な面立ちにはまったくそぐわない。

 きりはヘルメットの無線でらんを呼ぶ。


「こちら、きり。

 らん、聴こえるか。

 ああ、『猿神』は浄めたぜ。

 本部への報告はどうする?

 あたしがするか。

 えっ?

 いや、いつも喧嘩を売ってるわけじゃあないのにな、向こうが勝手に鼻息を荒くしちまうんだ。

 そうか。

 チッ、そんなら、らんに任せるぜ」


 きりは無線を切ると、「火焔鞭」をベルトの留め金に括りつけ、ゴーグルを降ろして山頂を一気に駆けおりていく。


~~♡♡~~


 深夜の国道三〇九号線を走る二台の大型バイク。

 一台はスズキのトレーサー九〇〇GTだ。

 オフロードバイクである。

 もう一台はトライクと呼ばれる前輪がひとつで、後輪がふたつの三輪バイクだ。ホンダUSA・GOLDWING一八〇〇TRIKEである。

 どちらもボディはパープルカラーであるが、一般のオートバイと異なる点がある。

 後部には赤色灯の回るポールが立ち、フロントにはスピーカーまで装着されているのだ。


 そう、これは交通機動隊の白バイと同じ装備である。

 緊急時には赤色灯を回転させ、サイレンを鳴らし緊急車両として走行する認可がされているのである。

 走り出してすぐに、二台は赤色灯を回転させサイレンを鳴らした。

 時間帯から国道を走る車輌はほぼないのだが、これで制限速度をぶっちぎりで走ることができる。


「子守り地蔵」を捕縛用の縄で自身の背中に縛り、赤子を背負うようにして三輪のトライクを走らせているのは、らんだ。

 その前を走るトレーサーは、きりが運転している。

 

 ふたりの地区保安官に緊急連絡が入ったのは、午後八時をまわったころであった。

 大阪府富田林市とんだばやししにある古い歴史ある神社から検非違使庁けびいしちょう本部へ、「正体不明の妖物に、守本尊である『子守り地蔵』をさらわれてしまった」とひっ迫した声で救助要請をしてきたのだ。


 東京霞が関にある文部科学省直属の検非違使庁本部。

 ここでは全国から寄せられる、荒ぶる神、その眷属による被害に対処すべく二十四時間体制で任務にあたっている。

 各都道府県には対妖物エキスパートである地区保安官が駐在しており、本部からの要請によって動くのだ。

 もちろん駐在武官の人数は限られているが、検非違使庁では主だった空港や港に遊撃部隊を置き、即時応援できるように配備していた。


 らんときりは元警察官であり、交通機動隊で白バイに乗務していた。

 現在は出向という形式で検非違使庁地区保安官として、この関西南部方面を任されていた。

 女性の保安官は多数いるが、双子の女性保安官はこのふたりだけである。


 重量感のある排気音を轟かせた二台のオートバイは神社へ行き、「子守り地蔵」を神主のもとへ無事に送り届ける。

 老神主は涙を流しながらふたりに何度も頭を下げた。

 らんときりは敬礼し、バイクにまたがる。


 神主に大事に抱っこされた「子守り地蔵」は細い目で笑顔をふりまき、かすりの着物の胸元から二本の組紐を取り出すと、らんに渡した。

 紐には小さな白い勾玉がぶら下がっている。


「あらあら、お礼なんてよいですのに。

 でも綺麗な色目ですわね」


「もしかすると、恋愛成就のご利益があるかってな」


 ふたりはそれを首から下げ、「子守り地蔵」の頭をなでる。

 笑顔でふたりにバイバイと小さな手をふる「子守り地蔵」であった。

                                  つづく

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