第32話 自画自賛と彼女の様子

 スコールのような雨が去ったあと、陽が差してきた。母が声を掛けてきた。

「晩御飯食べていったら?」

俺は麻沙美に会おうと考えていた。なので、

「いや、帰るよ。もう少ししたら送ってくれな」

母は不服そうに、

「なんだ、もう帰るのかい。ゆっくりしていけばいいのに」

そう言った母は少し寂しそうだった。

「茶飲み友だちいないのか?」

「いないこともないけど、相手は旦那もいるから頻繁には会えないよ」

母が少し心配になった。寂しい思いをしているのではないかと。でも、母は、

「大丈夫! 気にしなくていいから。おまえも感じていると思うけど、独りは楽だから」

 と、気丈にふるまった。たしかに楽といえば楽だ。でも、母の年代で独り暮らしは本当に寂しくないのだろうか。だからといって一緒に暮らす気はないけれど。俺が描く母の将来像はひとりで生活できるうちはしてもらって、たまに顔出しに行ったり、病院連れていったり。呆けたらひとり暮らしもままならいし俺も仕事があるから施設(グループホーム・特別養護老人ホーム等)に入ってもらおうと思っている。とりあえず、今は大丈夫。こういうふうに考えているのは冷たい、と親戚の人は言う。でも、仕方ないと思う。親子で共倒れはそれこそまずいから。


 かべに掛かっている時計を見ると17時ごろだ。そろそろ帰るか。

「母さん、悪いけど送ってくれ」

「あいよ。タッパにおかず入れたから持って帰って食べなさい」

 俺は母から渡されたタッパの蓋を開けた。なかには、豚バラ肉を焼いたものと、ホウレンソウのおひたしと、焼き魚が一切れ入っていた。ありがたい。こういうところは親らしいな、と思う。俺は親になる日が来るのだろうか。


 今は、母に送ってもらって自宅にいる。麻沙美は何しているかな。そう思ったのでLINEをおくった。

[押忍! 退院していま帰宅したところだ。暇なら来ないか? 小説も少し書いたし]

返信は約1時間後にきた。

[オス! 退院おめでとう。いま夕食の準備しているから今日は晃があたしたちの家に来ない? ごちそうするよ]

めずらしい話だ。

[いいのか? じゃあ、行くわ。アルコール飲む?]

調理しているせいか、なかなか返信がこない。

数十分後、麻沙美からLINEがきた。

[飲むー! 6缶パック2つー!]

ずいぶんハイテンションだな、と思いつつ、

[わかった、今から行くわ。泊まらせてくれるんだろ?]

[もちろん! 飲んだら運転はだめ!]

俺はその文面を見て笑った。まるで妻が言うセリフだと思った。まあ、奥さんばかりが言うセリフではないが。

[それと、さくらいるからエッチはできないからね]

また、笑ってしまった。なので、

[そんなこと言われなくてもわかってるよ!]

と、送った。

それきりLINEは途絶えた。面倒だがシャワーを浴びて行くか。それとUSBメモリーも持っていく。さくらちゃんに読んでもらいたくて。


 支度が済んだので俺は家を出た。今日のコーディネートはブルーのセーターにブルージーンズ。その上に黒いダウンジャケットを羽織った。


 自宅から5分くらい走ったところにあるコンビニに寄り、ビールは2パックかごにいれた。なにか酒のさかなはないかと思い、店内を見てまわった。 鮭とカレイのつまみも入れた。あとは、さくらちゃんの分もカルピスとアップルジュースをかごに入れた。


 店を出たあと車に再度乗り、バックした。俺のうしろを通り過ぎた乗用車に危うくぶつかりそうになった。その車は黒塗りのベンツであまり関わらないほうがいいと思ったので、文句を言うのはやめた。


 俺は何事もなくもう一度ギアをPからRに入れなおし、バックした。今度は俺も周りを見ながらだったので危険はなかった。そうか、俺の不注意もあったのか、とハッとさせられた。相手ばかりが悪いわけじゃない。そう思いなおし気持ちを落ち着けた。そして、出発した。


 車を走らせている間、雪がチラチラ降ってきた。もうすぐ12月だというのにまだ夏タイヤのままだ。雪が積もらないうちにタイヤ交換をしておこう。明日にでも。休みだから。

走行しながらそういうようなことを考えていた。


 雪の降り具合いがだんだん強くなってきた。視界もあまりよくない。ついでに、ワイパーも夏仕様だ。俺は少し減速しながら走った。路面はまだ見えるレベル。大丈夫だろうと思って走り続けた。


 事故もなく、18:32に到着した。スマートフォンを見るとそう表示されている。久しぶりに麻沙美とさくらちゃんが住んでいるアパートに来た。俺の車はアパートの壁際に停めた。車の助手席に積んであった飲み物などがはいった買い物袋を持ち、エンジンを止め、降りた。駐車場やその周辺にはうっすらと雪が積もっていた。靴の裏で路面をこすってみたけど滑りはしなかった。まだ、凍結してはいない。


 麻沙美たちの家のチャイムを鳴らした。ポン、と短く鳴った。電池がないのかな。あえてこちらからはドアノブは回さなかった。驚かせたくないから。中から、

「はーい」

と、この声はさくらちゃんの声だ。

「晃だよ」

「あっ! 晃さんが来た。いまカギ開けるね」

ガチャリと音がして、ドアが開いた。

「よっ!」

俺は笑みを浮かべながら右手を挙げた。左手には買ったものを持っている。

「こんばんは! 入ってください」

さくらちゃんもご機嫌だ。嬉しい。

「おかーさーん! 晃さん、来たよー」

母親に大きな声で伝えるところはまだ、子どもっぽさを感じる。初々しい。高校生で難しい年ごろのはずなのに、こんなに素直で明るい子は珍しいと思う。少なくとも俺が高校生のころは親は大変だったと思う。


 家の中から良い香りがする。肉を焼いた匂いか。俺はさくらちゃんに促され玄関から上がった。

「晃さん、家に来るの久しぶりだね」

無邪気な笑顔で話しかけてくる。かわいい子だ。

「そうだな、いつ以来だろう」

歩きながら話した。

「少なくともお母さんと付き合ってからは来るのは初めてだね」

「ああ」

家のなかは綺麗だ。さすが、麻沙美。

「よう! 邪魔しに来たぞ」

俺は笑いながら言った。

「晃、いらっしゃい!」

「いい匂いだな。今夜のメニューはなんだ?」

「それは出来てからのお楽しみ」

俺はまた笑った。最近、俺はよく笑うようになったと自覚している。いいことだ。と自画自賛した。


 俺は居間にある赤く3人くらい座れる大きめなソファに腰をおろした。

「さくらー!」

と、麻沙美は呼んだ。俺の傍にいたさくらちゃんは台所で調理している母のところに行った。母娘の光景を見るのはいいものだ。それも仲良く。見ていると麻沙美は冷蔵庫からペットボトルに入った飲み物を取り出し、さくらちゃんにコップも渡した。

「晃に持ってってあげて」

そう聞こえた。

「晃さん、コーヒーでも飲んでて。もう少しかかるみたいだから」

「おっ、ありがとう。さくらちゃん。それと、USB持ってきたぞ。落ち着いたら読みたいか?」

さくらちゃんは満面の笑みを見せた。

「読みたい!」

「じゃあ、あとでな」

 彼女は何度も頭を縦に振った。よっぽど読みたいのだろう。

やっと顔を見せた麻沙美は、大皿に盛り付けした料理を持って来た。

「おっ! なんだ? 今夜は」

麻沙美はドヤ顔で、

「ピーマンの肉詰めだよ!」

と言った。

「旨そう」

と、俺。

「美味しそう!」

と、さくらちゃん。

「たくさん食べてね!」

と、麻沙美。それと、ライスとみそ汁も運んできてくれて3人が座ったところで、

「いただきまーす」

とさくらちゃんは言った。麻沙美と俺も食べ始めた。

「旨い! やるな、麻沙美」

「さすが、お母さん。美味しいよ」

ありがと、と言いながら麻沙美は嬉しそうに食べている。まるで家族のようだと思った。


「ねえ、お母さん。私ねご飯食べ終わったら晃さんの小説読むんだー!」

「晃、USB持ってきてくれたの?」

俺は当然だという顔をして、

「もちろんだ、大事な読者だからな」

そう言い、俺とさくらちゃんは大笑いした。麻沙美は、

「あたしは読者じゃないからね。いーですよー、ふたりで楽しんでねー」

と、いじけたようす。

「麻沙美―、いじけんなよ、それくらいで。自分の娘と仲良くして何が悪いんだ?」

「悪くはないよ。むしろ、ありがたい。でも、仲間に入れないのが寂しいだけ」

俺は困った。俺の書く作品と麻沙美の好きな小説のジャンルは違う。だから一度たりとも読んだことはない。そういう意味では俺も寂しい。初めて麻沙美に小説を書いていると言った時、どんなジャンルを書いてるか訊かれたが、恋愛小説だよと言ったら興味ないな、とはっきり言われてしまった。それ以来読んでほしいとは言ったことはない。


 ミステリーか。俺はこの種の小説は書いたことはない。ちなみに、麻沙美の好きなジャンルだ。俺に書けるだろうか。難しいというイメージがある。まあ、恋愛小説も簡単ではないが。まずは、いま書いている作品を完結させないと。あちこちに手を出すのは良くないと思うから。


 あまり良くない雰囲気で食事を終えた。俺は、

「麻沙美、旨かったよ。ごちそうさま」

そう言うと彼女は笑みを浮かべた。

「よかった、そう言ってもらえて」

さくらちゃんも、

「お母さん、美味しかったよ。また作ってね!」

さくらちゃんは本当に素直な子だ。生意気さがほとんど感じられない。良い子だ。

彼氏はいるのに、まるで俺が彼氏のようだ。それは勘違いか。思わず自分の内心で噴き出しそうになった。


 さくらちゃんが言った。

「晃さん、USB貸して?」

「あ、ああ。」

そう言ってジーンズのポケットから出して渡した。この子はいつも楽しそうに読んでくれる。嬉しい。さくらちゃんは自分の部屋からだろう、ノートパソコンを持ってきた。いままで食べていたテーブルに置いた。さっそく電源ボタンを押し、起動した。それから、USBをさして開いた。タイトルが出てきて、そこから画面を下げ、

「確か、第3章からだよね?」

と、さくらちゃんは言った。

「そうだよ。よく覚えてるな」

へへんっと、得意気に笑っている。

「読んでくれてありがとな」

ううん、と頭を左右に振っている。


さくらちゃんの様子を窺っていると、どうやら読み終えたようだ。俺は入院中も書いていた。退院してからも書いていたので合計2千字くらいだ。

「おー。いいね、主人公の気持ちがよく書かれているね。面白い」

「編集者みたいな口ぶりだな」

そういって笑い合った。その時、麻沙美は食器洗いをしていた。

「ずいぶん楽しそうね」

と、また怒っているのかこちらを見ずに言った。

「なんだ、麻沙美。怒っているのか」

「はあ? 何で怒らないといけないの」

「言い方がだよ」

麻沙美はため息をつき、もういい、やめよ、と言い居間に行きソファに座りテレビをつけた。俺は、

「煙草吸っていいか?」

と訊くと、換気扇の下で吸ってね、と言った。俺は言われた通り、台所にある換気扇の下で吸い始めた。バラエティ番組を見ている麻沙美は笑っている。機嫌は悪くないように感じた。

「さて、ビール飲むか。さくらちゃんにもジュース買ってきてあるから」

「えっ! ほんと? 飲みたい」

そう言って冷蔵庫に歩いていった。

「麻沙美も飲もうぜ」

「うん。飲みますかぁ」

俺は彼女の異変に気付いた。

「何だ、あまり乗り気じゃないみたいだなぁ」

「そういう訳じゃないけど、眠くて」

俺は、

「何だよ、眠いのかぁ。これから盛り上がるときに」

麻沙美は欠伸をしながら、

「ごめん、ちょっと疲れてて」

娘が母に近寄り、

「お母さん、どうしたの? 大丈夫?」

「……うん、大丈夫よ。ここじゃなんだから部屋に行って横になってくる。ごめんね、晃。せっかく来てくれたのに」

そう言って、怠そうに部屋まで歩いて行った。彼女はどうしたのだろう。悪い病気にでもかかっていなければいいが。さくらちゃんも心配している表情で母の後ろ姿を見詰めていた。

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