第33話 彼女の笑顔

 いまは壁に掛かっている時計を見ると、夜の10時30分ごろ。俺はまだ、麻沙美の家にいてさくらちゃんのパソコンを借り、小説の続きを書いていた。この作品の読者は、居間に横になって寝息をたてている。かわいい寝顔だ。


 俺は結局1人でビールを飲んでいた。2パック買ったがまだ3本しか飲んでいない。麻沙美と2人で飲もうと思って買ってきたけれど当の本人は部屋で寝ている。まあ、具合いが悪いなら仕方ないな。そう思い、俺は飲みながら執筆をすすめた。


 0時になったら帰ろう。一応、麻沙美の様子を窺って起きてるようなら俺が帰ったあと、鍵をかってほしいのだ。変なやつが来たら困るから。女ふたりの世帯だし。俺はまるで旦那になったような気分でいる。


 台所に俺は行き、勝手にインスタントコーヒーを作ることにした。やかんに水を少し入れ、ガスコンロに載せ火をつけた。


 10分ほど再び小説を書き、水が沸騰する音が聞こえたので一旦手を止め、台所に行った。火を消し、予めコーヒーの粉をマグカップに入れておいたのでそれにお湯を注いだ。この時期の夜はホットコーヒーが良い。体も温まるし。アツアツのコーヒーをこぼさないようにゆっくりと運んだ。いまは夜11時ごろ。あと、1時間くらいは頑張って書くか。完成までワードで最低でも約20ページ。もう少しだ! 仕事から帰ってきて、少しずつ書き溜めて〆切まであと2カ月。ラストスパート。


 まもなく0時になる。さくらちゃんは居間で熟睡している。麻沙美も眠っているのかな。様子を見てこよう。


 麻沙美の寝ている部屋に行くと暑いのか布団をはいで、胸の谷間が見える程度に下着がはだけている。セクシーだ。触りたい。でも、麻沙美は具合いが悪いからやめておこう。ここで触ったら後で何こそ言われるか分からない。そう思うと苦笑いが自然と浮かんできた。


 部屋を静かに出ようとしたとき、

「晃……」

 俺は立ち止まり、振り向いて麻沙美を見た。

「どうした?」

「ちょっと、来て」

 どうしたんだ、と思い近づいた。すると、

「さくらは?」

 と、訊いてきたので、

「眠ってるよ」

 と、答えた。

「抱いて……」

「えっ! さくらちゃん、起きたらどうするんだよ」

「大丈夫」

「そうか、わかった。じゃあ抱いてやる」

そう言って俺は服を脱ぎ下着姿になり、麻沙美を抱いた。俺の愛撫で感じている姿を見ると可愛く思え、すごく欲情した。

結局、最後まで上りつめ、俺は絶頂をむかえた。

「すごくよかったけど、体調どうだ?」

麻沙美は笑みを見せた。

「あたしもすごくよかった。体調はねむったら治ったよ」

俺はそれを聞いて一安心し、

「疲れていたんだな」

と言った。

「たぶん、そうだと思うよ」

「それならいいけど、心配したんだぞ」

ごめんね、と言って麻沙美は両手を合わせて謝った。

「何か疲れることしたのか」

「最近、生理がないの」

「え? もしかしてそれって……」

彼女は微妙な面持ちだ。

「病院に行ってみないと分からないけど、心辺りがふたつあるの」

ふたつもあるのか、と思った。

「ひとつは避妊しないでしたことあるでしょ、それと極端なダイエットかな」

「そうだったのか。どうりで最近、急に細くなったとは思っていたけど。でも、どうしてそんな極端なことしたんだ?」

すると、麻沙美は少女が泣くように弱々しく、シクシクと泣きだした。

「おいおい、どうしたんだよ。何で泣くんだよ」

俺は麻沙美がどういう心境なのかイマイチ理解できなかった。もし、妊娠していたら産んでほしいし、極端なダイエットのせいならやめさせる。まずは、病院に行ってみてからだ。


「不安なの……」

「不安? 何が?」

「太ったあたしを見て晃が去っていってしまうのではってね」

俺はそれを聞いて呆れた。

「そんなことで去っていかないよ」

言いながら笑った。

「心配性だなぁ、麻沙美は」

「そうかなぁ、普通だと思うけど」

俺はまた笑い、

「まあ、人それぞれってやつだな」

彼女はうなずいた。


 麻沙美の寝ている置時計を見ると、0時30分過ぎ。俺は、一緒に寝ていいか? と尋ねると、いいよ、と答えてくれたので、布団にもぐりこんだ。麻沙美のいい香りがする。そう伝えると、柔軟剤の匂いよ、と言って笑っていた。ようやく彼女の笑顔が見ることができた。


 翌朝。

「あー! お母さん、晃さんと寝てるー!」

さくらちゃんのデカい声が家中に響く。俺はすでに目を覚ましていた。麻沙美は娘の声で起きたようだ。

「びっくりするじゃない、そんな大きな声だして」

さくらちゃんを見るかぎり、動揺している様子。高校一年生には刺激が強すぎる光景か。

母が女であるという一面を見て、さくらちゃんはどう思っただろう。多感な時期だから、いくら素直な子だからといってこういう場合はどうだろう。


「お母さん、やらしー」

やっぱりかぁ、怒っているだろうな、さくらちゃん。

「ごめんね、さくら。こんなとこ見せてしまって」

「晃さんとだったら別にいいよ」

俺は思わず吹きだした。

「そうなのか」

麻沙美は微笑を浮かべているのが見えた。

「あんた、女子高生から理解あるね!」

「さくらちゃんだからだろ」

「ハハッ!」

麻沙美は笑うしかないようだ。


さくらちゃんは、すでに学校の制服に着替えていた。

「おかあさん、朝ご飯作ってよ。歯も磨かなきゃいけないから忙しいの!」

「はいはい、いま、起きますよ」

さくらちゃんは居間に戻ったようだ。今日の麻沙美の娘は少しご機嫌斜めのようだ。さくらちゃんは学校へは8時30分までに行かなければならないらしい。いまは7時30分前。

「晃も朝ご飯食べて行きなよ」

「ああ。悪いな」


 20分くらい経って3人分の朝食はできた。トースト2枚に目玉焼きとウインナーを焼いたもの。簡単だけれど食べてみると美味しい。さくらちゃんはいつも食べているからなのか何も言わずに食べている。麻沙美もしかり。


俺はあることを思った。今日は雨が降っているからさくらちゃんを学校まで送ろう、と思い言ってみると、

「ごめんなさい。それは遠慮するよ。周りのみんなに見られたら何言われるか分からないからさ」

と、いう返答。

「何も母親の友達だよ、って言えばいいじゃないか」

「いちいち説明するのが面倒くさいのよ」

そうか、と引き下がった。まあ、仕方ないな、と思った。


 さくらちゃんは朝食を早々に済ませて、洗面所に行き、歯磨きをしている。麻沙美も俺も食べ終えた。俺は、

「ごちそうさま」

と、言い、

「美味しかった?」

 そう訊かれたので、

「美味しかったぞ」

と、答えると麻沙美は喜んでいた。

年のわりには無邪気な面もあるんだな。かわいいところもある。そう思うと朗らかな気持ちになった。

俺は無意識に麻沙美を見ていたようで、

「何見てるの?」

と訊かれた。

「かわいいなぁ、と思ってたんだ」

「誰が?」

「麻沙美に決まってるだろ」

彼女の表情は向日葵ひまわりのように明るく笑った。

「またぁ、かわいいだなんてこんな中年の女に」

そう言いながらでも嬉しそうだ。


「いちゃついてるとこ悪いけど、私学校いくから」

俺と麻沙美は苦笑いを浮かべながら、

「いってらっしゃい」

と、声をそろえて言った。

ガチャンとドアが閉まる音がしてさくらちゃんは学校に行った。

「晃は明日から仕事だっけ?」

「そう。休みは今日だけだ。また、来週の火曜日まで仕事だ」

「がんばってね!」

愛している彼女だけれど、がんばって、と言われるのはやはりプレッシャーになる。嬉しいとは思えない。


 俺は昨日着てきた迷彩柄のトレーナーと黒いジーンズを着た。麻沙美は、

「着替えてくるね」

そう言い残し、部屋に戻った。パジャマから上下グレーのスウェットを着ている。

「なにしよっか?」

俺は、うーん、と唸り思いついた。

「俺の家に一緒に行って友達呼んで話さないか?」

「あっ、いいね。あたしは会ったことないお友達よね?」

「そうだと思う」

「じゃあ、行くか」

「それなら、違うのに着替える。ちょっと待ってて」

思ったことがある。麻沙美は病院に行かなくて大丈夫なのかということ。

着替え終わってそのことを伝えると、

「あ、そうねぇ。優先順位は病院よね」

「そうだな」

麻沙美は考えて、

「やっぱり、病院に行く。乗せてって?」

「ああ、総合病院にするか?」

麻沙美はうなずいた。彼女の顔に不安の色が見えたのは気のせいだろうか。

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