第51話 こちら地球
その日、アルテミュア大陸東海岸に誕生した『人類都市ボレアリフ』への出張で深夜に帰宅した大月は、NEWイワフネハウスの寝室に入るなりベッドに潜り込んで眠りに落ちていた。
やがて朝になり、大月が目を覚ますと知らない天井が目に入った。
「……えっと?」
夢でも視ているのか?と大月は思ったが、傍らですやすやと眠りながら大月の寝間着の裾を握りしめる美衣子と結のひんやりした鱗に包まれた手の感触が現実だと思い起こさせる。
「……うふふっ。よく眠れましたかぁ?あ・な・た」
不意に大月の耳元で囁く西野ひかり。
「うひゃっ!?」
大月は慌てて起き上がろうとしたが、首から上が僅かに枕から起き上がるのみで身体が言う事を聞かない。
落ち着いて身体の感覚を確かめてみると、どうやらベットに潜り込んだ美衣子、結と一緒に布団で簀巻きにされているようだった。
そして、ベットごと地下にある美衣子の研究室まで転送されたらしい。見慣れない天井の謎が解けた。
「もう少し、大人しくしていてくださいねぇ。私のバレンタイン特製イワシパイチョコレートがもう少しで成功しそうだから……」
恥ずかしそうにはにかみながら、パタパタとスリッパの音を響かせながら地下研究室片隅の簡易厨房へ駆けていく西野ひかり。
厨房でグツグツと煮立つチョコレート鍋からはカカオと香料の甘い香りと、何故か鰹出汁の匂いが両立せずに漂い、大月の警戒心を上昇させていく。
場違いな鰹出汁が混入しない限り、極めて萌えるシチュエーションの筈だが、今の大月にとってはギロチンを目の前にした死刑囚の気分である。
「さあ!さあ!どうぞっ!」
未だ火星日本列島では統制品のチョコレートをふんだんに使ってデコレーションされた"新鮮なイワシパイ"を切り分けた西野ひかりが、満面の笑みでフォークを使って簀巻きで身動きの取れない大月の口元へ"新鮮なイワシパイ"を運ぶ。
「はうっ!?……もがーっ!!」
――――――2月14日。
50歳を目前にした大月満の人生で最も縁のなかった社会的イベントが、今年は西野ひかりの存在によって身近に感じられるものとなっていた。
――――――2月14日。
50歳を目前にした大月満の人生で最も縁のなかった社会的イベントが、今年は西野ひかりの存在によって身近な"地獄"となっていた。
♰ ♰ ♰
2023年(令和5年)2月14日午前8時【火星アルテミュア大陸東海岸『人類都市ボレアリフ』】
日本列島が火星に転移して2度目のバレンタインデーである。
2022年のバレンタインは転移した翌月であり、日本列島が国家非常事態宣言による物資統制の為、個人間でささやかに祝ったものだったが、今年のバレンタインデーは日本列島の安全がほぼ確保され、日本列島外の火星大地に有史以来初の本格的生存権を築いた人類にとって『初めて迎える』歴史的大イベントだった。
日本列島本土や列島各国から1日限定で統制を解除された高級嗜好品等が臨時便で到着し、上陸作戦や火星原住生物掃討作戦で疲れた兵士や建設ラッシュで昼夜を問わない労働に勤しむ市民にチョコレートやワイン、ブランデー、日本酒が振る舞われて人類都市ボレアリフは宴に沸いていた。
その人類ボレアリフ中央地区片隅に有る列島各国連合軍通信指令センターでは、とある場所からの重大な通信を受信し続けていた。
『こちら地球。宇宙国家「アース・ガルディア」である。日本列島の生存者、応答せよ』
ロシア訛りの時もあれば、フランスや中国訛りもある。そもそも地球に宇宙国家なんて有ったのか?日本列島で長年過ごしてきた各国軍の将校達は首を捻るのだった。
♰ ♰ ♰
――――――同日午後1時【東京都千代田区永田町 首相官邸 地下会議室】
日本列島隔絶空間外に所在するボレアリフシティが受信したメッセージは、東京市ケ谷の火星研究機構を通じて列島各国政府に伝えられ、澁澤首相の呼びかけによって各国首脳が秘かに首相官邸に集まっていた。
表面的にはバレンタインデーを祝い、日本列島隔絶空間共同体の結束を確認する為に各国首脳が集まるとプレスリリースされていた。
「……ついに来たか」
メッセージが記載された通信用紙を手に澁澤総理大臣が言った。
『今更我らに何の用があるというのだ?』
訝し気な顔で発言するケビン英国連邦極東首相。
『地球は天変地異の嵐だ。こちらに支援なり、救助を求めるのは当然かもしれんぞ』
極東アメリカ合衆国のミッチェル大統領がやれやれと言う顔でケビン首相を宥める。
『我々は多大な犠牲を払って、やっと火星に第1歩を踏み出したばかりです。我々を見捨てた本国に支援する物資等有りませんな』
極東ロシアのパノフ大統領が無表情で冷徹に言い放つ。
『ともあれ、彼らは私達へ向けて日本列島の生存者と言いました。……地球から日本列島の存在が確認されているのは明らかです』
ユーロピア共和国ジャンヌ首相が思案顔で発言する。
『我が同胞はあの大変動が起きている地球に沢山生き残っている筈です。今さら何だと言って無下には出来ないでしょうね』
肩を竦める台湾自治区の王代表。
幾つかの国は発言と異なった裏腹な行動に出る事は明白だったが、各国首脳はおくびにも出さず「現状は情報収集に努める」という極めて無難な方針を決めてこの日は散会するのだった。
♰ ♰ ♰
――――――同日夜【北海道東部 択捉島 極東ロシア連邦首都『エトロブルク 』大統領府】
パノフ大統領は極東首脳会議後、すぐに全幹部を集めて会議を開催した。
パノフは集まった官僚と部隊司令官に向け、ロシア人実業家が建国した宇宙国家『アース・ガルディア』が火星に通信を求めてきたと報告し、極東ロシア連邦は独自に交信を行って接触する考えを伝えた。
「あの宇宙国家は祖国に忠実な実業家が立ち上げた『ロシア国家』であり、我々は協力を惜しまない姿勢で臨む。
そして、我々が承継しつつあるマルス文明の解析にも参加してもらうよう提案するつもりだ」
全面的協力姿勢を鮮明にするパノフ大統領。
パノフ大統領は無惨な結果に終わった米露連合による第一次上陸作戦の責任追求を予測して、アース・ガルディアと連絡が取れ次第、極東ロシア連邦の全権を移譲しても構わないとまで考えていた。
「火星大地は比較的寒冷であり、寒さに強いスラブ民族に最適である。
この新しい火星大地で我が民族が覇権を握り、来る地球再生時の帰還に際して有利な立場で国土を確保する事が出来るのだ」
パノフ大統領は側近達に、アース・ガルディアと秘密裏に交信できる手段を講じるように指示を出すのだった。
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――――――同時刻【沖縄 極東アメリカ合衆国 首都『那覇DC(特別区) 』大統領執務室】
ミッチェル大統領は宇宙国家『アース・ガルディア』との交渉について対等な立場で臨み、宇宙国家政府内に居るであろう米国人派閥との連携を模索したいと考えていた。
極東アメリカ合衆国としての国力は日本国に遠く及ばないが、軍事力だけは火星最強である。
潰滅したステイツの生き残りに唯々諾々と従うのは論外である。
あの宇宙国家はロシア人の強い影響下にあるとは言え、多くの米国人が組織中枢に居るはずである。
彼らと連携しつつ、極東アメリカ合衆国の意向を汲む政策を宇宙国家に取らせ、ゆくゆくは日本政府を従わす事が出来れば良いのだ。
ミッチェル大統領は嘉手納基地に極秘配備されていた『オーロラ』極超音速戦闘機や那覇軍港で待機している『ズムウォルト型』レールガン装備駆逐艦に対し、秘かに出撃準備を進めるように命令した。
♰ ♰ ♰
2023年(令和5年)2月15日午前7時【東京都千代田区永田町 首相官邸地下 危機管理センター】
極東米露がそれぞれの思惑で行動を始めたのを見越したように澁澤総理大臣は、全閣僚と英国連邦極東、ユーロピア共和国、台湾自治区と共に合同対策会議を開催した。
ちなみに各国から請われる形で‘‘アドバイザー‘‘としてマルス・アカデミー代表として美衣子と結も同席することとなり、その世話人として大月と西野ひかりも同席している。
英国連邦極東とユーロピア共和国首脳は、美衣子と結の個人的好意によりマルス文明技術を利用して開発した『どこへもドア』を一時的に借用して会議に参加していた。
美衣子と結の個人的好意は、両国がバレンタインデー前に新鮮な五島列島の朝どれイワシとカカオ豆の無償提供から生じたものだとの情報がNEWイワフネハウスに同居する東山首相補佐官からもたらされたが、発言直後に東山が謎の転送ミスで大分県の別府温泉へ片道転送された為、真偽は不明である。
日本国総理大臣澁澤太郎の方針は、是々非々の立場で宇宙国家『アース・ガルディア』に対応するものだった。
宇宙国家との国交樹立を原則とし、大使館設置や治外法権等は地球国際法に準じて対応する。
人道的観点から、物資供給は日本列島各国に影響が出ない範囲でのみ応じる。
技術供与については、軍事利用を除いた上で実用可能なもののみとする。
人員は派遣しない。留学生や政府組織レベルで人材交流、交換もしない。
火星アルテミュア大陸東海岸における独自コロニー建設は、列島各国首脳が集まる会議で協議する。
澁澤の方針は極めて現実的であり、ある意味「よそ者」に厳しい島国の国民性を裏打ちしている様に思えたが、同席していた美衣子が宇宙国家を強く警戒した事も影響している。
「もうすぐ火星に来る地球人集団は、日本列島への侵略者よ。
あの集団を纏める者が"最初に日本へ核ミサイルを発射した国"の人であることを忘れてはダメ!」
「彼らは地球の守護者と言っているけれどそれは、"自分のもの"だから護ると独善的に考えているから。みんなもっと警戒した方がいい」
美衣子の警告を聴いた英国連邦極東、ユーロピア共和国、台湾自治区は日本国政府と歩調を合わせることで方針を決めた。
この2か国と1地区は、日本国と政治・経済、文化、人材交流で既に深く結び付いており、宇宙国家という「紛い物」には魅力を感じていなかった。
火星における人類都市拡大や近い将来予想される地球復興に於いて、各国独自での着手が難しい状況下『極東米露情報機関による澁澤首相暗殺と日本政府転覆計画』に加担した所で、マルス人と親密に結び付いている日本国政府が転覆する見込みは皆無に等しいと、英国連邦極東政府内務省情報機関(通称極東MI6)から秘かに報告を受けていたことも影響していたのである。
――――――
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の主な登場人物】
・大月 満=総合商社角紅社員。
・西野 ひかり= 総合商社角紅社員。社長の孫娘。
・西野 美衣子=日本列島環境保護育成プログラム自律進化型人工知能。思念体、クローン体自由に入れ替わる事が出来る。
・鷹見 結=マルス人文明尖山基地管理修繕人工知能。
・澁澤 太郎=日本国総理大臣。
・岩崎 正宗=内閣官房長官。
・ミッチェル=極東アメリカ合衆国大統領。
・パノフ=極東ロシア連邦大統領。
・ケビン=英国連邦極東首相。
・ジャンヌ・シモン=ユーロピア共和国首相。
・王=台湾自治区代表。
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