第13話 審判の壁
2021年(令和3年)5月14日午前11時【東京都千代田区丸の内 総合商社角紅 本社人事部】
人事部の応接スペースで大月は総合流通営業部担当の人事課長補佐と向き合っていた。
「大月さんの先期実績ですが、自己申告課題に対し達成率38%・・・。
言い分をどうぞ」
ぞんざいな口調で「年下の課長補佐」が大月に説明を求めた。
「先期の課題が未達だったのは、他部署との連携、関連子会社の活用を怠った私の怠慢にあります。当部に課せられた「妥当な」目標にも関わらず、当社の経営に支障を与えてしまい、申し訳ございません」
大月は"ここ数年来と同じ口上"を繰り返した。
「大月さん、私達は別に大月さんにノルマを強要していません。あなたが上司と相談されて申告した目標です。にも拘らず未達と……。確かに力が及ばなかったのでしょうねぇ」
ニタリとしつつも体面上深刻そうな顔で課長補佐が言った。
「ご存知の通り、商社を取り巻く環境は年々厳しくなる一方です。目標も"少し高い"のかもしれませんが、大月さんがお持ちのキャリアなら出来ると我々は期待していました」
ワザとらしくため息をつく課長補佐に、感情の発露を必死に抑えて冷静さを取り繕う大月。
「……残念ですが、夏の賞与はあまり期待しない方がいいでしょう」
大月が応接スペースから出る寸前、課長補佐が言った。課長補佐の言葉を聞き流した大月は一礼して、今度こそ人事部から立ち去った。
「……嫌な役回りに、うだつの上がらないバブル世代の給料泥棒か。早く完全実力主義になって欲しいものだ」
外資系企業から転職してきた課長補佐はそう呟くと、上司に人件費削減目標の達成を報告した。
昼休み。腹の虫が収まらない大月は、食堂入り口で待ち構えていた西野ひかりの弁当提供申し出を断ると、屋上に在る緑地スペースでベンチに腰かけながら、ボケっと赤みがかった青空を見上げていた。
うっすらと赤みがかった青空の遥か上空を、幾つもの編隊が飛行機雲をたなびかせながら、北から西へ高速で飛び去って行く。
やがて鈍く連続した爆音が、大月の居る屋上まで響きわたる。
「おれはスーパーマンじゃないっつうの!」
飛行機の爆音に紛れて悪態をつく大月だった。
少し離れた木立の陰では、諦めきれない西野ひかりが弁当の入った巾着袋を握りしめながら、弁当アタックするタイミングを見計ろうとしたが、落胆した様子の大月に声を掛ける事が出来ないまま、諦めて仕事に戻ったので手作り弁当を渡す事は叶わなかった。
♰ ♰ ♰
2021年(令和3年)5月15日午前6時【長崎県 対馬市海栗島 航空自衛隊海栗島航空基地】
国境の島と言われる対馬本島北端にあるこの島全体は、南西方面航空隊航空基地として、自衛隊員しか入る事が出来ない。本島に隣接する島々は、橋梁やトンネルで接続されて自由に往来出来るが、海栗島だけはその対象外だった。
パズルの欠片に似た島の内海側中央に在る2500m級滑走路に、北海道千歳基地から日本海上空を飛行した、ラファール戦闘機編隊が次々と滑らかに着陸していく。
第二次朝鮮戦争直前、国連軍に参加する為にフランス本土から極東地域へ派遣されたフランス空軍1個戦闘飛行隊は、給油の為に立ち寄った際に日本列島の火星転移に巻き込まれ、今はユーロピア自治区に所属していた。
日本国政府はユーロピア自治区所属となった飛行隊の為に、対空警戒部隊のみが駐屯していた島の滑走路を拡張、『ユーロピア自治区空中治安部隊』本拠地として基地の大部分を低賃料で貸し出す事となっていた。
45度に後退したデルタ翼と機首付近に装備されたカナード(先尾翼)が特徴的な戦闘機は、滑走路の半分程に来ると減速して途中から並走する幅の狭いコースへ進入すると、新設された格納庫の手前で停止した。
停止したラファール戦闘機に待機していた整備兵のグループが近づくと、コックピットにタラップを取り付け、胴体下や主翼の整備点検作業に入る。やがてコックピットを覆うキャノピーが上がると、一人の女性操縦士がタラップに華奢な足をかけながら地上へ降りる。
整備に取り掛かっていた兵士達が手を止めてその場で敬礼する中、ヘルメットを脱いだ女性操縦士は答礼しながら、出迎えのジープに乗り込んだ。彼女を乗せたジープは直ぐに動きだすと自治区司令部が在る基地南端側へ向かう。
「お疲れ様です、ジャンヌ少佐。日本列島上空は如何でしたか?」
紺色スーツを着てジープを運転する20台後半の女性が尋ねる。
「……佐渡島の雪を被った山々と、赤い太陽が海に反射して輝く様は中々に壮観だったわ。モンブランでもあんな風景は拝めないわね」
ジャンヌ少佐が、蜂蜜色をしたストレートロングの髪を風にたなびかせながら爽やかに答える。
「……私は異常現象を起こしている空の状態を訊いたつもりだったのですが」
同じ蜂蜜色の髪をポニーテールに纏めた女性運転手がため息混じりに応える。
「もうっ。相変わらず姉さんはユーモアにかけるわね。あまり真面目に生きすぎると、出逢いが無いまま禿げていくだけよ?」
つまらないと言いたげに、頬を膨らませるジャンヌ少佐。
「乙女は簡単には禿げません!私はともかくとして、貴女はもう少し真面目に自治政府首相としての自覚を持つべきだわ。お隣の島に居るケビンを見習ったら?」
お転婆な行動に走りがちな妹に注意するジャンヌ姉。
「ケビンを見習えですって!?あんなタバコ臭い腐れ
目を見開いて抗議する妹ジャンヌ少佐。
「少なくとも、どっしり構えて日本列島に取り残された自国民と派遣艦隊を把握する手際の良さだけは見習うべきだと思うわ」
仕返しが出来たと心の中でニンマリと笑いながらも、涼しい顔で指摘するジャンヌ姉。
「……ぐぬぬ」
自覚していただけに、言い返す事が出来ず歯噛みする妹ジャンヌ少佐。
急逝した両親の跡を継いで政治家になる前、戦闘機パイロットだった空軍少佐の妹ジャンヌは、自治政府首相として執務する合間に部隊視察と称しては、気分転換がてら、しばしば戦闘機に乗り込んでいた。この為、若い兵士や日本マスコミには秘かに人気があったものの、在日商工会議所の老練な経営者達には眉を顰められている。
「……善処します。それで、上空の様子だったわね?上へ行くほど赤みが増して通信状態が悪くなるわね。搭載していた放射線センサーの警報音は高度を落とすまでずっと鳴り続けていたわ。それと、日本海の150kmから向こう側へは電波、レーザー共に届かないわ。まるで壁ね。後は、海中からのアプローチも必要だけど?」
話題を転換して、日本海上空の飛行結果を肩を竦めて伝える妹ジャンヌ。
「そっちはもうすぐ極東アメリカの空母と日本自衛隊の潜水艦が、太平洋側で調査を開始する予定よ」
答えるジャンヌ姉。
自治政府発足前に、東京で開かれた国際合同対策会議で決められた、日本列島を覆う隔絶空間調査が日本列島各地で行われていた。ユーロピア自治区は、英国連邦極東自治区と共に日本海側を調べる役割を担っている。
「さて、地上に戻って早々で悪いけど、自治政府首相の貴女に東京からの客人が来ているわよ?」
「ムッシュ澁澤とはさっき永田町で話したばかりだけど?」
はてなと首を傾げる妹ジャンヌ。
「政治家との交渉じゃないわよ。これから我がユーロピア自治区政府と東京の橋渡しをする日本首相官邸の担当者が着任の挨拶に来ているの。ヒガシヤマとか言う名前の若いイケメンよ?」
うっすらと悪戯っぽい笑みを浮かべるジャンヌ姉。
「なんですって!停めて!」
イケメンと聞くなり、ジープを停車させる妹ジャンヌ。
「すぐ行くからっ!っとと、待って!シャワーが先!15分だけ待って貰って頂戴!」
慌ててジープから飛び降りると、基居住区にある自室へ駆けていく妹ジャンヌ。
「……全く」
呆れてため息をついたジャンヌ姉は、それでも妹に先んじて東洋人のイケメンとのご対面にご機嫌になりながら、早めに自治区司令部へ着こうと再び走り出したジープのアクセルを踏み込むのだった。
♰ ♰ ♰
―――同日午前7時【千葉県九十九里浜市 房総半島沖90kmの太平洋】
太平洋上を日米連合艦隊が北上していた。
艦隊は駐留兵士達が『ジャッジメント・ウオール(審判の壁)』と呼ぶようになった、赤黒い電磁フィールドに数キロまで接近すると、その"壁沿い"を航行していた。
穏やかな海は青黒い黒潮らしい海流を見せていたが、艦隊上空は日本列島陸地と違い、審判の壁に沿って薄い茜色を纏った青空が広がっている。
日米連合艦隊の日本側旗艦『ひゅうが』の広大な直通甲板で、東南海大学海洋学部の岬渚紗教授が、潮風を浴びながら気持ち良さそうに背伸びをしていた。
「うーん、今日も爽快な寝覚めだぁ!」
「どうせならあと30分早起きしてラジオ体操に参加したらいかがです?空母『ロナルド・レーガン』では流行りのジャパニーズ・エクセサイズみたいですよ」
後ろから助手の大鳥が声を掛けた。
「もうすぐブリーフィングの時間です」
「ありがとう、『大島くん♪』」
岬教授がにぱっとイタズラっぽい笑みを浮かべる。
「私は大鳥です、"島"ではありません!何回目ですかそのネタは」
大鳥が背を向けて艦内に戻る。
「待ってよー大島っちー、親愛の表現なのだよー!」
岬は三つ編みのお下げをくるくる回しながら、身体も廻りながら、大鳥を追いかけた。
このやり取りは、艦隊が横須賀を出航してから毎朝の恒例行事となっていた。
♰ ♰ ♰
【「ひゅうが」ブリーフィングルーム】
岬と大鳥がブリーフィングルームに入るとほぼ全員が揃っていた。
「遅れて申し訳ありません。」
大鳥が謝る。
「大丈夫だ、まだ3分あります」
JAXAの天草理事長が苦笑して答える。
「岬先生、時間になりましたのでお願いします」
天草理事長が岬に合図を送る。
岬は先程までのぽやっとした表情をかなぐり捨てると、キリリとした顔で伊達眼鏡を掛けてノートパソコンを操作しながら、正面スクリーン前に進み出る。
これが、岬教授曰く『できる女』らしい。形から入る岬の性格らしい。
大鳥や天草は、既に突っ込むのをあきらめている。
「皆さんおはようございます!本日の調査は、審判の壁と海流・気流の関係です。何故、隔絶された空間内で大気と水の循環が行われているのか?それも、転移前と同じ条件下で。審判の壁の関与なくして考えられません!」
岬が力説する。
「午前中は私が潜水艦『そうりゅう』に乗って、海中から可能な限り、審判の壁に接近、潜水ドローンを使って海流の発生源を探ります」
『そうりゅう』艦長の名取大佐が頷く。
「午後は、空母『ロナルド・レーガン』から大鳥君が対潜ヘリに乗って、審判の壁沿いの至近距離で海上の気流と、海流調査ソナー"ジューク・ボックス"の投下、搭載戦闘機を使用して壁上方の放射宇宙線値を測定します。
戦闘機パイロットの皆さんが被曝しないように、出航時に私達が差し入れた、宇宙線遮断塗料をキャノピーに念入りに塗ってくださいねっ!測定値が少しでも、我が国の
岬が明るくウィンクする。
『ロナルド・レーガン』艦長のスティーブン大佐が苦笑しながら頷き、パイロット達からは小さな笑い声が上がった。
「ひとつひとつ焦らず、出来る事からやりましょう!安全第一でいきましょう!」
岬が締めくくってブリーフィングが終了した。
♰ ♰ ♰
―――【海上自衛隊潜水艦『そうりゅう』発令所】
名取大佐と岬教授がドローンの発射準備を見守っていた。
「艦首魚雷発射管、自律型潜水ドローン『おさかなくん』発射準備完了。デコイ発射口からも海流調査機『ぽにょ』射出準備完了」
ほんわかとしたドローンのネーミングに、心なしか発令所の隊員が笑いを堪えているように見えるが、岬教授は全く気付かないまま、
「では、いっちゃってください!」
と号令する。
副長が復唱に戸惑い、名取大佐をチラリと見るやいなや、
「ドローン発射!探索機射出!」
名取大佐が大きな声で命令した。
「アイアイサー、ドローン発射!探索機射出!」
ホッとした顔の副長が復唱する。
審判の壁に至近距離で艦首から流線型のドローン『おさかなくん』とデコイ型の探索機『ぽにょ』が射出された。『おさかなくん』は審判の壁に沿って海中を進みつつ、壁から発する放射宇宙線や、ドローンから壁へ向けた各種レーザーがもたらす分析データを『そうりゅう』に送り続けた。
『そうりゅう』からばら蒔かれた『ぽにょ』はゆらゆらと海中を漂いながら、海流に上手く乗り、更にはその源へ向かっていく。
♰ ♰ ♰
【極東アメリカ合衆国海軍 航空母艦『ロナルド・レーガン』】
広大な飛行甲板からスチームカタパルトで射出されたFA-18"スーパーホーネット"戦闘機と、SH-60F"オーシャン"対潜水艦ヘリの編隊は、審判の壁500mまで接近していた。
随伴しているホーネットは速度が違うため、何度も旋回を繰り返しながら、オーシャンヘリのガードと、審判の壁高空の放射宇宙線調査を行った。
『こちらアツギ1、審判の壁からの放射宇宙線は、日本の環境影響評価基準を下回っている』
ホーネット編隊長がオーシャンヘリに乗る大鳥に報告した。
「了解、アツギ1の勇気に敬意を。横須賀でたらふくバドワイザーを手配する。スイマー1から8は『ジュークボックス』を投下してください」
ホーネット編隊から歓声が上がる中、オーシャン対潜ヘリの編隊からペットボトルに似た透明な探索装置が降り注ぐように海上へとばら蒔かれていくのだった。
――――――
ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m
【このお話の登場人物】
・大月 満=総合商社角紅社員。
・西野ひかり=角紅社員。大月と同じ部署。
・ジャンヌ妹=ユーロピア自治区首相。
・ジャンヌ姉=ユーロピア自治区首相補佐官。
・
・大鳥=東南海大学海洋学部助教授。
・名取=海上自衛隊潜水艦『そうりゅう』艦長。大佐。
・スティーブン=極東アメリカ合衆国海軍航空母艦『ロナルド・レーガン』艦長。大佐。
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