第11話 対馬事変
西野ひかりの目の前に、ついさっきまで寝ていたパン屋を兼ねた自宅の屋根が崩れ落ちて瓦や家財道具、調理道具が散乱している光景が広がっている。
屋外は肌寒く、遠くでサイレンが鳴り響いている。
「おかん!おとん!大丈夫?」
早朝の暗闇にもかかわらず西野が、足元の瓦礫に向かって叫び続けていた。
地元商店街でパン屋を営む両親は、朝の仕込みで1階に居るはずだった。
西野は『2階」で寝ていたが、蒲団の下から突き上げられて目を覚ますと、自分が地面に滑り落ちた部屋から蒲団ごと投げ出されていることに気がついた。
奇跡的に無傷だった西野。
両隣の商店も倒壊しており、難を逃れた顔馴染みの住人達が各々の家族を探して瓦礫の中を動き回っていた。
女の子も、瓦礫の中から見つけた母のサンダルを履いて、必死になって瓦礫や家財道具を掻き分けながら、両親の名を叫び続けた。
しかし、瓦礫の中からの返事は聞こえなかった。
辺りには、ガスの匂いや切断された電線が火花を散らしながら放つ、ビニールが焦げたような匂いが立ち込め始めていた。
なす術も無く瓦礫に叫び続ける西野の背後から親戚が呼び掛ける。
「ひかりちゃん!もうあかん!はよ、逃げへんと!」
一緒に両親を探していた向かいの靴屋の叔父さんが西野に声をかける。
「まだおとんとおかんが居(お)らへんねん!」
西野は泣きながら答えた。
「分かったわ、ほな、おっちゃんが探しとくさかい、ひかりちゃんは先におばちゃんと避難しとき!」
叔父が西野を説得した。
西野ひかりは、叔母に連れられて瓦礫の山と化した商店街を何度も振り返りながら、近隣の中学校体育館に向かった。
商店街に住む人々が家族の安全と取引先の無事を確かめる為に、避難所や会社に向かう中、商店街の後ろにある長屋が密集する地区からは、不気味な大きな火の手が上がり始めていた。
体育館に避難した西野と叔母は、叔父がなかなか戻らないので心配になり、叔母が様子を見に行った。
避難した今も、時おり強い揺れを伴う余震が頻発していた。
体育館に置かれたテレビからは、NHKヘリが神戸市上空からの中継を伝えていた。
阪神高速道路の高架が延々と横倒しに続く映像から、住み慣れた商店街一帯が丸ごと大きな炎に包まれて空高く煙を上げる映像に変わると、映像を視ていた西野はしばらく呆然となり身体が固まった。
やがてその場にしゃがみ込むと、被っていた毛布に顔を埋めて体育座りになり、その場で声を押し殺して泣き続けた。
† † †
「ヒグッ」
泣きべそをかきながらベットから西野が起き上がる。西野が住むマンションの外は4月になったとは言え、朝晩は寒さが残っている。
両腕で寒さが残る肩を抱きかかえながら、出社に向けた身支度を整え始める西野だった。
大月との楽しい日々が続いていた半面、時折悪夢でうなされる夜のある西野だった。
† † †
大月満は久しぶりに、あの悪夢を視ていた。
入社3年目だった大月は朝が苦手にも関わらず、珍しく目覚めが早かった。もっとも、目覚めただけで、肌寒い空気に触れるのが億劫で、部屋の電気は点けたものの、そのまま蒲団の中でボーッと仰向けになっていたが。
しばらくすると、蒲団の真下がズシン、と突き上げられ、鉄筋コンクリート3階建、独身寮3階個室の部屋全体が揺れた気がした。
次の瞬間、部屋の電源が落ち、同時に個室のドアがバターンと大きな音を立てて勝手に廊下側へ開き、猛烈な横揺れが大月を襲った。
壁に備えられていた本棚に収められていた、前列の参考書から後ろに隠した先輩の秘蔵コレクションまで全てバサバサと床に落ちる中、鉄筋コンクリートで被われた部屋の壁がミシミシと音を立てるのを聴いて、「あ、俺死ぬんだな」と思いながら大月は、蒲団ごと為す術もなく畳の上を仰向けになったまま、横滑りしていた。
しばらくすると揺れは治まったが、電源は回復せず部屋は真っ暗だった。仕方無く起き上がって廊下を覗くと、小さく赤い非常灯が独身寮の薄暗い廊下を照らしていた。
大月が1階ロビーに降りると、寮の全員がロビーに集まっており、管理人の寮母が持ってきたラジオに耳を傾けていた。
『先ほど5時45分頃、強い地震が関西地方で感じられましたーー」
関東大震災が起きたと思った大月は横浜の実家に電話をかけると、直ぐに電話に出た母から、関西方面、神戸が震源らしいと伝えられた。
情報を得るべく、寮の全員が既に出勤の支度を始めていた。
大月も同僚や先輩たちに遅れまいと慌てて身体を動かそうとして―――
―――冷や汗で首や脇がぐっしょりと濡れた大月は目を覚ますと、いつもの様に小さなため息をつきながら、冷蔵庫の中からトマトジュース缶を取り出すと朝飯がわりに喉へ流し込んだ。
♰ ♰ ♰
2021年(令和3年)4月14日午前5時【東京都千代田区丸の内 総合商社「角紅」本店 総合流通営業部】
早朝にも関わらず、既に社員がぽつぽつと出入りする本店ビルに大月は出勤する。
総合流通営業部のフロアーも既に数人が出勤しており、商品の発送や、発注の準備に取りかかっていた。
大月は早足で自分の机に鞄を置くと、赤色の洒落たリボンでトッピングされたアクセサリが入った小箱を取り出して、隣にある西野の机片隅に目立たないようにそっと置くとそのまま食堂に向かった。
何だかんだと日頃から手弁当を振る舞う西野への感謝の気持ちだった。
新しく出来た火星の大気が宇宙から降り注ぐ放射線を遮る様になった為、屋外活動が可能となり国家非常事態宣言も解除されて2か月が過ぎ、日本国内外の政治経済状況は大きく変貌しつつあった。
国内では、食糧自給率の向上を至上命題として、過疎地の田畑が競うように整備され、その土地に合った農産物の生産が始まった。
また、棚田の様な生産効率が悪い場所でもLED照明を用いた室内水耕野菜プラントの構築等、最先端の農業技術が発揮された。
山間部でも、ニジマスや、ナマズ、チョウザメ等の養殖魚を各国専門家の指導のもと、訪日旅行者だった者を臨時雇用して人工飼育していた。
瀬戸内海の温暖な島々では、旧オーストラリア陸軍やカナダ軍、米国海兵隊で農家出身の兵士が経験を活かしてレモンやオリーブ、オレンジ、アーモンド等の農産物や頭数は少ないが、肉牛の飼育も始められた。
母国や帰属するコミュニティから引き離されて心細かった欧米・ロシアの兵士や旅行者はこの事業に「生き甲斐」を見出だして、積極的に参加した。
極東ロシア連邦は、日本の官民ファンド資金を利用して、北方4島の農地拡大や漁港の整備を行って、食糧増産に取り組んだ事によって、一大穀倉地帯となった。
また、手付かずの自然が多く残る国土は、日本人はもとより、極東欧米人に人気の観光保養地として著しい発展を遂げる事となる。
極東アメリカ合衆国は、行政サービスは日本流、治安維持は米軍主導で運営され、古き良きアメリカンスタイルの社会が再現され、観光客が大挙して訪問するようになった。
沖縄のハワイ、グアム化である。
観光収入の他に、強大な軍事力は有志任務部隊として、自衛隊と共に沿岸警備や、日本国重要施設の巡回、極東ロシア連邦国境付近に派遣され、巨額の派遣手当てが極東アメリカ合衆国軍に払い込まれ、在日米軍兵士の収入は倍増した。
日本国内の左翼や米軍基地反対派が、大いに気勢を上げて反対したものの、以前から活動家達のマークを完了していた日本国総務省国家公安委員会と、極東アメリカ合衆国の国家情報局(極東CIA)の連携によりあっさりと鎮圧された。
英国連邦極東の首都ダウニングタウン(旧ハウステンボス)は、連日関西方面の観光客が大挙して訪問し、活況を呈した。
空母クィーン・エリザベスに乗船する日本列島1周クルーズが募集されると、英国ブランドと豪華客船とはひと味違う趣を求めた各国富裕層の応募が殺到し、数百倍の抽選倍率となった。
観光収入は莫大なものとなり、空母クィーン・エリザベスとその随伴艦隊の燃料弾薬、所属兵士全員の衣食住を簡単に賄える程になった。
また、五島列島の一部地域が地元住民全員の同意を得て、日本政府支援のもと、主に英国、オーストラリア、カナダの兵士や、転移に巻き込まれた旅行者向けの住宅地として開発され、静かに過ごせる様に整備された。
ちなみに、五島列島で水揚げされた新鮮な海産物により、イギリス料理で有名なイワシパイが、地元民のアドバイスを経て、日本人の味覚に合った風味を完成させ、『普通においしいイワシパイ』、として日本国内で劇的なデビューを飾る事となる。
西野が喜んで購入し、大月に食べさせた(あーんさせたとも言う)のは言うまでもない。
いずれの国家も隔絶空間における運命共同体としての認識を持っていたので、日本国政府や地元住民との対立は生じなかった。
――――中国・朝鮮半島出身者を除いては。
2021年2月、自らの待遇に不満を持つ在留中国人、在日韓国・朝鮮人とそれを支援する日本国内の左翼政治団体等およそ5万人が「極東アジア共和国」の建国を宣言、長崎県対馬市中心部で市民2万人を人質に武装蜂起を行い、日本国からの独立と、先の大戦で行われたと主張する南京大虐殺や慰安婦問題の謝罪と賠償、対馬および九州地域の領土割譲を要求した。
時を同じくして、東京・大阪都内において、金融、交通管制システム、電力供給システムがサイバー攻撃を受けてダウン、都市機能が著しく低下した。
政府は東京都と『大阪都』に戦後2度目となる戒厳令を布告、自衛隊を治安出動させて事態の収拾にあたった。
対馬市では当初、長崎県警が容疑者達の検挙を試みたが、機動隊の装甲車両や監視ヘリコプターが武装勢力の携帯ミサイルで撃破された段階で警務執行を断念、警察庁は防衛出動を澁澤総理大臣に要請した。
日本国首相の澁澤は、極東アメリカ、極東ロシア、英国連邦極東、ユーロピア自治区、台湾自治区と協議を行い、武装勢力の要求を拒絶するとともに、隔絶空間に於ける運命共同体として、直ちに人質解放の上、武装解除して対馬市から退去するよう呼び掛けた。
数日間の膠着状態が過ぎ、武装勢力が対馬市民の処刑を始めたため、対馬を包囲していた自衛隊と各国の特殊作戦部隊が、米英空軍による精密空爆支援を受けて対馬市に強行突入し、4日間におよぶ激しい市街戦と掃討作戦の末、武装勢力を排除して対馬市を解放した。
対馬市内で確認された死者は、戦闘による戦死者の他、市街戦に巻き込まれたり、武装勢力による処刑、略奪の被害に遭った対馬市民を含め1万人を超え、負傷者は3万人を超えた。
投降した武装勢力は皮肉なことに、首謀者達を除く全員が、極東アメリカ合衆国の統治下になった『尖閣諸島』に収容され、厳重な監視下に置かれた。
島から逃亡を試みた一部の容疑者達は米軍海兵隊に射殺された。
武装勢力の首謀者達は東京に移送され、日本と各国の合同司法当局は綿密で容赦ない取り調べを行って訴追した。
彼らの大半は死刑判決を受け、死刑を免れた者は数百年を超える懲役刑を受けた。
判決に基づく執行は速やかに行われ、懲役刑の受刑者達は極東ロシア連邦施政管理下にある歯舞諸島の果てにある収容所に移送された。
逃亡を試みた者は駐留しているロシア軍特殊部隊に抹殺された。
対馬市占拠から解放に至るまでの10日間、日本や各国マスコミは澁澤の判断により、「ありのまま」の報道を許され、取材制限や検閲の措置は一切取られなかった。
その為しばしばショッキングな映像が日本や各国のテレビで流され、国民に大きな衝撃を与え、自由な情報公開について論争が起きた。
逆に印象操作や偏向的な報道を試みた一部のマスコミは視聴者の激しい怒りを買い、テレビ局や新聞社、スポンサーに苦情と抗議が殺到した。
結果的に、日本国内や各国、各自治区において、武力行使や死刑反対等の抗議行動は一切起きなかった。
この一連の事態は『対馬事変』と呼ばれ、日本と各国が空間運命共同体として結束を固めるきっかけともなったのである。
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