第5話 観測

2021年1月3日午前0時15分【茨城県 小美玉市百里 航空自衛隊百里基地 格納庫B】


 格納庫で待機していたRF4Eファントム偵察機の操縦席で高瀬少佐が目を醒ますと、広大な航空機格納庫内の全員が慌ただしく駆け回り、機体の点検や他の部署との連絡に追われていた。


 2時間ほど前にミサイル警報が発令された直後、眩いばかりの白光が上空から降り注いで基地内の全員は意識を失っていたが、先程から目を醒ました隊員達が状況の確認を始めている。


「少佐!機体に異常有りません!」

主翼や胴体下の点検を終えた整備班長が部下と共に操縦席の高瀬少佐に駆け寄ると報告する。


「指令室から直接電話です!」

何故か今日に限って背中に通信機を背負っていた整備隊員が、班長の背後に駆け寄ると通信機に繋がっている受話器を渡す。


 受話器を受け取ると、先ずは機体のコンディションを報告する高瀬。

「こちら高瀬!計器類全て正常!」


『よろしい、高瀬少佐。直ぐに上がってくれ。上空がおかしい---』

少し早口で発進を指示する指令室隊員。航空管制官も兼務していた隊員の声が若干高めなのは、緊張しているのだろうか?


「了解!直ちに上がります!」


 短く答えると受話器を整備隊員へ戻し、発進準備に入る高瀬。すぐ傍にいた整備班長は牽引車を作動させると、偵察機のエンジンを起動させる為のスイッチを入れる。


「今から高瀬機を滑走路に出す!みんな離れろ!」

牽引車から大音量にしたスピーカーで退避を呼び掛ける整備班長。


 やがて巨大な格納庫の扉が開くと、牽引車両に引かれて滑走路へ移動していくRF4E偵察機。いつもならば、漆黒の帳の中を発進位置まで粛々と進むのだが、今は上空からうっすらと差す赤い光に機体が照らされている。


「……確かに、おかしいな」

まだキャノピーを開けていた操縦席から、赤い夜空を見上げて呟く高瀬。


 牽引車に引かれたRF4E偵察機が滑走路上の発進位置に到着する。

 既に起動していたダグラス社製双発エンジンがアフターバーナーを出して轟音を立て始めると、機体が自力で滑走を始める。


『風速、東2.3、滑走路クリアー。通信状態が相当悪い、レーザー通信も準備せよ』


「ラジャ。レーザー発信モードにシフト。高瀬機、発進する!」

管制に短く応えると、スロットルを最大にする高瀬。


 滑走を始めていた機体が更にグングンと加速すると、機体に集まった夜露を後ろへ噴き飛ばしていく。機首を上げた瞬間、フワリと飛び上がる。


「テイクオフ!」

『高瀬機、高度3000まで上がれ、幸運を祈る』


 ようやく混乱の始まった地上から飛び立ったRF4E偵察機は、赤い夜空へ向けて真っ直ぐに上昇していくのだった。

 

         ♰        ♰         ♰


---同午前0時30分【茨城県大洗町沖 70kmの太平洋上】


 高度30000フィートの太平洋上を北へ向かうRF4Eファントム偵察機に搭乗する高瀬翼少佐は、特別に黒く塗りつぶされたキャノピーに覆われたコクピットの中で冷静に各種観測任務を続けていた。


「……赤い空。こんな空域でオーロラを視るのは初めてだ」

計器類の操作を一通り終えた高瀬が、機外カメラが映す赤い空にゆらゆらと立ち昇るオーロラを視て思わず呟く。


『コントロールからヤタガラスへ。電離層異常の為、無線通信が不安定。これより筑波の技研を経由したレーザー通信に切り替える』

ノイズの激しい通信機から慌ただしく指示が飛ぶ。


「ラジャ。こちらヤタガラス、無線通信停止。レーザーダイレクト回線開放」

『良く聴こえる、ヤタガラス。針路02、高度そのまま。巡航速度維持せよ』


 北へ飛行していたRF4E偵察機は僅かに針路を北東へ向ける。


『OK、ヤタガラス。これより空域の安全を確認する。索敵レーダー、各種レーザーで針路前方を探れ!』

「ラジャ。索敵レーダー、赤外線レーザー、炭素レーザーを照射する」


 赤い高空を飛ぶRF4E偵察機から、赤や緑の糸状の線が針路前方に伸びていく。


「なんだっ!?ヤタガラスからコントロール!

 各レーザー、レーダー、前方130kmでブロックされた!」

高瀬が緊張した声で報告する。


『了解。針路反転、南西へ向かえ』


「ヤタガラス、ラジャ」


 RF4E偵察機は、翼を翻して今度は日本列島に沿って南下していく。


『こちらコントロール、ヤタガラスの針路を確認した。

 地上撮影カメラを最大望遠モードにセットせよ』


「ヤタガラス、最大望遠モードにセット完了」


『こちらコントロール、そのままの針路で超音速背面飛行を5分継続せよ』


「...こちらヤタガラス、耳が遠くなった。もう一度指示を頼む」


 通常、こうした操縦士の返答はコントローラーに向けた明らかな抗命行為に等しく、懲罰モノである。


 しかし、今度は管制官とは違う声が出る。

『こちらジェネラル。馬鹿げた指示だと私も思う。だが、今我が国で宇宙を視れるものは貴官以外に誰もいないのだ』


 航空幕僚長自ら通信に応じた事に、高瀬少佐は事態の深刻さを認識した。


「ヤタガラス、失礼しました。これより任務遂行する」


 RF4E偵察機は、アクロバット飛行さながらの背面姿勢をとりながら、マッハ1.5を超える超音速で日本列島与那国島南端まで天空の撮影を行った。


 デジタル撮影された映像は、直ちに市ヶ谷の防衛省統合幕僚本部と府中の航空総隊司令部に自動送信された。


 30分後、高瀬は無事、百里基地に帰還した。まだ暗いので分からないが、離陸前に施されていた美しい塗装は焼け焦げて跡形もなく、機体からはうっすらと白煙が上がっていた。

 消火に駆け付けた整備員が放水しつつ作業用ドローンのセンサーで機体を計測したところ、地球上では考えられない高レベルの各種有害宇宙線が検出され、整備員は直ちに滑走路から退避すると、被曝有無を調べる為にそのまま自衛隊中央病院へ直行させられた。


 ヘルメットで分からないが、熱でのぼせたような、やや赤く膨れ上がった顔に気付かないまま、高瀬はコクピットから出ると、あっという間に白い放射線防護服に包まれた化学部隊隊員に担がれてストレッチャーに乗せられ、大急ぎで自衛隊中央病院へ搬送された。


 自衛隊救急車の中で高瀬は激しい嘔吐を繰り返し、病院到着時には意識不明となっていた。

 高瀬は、致死量に近い放射線を1度に浴びて急性放射線被曝を発症しており、集中治療室で化学学校教官達の懸命な治療を受け、辛うじて一命を取り止めた。


 高瀬の被曝を知った航空幕僚長と管制官は翌朝、辞表を提出したが、それぞれの上官に一喝され、受理されなかった。


 高瀬が命懸けで撮影した映像と観測データを解析した防衛省統合幕僚監部・JAXAは、その内容に驚愕するのだった。



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ここまで読んで頂き、ありがとうございましたm(__)m


【このお話の登場人物】


高瀬たかせ つばさ=航空自衛隊 偵察機操縦士。少佐(*)。


*自衛隊員階級呼称について、作中では第2次朝鮮戦争直前に国連軍参加を想定した政府が防衛省令改正を断行、呼称が変更された事にしています。

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