ブラックアウト-04
人がいて、動いている。その事実は本来喜ぶべきものかもしれない。選別の上で、摩天楼に暮らす同胞となる人間であると、考えるべきだったのかもしれない。けれど、その瞬間江本が考えを巡らせたのは、その場の誰にも死人を出さない、そのために必要な方策だった。
「前へ。家を包囲しろ」
端的な言葉で物音を立てずするりと行動を開始する警邏隊の動きは、訓練された人のそれというにも違和感があるが、この際彼らが人間でない方が都合が良い。
人間よりも安価に代替の効く部品でできた機械は、未だ人間よりも価値が劣るものとされている。
「シバ、後ろついて来い」
何事か、という顔をして困惑する若手に一声、発破をかけて、江本は右手に通信端末を、左手に支給のハンドガンを持った。柴原の方も、同じようにと真似をする脳みそは残っていたらしい。が、ブーツの角で、脛を小突いてやる。
「おい右利き」
緊張しているのだろう。荒事の現場は数あれど、どれも門の内側でのことだ。怖い、とこぼしていたように、そしてつい先ほど江本が語ったように、ここは門の外側。壁の外に最も近い場所であり、「アレ」が入ってくるのなら間違いなく通過するだろう場所だった。
警邏隊には、暗視用の装備や熱源感知用の装備が支給されているとは聞いている。もしもその「アレ」が不可視なら――
「退避許可を」
聞きなれない声だと思ってみたが、そのはずだ。警邏隊の一人が声を張り上げているようだった。人間の声。退避したい?許可を取らなければならないような些事なのか、それとも「大事だからこそ判断を仰ぐ」よう訓練されているのか。
被害を最小限に抑えるうえで、想定すべき事態は明らかだった。江本は補聴器に偽装して耳に仕込んだインカムの発信音量を最大にする。
「退避、各々死なない位置を判断しろ」
返事はないが、警邏隊が動くのが見えた。
彼らは一様に、包囲体勢に入っていた例のぼろ家から放射状に距離を取る。まるでそこが、爆発するとでも言うかのような動きだった。
柴原が自分のすぐ後ろについていることを確認し、江本は再度インカムに声を入れる。
「状況説明ができる奴はいるか」
またも、返事はない。
代わりに、爆発音があった。
轟音の割に地鳴りはなく、煙のひとすじも上らず、おまけに木材やそのほかの、例えば最悪肉などの燃える臭いもしない。爆風もなかった。ただ音に驚いて一瞬目を瞑り身構えた、その瞬間に、家の外観がまるきり炭のようになっていた。
恐る恐るといった風に、江本を伺う柴原の視線とかち合う。見たか、と問うようだったが、目を瞑っていた、と答えるとあからさまに安堵したような雰囲気になる。
この場において「自分だけが無能だとしたら叱られるのでは」などと考えているのなら、あとでこっぴどく叱ってやらなくてはならない。
溜息を一つ。真っ黒で、炭の艶やかな表面とは異なりわずかの光も反射していないようなぼろ家の表面を眺めた。インカムからは相変わらず返事がないが、通信が途切れた時の厭なノイズとか、断末魔とか、悲鳴とかは聞こえていないから、全員生きているものと判断する。
実際に「ヤバいの」を目撃すると、どうしていいか分からなくなるものだ。ひとりごちた。
よく晴れた空に、さわやかな風の吹き抜ける草原、と言って差し支えない景色の中。ひとつだけ、幼子が癇癪を起し、世界一真っ黒い絵の具を使って塗りつぶしたかのような異彩を放つその家を前に、江本は端末のショートカットに入れさせられた本部の番号を呼び出し、コールする。
「現在地壁内廿一区画、ほぼ中央。住人ありと思われる民家を発見。警邏隊により包囲を試みたところ不可解な爆発音あり、その後民家が真っ黒に――」
他人に説明をする、というのは己の理解を促進するうえでも重要なことである、というのはこの場に限った話ではないが、本部窓口の無音に向って、江本は現状の説明を二度繰り返した。途中挟まれた電子音声の質問に答え――特に家の「黒さ」について執拗に聞かれたので時間を食った――、規定の手続きを済ますまでに、柴原もどうやら少しは落ち着いたらしい。
「走るぞ。スられた財布に罰金は嫌だろ」
あの時雨戸を閉めた手が、被害者市民様の手でないことを祈る。増援は本部の、特に江本の説明に対して質問を打ち込んだ人間の判断次第だ。はなから期待などするべきではないし、この場の最善手は間違いなく人間にも懐にも被害を出さないことだった。
柴原の声が、インカム越しに聞こえる。
「警邏隊の皆さんは、突入経路の確保をお願いします」
そういえばこいつにもインカムを渡していたんだった、という気付きと、訓練通りならやればできるじゃないの、という感心が緊張をほぐす。
おまけに、柴原の声は走りながら発されているとは思えないほどに張りがあって、安定していた。歳の差をしみじみと感じる。くだらないことを考える余裕が持てたのは僥倖だが、ごく短距離を走っただけで息が上がるのは勘弁してほしい。
シャツがじっとりと張り付いて、気持ちが悪い。ついでに頬にも髪が張り付いて、不快極まりない。風が吹いた時は気を遣っていたからよかったものの、走っている最中にそんな器用なことができるわけがない。口に入った髪を指でひっかけて吐き出しながら、呟く。世の中はクソだ。
真面目な先輩のフリもする。
頼れる上司のフリもする。
デキるサボり魔のフリだってする。
だが、汗をかくのなんて香辛料をたっぷり使った鍋以外ではありえない。さっさと自殺の証拠でも見つけて、家に帰ってシャワーを浴びて、肉屋の美人とくだらない話でもして、飯を食って寝たい。
目の前にそびえたつ、真っ黒な家。理解どころか、想像の範疇にさえ片脚も突っ込んでくれない鉄面皮――というより炭面皮――を睨みつけ、江本は溜息を吐いた。仕方がない。こんなものを相手にして、早く帰れるはずがないのだ。
「早く帰った方がいい。ここに人間はいない」
耳元の低い声に振り向くが、そこには他とまったく同じ、草原というべき光景が広がっているばかりだった。
インカムにノイズがはしる。
「内部熱源なし。どこからでも侵入可と思われます」
手際のいい報告、何かあったのかと不安げな柴原の垂れた眉。江本は一瞬の幻聴に耳を貸さず、それらを優先することにする。幻聴と違って、こちらには実体もある。誰も咎めないというのに言い訳ばかり捗るのは、罪悪感のせいだろう。
ついでに、どこからでも入れる、と言われれば、一応玄関から入っておこうと思うくらいの良識もある。「玄関ドアは見つかるか。あればそこから行く」とインカム越しに伝え、先行しそうになった柴原の腕をつかんだ。
「シバ、まだだ」
大人しく背後についた柴原と、家の外周を見ながらゆっくり歩く。光を反射しないせい――かどうかは分からないが――で真っ黒なそこは、壁面の凹凸すら判断しかねるほどだった。
あの瞬間に手が伸びて、雨戸を閉めていたであろう窓だけはかろうじて分かる。玄関は、そこからどの程度離れていたか。
記憶を頼りに場所を探り出そうとした江本とは異なり、備品の充実した彼らは何等か別の方法で、手っ取り早く事態を解決した。インカムから聞こえた場所に向かい、彼らが開けた扉に、彼らの後に従って入る。
部屋の中も真っ黒だったが、異様に白いものがひとつ、転がっていた。先行していた者の、追いついた者の視線が皆一度その白を見て、判断を迫るように江本を見た。
本部へコール。
「救急要請。さっきの事案で被害市民を発見した。急ぎ寄越してくれ」
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