鶏口とならず牛後となれ

南 太陽

僕はいつあのころ観ていた大人になれるのか

 「鶏口となるも牛後となるなかれ」

 物心ついたときには知っていた諺だからいつどこで聞いたのかも分からない.でもだからこそ僕はこの諺を心にとめて今まで生きてきた.今も目立つ柄でもない僕はいわゆる「一軍」には無理して属したりせず,休み時間も静かに過ごしていた.馬鹿みたいに騒いでいる奴らをどこかで見下しながら.


 「中島!進路調査書を提出していないのはお前だけだぞ.」

 悪びれもせず遅刻してくる同じクラスのやつが校門に入ってくるのを窓からぼんやりと見ていた僕は担任の坂本の声にしばらく気づかなかった.もうみんなは進路を決めているのか.大人なんてまだまだ先のことだと思っていたが,もう18歳.子供のころは18歳といえばもう少ししっかりしている印象だったが,いざ自分がなってみるとこんなものなのか.意外とまだまだ子供だな.僕はこの先どうすればいいのか.就職?進学?

 「すいません,今週中には提出します.」

とりあえずそれだけ言ってその場は乗り切った.偉そうにしているお前はほんとに教師になりたくてなったのか?それにしかなれなかったのに偉そうにしていないか?無性にイライラする.


 放課後も家に帰っても僕には居場所がない,両親は仲が悪いし,兄ちゃんは自分の部屋に引きこもって一日中ゲームをしている.だから僕はいつも帰り道の大型スーパーで時間をつぶす.もちろん誰かと一緒に遊ぶなんて「奴ら」みたいなことはしない.こんなむしゃくしゃした日には「節約」するのがスッキリする.僕は周りを見渡し,誰もいないことを確認すると手に持ったお菓子を袖の内側に入れ込み,歩きながらポケットに移した.今日も華麗な手さばきで「節約」できた.我ながらさすがだ.そろそろ帰ろうと店を出ようとしたとき,大柄の男に声をかけられた.

 「はい,アウト」

頭が追いつくまでそう長くはかからなかった.とうとう捕まったか.反省しているふりをし,ウソ泣きしながら謝罪の言葉と警察には言わないでほしいという旨を伝えた.よっぽど演技がうまかったのか店員はこちらの願い通り学校にも警察にも言わないでいてくれた.ただこのまま帰すにはいかないということで親には連絡された.本当にめんどくさい奴らだ.しばらくすると,泣きながら両親が僕のいる店のバックヤードに入ってきた.おそらく僕みたいな子どもを育てたということで自分が責められるのが怖くて泣いているのだろう.むしゃくしゃさせているお前らが悪いんじゃないのか.自業自得だ.両親に連れられて店を出るとき,クラスメイトとすれ違った.僕はとっさに目をそらし,明日なぜ昨日両親といたのか聞かれたときの回答を考えた.


 結局受験したほうがいいのかな.自分の部屋にこもりふと考えに耽る.担任も僕を捕まえた男も僕の対応をした店員も,そして両親も僕があのころ観ていた大人とは程遠い気がする.なんか夢を諦めて妥協でそれにしかなれなかったように感じる.僕はあの頃の大人になりたい.おそらくそのためには受験して一流大学に行くしかないのではないか.だから,今は得意の演技で両親に媚びへつらい授業料を出してもらい大学に行くのがいいのだろう.もちろん大学を卒業して就職してあの頃の大人になったら,両親などどうでもいい.今だけの辛抱だ.明日,大学に進学する旨を「夢破れた」坂本に伝えることにする.


 「お前には難しいかもしれないぞ.」

 坂本は言う.確かに今の偏差値じゃ一流大学は難しいかもしれない.だが,お前みたいな奴に言われたくはない.「諦めたらそこで試合終了」なんだ.僕の才能は僕が一番わかっているし,確実にお前よりは秀でている.

 「黙ってみていてください.」

僕ははっきりと言い返した.いつも静かな僕が大きな声で言い返したことに一瞬驚いた坂本の顔を僕は気づいていた.ネットで評判のいい参考書を探して帰り道に買って帰ろう.


 放課後,僕は大型スーパーを横目にまっすぐ家に帰った.夜ご飯を食べながら

 「僕,大学行くから.」

と言った.母は僕がそのまま就職すると思っていたのだろうか.3秒ほど沈黙があった後,

 「あ,そう.わかった.」

とそっけない返事をした.思えばしばらく会話をしていなかったが,やっぱり僕の嫌いな母親のままだ.食べ終わると僕は自分の部屋に閉じこもり,買ってきた参考書を広げた.ネットで評判の良かった参考書.僕はこれをやりつくすことを心に誓った.僕が決めたやり方はこうだ.まず,それぞれの参考書が何ページあるのかを確かめる.次に何日で一周するのかを決める.ページ数を日数で割ることで一日に何ページやるかを決め,それに従って進めていく.一周終わったら同じように何周も繰り返す.予定を立てて進めることで一日当たりの負担は少なく,着実に進めていくことができるのでこのやり方は僕には合っていた.


 下から数えたほうが早かった僕の成績は次の模試では上位に入っていた.小ばかにしていた坂本の態度もずいぶん変わったように思えた.両親もこの結果には喜んでいた.やはり親も自分の子の成績が上がったら嬉しいんだ.まあそりゃそうか.そんな子を育てた自分の鼻が高いもんな.受験まであと半年.こんな奴らみたいにならないように頑張らなければ.


 夏.夏は嫌いだ.ただでさえ暑くてイライラしているのにそれだけじゃなく高校の教師たちも「夏は受験の天王山」だとか言って熱血感を出してくる.

「お前らは失敗した側だろうが.」

その言葉を押し殺して蒸し暑い教室でペンを握る。ただひたすら何か書く。じっとしていたら何かに置いて行かれそうだから。もしかしたらその何かが「大人」というものなのかもしれない。


 僕はいつあのころ観ていた「大人」になれるのだろうか。このまま突き進んでいけばなれるのだろうか。もしかしたらまわりの大人たちも僕の今の年齢のころ同じ事を考えていたかもしれない。もしかしたら僕が一番「こども」なのかもしれない。こどもじゃやだ。一番下でもいいから「大人」になりたい。


「牛後となるも鶏口となるなかれ」


 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鶏口とならず牛後となれ 南 太陽 @kenjihayomuyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ