エピローグ ここに立つ理由

 数時間を経て、日本ISC研究所第一支部とその周辺が制圧され、安全が確保された。自衛隊の部隊が運搬拠点から地下を移動し、佑一達を見付けた。

鐘ヶ江高校の生徒は保護され、佑一と梨絵とは別行動になった。二人はすぐ自衛隊の研究所に搬送された。

 検査入院と言う名目の世間からの隔離。増強剤も使用したことで入念な検査をされることになった。佑一自身、投薬回数の限界を超えて使ったのだから仕方ないと思った。

 状態に異常なしと検査結果が出て、自衛隊病院に移された。動ける状態ではあるが、まだ安静にする必要があった。

「元気そうだな」

「藤村さん」

 藤村が見舞いにやってきた。見舞いの品を置き、簡易イスを引っ張ってベッドの隣に腰を下ろした。

「研究所にいた職員は全員、行方不明だ。おそらく【NE】に食い尽くされたと見て間違いない」

「実験に使っていた【NE】に、ですか」

「ああ。それに、郊外や街中に出現したマザー級【NE】を調査した結果、研究所が保有する実験体であることも判明した。身内で処理しようとして急ぎ、万全を怠った結果に警戒網をすり抜けられた。ISCの責任は重大だ」

「それにしてはマスコミや世間は静かですね」

 ピシャリとした佑一の意見に、藤村は疲労を見せて珍しく溜め息を漏らした。

「いくら証拠を集めようが、ISCのガードは硬い。それに今回はエクシードプランが深く関わっている。表沙汰になることを避けるよう、各国からの圧力が強い」

「エクシードプラン推進派ですね。ロシアや中国あたりですか」

「中東やアフリカ諸国からもだ。あちらは【NE】との主戦場の一つだからな。それに、ISCとの契約で【NE】捕獲も請け負っている。その資金源を失いたいくないのだろう。結局、責任追及はほとんど成果がない」

「酷い結果だ」

「ということもない。我々、自衛隊と一部の政治家を交えてISCと交渉した」

「どんな交渉を?」

「情報提供並びに協力体制の強化。まぁ、これは口先だけかもしれん。本題は佑一と梨絵のことだ」

「自分達ですか?」

。二人の情報一切を削除、破棄すること。二人を自衛隊管理下として所有することを条件に、ISCと手を打った。自衛隊の所属ならまだ融通がきくだろう。弊害は出るが出来る。彼女も、だ」

「梨絵は、今まで通りにできるんですか?」

「ああ」

 藤村は佑一の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「新たな任務を伝える。野崎二等陸尉と協同して梨絵の担当をしてもらう。同時に、鐘ヶ江高校の人材育成任務の続行を命令する。……これぐらいしてやれないと、お前に申し訳がない」

「そんなことはありません。ありがとうございます」

「充分に休息をとることだ。退院すれば、前以上に忙しくなる」

「喜んで」

「あと、これを」

 藤村が渡したのはフルーツ盛り合わせが入った籠。

「藤村さんからは珍しいですね」

「違う」

「部隊の人達ですか?」

「違う。鐘ヶ江高校からだ。寺井を通じて、渡してほしいと頼まれた。これから里林梨絵にも届ける」

 籠の中から見つけた手紙を見つけた。栞や真由、部隊生徒からの手紙だった。早く復帰するようにと書いていた。それを見て、自然と笑みがこぼれていた。


                 ◇


 退院して、少ない荷物を持った佑一は自宅に戻った。

 戻った佑一は荷物を片付ける前に、作業机の引き出しを漁った。書類などを取り出し、その奥に入れていた物を引っ張り出した。

 それは両親の写真だった。悠介と美佳、幼い自分が写った写真。他にもあった筈だが、今はこれしか見付けられなかった。例え夢でも、あの時の温もりは忘れない。二人の記憶も、細かいところまでずっと忘れない。もう二度とこない記憶なのだから、思い出としてずっと覚えていよう。佑一は胸に刻み、写真を作業台に置いた。

 落ち着いたら他の写真も探そう。予定の時間が迫っていた。荷物を片付けていた時、携帯電話に着信がきた。知らない番号だった。

「もしもし」

『……三上佑一さん、ですか?』

 声の主に、聞き覚えがあった。

「はい」

『近藤綾子です……』


                 ◇


 習志野駐屯地にある研究所。佑一は近藤と一緒に、研究所の中庭が見える離れた場所にいた。

 彼女が電話してきた理由。

 梨絵が見たい、と。

「本当にいいんですか? こんな遠くからで」

「あの子が見れればいいんです。それに、会っても……」

 なんて言えばいいのかわからかった。

 私が貴方を捨てた母親なんです。そんなことを言っても梨絵は理解は出来ないし、そもそも近藤が母親だということすらわからないのだから。

 なにより、怖かった。

 中庭に、野崎と一緒に梨絵が出てきた。白い検査衣を着ていた梨絵は、太陽の眩しさを手で遮りながら空を見上げる。穏やかな風で白い長髪が靡く。

「…………生きてた。生きてた……! 良かった、本当に、良かった……!」

 姿形は変わってしまった。髪の色も、瞳の色も、肌の白さも。それでも近藤は一目で梨絵だとわかった。近藤は口元を覆い、涙が溢れ、耐えきれずその場で蹲った。

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……あああああぁぁ……!」

 生きていたという安堵と、捨ててしまったことへの罪悪感に挟まれ、近藤は嗚咽を漏らす。

 佑一がそっと肩に手を置き、ようやく落ち着きを取り戻した近藤の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。駐屯地の入口まで送る。遠くに白いSUVが停まっており、彼女の再婚相手だとわかった。

「今日は、ありがとうございました……」

「梨絵に会わなくて、本当に良かったのですか?」

「私はもう、梨絵に会う資格はありません。名前を呼ぶことすら許されないことをしてしまった……。それに、本当は怖いんです。覚えていて、怒ってくることも。覚えていなくて、なにも反応がないことも……」

「……彼女を産んで、どう思いましたか?」

 意地の悪い質問だということはわかっていた。それでも、佑一は知りたかった。

 近藤は顔を俯かせながら、それでも、はっきりと答えた。

「嬉しかった。この子が私の子供なんだって。生まれてきてくれてありがとう、って。周りから厳しいことを言われましたけど、妊娠がわかって、とても嬉しかった。……それなのに、私は梨絵を捨ててしまった。母親とは呼べません」

「……貴方は」

 佑一は静かに口を開く。

「梨絵のことを覚えていた。罪悪感で押し潰されそうになっていた。ですから、あまり悲観しないでください。あの時の選択は、追い詰められていた貴方では仕方なかった。貴方は確かに母親です」

「…………はい」

「どうかお元気で」

「……ありがとう、ございました」


                 ◇


 近藤を見送り、佑一は研究所へ歩き出す。

 歩いている間、あの時を思い出す。夢の世界で感じた優しさは、今でも鮮明の覚えている。

 父と母の表情を。生活を。言葉も表情も、抱き締めた感触も。

 全てなくなってしまったとしても、佑一は覚えていた。これからもずっと、覚え続けていくだろう。

 中庭で空を見上げ続ける梨絵に声をかけた。

「梨絵」

「佑一」

 呼ばれて振り向き、また空を見上げる。

「熱い。眩しい。こんなこと思わなかったのに、こんな身近にあったのに、私はなにも知らなかった。生きている実感がわかる。私はここにいる。佑一の為にここに立っているんだってわかる」

「そうか」

「ねぇ、佑一」

「なんだ」

「私は、私のことを思い出せない。昔の佑一のことも思い出せない。思い出したくないことでいっぱいなんだけど、思い出したい。だけど、やっぱり思い出せないの。私は私がわからない。いつ全部忘れて、皆のことを殺そうとするのかもわからない。怖い。それでも──」

 梨絵は佑一を見つめる。

「佑一は、一緒にいてくれる? 私を殺してくれるの?」

「ああ。梨絵と一緒にいる。わからなくとも、梨絵は梨絵だ」

「そっか。嬉しい」

 佑一が梨絵を梨絵として見続ける限り、彼女が生きる意味を失うことはない。

 梨絵が生きる理由。

 梨絵が戦う理由。

 三上佑一という存在の為に、脆い少女は脆い刃と成ることを決めた。

「二人とも、そろそろ検査の時間よ。暑くなってきたから、終わったら冷たい物でも食べましょう」

 野崎が時間を告げる。

「戻ろうか」

「うん」

 二人は一緒に研究所に向かう。日差しが強い。肌が熱くなり、夏本番の暑さになってきた。生きている実感がある。隣を歩く梨絵も、同じことを思った。

 野崎の後を追う梨絵の後姿は、可憐で、強く抱きしめたら折れてしまいそうなほどに華奢だった。白い髪と肌は透き通っていて、今では不気味ではなく神秘的にさえ見えた。見惚れるほどに、美しく見えた。

「どうしたの?」

「いや。なんでもない」

 振り返った梨絵の瞳は淡く金に輝き、奇跡が存在しているようだった。

 梨絵の隣を歩き、佑一は思う。

 このまま自分として死ねることを信じて。





 それでも、願わくば──

 梨絵に多くの幸福が訪れますように、と小さく祈った。

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エクシード・リーゾンディティール 雪將タスク @tasuku_yukihata

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