第九章  Mater(母なるもの)

【NE】の唸り声が聞こえてくる。

 アサルトライフルのマガジンは残り三本。拳銃は三本。ショットガンは二六発。タクティカルトマホークが一本に、ナイフが一本。閃光手榴弾は使い切り、煙幕や手榴弾はない。

 走ってくる無数の【NE】。形態は今までとは異なり、どちらかといえば人型に似ていた。

 姿が見え、佑一はアサルトライフルの引き金を引く。単発で、確実に頭部に撃ち込む。

 それでも数の暴力に適わず接近を許した。アサルトライフルからショットガンに持ち替えて発砲。スラグ弾で【NE】の顔を吹き飛ばす。接近戦では絶大な破壊力を誇る武器だが、銃は必ず弾切れを起こす。いずれは【NE】に囲まれる。

 ──限界か。

 後退しながら悟り、増強剤を取り出して薬品を投与する。瞬間、体の変化を一瞬で感じる。肉体構造が変化していく感覚、精神が変化していく感覚。

 黒い波によって覆い尽されていく感覚。

 弾切れになって、一斉に【NE】が襲いかかる。

「舐めるな、クソ野郎」

 増強剤の影響で性格にも変化が現れ、口調が荒くなっていた。銃を手放し、タクティカルトマホークに持ち替え、次々と【NE】を流れるように切断し続けた。

 ものの数分。あっという間に【NE】の死骸の山が出来上がってしまった。佑一は呼吸を乱してすらいない。血振りしてタクティカルシースに片付ける。アサルトライフルを拾って撃てるか確認する。ショットガンを拾い、ショットシェルを素早く装填した。

 液状化しないことを見て、チルドレン級【NE】だとわかった。ということは、この親はまだ出てきていない。その親は、佑一が考えているものかはまだわからない。

【NE】の声が聞こえる。足音が近付いてくる。それなのに、頭の中に囁きのようなノイズが響いていた。優しい囁きだった。

 舌打ちし、アサルトライフルを構える。【NE】の第二波はすぐ訪れた。


                 ◇


 運搬用エレベーターがゆっくりと地上に昇っていく間、鐘ヶ江高校の面々は一言も話さなかった。地上に着き、アナウンスの後に内扉が開いた。外扉の格子ドアを開け、警戒しながらエレベーターから出る。通路には行き先が表示されていて『第三集荷場所』と記されている。ここは運搬拠点の中だということは明白だった。

【NE】の姿は見えないが警戒して進む。ひらけた場所に出た。集荷場は多くの車が入れられるような広さで、外に繋がる入口は重い電動シャッターで塞がれていた。電動シャッターの電源は落ちて動かなかった。手動に切り替えてもロックがかかったままで、持ち上げようにも重過ぎて上がらなかった。

 事務室があり、そこから外に出ることはできそうだが、窓から【NE】の群れがいるのが見えた。それ以外の出入口はなく、部隊は静かにしていた。栞は事務室に部隊を集める。

「弾薬と装備の確認を。警戒を怠らないで待機」

「……ねぇ、栞」

「あの」

 真由が口を開いたと同時。部屋の一番隅っこにいた梨絵が声を上げた。全員の視線が集まって梨絵は目を逸らしながら続ける。

「…………初めは、わからないままで怖かった。皆のこと、怖かった。皆怖かったの。私以外が、おんなじじゃないんだって。だから怖かった。だけど、今は怖くないの。栞や、真由や皆と話せるようになって、嬉しかった。それに…………佑一も、とっても大事なんだなって思えるの。わかんないけど、そう思う。皆も、周りの人も。そう思えるの」

「梨絵ちゃん?」

「だけど、まだ怖い。私を憎んでる人がいるってわかった。殺したいんだなってわかった。私は……怖い。それが怖い。だけど、皆の為に、何かできることをしなきゃって。だから──」

 声を捻りだした梨絵に部隊の面々はなにも言えなかった。最初は自分達が遠ざけていた梨絵が、自分達に歩み寄ろうとしていたのだから。

 梨絵はどう言うべきか迷っていた。

 どうすれば思いを伝えられるのかわからなかった。

 悩みに悩んで、佑一からかけられた言葉を思い出す。彼の真っ直ぐな言葉に、梨絵は心を動かされたのだ。

 だから。

 考えられる中で、一番のわかりやすい言葉を選んだ。

 深々と頭を下げた梨絵はそそくさと事務室を出て行った。何であんなことを突然言ったのか、大体のことは予想できた。もちろん、この後どうするつもりだったのかも。

「栞」

 真由が真剣な表情で口を開く。

「このままでいいの?」

 真由以外の生徒も、覚悟を決めていた。栞は溜め息を漏らす。笑顔を見せたが、少し怒っていた。

「いい訳がないでしょう」


                 ◇


「佑一」

 集荷場所を出て通路を歩く梨絵。目的は佑一のもとに戻ること。

 あの日、彼の為に殺すと決めた。佑一の為に殺し、佑一の為に殺されることを受け入れた。それを今更、なかったことになどはさせない。なくす訳にはいかない。自分の大事な理由と、大切な人をなくさない為に。

 その為に、仲良くしてくれた彼女達を巻き込む訳にはいかない。

 エレベーターに乗り、ボタンを押そうとした直前だった。

「へい彼女!」

 随分と軽い感じに真由が現れ、扉が閉まらないように体で押さえた。走ってきたのか、呼吸が少し荒い。

「真由……?」

「一人なんて寂しいでしょ。ちょっと付き合わない? 

 にかっと笑い、続々と生徒達が乗り込んできた。最後に栞が外側の格子ドアを閉めたことを確認し、真由がボタンを押す。扉が閉まり、再び地下へと降りていく。

「置いていくなんて、できないよね」

 目を丸くしている梨絵に、栞が優しく言う。

「それは皆同じなの。だから、皆一緒に行くことにした。佑一君を連れて、皆で帰るの。だから、梨絵ちゃんも皆を置いていかないで。心配するから」

「…………うん。一緒に行く」

「あーもう! 梨絵はやっぱり可愛いなぁ本当!」

「真由、苦しい……」

「ちょっと真由。場を弁えようよ」

「あら。いいじゃない。仲が良いのはいいことよ」

 ほんの少しだけ梨絵が微笑み、それを見た真由が可愛さのあまり抱きついた。呆れたが、皆が笑った。


                 ◇


 飛び掛かってきた【NE】の口に壊れかけたショットガンの銃口を突き刺し、最後の一発だったショットシェルを装填して撃つ。頭を吹き飛ばされ、ピクピクと痙攣する【NE】を地面に叩き付け、かまわず何度もトレッキングシューズで踏みつけた。

 ポーチから鎮痛抑制剤を取り出して投与。肩を揺らして呼吸を整える。ショットシェルを撃ち尽くし、何度も突き刺していたショットガンも銃口内に【NE】の肉塊が詰まっていて投げ捨てた。

 死骸の頭に刺さっていたナイフを抜こうとしたが抜けず、力任せに抜いたら折れた。

 折れたナイフを捨てた佑一は周囲を警戒する。

 あの後、第二波、第三波の襲撃があり、今は第四波の攻撃を防いだところだった。撃たれ、タクティカルトマホークやナイフで切り落とされた死骸がそこかしこにある。臓物と血の臭いに混じり、硝煙の臭いが微かに感じる。

「クッソ……」

 佑一は少しフラつきながら、もう一度深呼吸する。

 アサルトライフルはない。既に撃ち尽くし、銃本体で殴ったり、噛みつかれたりして破壊されている。拳銃はまだあるが、マガジンは残り一本だけ。タクティカルトマホークは何度も叩き切ったせいで刃が欠けている。あと少しで、これもガタが来るだろうと悟った。

 度重なる襲撃で満身創痍だった。傷跡が深い箇所からは血が止まらず流れており、持っていた止血帯を巻いて圧迫した。頭を切ったのか、出血して止まらなかった。目に血が入りそうになり、腕で拭う。

『■■■■■■……』

【NE】の声と、向かってくる音が響く。

 増強剤と鎮痛抑制剤が一本ずつ。今までの襲撃で四本目まで使ってしまった。あと一本残っているが、今の装備で耐え抜けるかわからない。もし耐えたとしても、鎮痛抑制剤を投与しても【NE】化の進行が止まらないことが頭の中をよぎった。

 ──今更怖がってどうする。

 自分から皆を裏切り、ここに残った。後先のことを考える必要はない。【NE】から戻れなくなったらそれでいい。きっと誰かが殺してくれる。それが梨絵だったらと考えると、少しだけ嬉しくなった。

 なにより、ここで死ねば、死んだ皆に会えるような気がした。

【NE】の群れがやってくる。

 恐怖はない。

 ここで死んでもかまわない。

 闘って死ぬことを願った。それを望んだ。

 それでしか、報いることができない故に。

 それでしか、生きる意味がない故に。

 佑一の願望である。

 再び戦う為に、佑一は増強剤を握った。





 聞き慣れた澄んだ声。少しだけ、怒りを含んだ声だった。

 まさかと思って振り返ったが、声の主は後ろにはいなかった。

 声の主──梨絵は既に抜刀して上段に構えたまま、肩を足場にして佑一を飛び越えて前へと突き進む。

「梨絵!」

 佑一の声は聞こえた。だがあえて無視し、眼前に迫(せま)っていた【NE】の群れに飛び込んで刀を振るう。

「なにあの数⁉」

「お喋りは後よ。制圧射撃用意!」

 続いて鐘ヶ江高校の部隊の面々が到着。それを見た梨絵は【NE】の群れから離れた。

「撃て!」

 栞の命令。躱しきれない銃撃が【NE】達を襲い、瞬く間に銃弾の餌食となった。

「数が多いわね……。閃光手榴弾用意。一、二、三っ!」

 銃撃を掻い潜ってきた【NE】に、閃光手榴弾を投げる。閃光と轟音により混乱し、思わぬ反撃に萎縮したのか、【NE】達は背中を見せた。その隙に銃撃を浴びせていく。

 あっという間の出来事に、佑一が何かする暇などなかった。

「発砲止め!」

「何で戻ってきた」

 銃撃が止み、佑一は向かってくる栞に問う。だが栞は答えず、強い足取りで佑一の目の前まで来ると──

 ──パチン。

 右手を振り上げ、手加減せずに頬を叩いた。乾いた音が通路内に響く。

 佑一は何でビンタされたのかわからない。ビンタされて尻餅をついてしまったが、栞は佑一の胸ぐらを掴んで顔を引き寄せた。

「何で貴方はそういうことしか出来ないの⁉」

 彼女も酷く怒っていた。今まで溜めてきた感情が爆発した。

「一人でボロボロになってまで戦って、そんなに私達が邪魔で嫌い?」

 傷だらけで、血だらけで。その姿はいつも力強い佑一を弱く見せた。ビンタしただけで尻餅をつくほどに疲弊していた。それが栞には堪らなく我慢できない。

「佑一のことが心配で来たんだよ」

 梨絵が静かに言う。

「皆、佑一のことが心配で来てくれたんだよ。だからもう、一人でいこうとしないで」

 心の中を見透かされたような一言だった。

 真由が佑一と向き合うようにしゃがむ。

「佑一は私達の先生なんだから、最後まで責任持って守ってくれなきゃ。ね?」

 周りの生徒も頷く。涙を拭いた栞は佑一の胸ぐらを離し、手を握って立たせる。

「部隊の指揮をお願いします。先生」

 いつものからかっている調子で言われたが、不思議と嫌な感じはしなかった。どちらかと言えば、嬉しかった。



『■■■■■■■■■……■■』



 通路の奥から地響きが聞こえる。ノイズが混じる声が通路に響き、生徒達は悪寒を感じて銃を構えた。

 現れたのは巨大な【NE】だった。全身が黒く、巨大な蛭のような形だが、幾つもの意思を持っているかのように怪しく蠢いている。体を芋虫のようにくねらせて動いていた。体の全身に金色の輝きを放ち、発光したり暗くしたりしている。体の先端からいくつもの触手のようなものが生えていた。

 その先端が人の形をしていた【NE】と繋がっていた。腰以上に長い髪。女性特有の胸の膨らみや腰のくびれ。体型は細い。同じ年頃の女性の形をした《コア》が、金色の瞳をこちらに向けている。

 あまりにもおぞましい姿に生徒達は怯んだ。栞でさえ見たことのない大きさの【NE】を前にして、足が震えそうだった。

「……あれは一体なに? 【NE】なの?」

「【NE】の研究をしていたISCは、【NE】を利用した強化人間の研究を始めた。あれはその成れの果てで、【母親】だ」

「【母親】……?」

「……ISCが人体実験してたってこと?」

「梨絵もその研究に加えられていた。俺も参加していた。あれはその始まり──【全ての母親グランドマザー】だ。この研究所にいた【NE】も、俺も……。エクシードプランと呼ばれた実験の開発・研究計画の大まかな四項目の一つ。【NE】を母胎とした人工的受精・妊娠による開発項目。俺は、【NE】から産み落とされた実験体だ。この研究所で行われていた実験の被検体だった。俺は、あれから生まれたんだ」

「…………はい?」

 思わず栞は聞き返してしまった。真由も、他の生徒も、目を丸くしていた。

「ISCの秘匿情報が多い理由の一つだ。【NE】打倒の為の強化人間の開発と研究。それらの過程が俺であり、梨絵でもある」

「ちょ、ちょっと佑一……。意味わかんないんだけど? マジでなに言ってるかわかんないんだけど……佑一や梨絵が、あんなのと一緒に実験されてたってこと……?」

 佑一は頷く。

「知らない方がいい。知っても得することなんかない。それより今は、目の前に集中しろ」

『■■■■■■……■■■■』

 声を震わせ、ノイズが強くなっていく。巨体が大きく蠢き始める。銃を握る生徒達に恐れが見える。梨絵は刀を構えた。

 まずいと本能で悟った佑一は叫んだ。

「全員退避!」

『■■■■ああぁ■■■■■■■ぁぁぁぁ■■■■■■■■■■■アアアァ■■あああああ!』

 鼓膜が破けるかと思うほどの絶叫。悲鳴。【グランドマザー】の甲高い叫びに佑一達は怯む。

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!』

 絶叫は続く。呼応する巨体の至る所が裂け、血のような液体を噴き出す。裂け目はまるで女性器のそれでもありながら目のようでもある。裂け目から【NE】が産み出された。その数は二〇、三〇と増え続ける。人とも獣とも言えぬ形の【NE】は、【グランドマザー】の思考に支配されていた。

『■■■■■■■■』

《NE》達が一斉に走り出す。今までの攻撃とは違う、統一された動きだった。

「部隊は《NE》に集中。接近を許すな! 俺と梨絵で残りを防ぐ! 撃て!」

 その場で応戦。部隊の銃撃は《NE》達に注がれるが、全てを倒しきれる訳がない。佑一と梨絵は前に出て、その倒し損ねを仕留めた。それでも数にキリがない。

!』

「ッ⁉」

 再び【グランドマザー】の咆哮。生徒達は怯みながらも応戦するが、佑一と梨絵の二人は動けなかった。金縛りのように動けなくなった。

 ──何だこのノイズは⁉

「頭……いたい……!」

 頭の中一杯に響き渡るノイズはまるで女性の悲鳴。意味のわからぬ音は二人の脳の動きを瞬間的に止め、体を重くさせるほどの重圧を持っていた。

【NE】が生まれる。今度は大型の歪な【NE】も混じって突撃してくる。銃撃で撃ち抜いてもまだ走ってくる【NE】だった。

「梨絵!」

「ぐうぅ!」

 大型の【NE】が梨絵に腕を振り落とす。頭痛が残る梨絵はその攻撃をなんとか躱し、腕を斬り落とし、そのまま首をも斬り落とした。

 殺した。そう思った矢先、【NE】の体が爆ぜた。中から新たな【NE】が数匹飛び出てきて梨絵に襲いかかる。

 油断していた訳ではない。対応もできたが、完全に意表を突かれてしまって攻撃のバランスを崩してしまった。いつの間にか【NE】に囲まれ、四方八方から攻撃されていた。

 ──先に梨絵を潰す気か!

 助ける為に佑一は梨絵の下へ向かう。しかし梨絵は耐えきれず、後方の【NE】を斬った時に体勢を崩した。そこを【NE】に覆い被さられた。

 馬乗りになった【NE】が大きな口を開いて梨絵を捕食しようとするが、佑一がそれを許さない。タクティカルトマホークを叩きつけて頭をカチ割り、何度も振り下ろして頭を切断した。

「立てるか⁉」

「…………佑一、後ろ!」

 佑一が手を差し出した隙を突くかのように、【グランドマザー】から伸びた女性形【コア】が佑一を捕まえた。腰に回した手は溶けて幾十もの触手と化し、佑一の体を這いずって拘束した。

 抵抗するが強い力で引き摺られていく。巨体な【グランドマザー】の一部が伸びてきて、佑一を取り込む為に横に大きく裂けた。

 ──まずい!

 佑一は暴れるが適わず、タクティカルトマホークを落としてしまった。

「佑一!」

 梨絵は手を伸ばし、佑一は間一髪で掴む。しかし引き摺る力があまりにも強すぎた。梨絵の力を持ってしても引き摺りは止められなかった。

「佑一、梨絵!」

「真由さん駄目!」

 見兼ねて真由は飛び出すが、栞が止めた。

 佑一は【グランドマザー】の目の前まで引き摺られた。大きく裂けた中から幾つもの触手が伸び、佑一を覆い尽くした。抜け出そうにも抜け出せない。不思議なことに、不快な感覚はなにもなかった。。力が抜ける。手を離しそうになる。

「佑一!」

 梨絵の呼びかけに反応したいのに、佑一は目を閉じた。まるで幼子のように、すうっと意識がなくなった。戦っているとは思えないほど、とても安らかな眠りだった。

 梨絵は手を離さなかった。喉を枯らしながらも叫び続けた。襲いかかる【NE】を、片手で刀を振るいながら、決して諦めなかった。

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