第六章 自分の個人的な正義について話そう 2

                 ◇


 高層マンションの一室。4LDKで、悠介と美佳、佑一が住んでいた。値が張る場所だが、ISCが全額負担していた部屋だ。佑一はリビングでバラエティ番組に夢中だ。悠介は晩酌し、美佳は台所に立っていた。

「佑一、薬はちゃんと飲んだ?」

「飲んだー」

「美佳は心配性だな」

「あのねぇ。笑い事じゃないの。ちゃんとわかってる?」

「わかってるよ」

 呆れた美佳は、作り置きしておいたミートボールを炙ったつまみを悠介の前に置いた。

 悠介と美佳は佑一を見る。無邪気に笑うのを見て、二人も笑みを見せる。

「いつの日か、俺みたいなこともせず、本当に自由に生きていけるようになればいいな」

「そうね」

 叶わぬ願いだというのは理解していた。それでも、いまや佑一は二人にとって大事な我が子。愛する子供のことを考えるのは、本当の意味で家族になれたということ。佑一が【NE】化した件で、より絆が強くなった気がした。

「そうだ。悠介」

「ん?」

「できたの」

「できた?」

 美佳がにかっと笑い、意味を理解した悠介は目を丸くしながら持っていたビールをゆっくり下ろした。

?」

「そう」

「俺達の? 本当に?」

「本当」

「男の子? 女の子?」

「性別はまだわからない。けど、私達の子供」

「そうか。本当か」

 とても嬉しそうな悠介を見て、美佳は心の底から幸せに満ち溢れていた。

「佑一、家族が増えるぞ!」

 突然の報告に佑一は「え?」と聞き返した。

「弟か妹が出来るぞ。佑一もお兄ちゃんになるな!」

「はしゃぎすぎ」

 とても幸せだった。いつまでも続くと。当たり前のように、永遠に。


                 ◇


【NE】に襲われ、悠介と美佳が死んだ。一通りの事を済ませ、佑一の扱いをどうするかで悩んだ。二人の親族は引き取ろうとした。しかし、エクシードプランの被検体である佑一はISCの所有物という存在だった。ISCは佑一を法的に基づいて強引に回収しようとした。

 結果は、失敗した。藤村と自衛隊が介入した。

 自衛隊としては、数少ないエクシードプランの成功被検体を回収し、停滞気味だった研究飛躍を目的としていた。回収任務として藤村が担当した。藤村は任務ももちろんだが、純粋に佑一を助ける為に動いていた。

 ISCの研究対象ではあるものの、自衛隊管理下というあやふやな状況。藤村が後見人となり、佑一は日常生活を送った。

「IDEIに行きたいです」

 小学校の卒業間近。佑一は真っ直ぐな瞳を向けて、藤村に告げた。

「どうしてだ?」

「たくさん考えました。考えて、それが一番いいと思いました」

 二人を亡くしてから、佑一は変わった。性格や思考が同年代と比べて静かになった。冷静になり、合理的になり、大人のようになった。いや、ならざるをえなかった。

「【NE】を殺したいからか?」

 藤村は最初、単なる復讐心による言動だと思った。両親を殺された恨みと怒りが込み上げてくる故の浅はかな考えだと。「はい」と答えていたら、殴ろうとした。

「違います」

「では何故?」

「二人の言葉を守る為にです。父さんと母さんは自分の為に愛してくれました。二人の為に、自分が出来ることを探す為に。そして、自分がこれから出会う人々の為に出来ることを探す為に。自分の意味を探す為に行きたいです。たくさん勉強しました。自分が【NE】と同じであることも知りました。今の自分はISCの被検体であり、自衛隊の管理物です」

 藤村は絶句した。声を詰まらせることもなく、目の前にいる少年ははっきりと告げた。

「自分の存在理由を、はっきりさせたいんです」


                 ◇


 藤村が上層部を説得し、佑一はIDEIに所属することとなった。他の指定学校でもなく、自衛隊直轄下の学校でもないのは、IDEIがISCと深く関係しているということ。【NE】関係で学ぶには、一番レベルが高く、適していると判断したから。ISCも関知しており、佑一の入学は問題なかった。

 入学して数週間。佑一は落ちこぼれに近い部類のレベルだと判断された。実戦想定訓練がとても厳しいものだった。基礎体力がなく、運動神経がいいだけでは、とてもではないがついて行けなかった。射撃訓練も当たらない。マガジンに弾丸を詰めるのも遅く、指先が痛くなって全部入れることすら出来なかった。慣れないことで疲れ切り、座学もままならなかった。

 周囲は佑一に冷たかった。ISC関係者だということは知られており、それにより入学できたことも知っていた。一部の教師でさえ冷やかす始末だった。

 だが、佑一は折れなかった。

 周囲の反応など知ったことではなかった。言いたい者には好きに言わせた。そんなものにかまっている暇を、自分の訓練に費やし続けた。

 IDEIは【NE】打倒を唯一掲げる。軍事企業からも数多くのスポンサーを抱えており、設備は充分過ぎるほど整っていた。加えて、中高一貫校スタイルの学年システム、一部例外を除いて全寮制となっていた制度は、常にそれだけを考えられる最高の場所だった。

 太陽が昇りきらないうちに起床した佑一は、トレーニング施設へ向かう。トレッドミルでランニングをする。次に筋力トレーニング。ランニングや筋力トレーニングは、教師から教わった限界ギリギリの負荷をかけた。傾斜をつけ、速度を上げ、心臓を激しく締め付けるように。筋力トレーニングも、軽い物で回数をこなすのではなく、重い物を目標とした数ギリギリ上げられるかという内容。

 部屋に帰って制服に着替え、食堂で食事を済ませる。授業が始まるまで一時間半以上の時間を作り、屋内射撃場で射撃訓練をする。

 授業を終え、格闘の訓練をする。格闘技ではなく、実戦で使える技術。それを終えると射撃訓練。アサルトライフルやショットガン、ボルトアクションライフルなど基本的な銃器全ての射撃訓練を行う。そして筋力トレーニングとランニングをこなす。終わって食堂で一番遅く夕食を済ませ、寮に帰り、座学の予習復習をする。

 これを毎日。欠かさずこなしてきた。

 入学して二ヶ月経とうとした頃。佑一は二〇〇キロ以上走り込んだ。一万発以上の銃弾を撃ったことで、銃弾を押し込んでいた指の腹の皮は厚くなった。九人の相手と格闘を学び、遅くまで勉強していた。学年でトップ成績をとるのは容易かった。

 佑一の成長に周囲は唖然としていた。まるで別人とさえ思った。周囲の冷たさは尊敬に変わっていった。

 だが、佑一は深く関わろうとしなかった。

【NE】討伐任務や警戒任務に出れるようになり、積極的に参加した。そして悉く【NE】を殺した。評価され、前線と呼ばれる場所での任務も多くこなした。

 佑一は止まらなかった。まるで何かに取り憑かれたかのように訓練と実戦を続けた。中期二年で普通科から特殊戦闘科に転科し、エースと呼ばれる程になった。自衛隊の【NE】専門の部隊にも所属し、余計に血と硝煙の匂いが濃くなった。

 ただ己を見極めたかった。

 大切な人の為に、自分に何が出来るのか知る為に。

 それだけの為に、佑一は銃を握り続けた。

 周囲には狂気に見えた。尊敬は、畏怖の対象に変わった。佑一は気にせず、引き金を引き続けた。


                 ◇


 そんな生活をしていたからか、もしくはそんな生活をしていても、佑一は答えを見出せなかった。

 あまりにも多くの【NE】を殺し。

 あまりにも多くの人達が死んでいった。

 大切だと思えそうな人とも出会った。それなのに自分の答えを出せず、挙げ句の果てには目の前で死んだ。

 両親のことを夢に見る。死んだ者達のことも夢に見る。はたして、自分は何か出来たのだろうか?

 何も出来なかったから、死なせたのではないのか?

 死体袋に入れられた者達の前で、佑一は自分のやってきたことがわからなくなることがある。父と母の言葉を信じてやってきた。それなのに、目の前にいる人すら守れない自分が許せなかった。空っぽの心を埋め尽くそうと、得体の知れないどす黒い感情が渦を巻きながら掻き乱していく。どうすればいいのかわからない。声を上げることもできず──声を上げてしまえば、硝子細工のように壊れてしまいそうだった。亡骸の前に蹲るしか出来なかった。

 悩んで、悩み続けて、自分のことがわからなくなる。

 そんな時に、梨絵と再会した。

 梨絵は覚えていなかった。佑一も、顔を見るまで忘れていた。

 忘れてはいけない筈なのに、忘れていた。

 本当の自分を知っていた最後の一人。例え忘れていようとも、覚えていなくとも、彼女の存在は掛け替えのないものだ。

「産んだ理由を知りたい」

 あの時交わした言葉は、梨絵の本心だった。

 愛情を知らぬ彼女の為に、何が出来るのか。

 彼女だけではない。栞や真由。鐘ヶ江高校の面々。今では大切な人達で、笑える場所。

 例え独りよがりの考えだとしても──

 ──今度こそ、自分は。


                 ◇


「────あ」

 佑一は目を覚まし、鎮痛抑制剤の影響であまり体が動かせないことがわかった。顔を少し動かし、自分が野崎のリビングにある大型のソファーに寝かされていることがわかった。左腕に注射針が刺さり、電極パッドが貼られている。注射針の先にはスタンドに下げられた点滴袋と繋がっており、電極パッドは機材と繋がっている。

「気が付いたようね」

 声のする方に顔を向けると、野崎が椅子に座ってビールを飲んでいた。テーブルにはコンビニで買ってきた惣菜が並び、スーツの上着を脱ぎ、ワイシャツのボタンを二個ほど外し、三本目の缶ビールをコップに注いでいる。頬がほんのりと赤くなっていた。

「まったく、貴方も無茶するのね。おかげで処置が大変だったわ。寝室にも担げないからソファーで寝かしていたことは許してね」

「それはかまいませんが……やけ酒ですか? 自暴自棄になってません?」

「私の自衛官人生が終わりって考えたから」

「終わってもいいと決めて銃を持ったんでしょう」

「まぁね」

 コップに注いだビールを飲み干し、深い溜め息を漏らす。

「もう夜中だから、悪いけどここで安静にしていて。朝になれば状態も安定する筈だから」

「はい」

「コンビニに行って食べ物を買ってくる。その間、ずっと貴方を看病してくれた彼女の相手をしていてね」

 そう言って野崎は部屋を出た。佑一は辺りを見回すと、顔を覗き込むように梨絵が見下ろした。

「ずっといたのか」

 梨絵は頷く。

「…………どうして佑一は、私に優しくするの?」

「そんなつもりはない。だけど、小さい頃から知っている」

「私の小さい時? 研究所の時?」

「ああ。それよりも、小さい頃から」

「知らないふりして聞いたの?」

「すまない」

「私はどんなだったの?」

「いつも聖書を読んでいた」

「……今と一緒」

「そうだな」

 佑一は笑うが、梨絵は表情を曇らせた。

「……私は、今の私しか知らない。その私の中に、知らない私がいる」

 記憶がなくなるほどの実験をさせられ、梨絵はエクシードプランの犠牲となった。辛うじて成功したものの、感情はほとんどなくなり、自分とは思えない感覚を常に抱いている。

「研究所で、知らない人達から【NE】を殺すよう言われた。嫌だった。でも嫌だって言えば、痛くされたり、真っ暗な場所に入れられた。何をされるのか怖くて堪らなかった。だから言われるがまま殺した。いっぱい殺した。たくさん殺した。何で殺さないといけないんだろうって考えてもわからない。そんな日常が嫌い。殺し続ける私が嫌い。殺したくないのに、私の中の知らない【何か】がそうさせるようにさせる。

 そんなにわからないままなら、いっそのこと【何か】に全部乗っ取られてしまえばいいって思った」

【何か】。即ち【NE】。梨絵の中にいる【NE】は、常に梨絵の思考を奪おうと蠢いている。日々、抑制剤を投与していても防ぐことは出来ない代償。

「【この子】の為に殺そうって思った。そうすれば、嫌いな人達を全員、殺せるんだって」

 自分が何者かわからない。何の為に【NE】を殺しているのかわからない。梨絵の精神はその時点でり潰されており、誰もわからなかった。このままわからないならばいっそ、【NE】の暴力衝動に身を任せて【NE】に成ってしまおうとさえ思う程に。

「……けどね。佑一と一緒になってから、そういうのが少しなくなった。佑一だけじゃなく、栞や、真由や、部隊の人達と会って、色々して、ちょっとだけ怖くなくなった」

「でも、まだ怖いのか?」

「何で【NE】を殺さないといけないの。私はその理由がわからない。危ないから、敵だから、それはわかる。だけれど、それでも私には殺す理由がわからない。

 問われ、佑一は口を開こうとするがやめた。

 果たして、これでいいのか。

 梨絵の人生に与える選択肢を、こう言っていいのだろうか。

 悩んで、佑一は口にする。

「理由がないなら、俺の為に戦って欲しい」

「佑一の為に? どうして? 佑一は何の為に戦うの?」

「俺はずっと戦い続けると決めた。大切な人達の為にずっと。それには梨絵も含まれている。もし梨絵が自分をわからなくなってしまったら、俺が君を殺す。梨絵を梨絵として殺す。梨絵が自分をわかるようになるまでずっといる。ずっとそばにいる。だから……俺の為に戦って欲しい。そして殺して欲しい。もし俺が俺だとわからなくなってしまったら、その前に、俺を殺して欲しい。そうなるまで、梨絵には人としての生き方をしてほしい。俺がいる間、少しでも梨絵が自分で生きていけるように」

 いずれ、二人は【NE】と化してしまうだろう。いつになるかはわからない。だが、遅かれ早かれそうなる。

 自分を見失う前に、自分の存在理由が失われる前に。

「梨絵のことが、大事なんだ。だから、梨絵のことを誰よりも見てる。気にかけてる。迎えに行けなくて本当にごめん。ごめんな。寂しい思いをさせないように、俺は、君を見続ける」

 佑一は梨絵を殺し。

 梨絵は佑一を殺す。

 それが互いの理由。【NE】を殺す理由の一つ。

 浅はかで愚かな答えだ。だがそれ以外になにもない。なにもかもなくして、なくされたのだから。そういった理由しか出来ない。

 そこに自分が存在する理由を見つけ出すしかないのだ。

「佑一は私を見てくれるの?」

 そんな関係でも、そんな浅はかで愚かな関係でも、梨絵は理由が欲しかった。自分を見てくれる存在が欲しかった。物や研究材料ではなく、里林梨絵だと認めてくれる人が欲しかった。

 自分を迎えに来てくれる人を、待っていた。

「ああ。梨絵は梨絵だ」

「ずっと一緒にいてくれる?」

「……ああ。一緒にいる」

 その一言は弱々しいものでも、彼女にとっては心強かった。認めてくれるなら、見てくれるなら、待ってくれるなら。彼の為に剣を振れる。

「じゃあ、佑一の為に戦う。佑一の為に殺す」

 梨絵は静かに笑う。梨絵の頬に触れると、人間と同じであたたかかった。

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