第六章 自分の個人的な正義について話そう 1

「そういうことがあったのね」

 事情を聞いた野崎は一先ず納得し、佑一にコーヒーを出した。

 事件の後、佑一は野崎に連絡した。

 急いで来てほしいと言われた野崎が学校に向かうと、鎮痛抑制剤を打たれた梨絵に、腕が血だらけの佑一を見て、何があったのか大体を察してくれた。何も言うことはなく、二人を乗せて車を走らせた。

 自宅となるマンションは、自衛隊から用意されたものだ。自衛隊専用の建物のせいか、住人の気配がなく、いるのかすら怪しい静けさだった。一五階建ての一一階に野崎の部屋がある。

 梨絵の状態を機材で確認しながら寝室に寝かせ、佑一の右腕の手当をした。大学で医学部出身の彼女の手当は見事の一言だった。

「いきなり電話して申し訳ありませんでした。貴方以外に頼れる人が思いつかなかったです」

 コーヒーを一口飲み、謝罪する佑一に対して野崎は首を振る。

「いいわよ。寧ろ、感謝しなくちゃならない。言ってくれて助かったわ」

 野崎に連絡したのは、この事態を自衛隊に知られたくなかったからだ。理由はどうであれ、梨絵が一般人を傷つけ、更には【NE】化して暴走した。これが知られれば間違いなく梨絵の隔離が決定してしまう。それだけはなんとしても阻止しなければならない。

「梨絵の体を見れば、暴行された形跡は明白。それが原因とは一概には言えない。だけど、暴走したことには変わりない」

「自分の責任です。あれだけ見ていろと言われながらこの有様です」

「三上君は充分役目を果たしている。貴方の任務が梨絵の監視だけれど、学校の部隊指揮や育成任務も任されている。貴方一人で抱え込む必要はないの」

「しかし」

「コーヒーでも飲んで落ち着いて。それから、この後のことを考えましょう」

 慰められている感覚を抱きながら、佑一はコーヒーを飲む。自分に腹が立っていた。

 リビングの一部分に目がいく。テーブルがあり、ノートパソコンが置かれている他、様々な機材や資料が積まれている。その中に、佑一が使った注射器も何本かあった。

「あれは?」

「第二の仕事場。私は本来、【NE】を利用した鎮痛抑制剤や増強剤の開発や研究を専門としているから。あれはそのサンプル。貴方が使っているのも同じ物よ。梨絵の担当もしているから、戦闘の際に彼女の為の増強剤と鎮痛抑制剤もある」

 このまま何もしないのは時間の無駄だが、梨絵をどうするかまだ考えがまとまらない。

 寝室の扉がゆっくり開き、梨絵が立っていた。瞳の色は弱く、【NE】化が抑制されているのがわかった。

「気分はどう?」

 野崎の呼びかけに反応を示さず、佑一を見た。

「梨絵」

「…………」

 梨絵が口を開こうとした時、玄関のインターホンの音が部屋に響いた。誰か訪ねてくることなど皆無な場所で、緊張しながら野崎はカメラで玄関の外を確認する。

「藤村二等陸佐だわ。それと二人の隊員」

 佑一が玄関に向かおうとすると、野崎はそれを拒んだ。

「私がなんとかする。貴方は梨絵を連れてマンションを出て。非常階段か、避難梯子からなら……」

「いえ。無理です」

 佑一が窓から少し顔を出して見下ろすと、マンションの専用駐車場に停車している車を見つけた。その車から、何者かが見張っていた。周りも既に固められている。

「流石です。行動が速い」

「対【NE】部隊がいるの?」

「装備まではわかりませんが、重装備も視野に入れた方がいいです。おそらく、狙撃手もいます」

「嘘でしょ……」

 佑一はカーテンを閉める。

「野崎さんは梨絵と寝室に。藤村さんとは自分が話します」

「どうするつもり?」

「あの人が直接ここに来たということは、最初は話し合いをするつもりで来たでしょう。自衛隊の建物とはいえ、市街地での銃撃戦は最後の手段だとわかっている人です」

「だけど部隊を出してきたってことは、最終的には実力行使になる。そうなったら?」

「させません。梨絵も引き渡しません」

 言い切った佑一は梨絵を見る。何が起こっているのかわからず、酷く怯えている。笑って梨絵の頭を撫でる。

「大丈夫。少し話をするだけだから、野崎さんと一緒にいてくれ。野崎さん、頼みます」

「ゆーいち……」

「気をつけて」

 野崎は梨絵を連れて寝室へ。扉の鍵をかけ、寝室のカーテンを閉める。クローゼットに入れてある金庫から、護衛用に携帯が許可されていた拳銃を取り出した。

 黙って見つめること数秒。

 決意して、マガジンを入れてスライドを引いて弾丸を装填した。野崎は自衛官の職務を放棄し、梨絵を守ることに決めた。

 鳴らされたインターホンを無視し、佑一は野崎のデスクに向かう。アルミケースを開けると、増強剤と沈痛抑制剤の二種類が入っている。

 少し眺め、増強剤を二本、玄関から見えない位置に置いた。

 またインターホンが鳴り、今度は玄関を叩いた。静かに玄関を開ける。

 藤村と、同じ部隊に所属する二人の隊員が立っていた。その表情は前に見たものではなく、感情を殺し、本物の兵士となった冷め切った表情だ。目から感情は読み取れず、なにも感じない。そうなっているのは佑一も同じであり、目つきが鋭くなっていた。

「早かったですね」

「理由を問わないあたり、来た理由はわかっているな」

「ええ。まあ」

 藤村の言葉には威圧と畏怖しか感じられなかった。部隊を指揮する者の立ち振る舞いだった。

「里林梨絵の拘束命令が出た。大人しく身柄を引き渡してくれ。君と野崎二等陸尉、鐘ヶ江女子高等学校には迷惑をかけない」

「お引き取り願います。自分は彼女に迷惑をかけられたことは一度もない。それに、彼女をまた研究所に閉じ込めたところで何も良くならないですよ」

「悪くなる一方だ。状況が改善されず悪化するなら、平行線を辿らせる方が良いとの判断だ」

「つまりあれですか。何もせず、ただ梨絵を見殺しにするばかりか、研究所に閉じ込めて管に繋げっぱなしにする訳ですか」

「佑一……!」

 隊員が釘を刺す。彼らとて暴力を行使してまで拘束させたくはない。それは佑一もわかっている。だが彼らは兵士だ。感情に流されない本物の兵士は、時が来れば決断できる。

「お前の言い分もよくわかる。だが、間違いが起こってからでは遅い。そうならない為に私がここに来た。どう言われようが、どう思われようが関係ない。我々がここに来た。里林梨絵の身柄を渡せ」

 これ以上話しても無駄だった。長引けば藤村は強硬手段をとる。そうなれば梨絵だけでなく、野崎にも危害が及んでしまう。

「……わかりました」

 唇を噛み締め、佑一は小さく溜め息を漏らすと後ろを向いて中に戻る。

「藤村さんの意見はよくわかりました。自衛隊上層部、政治家の意見もよくわかりました」

「すまない。私には何も出来ない」

「謝らなくていいです。守れない自分が悪いだけです」

 藤村達が玄関に入り、一人の隊員が前に出る。服の下に隠している拳銃には手をつけていない。後ろの隊員も、藤村も。佑一はしっかりとそれを見ていた。

「……それでも、自分が決めたことを投げ出すつもりはありません。父さんと母さんが言ってくれたように。考えて、悩んで、今、自分なりの答えを見つけました」

 ──父さんと母さんは、いつまでも佑一の味方だ。

 両親は言ってくれた。

 迷わないことを決めた。

 進むことを決めた。

 戦い続けることを決めた。

 存在が異常である自分を愛してくれた両親と、大切な人の為に。

 

 隠していた増強剤を二本取り出し、脚に突き刺して流し込む。血が沸きたつように熱く、肉体と細胞が急速に変化する。自分の中で眠っていた【NE】が目を覚まし、侵食されていく感覚。自分が乗っ取られていくような感覚。瞳が強い金色に変色し、【NE】へと成り果てる感覚。

 体勢を低くして反転。前を歩いていた隊員の鳩尾を、抉るように拳で突く。鍛え抜かれた大柄の隊員が浮き上がるほどの威力で、更に後頭部を殴って意識を刈り取った。

「佑一!」

「待て、撃つな!」

 藤村の後ろにいた隊員は拳銃を抜く。既に装填されていた。藤村は撃つことを許可しなかったが、隊員は自らの意志で引き金を引いた。隊長である藤村の身の危険を避ける為、撃った。

 佑一は狭い廊下を凄まじい脚力で跳ぶ。銃弾が頬を掠り、血が少しだけ噴く。気に留めず、藤村の脇をすり抜け、拳銃を構えている隊員から力任せに拳銃を叩き落とす。後ろをとり、膝を蹴って床につかせると片羽絞めにした。【NE】化の力は凄まじく、隊員は身じろぎ一つ出来ず、少しずつ意識が遠のいていく。

 藤村は拳銃を持っていたが、抜かなかった。

「佑一……お前、何をしようとしているのかわかっているんだな?」

「ああ。アンタ達の大義に従うくらいなら、俺は俺の正義に従う。上の判断だろうが、世界の為だろうが、知ったことじゃない。どうしても引かないなら、アンタら全員殺して、追っ手も全員殺して梨絵を守る。今度こそ、絶対に守る」

【NE】化の影響で人体ばかりか、精神や口調までもが荒くなっている。一本ならまだしも、二本分の増強剤を一気に注入した為に、佑一の人体と精神が貪られていく。

 それでも、佑一はかまわない。彼女を守る為に。

「彼女もいつの日か、そうなってしまうかもしれない。【NE】になってしまって、人類に仇なす存在になってしまうかもしれない。そうなったら佑一……お前は、どうするつもりだ?」

「……梨絵が【NE】になって、人類に仇なす存在になるのなら、。彼女は彼女だ。何者でもない、彼女自身だ。里林梨絵は誰のものでもない。俺や、アンタや、自衛隊やISCの所有物なんかじゃない。彼女の生き方は彼女が決める。。だから、俺が命に代えても梨絵を守る。好き勝手に外野が騒ぐことじゃない」

 佑一の言葉を聞いた藤村は少し驚いた表情を見せた。すぐにそれはなくなったものの、先程までの冷たい表情ではなく、どこか憂いを帯びた表情を見せた。

「……相変わらず、そういう生き方しかしないのか。お前は」

「貴方は信念を貫けと言った。俺の信念はこれだ。俺の理由は最初から決まっていた。だからこうなった。

 これ以上、何を言っても無駄だと藤村は悟った。気絶させられた隊員が起き上がり、ようやく拳銃を抜いて構える。しかし藤村が前に立った。

「撤収だ」

 敵意をなくした指揮官に隊員は不満を覚えるが、命令に反抗することはなかった。隊員が拳銃を片付けたのを見て、佑一は拘束していた隊員を離す。絞め技から解放された隊員は酷く咳き込み、ありったけの酸素を吸って呼吸を整える。佑一を睨んだが、仕方ないと言ったふうになにも言わなかった。

「邪魔をした」

 隊員を連れ、藤村は部屋を出る。

「あがっ……⁉」

「三上君!」

 玄関が閉まり、藤村達がいなくなったことがわかった野崎は鍵を開ける。ほぼ同時、佑一はその場に倒れて蹲った。一回に使用する増強剤の量が多過ぎて、佑一自身が制御出来ていない。体が【NE】に寄生されていく。

 空になった注射器が転がっているのを見て、野崎は慌てて鎮痛抑制剤を投与する。

「どうしてそんな馬鹿なことをしたの⁉」

「こっちが優位に立たないと、藤村さんは強硬手段に出ると思ったから……」

 まだ治まらずに二本目を投与。急激に意識が遠のいていき、野崎の呼びかけがわからなくなる。梨絵が泣いていたように見えたのを最後に、佑一は意識を失った。

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