第五章 祈りの言葉 1
部隊で初任務をこなし、ISCからの結果報告が鐘ヶ江高校に届けられたのは数日後だった。『問題なく運用可能』との報告により、鐘ヶ江高校の部隊運用が認められ、スポンサーと資金がまた増加した。襲撃に対応しただけでなく、マザー級【NE】を倒したことが大きな評価に繋がった。そして、藤村の口添えもあり、梨絵の管理も現状維持という形となった。
一先ず、片がついたということだ。
◇
鐘ヶ江高校が所有する郊外の演習場にて、絶え間なく銃声が響いていた。本格的な夏の暑さと太陽の陽射しに晒されながら、生徒達は今日もまた引き金を引いている。
射撃ゾーン用の建物に教師達が並ぶ中に、佑一の姿も混じっていた。部隊設立の役割は果たしたが、引き続き部隊の技術向上と、一般生徒への指導という役割を与えられた。人材育成任務として来ているので引き受けた。藤村も正式な任務として遂行するようにと命令した。
「三上センセー。ちょっとヘループ!」
友人を呼ぶような気楽さで真由は大きく手を振った。佑一が向かうと、他にも生徒がいた。
「的に素早く狙いをつけるにはどうすればいいの?」
「構えてからの一発目? 的から的への射撃?」
「的から的へ」
「だとすれば」
真由の質問に丁寧に教え始める。説明に真由はもちろん、他の生徒も熱心に耳を傾ける。説明を終え、銃を借りて手本として撃ってみせる。実際に撃たせる。
佑一は学校に馴染みつつあった。実力が証明されたこともあったのだが、丁寧な説明は評判が良かった。なにより、栞と真由が積極的に話をさせたことで、どんな人物なのかわかるよう無理矢理にでも交流させたのだ。
銃を扱う疑問や、個人的な些細な質問でも聞かせ、佑一は答えた。効果は抜群に良かった。佑一が人畜無害な人物だとわかると、栞や真由を通さずとも聞きにいくようになった。同年代ということもあって、先生とはつけるが敬語ではなくクラスメイトと話すような感覚で話すことも多くなった。
「へぇー。的を狙って撃つっていうより、的をなぞって撃つ感じね」
「そんな感じ」
「やり方はわかったけど、先生や真由みたいに上手く撃てる自信ないよ」
「初めはゆっくりと正確に。何回もやれば速くなる」
「要は練習するのみってこと?」
「そういうこと」
一通り教えてもらい、真由達は礼を言って訓練を再開。佑一が戻ると寺井が声をかける。
「馴染めてきたな」
「彼女達に感謝です」
「どうなるか心配していたが安心したよ。生徒達とは今後も上手くやっていってほしい。それに」
寺井が後ろを振り返り、佑一もそれを追う。
日陰となっている場所に、梨絵が小さく体育座りして読書していた。
今までは離れた場所で一人でじっと眺めていたが、ここ数日、佑一の傍にいることが多かった。
「彼女も懐いてきたようだしね」
「ただ涼みにきただけじゃないですかね」
「かもしれない。順調に事が進むのは良いことだ」
「同感です」
「野崎担当官は?」
「急用で基地へ。忙しくなってきたと言っていました」
「あれだけのことをしたんだ。評価は上がる。自衛隊から部隊の派遣が度々依頼されるだろう。今後、各方面からも対象となりうる。マザー級【NE】を倒した功績は大きい」
「その件なんですが、少し相談があります」
「何だい?」
「最近の【NE】の動向についてです。数が異常に多過ぎるとは思いませんか?」
佑一の言葉に寺井は表情を変えることなく、静かに口を開いた。
「ここ最近の【NE】発生率が高くなっている。民間用に公表されている自衛隊の【NE】出没データにも出ている程だ。特別指定学校の出動依頼が増加している。後方支援もだが、前線への出動依頼も増加している」
「IDEIも頻繁に?」
「いや。IDEIは変わらず自分達で動いている。依頼は受けているが動きは妙に穏やかだ。対応しているが、解決しようとする素振りが見えない。おそらくISCがそうさせているだろう。そもそも、IDEIは君の方が詳しいだろう?」
そう言われると佑一は小さく溜め息を漏らし、目の前にある手摺りに手を置いた。
「IDEIには最近行ってません。敷地にも入っていないです」
「大丈夫なのか? 授業や単位は?」
「あそこは授業以外に参加任務にも単位をつけます。自分は卒業に必要な単位は全て中期生時に取得したので、座学と実習のテストを受けて点数を取ればいいだけです」
「それは学校として機能しているのか?」
「機能していないでしょうね。学び舎ではありますが、戦闘を学ぶ場所です。故にその技術と知識は抜きん出ている。だからこそ、学校でありながら学校ではありません。それに、所属しているクラスは自分も含めていわくつきが多くいます。中にはISCに所属して任務につく者もいます。その任務内容も様々でしょうね。【NE】関係はもちろんのこと、時には非合法なこともしています」
「そのことは自衛隊にいた時から聞いていたよ。日本の最前線ではなく、世界の最前線に赴く子供達のことも。中にはエクシードプランに関わっている人間もいた」
「ISCが許可していますから」
「ここからが本題。そのISCと、自衛隊からの情報に齟齬が生じている」
「齟齬?」
「【NE】の出没データだよ」
【NE】の出没と行動範囲を纏めたデータのことである。自衛隊とISCが調査し、【NE】の出没地域を特定し、行動範囲を予測する。調査は日夜行われ、日ごとに民間へ公表されている。このデータは自衛隊とISCの二機関が公表している。
「自衛隊の民間公表データでは郊外での発見率が上がり、活動範囲も広がっている。しかしISCでは状況変化はなしと発表されている。その場所は、以前君達が任務を遂げた区域の更に奥だ」
「しかし自衛隊のデータも、警戒レベルは上がりましたがそれ程の脅威はないと……」
「『無駄な警戒勧告を行う必要はない』。一部の上層部がそう判断した結果だそうだ。【NE】の目撃情報があったから哨戒任務を行うという名目で、自衛隊はあの区域を警戒している。その区域は最初、ISCの部隊が警戒していたんだ。マザー級が出て、ようやく自衛隊に要請して厳戒態勢を敷いたようなものだよ」
「そんな危険を野放しにして、得なんてないでしょう」
「ISCからしてみればメリットはある。その警戒範囲の中心部は第一研究所。君がいた研究所だよ。研究所で問題が起こった可能性が高い」
「……わかっていますが、それは考え過ぎかと思います」
「上層部と政治家の一部はISCと関係を持っている者達がいる。自衛隊が行動し過ぎないよう、ISCから何か持ち掛けられた可能性もある」
「ISCは秘匿性が高い。情報の一つ一つに機密保持を設けています」
「知っている。昔、A4サイズの資料一枚を拝見する為に、四日間も許可を待ったことがある」
「まだ良い方です。酷い時は半月も待って、許可できないという紙切れが来ますから」
「経験談か。それは難儀したな」
「ISCとのいざこざは、並大抵の問題では済まされませんよ」
「機関が機関だけに、問題の先にあるのは【NE】が絡んでくる。今もISCの特別調査チームと合同して捜索している」
生徒達の訓練を眺めながら考える。
ISCの特別調査チームとは、戦闘能力を備えた調査員のことだ。不測の事態にも対応できる能力を持ち、【NE】の調査を行えるチームがいるとなれば、やはり【NE】絡みだということはわかる。特別調査チームを派遣したということは、それほどの事態だということだろう。
──研究所、か。
気になることはあった。あの地区の更に奥。何が起こり、何があるのかも。
父と母になる二人と出会い、梨絵と出会うきっかけとなった場所は、決して優しい場所ではない。むしろ逆だ。あの時は知らなかったが、今の佑一は理解している。どれほど悍ましい存在が収容されていたことを。
自分を産んだ存在は、まだそこにいるのだろうか──
「佑一」
声をかけられて正気を取り戻した佑一が振り返ると、今まで座っていた梨絵が立って後ろに立っていた。
「どうした?」
「したい」
無表情で告げられたものだから、佑一は思わず考えてしまった。隣にいた寺井も同じく、どう解釈すればいいかわからなかった。
「……えーと、なにを?」
「打ち合い」
「ああ。いつもの」
寺井の言葉に頷く梨絵。
「模擬戦闘か」
一対一で行う模擬戦闘のことだ。佑一は模擬銃を使い、梨絵は木刀を使う。これだけでは梨絵が圧倒的不利なのだが、生憎と彼女は人間ではない。圧倒的な身体能力は生徒どころか、佑一をも凌駕するのだ。おかげで佑一ですらろくに勝てない。
「いいけど、獲物はないだろう?」
佑一には訓練用の模擬銃があるが、梨絵に道具はなく、訓練用の木刀は準備していない。
しかし梨絵は問題なさそうに続ける。
「沢山ある」
指差したのは、自分がいつもいた木々だった。そこには枝が落ちている。大抵は細いものだが、中には太い枝が何本か落ちている。あれを獲物にしようとしているらしい。
「示現流じゃないんだからさ……」
「いいじゃないか。生徒達の勉強になる」
「参考になりませんよ」
どこに学ぶ余地があるのかまったくわからないが、断る理由はなかった。
二人が了承し、教師達からも了承を得ると寺井は生徒達の訓練を中断させた。
「あの子って戦えるんだね」
「あれって木の枝?」
「模擬銃なし?」
「あれで相手ならないでしょ」
「バカにしてるんじゃない?」
「よくわかんない子だしね」
一部では、銃を持たず、太めの木の枝を持つ梨絵を訝しんでいるのも事実だった。
「あら。いい催しね」
楽しそうに見ていた栞に、友達を連れた真由が来た。
「お、珍しいね。梨絵がやる気を出してる」
「興味を示すのはいいことよ」
「里林さん、先生相手に大丈夫かな……」
友達の心配に真由は笑って返す。
「大丈夫ダイジョーブ。問題ないから」
周囲など気にすることなく、梨絵はただ立っている。対峙する佑一はアサルトライフルと拳銃の模擬銃を持つ。二人が立っている場所の周りにはドラム缶や的、壁に見立てて立てたベニヤ板などの障害物がいくつも置いてある。
「準備はいいか?」
寺井の問いに佑一は「はい」と答え、梨絵は頷く。他人の言葉に反応するようになったのも大きな進展だ。
「開始!」
先に動いたのは梨絵だった。ただ突っ立っていた体勢から一転、まるで日本刀を振り抜くかのように木の枝を上段に振りかぶり、上半身を沈めるかの如く低い姿勢で駆ける。
間合いは二〇メートルほど。梨絵は障害物のドラム缶に飛び乗ると、別の障害物へと飛び移って一瞬にして間合いを詰めた。その速度に見学していた女子達が驚いていた。
「突っ込んでくるよな、そりゃ!」
まるで八艘飛びの如き動きに、相変わらず佑一は度肝を抜かれる。それでも狙いをつけ、引き金を引く。発射された訓練用ゴム弾は、飛び移ろうとしていた梨絵に真っ直ぐ向かう。普通なら、この時点で負けである。
普通なら、の話だが。
梨絵は動きのとれない中、空中で木の枝を振るい、あろうことか数発のゴム弾を全て叩き落としてしまった。しかも動きは止まらず、真っ直ぐこちらに向かってくる。
「洒落にならない!」
生徒達が唖然とする中、佑一は思わず悪態づく。それほどまでに梨絵の身体能力は馬鹿にならなかった。佑一は撃ちながら後退。発射されたゴム弾を梨絵は弾き落とし、全てを落とせないと悟るとベニヤ板の障害物に身を隠す。
──実弾なら撃ち抜けてるんだが……そう言っても認めてくれないだろうな。
弾がなくなる。マガジンを交換するタイミングで梨絵は再び動き出す。
完全に佑一の動きを読んでいた。まるで獣のような俊敏さである。
──読まれてる。だが!
それでも対応できない訳ではない。何度も梨絵との模擬戦闘を繰り返すうちに、大体の行動パターンは覚え、あまりにも直線的過ぎることに気付いた。間合いを詰める時は一気に間合いを詰めて仕留めるか、間合いを見計らって動きを緩めるか。動きの違いはあれ、その二パターンに分けられた。
──行動は二種類。一気に来るか緩く来るか。なら……!
今は間合いを計っていて動きが緩い。
──攻めるしかない。
佑一は後退をやめた。いずれ間合いを詰められるのは容易に想像できる。ならば、間合いを詰められる前にこちらから間合いを詰めることにした。
一マガジンを使い切って梨絵を障害物に釘付けにする。マガジン交換はせず、ライフルを放り投げて拳銃を右手に持って撃つ。左手にはゴム製のナイフを握った。
勝負しに来たことを理解した梨絵は障害物を飛び出し、飛び越えながら一直線に駆ける。僅か数歩で間合いをなくし、全てのゴム弾を叩き落とす。
「マジでヤベェな」
全ての攻撃を防がれて、思わず笑ってしまった。マガジン交換をする暇はない。だが、佑一も梨絵の行動を予測していた。
ゴム製のナイフで木の枝の軌道をほんの僅かに上にずらし、勢いのままスライディングして梨絵の真下を通り抜けて躱した。
一撃を躱したことに生徒達は声をあげた。だが梨絵は、佑一ならそれが普通であるかのように驚きはしなかった。地面に着地すると同時に深く踏み込み、全身をバネと化すように跳ぶ。
佑一はスライディングから立ち上がると同時に、体の向きを梨絵へ向ける。その動作中にナイフを捨て、拳銃を強く振って空になったマガジンを投げ飛ばすように排出。新しいマガジンを差し込んで装填。撃てる状況になるまでの動作は一秒かかるかの瞬間だった。
肘を折り畳むように構え、銃口は梨絵の胸部に狙いを定めていた。引き金は引ける。
梨絵は投げ飛ばされた空マガジンを容易く払い除け、佑一の懐に潜り込み、木の枝の先端──日本刀にあたる切っ先の部分が、佑一の首元にあった。
互いの命がとれる状態で静止したまま、少しの間だけ沈黙があった。
「そこまで!」
生徒達が息を呑む中、寺井が終了の声をあげる。僅かな時間で二人に圧倒されてしまい、思わず拍手が出ていた。それほどまでに凄まじかった。
「クソ……」
緊張が解けた佑一は一気に息を吐いた。自分の攻撃が間に合わなかったことを悟って落胆した。安全装置をかけ、拳銃からマガジンを抜き、スライドを引いてゴム弾を排出する。
しかし、どういう訳か梨絵がとても不満そうにしていた。木の枝を持ったまま、ジト目で佑一を睨んでいる。
「どうした?」
「…………負けた」
「負けた? いや、梨絵の勝ちだよ」
「佑一に負けた。いつもなら間に合ってなかった」
「いや、間に合ってないよ」
「間に合ってた。構えてたっ」
梨絵の言うことがようやくわかった。銃を構えられていたことが悔しいのだ。
部隊として認定され、訓練参加が認められた梨絵は生徒や佑一と模擬戦をしてきた。部隊生徒は手も足も出ず、佑一でさえ手を焼くほどだった。今までなら、攻撃の構えすらさせずに打ち負かしてきた。今回の模擬戦闘で構えられた。
悔しかったのだ。
思わぬ発言に佑一は目を丸くした。だが、すぐに笑ってしまった。
「まだまだ精進しないとな」
「んぅ……もう一回……」
「やだ」
馬鹿にされていると思ったのか、頬を膨らませて睨む。その光景が面白くて佑一はまた笑ってしまう。やってきた寺井に宥められ、しぶしぶその場を後にした。
建物に戻ると、生徒達から好奇心の目を向けられていることに気付いた。奇怪な眼差しはいつもだが、それとはまた別のもので少し不安になり、思わず佑一の後ろに隠れてしまった。
「お疲れ様」
「お疲れー」
そこに栞と、友達を引き連れた真由がやってきた。
「あんなことできるなんて里林さん凄いね!」
「先生と同じくらい強いって初めて知ったよ」
「大丈夫? どこも怪我してない?」
「……あう」
質問責めにされて気押された梨絵は更に隠れる。それが栞と真由の仕業だとわかると、佑一はわざと梨絵を前に出して生徒達と話をさせた。せめて、同じクラスメイトの顔見知りとだけでも交流はしてほしかった。
それを見てか、興味を持った別の生徒達も輪に加わっていた。体験したことのない出来事だった梨絵は、「うん」としか言えず、否定する時は首を振るぐらいしか出来なかった。
馴染ませることは考えていない。ただ、人と接してほしかった。栞と真由に梨絵を預け、佑一は静かに輪を離れた。
「…………」
少し離れた場所から、輪の中心にいる人物を見ていた女子達がいることを、その時は気付けなかった。
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