第四章 硝煙と血潮。時々家族 3

                 ◇


 任務を終えた佑一と梨絵は、野崎の車に乗って習志野駐屯地にある特別研究所に向かった。エクシードプランの被験者である二人の身体検査を行う為だ。

 佑一はともかく、【NE】化の進行が進んでいる梨絵は入念な検査を行う必要がある。時には数時間もかけて検査をすることもあり、研究所の個室に留められる。

【NE】化進行の抑制剤を投与して検査を終えた佑一は帰らず、梨絵の検査が終わるのを待った。終わったのは一時間半も経過した頃で、もう夜になっていた。

 特に変わった様子もなかったので佑一は帰宅しようとすると、野崎が送っていくと誘った。梨絵も送るとのことで了承し、野崎の車に乗った。

 驚いたことに、マンションに着くと梨絵も車を降りた。同じマンションに住んでいた。

「研究所住みだったのだけど、今は安定してるから制限付きで認めさせたの」

 マンションのエレベーター内。野崎の言葉に佑一は呆れ気味に呟く。

「藤村さんはなにも言ってませんでしたよ」

「言えなかったのよ」

「そうですか。自分は上なので、ここで失礼します」

「あ、三上君にもちょっと来てほしいの」

「はい?」

 エレベーターを閉めようとすると、野崎に止められた。

「私が定期的に見ているのだけど、できれば貴方にも見てほしいの。これ合鍵ね」

「女の子一人が住んでいる部屋の鍵を渡していいんですか? それも、その部屋の住人に許可もとらずに」

「あの子は気にしない。それに、貴方は間違いを起こさないでしょうし」

 微笑んで差し出された合鍵を渋々受け取った。

 梨絵が部屋を開け、二人は続く。電気をつけないで奥に進む梨絵を見かね、野崎が部屋の灯りをつけた。

 部屋の間取りは佑一の部屋と同じ。ただ家具がなにもなかった。テーブルもイスもなく、テレビもない。

 梨絵は歩きながら制服のスカートを脱ぎ、リボンを外す。

「はぁ……」

 思わず佑一は目を逸らす。仕方ないといったふうに野崎がスカートとリボンを拾い、隣の部屋に片付けた。隣は寝室で簡素なベッドが一つ。使っているのか疑問が浮かぶほど綺麗だった。

 二人を気にすることなく、梨絵は部屋の隅に座り、壁を背にして聖書を読み始めた。

「いつもあんな感じだから気にしないで。自分のことも気にしない子だから」

「らしいですね」

「私の連絡先を教えておく。何かあったら連絡して。あと、一〇分程度でいいからここにいて。帰る時は外から鍵をかけて」

「先に帰るんですか?」

「梨絵の行動報告を急かされてるの。いいように報告するから。じゃあね」

 連絡先を書いたメモを手渡し、野崎は先に帰ってしまった。上手くはめられた様な気がする佑一は小さく溜め息を漏らす。

 部屋の主は、白い下着が見えてもお構いないしに読み続けている。

「どうしろと……」

 部屋を見回した。本当に物がない。寝室にもない。洗面所には白いタオルが三枚ほどあるだけ。洗濯機もないのを見ると、野崎が世話をしているというのは本当らしい。軽い気持ちで冷蔵庫を開けてみると、ミネラルウォーターと市販のシリアルバーしか入っていなかった。

 冷蔵庫を閉め、することがなくなったので梨絵を見ることにした。

 聖書の文章を小さく呟いて音読している。その時の表情は、どこか安心しているような穏やかな表情だ。目の前に座っても梨絵は気にすることなく読み続ける。

「『ご覧ください。どんなに私があなたの戒めを愛しているのかを。主よ。あなたの恵みによって、私を生かしてください』」

「『みことばのすべてはまことです。あなたの義のさばきはことごとく、とこしえに至ります』」

 続きの文章が読まれ、梨絵は顔を少し上げる。穏やかではなく、いつもの冷たい無表情だった。だが佑一は気にせず、少しだけ笑った。一応、表情の変化はあるようだ。

 音読を再開した梨絵の邪魔を、今度はしなかった。昔話をする訳でも他愛ない話をする訳でもなく、互いを見つめ合う訳でもない。ただ一方的に観察しているだけであり、昔とは全く違ってしまったものの、梨絵と共にいるのは懐かしかった。

 しばらくすると、梨絵は聖書を読み終えた。本を床に置くと体育座りの態勢で顔を半分隠し、佑一を見つめた。何か喋る訳でもなく、互いに見つめ合った。まるで根比べだ。

 負けたのは梨絵だった。

「…………119章160節」

 ぽつりと漏らしたのは、おそらく問いかけだと思った。何で知っていたのだろう、と。

「昔、よく口に出して読む人がいた。いつも聞いていたから、頭の中に残ってた」

 まだ研究所にいた頃。梨絵が聖書の文章を読み上げていた。それを聞いていた佑一はある程度の文章は覚えていたのだ。今の梨絵は覚えていないだろうが。

 梨絵は顔を逸らす。こうまで口を開かないというのもなかなか難儀なことだった。任務云々の話ではなく、コミュニケーション能力に問題があるのかと思うほどだ。

「何か食べないのか?」

 コミュニケーションを図る意図はなかったが、時間は二一時を過ぎていた。食事はしていない。佑一は空腹だったが、梨絵は小さく首を横に振った。

「空かないのか?」

 また小さく首を横に振る。

「何か食べるか?」

「食べたいのない」

 確かに、シリアルバーしかないことは知っている。

「なら、台所借りるぞ」

 間を置かず、佑一はそう言って立ち上がると台所へ向かった。台所は使った形跡がなく、野崎が一応準備していた調理器具がしまわれていた。しかし冷蔵庫の中に食材がない。

「ちょっと待ってろ」

 自分の部屋に戻り、適当に持って戻った。

 パスタとベーコン、オリーブオイルと塩コショウ。あとは好みで唐辛子を持ってきた。鍋でパスタをゆでている間に、ベーコンと唐辛子を小さく刻み、フライパンでオリーブオイルと一緒に炒めて塩コショウで味付けする。茹で上がったパスタをフライパンに移して絡め、皿に盛り付ける。自分のと、梨絵の分と。

 皿を持って再び梨絵の前へ。床に置き、フォークを添える。梨絵はそれを珍しいもののようにじっと見つめている。もし食べなくても、佑一が食べるつもりだった。

 先に佑一が食べていると、梨絵は恐る恐る手を伸ばしてフォークを持った。

「……んう」

 持ち方がバットを握るような握り方で、パスタを上手くすくえない。

「こうやって持って、こうやって巻くんだ」

 持ち方を直し、フォークにパスタを絡めさせる。少しだけ絡めたパスタをゆっくり口に運んだ。

「どんな感じ?」

「…………かたい。辛い」

「え」

 辛辣な感想に佑一は苦笑する。辛いのは好みだが、塩コショウを入れ過ぎただろうか。パスタの茹で時間を間違ったかなど、一人で自問自答していた。

「口に合わなかったか」

 すると、梨絵は小さく首を横に振った。

「あったかいの。久しぶり」

「研究所で出るだろ?」

「食べない。怖い。前の場所は点滴だけだった」

「じゃあ、冷蔵庫の中のミネラルウォーターやシリアルバーは?」

「担当官が口にしていたから」

 自衛隊に所属が移ってから食事を出されたが、誰がどこで作っているのか、何を使っているのかわからないものを口にすることはなかった。冷蔵庫に入っていた大量のミネラルウォーターとシリアルバーも、野崎が日常的に口にしているのを見たから口にしたのだ。研究所の食事を野崎が一緒に食べればいいのだが、残念ながら梨絵は心を開くことはなかった。

「じゃあ俺が作ったのを食べたのは何で?」

「目の前で作った。先に食べた」

「毒見じゃないんだからさ……」

 ゆっくりパスタを口に運ぶ。

「かたい。辛い」

「精進させていただきます」

 再び辛辣な感想を貰った佑一は笑い、食べるのを続けた。


                 ◇


 先に食べ終えた佑一は、梨絵が食べ終わるまで待っていた。食事をする時の会話は答えてくれたので、色々と聞いてみた。

「梨絵の戦い方は、誰かに教わったのか?」

「担当官に連れていかれた場所で。担当官の知人から習った」

「何を?」

「剣、槍、薙刀、柔術、一通り。けど、戦ってる時は私の我流。【NE】は人間と違う」

 梨絵の戦闘は、素人が見ても剣術を得た人間の戦いだった。何かしているのだろうと思っていたが、梨絵が剣術を学んでいる姿が頭に浮かばなかった。

「なんだか、真面目に受けてる姿が想像できないんだが……」

「嫌。今も行くけど嫌。嫌だけど、行ってる」

「どうして?」

「やってる時は、なにも考えなくていいから」

 梨絵の本心だった。

 ふと昔のことを聞いてみた。

「小さい頃のことを覚えているか?」

「小さい頃って?」

「えーと……研究所にいた時のこととか」

 梨絵のことを知らないふうに聞いてみた。梨絵はパスタを食べながら素っ気なく答えた。

「覚えてない」

「そうか……家族は今、どうしてる?」

「わからない。そういう人がいたって聞いただけ。研究所に預けられたって、担当官が言ってた」

「もし会えたら、どうする?」

 梨絵の手が止まった。綺麗な瞳が、少しだけ曇ったような気がした。

「産んだ理由を知りたい」

 言い放った言葉。それ以上でもそれ以下でもない。

 何で産んだのか。

 産んだのに何故、預けたのか。

 梨絵はただ、聞きたいだけだ。

 自分を産んだ理由を。

 佑一はなにも言わなかった。近藤のことを話す気にはならなかった。梨絵もあとは話さず、不器用にパスタを食べ続けた。


                 ◇


 食べ終わった食器を洗い、持ってきた物をまとめた。梨絵はまた部屋の隅に行き、体育座りのまま眠ってしまっていた。

「風邪ひくぞ」

 声をかけたが起きなかった。仕方なく抱えて運ぶ。思った以上に体が軽かった。

 寝室のベッドに寝かせる。ここまでされても起きなかった。リビングの電気を消し、荷物を持って部屋を出て、野崎から渡された合鍵を使って施錠する。

 自分の部屋に戻り、冷蔵庫から飲み物を持って寝室へ。シャワーを浴びて眠りたかったが、銃の手入れをしないままには出来ない。これだけは決して怠ってはいけない作業だ。

 机の上に道具を並べて銃を置く。

 まずは清掃。ショットガンと拳銃を分解し、クリーニングをつけた布やブラシで念入りに掃除する。使っても使っていなくても清掃を行い、整備を行い、問題なく常に使えるようにすることを心掛けている。清掃が終わり、組み立てる。

 アサルトライフルの損傷は酷かった。ハンドガードと銃身は噛み砕かれていた。ショートスコープなども全て壊れていた。銃身とハンドガードを予備と交換。他のオプションパーツは後日つけるとして、アサルトライフルの整備を終える。

 タクティカルトマホークやナイフの刃を丁寧に砥ぐ。タクティカルベストやポーチなどを確認。医療キットや無線で使用するイヤーマフなど細々とした装備を全て点検し、納得ができてクローゼットに片付けた頃には、零時を回っていた。

 シャワーを浴び、電気を消して真っ暗にするとベッドに転がる。

「最低だ」

 眠る前、梨絵にした質問を思い出す。今思えば、無神経な質問だった。

 梨絵が記憶を失くしているからではなく、今聞くようなことでもなかった。なにも考えていない発言だった。

「家族、か」

 瞼を閉じる。

 自分にも家族はいた。

 とても立派な人達だった。


                 ◇


 ISCの研究所にいた頃、佑一は自分が何故ここにいるのかわからなかった。物心ついた時に両親のことを聞いたことがあったが、【NE】から生まれたなどとは説明されず、捨てられたなどと適当にあしらわれていた。

 エクシードプラン被験者だということで、職員の対応は冷たかった。幼い佑一自身もそれはわかっており、自分はそういう扱いなのだとどこか達観していた。痛いことはされず、頻繁な検査を受けるだけであり、あとは監視付きで預かりスペースで遊んでいた。

 だが、寂しくはなかった。預かりスペースには梨絵もいることが多く、一緒に話したり、遊んだりしていた。

 そしていつもいたのが、悠介と美佳という男女だった。

 悠介は元自衛隊で、除隊した後はISCが抱えていた【NE】専門の民間軍事企業に身を移しており、研究所の警備員をしていた。美佳は研究所の職員であり、佑一の担当を任されていた。

 仕事とは言え、二人はとても優しかった。悠介は警備員であったが堅苦しい人間ではなく、とても友好的だった。誰とも分け隔てなく話し、よく笑う。佑一や他の人間に対しても同じだった。美佳も友好的で、とても世話焼きだった。細かいところまで気配りし、時には上司から注意を受ける程に佑一の傍にいた。

 そんな二人は一緒に佑一と時間を過ごした。佑一は二人を嫌っておらず、むしろ好意を抱いていた。悠介と美佳も同じであり、そして悠介と美佳は互いに愛し合っていた。二人は密かに交際していた。

「ねぇ。私達と一緒に住まない?」

 生まれて六年経過した頃。ふと、美佳からそう聞かれた。悠介と美佳の薬指には指輪があり、結婚していた。

 外の世界にいける。初めはなんともなかった感情が、徐々に期待と興奮で埋め尽くされる。この建物から出て、大好きな二人と暮らす。

「もし良かったら、私達が君のお父さんとお母さんになってもいいかな?」

 微笑みながら与えられた選択に、佑一は迷わず頷いた。

 二人と同じ苗字の三上を授かった。typeA被検番号A─81と言う検体呼称から、三上佑一と言う名義になった。

 研究所を出た佑一にとって、外の世界は初めてのもので満ち溢れていた。本や映像、玩具でしか見たことがなかった車や建物が沢山あった。人の波は研究所とは比べ物にならないほど多い。太陽の陽射しがとても暑い。初めてのことを、悠介と美佳は一つ一つ丁寧に教えてくれた。

 結婚を機会に暮らし始めたが、これも研究の一環だった。エクシードプラン被験者が社会に出て、日常生活を問題なく適応できるかどうか。

 エクシードプランにおいて、佑一は【NE】化の進行が限りなく遅く、身体に影響を及ぼしていない状態を維持できていた数少ない事例の一つだった。エクシードプランが目指すべき強化人間の基盤になる為、佑一の取り扱いは充分に考慮されていた。

 悠介は会社の本部に通い、インストラクターとして働いていた。美佳は研究所で仕事を続けていた。佑一は学校に通い始めた。

 順風満帆だった生活に綻びが生じたのは、佑一が薬を飲み忘れたのが始まりだった。給食を食べ終え、遊ぶと約束していた友達に急かされて飲まないでしまった。朝昼晩に欠かさず飲まなければならない数種類の薬は、【NE】化の進行を抑える抑制剤だった。

 異変が生じたのは一時間後。授業中、鉛筆を握る手の甲が少し黒くなっていた。汚れかと思って袖で拭いてみたが落ちなかった。痛くはなかったが、どこかにぶつけて痣になったぐらいにしか考えなかった。

 しかし、時間が経過すると痣が広がっていた。手の甲から手首、手首から肘に広がり、帰宅した時は肩まで広がっていた。右腕が黒く変色していた。無我夢中で洗面所で洗っても落ちなかった。ふと、鏡に映った自分の顔を見た。

 瞳が金色に変わっていた。

 黒く変色した体と金色の目。

 その時初めて、佑一は何故あそこにいたのか大体を察してしまった。頻繁な検査、多種類の薬の服用、点滴。そして、時々目にすることがあった黒い生物──【NE】と同じだと。

『■■■■』

 意味も分からぬノイズが頭の中を駆け巡った。自分の声ではない。途端に恐怖が込み上げてきて泣き叫ぶが、頭の中のノイズは止まることなく、侵食するかのようにむしろ大きくなっていった。意味が分からなくなって鏡を叩き割り、闇雲に暴れ回った。その間も、本当に自分なのかどうかわからなかった。全てが制御できなくなり、ただ泣き叫ぶことしかできなかった。

 悠介と美佳が帰ってきた時、部屋の惨状を見て驚愕し、佑一の姿を見て絶句した。暗い部屋の中、物が散乱した部屋の隅っこに佑一は縮こまっていた。変色した黒い肌は見えなかったが、金色に輝く目を見て美佳は全て理解した。

 近づこうとした二人に佑一は抵抗した。大好きだった二人が信用できない。こんな自分と何故一緒にいてくれるのかわからない。あの研究所にいた人間を信用できない。途端に、全てがわからなくなっていた。パニック状態に近い反応だった。

 それでも二人は佑一に歩み寄った。抵抗され、物を投げつけられて血が出ようとも、二人は変わらず笑顔で抱きしめた。

「ごめんな、佑一」

 泣きそうな声だった。いや、二人は泣いていた。

「佑一は佑一だ。ナニモノでもない佑一自身だ。父さんと母さんは、佑一を物扱いで引き取ったんじゃない」

「信じてと言っても信じられないのはわかる。恐いのもわかるの。けどね、佑一。愛してる。私達は本当に、佑一を心の底から愛してるの」

 父の言葉は強く佑一に響き、抱きしめられた母の温もりに癒された。

 研究目的で一緒に暮らしていた二人だが、決してそれだけではない。事実、二人は佑一を愛していた。本当の我が子の様に想い、接し、育ててきた。佑一の人生や現状を悲観したからでは決してない。

「父さんと母さんは、決して佑一を嫌いになったりしない。ずっと、佑一の味方だ。家族だ。可愛い息子だ」

「うん」

「佑一、貴方も、愛せる人を見付けなさい。。その人の為に、貴方が出来ることを見付けなさい。大丈夫。佑一だもの。勉強もスポーツも優秀だもの。私達の子供だもの。貴方がすることなら、いつだって応援する。私達は、佑一の事が大好きだから」

「うん……」

 それ以降、佑一は二人に対して特別な感情を抱くことになった。本当の家族のように暮らしていた。数年して美佳が妊娠した。佑一は兄になる予定だった。

 六年生になって、連休を使って家族でキャンプに出かけた時だった。山道を車で走っていると、突然脇から黒い大きな生物が出てきて衝突した。熊かと一瞬思ったが、それは【NE】だった。

 衝突した影響でエンジンがかからなかった。車から降りた悠介は非常時用に携帯していた拳銃で応戦するが、全く効果がなかった。【NE】が突進して悠介が突き飛ばされた。脊椎を損傷して動けなかった。また突き飛ばされ、頭蓋骨が砕けて絶命した。飛ばされた車は、美佳と佑一を乗せたまま崖を転がり落ちた。重傷を負いながらもまだ生きていた二人は車から這いずり出た。

 そこに【NE】が崖を下り、佑一を突き飛ばし、美佳の下半身を押し潰した。【NE】は体から無数の触手のようなものを伸ばし、死にかけている美佳の体に纏わりついて引き寄せる。体が横に裂け、大きな口となった。食おうとしていた。

 意識が薄れゆく中、このまま死ぬと感じた瞬間。

『■■■■』

 あのノイズが再び聞こえる。

 煩い音で不愉快だった。だが今回は違う。わからなくはない。目の前にいる【NE】と同じなのだとわかっている。自分はあの化け物と同じなのだと。

 恐怖はなかった。興奮もなかった。ただ怒りしかなかった。

【NE】に触れて細胞が体内に取り込まれたか、生命の危機に瀕したことで【NE】本来の能力が発揮されたか定かではない。微かに変色していく体と共に、両目が金色に輝いていた。

 そんなことはどうでもよかった。

 ──父さんと母さんを助けなきゃ。

 立ち上がった佑一は、キャンプで使う筈だったスコップを握り、【NE】に駆け出した。

 緊急出動要請を受けた自衛隊が現場に到着したのは一〇数分後。藤村二等陸佐が率いる部隊が現場を警戒しながら捜索していると、生存者一名を発見した。

 下半身が潰れた母親に寄り添い、死んだ父親を求めて泣いていた少年だった。その傍らには、液状化した【NE】の死骸が広がっていた。

 こうして三上佑一は保護された。


                 ◇


 目を覚ました佑一は泣いていた。

 時々、両親のことを夢に見る。楽しいこと、辛かったこと関係なく。それら全てが佑一の思い出だ。夢に見て、思い出し、泣いている。

 涙を拭い、ベッドから起き上がる。カーテンの隙間からほんのりと光が差し込み、朝を迎えている。

 まだ、あの時の言葉と温もりが佑一には残り続けている。永遠に消えることのない、確かなモノ。

「おはよう」

 亡霊に話しかけるように挨拶する。もちろん、部屋には誰もいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る