第一章 三上佑一の出会いと世界の日常 1
【それ】がいつ誕生したのかは定かではない。研究者や科学者が明確に発見できたのは、数十年以上前の隕石落下によって誕生した新種だという説、もしくは隕石に付着していた地球外生命体だという説など多数ある。それら全て含め、【
研究していた人間達が余計な手を加えたのか、もしくは【
人類は【NE】を敵とみなしている。
いつも通りの仕事を終えてやり残しがないか確認し、帰ろうとした時に気配を感じてアサルトライフルを構えた。
そもそも、高校生である彼が銃などという物騒な代物を持っていることがおかしい。だが生憎と、この世界では必需品になりつつあり、高校生が持つこともなんらおかしくない。むしろ普通だ。
佑一の足下に転がっている死骸。それは人間ではない。犬や猫などの動物でもない。動物ではあるのだが、それは人智を超えた生物。黒い皮膚に覆われた【NE】は、内臓と一緒に血と肉をばら撒いて死んでいた。
弾けるように飛び出た血肉は、佑一が持つアサルトライフル──HK416Dから放たれた銃弾によるものだった。【NE】の体内を切り裂き、骨を砕き抜いた弾丸による傷痕。一匹だけでなく、数十匹も撃ち殺していた。
全部殺した。確認は出来た。だからこそ、佑一は戸惑っていた。
【NE】と同じ気配を漂わせながら、こちらに日本刀のような無機質な武器を突き付ける少女と対峙していたことに。
夜中の封鎖された光がない雑居ビルの中。はっきりと見える少女は、色素を失ってしまったかのように白い肌と、腰まで伸びた白い髪。目元を隠すほど長い前髪の隙間から、金色に輝く双眸が良く見えた。華奢な少女は制服を身につけていた。この街にある女子校の制服だ。
強く抱き締めたら折れてしまいそうな細い腕一本で、軽々と日本刀の切っ先を向ける。否──それは形は日本刀のように見えるが、黒い刀身だった。刀身だけでなく、柄や鍔、腰の専用ベルトから下げている鞘は現代の武器に見合うかのように、美しくも無機質で、機械の部品かのようなデザインをしている。その刃には血が滴っていて、【NE】を斬ったのだとわかる。
「誰だ」
「だれ」
ほぼ同時に二人が問う。緊張が高まっていく。
「ここは作戦区域で一般人の立入は禁止だ。その格好で、迷い込んだ一般人じゃないだろう。所属は?」
「似てる」
「なに?」
「この子達と違う。でも少し同じ。私とも似てる。同じようで同じじゃない。貴方はなに?」
少女の発言に佑一の戸惑いは一層増した。自分のことを少なからず知っている。いや、自分と言うよりも自分の存在がどういったものなのか理解している。
どうすべきか悩み、対峙を続けていた佑一だが、少女の面影が引っ掛かった。
「──
記憶の片隅に押し退けられていたものを引っ張り出して思い出す。名前を聞き、遠い過去が蘇る。忘れてはいけない思い出が目に浮かぶ。
「
思わず銃を下ろす。直後、強い地響きが鳴って天井が割れた。佑一は見て後ろに下がり、少女──梨絵は見ずに後ろに飛ぶ。
砕かれた天井と割れた蛍光灯が弾け、共に落ちてきたのは黒い物体の《NE》だった。幾つもの脂肪の塊をくっつけたような体はぶくぶくとしている。人間の形は成しておらず、人間の腕のようなものが六つもある。それなのに足はなく、蛭のような、芋虫のような下半身だった。
前方に伸びた顔をして、口は更に尖っていた。鋭い歯が無規則に並んでいる。まるで魚人間のような顔だ。
『■■■■■■■■!』
黒く濁った金色の瞳が別々に動き、二人を捉え、金切り声のような雄叫びを響かせる。
──マザー級【NE】か!
【NE】が佑一に突っ込んできた。アサルトライフルを構える暇はなく、手放して腰に携えていたタクティカルトマホークを振り抜いた。
分厚い刃が深く首元に食い込み、【NE】の動きを止めた。
離した銃のストックを踏みつけて跳ねさせ、グリップを握って銃口を【NE】の口に突っ込んで引き金を絞る。フルオートで発射された5.56ミリ弾は、【NE】の肉を切り裂き、骨を砕く。肉体を穿つ弾は勢いを殺すことなく、体内をズタズタにして抜け出ていった。
三〇発入りマガジンを使い切り、トマホークを手放して間合いを広げる。
全ての弾丸を命中させた。普通の生物ならば即死する。
普通、なら。
『■■■■■■■■ァァ■■!』
血反吐と臓物を撒き散らしてもなお、【NE】は生きていた。
「相変わらずの生命力だな」
佑一は素早くマガジンを交換する。
間髪入れず撃とうとした時、急に梨絵が【NE】に向かって飛び跳ねた。思わず引き金から指を離してしまった。
梨絵が振り下ろした刀は【NE】の腕を切り落とした。【NE】は金属を擦り合わせたような甲高い悲鳴を挙げながら、残っている腕で梨絵に掴みかかる。
しかし、梨絵は【NE】の攻撃を見て躱した。長い白髪すらも掴ませず、溢れ出す血潮すらも浴びることなく。踊るかのように、滔々とした川のように流れ動き、躱し、斬っていた。
佑一は構えを解いていた。美しかったからだ。その光景は、もはや美しいものだった。梨絵を主体とした一つの絵画。【NE】は無残にも膾斬りにされ、梨絵を際立たせるだけのものだった。
たった数秒で、あれだけ巨大だった生物が肉の塊に解剖されていた。腕を落とされ、胴体を離され、下半身を斬られて。
それでも【NE】はまだ生きていた。
正しくは、その心臓部分が。
バラバラにされた体が液状化し、中からひょっこりと出てきた巨大な蛭のような物体が、小刻みに蠢き、体を跳ねさせていた。これがマザー級の【NE】の心臓であり、生命を司るコアであり、いわばもう一つの生命体。その命を殺さぬ限り、何度でも再生し、蘇る。
コアを梨絵はただ見下ろしていた。刃で突き刺すことなく、ただじっと、憐れむかのように見下ろしていた。
佑一は近づき、履いているトレッキングブーツで踏み潰した。肉を潰した感触。命を踏み潰した柔らかい感触。それでようやく、この怪物は死んだ。
顔を上げると、梨絵は血振りした刀を鞘に納めて歩き出していた。佑一を見ることなく、死んだ【NE】を見ることなく、ただ俯いている。
「梨絵」
反応はなかった。梨絵は割れた部屋の窓に開け、足を掛けると、躊躇なく飛び降りた。
慌てて見下ろすと、梨絵は壁や障害物を蹴り跳ねながら降りていた。七階から飛び降り、地上で待っていた車に乗った。その車は何事もなかったかのようにビルを後に走り去った。
「まさか……彼女も?」
薄々気付いていた佑一は確信し、携帯電話を取り出した。
◇
任務を終えた佑一は迎えに来た車に乗り、いつもなら住んでいるマンションに向かうところを、今日は別の場所に向かわせた。
千葉県船橋市。自衛隊習志野駐屯地。
装備を入れた大きなバッグを背負い、施設内を歩いて行く。日付が変わりそうな時間で人気はないが、警備をしている自衛隊員はいた。しかし隊員は佑一を気にすることはなく、逆に気さくに話しかける者もいた。
挨拶を交わして歩き、一つの建物に入る。とある一室の前で立ち止まり、ノックした。
「三上佑一。入ります」
「入れ」
男の低い返事を聞き、音を立てないように扉を開けた。個室の部屋の中央には来賓用の高級皮ソファーとテーブルが置いてあり、奥には窓が備えてある。
窓を背にして机に着席していた男の体格は大きく、着用している制服が筋肉で張っている。短く刈り揃えた髪に白髪が少し混じっているものの、まだ四〇代前半である。剃刀のような目が、知らず知らずのうち威圧感を与えていた。
「座れ」
座るよう促され、佑一はソファーに腰を下ろし、藤村は向かい合って座る。
「市街地の状況はどうだ?」
「【NE】が多いです。今日も三件ありました。そのうち一件はマザー級がいました。街の中にこれだけ紛れ混んでいるのは脅威です」
「そうか……。言い訳ではないが、ISCから提供される【NE】の出現データは完璧ではない。かといって私達が調査している出現地域の索敵も完璧ではない」
「ISCと安全保障理事会は一枚岩ではないですし」
「ああ。【NE】の活動が活発化し始めた頃、世界各国で被害が生じ、安全保障理事会は緊急会合を開催した。しかし、脅威であるものの、平和的に解決できるような相手ではなかった」
「【NE】対応における各国の軍事行動に対する承認決議でさえ、他国への侵略行為に使用される名目と批判してましたね。拒否権を行使する常任理事国が出る始末で、協力するなんてなかった。各国の思惑も絡まり合って【NE】対処が遅れたなんて、笑い話にもなりませんよ」
「痺れを切らしたのが当時のアメリカ大統領だ。満足に軍事行動が展開できない状況を打破すべく、民間軍事企業を利用して【NE】対処に乗り出した」
「今でこそ英断と言われてますけど、一歩間違えばそれこそ侵略行為でしたからね。まぁ、おかげで安全保障理事会は各国の軍事行動を承認したんですけど」
戦争国際法での位置づけが不明瞭で、「業務」としての行動はジュネーブ条約に規制されない民間人による【NE】対処──それにより【NE】被害の深刻な状況を把握した安全保障理事会は、【NE】対処として各国の軍事行動を承認した。
「数年後、《NE》対処専門の国際機関……国際特別協議会(International Special exception Council)──通称ISCが設立される、と。【NE】への対応や状況把握、各国も軍隊派遣の要請など平和維持活動の他に、【NE】打倒を目的とした教育機関の設立や、民間軍事企業への業務要請や支援、軍需産業からの支援や販売取引、協力体制を促したおかげで、今の状況維持に繋がったんでしょうね」
「そのおかげでISCの権力は増す一方だ」
全てが順調にいっている訳ではなく、問題がない訳でもない。それでも。世界は今や軍隊と民間企業、それに教育機関をも巻き込んだ【NE】打倒の為に動いていると言っても過言ではない。自衛隊もその一部となっており、佑一もまたその一部である。
「それよりも」
佑一は口を開いた。
「今日の援護任務で、研究所の幼馴染みと会いました。
藤村の雰囲気が変わる。佑一は変わらず続ける。
「自分が研究所を出て以来、全くわからなかった」
「里林梨絵か」
真っ直ぐな佑一の目を見て、藤村はソファーを立ち、事務机に置いていた資料を渡す。その資料にはとある学校の詳細が記載されていた。
「私立の
「一〇年程前に就任した校長が元自衛官だ。退職した隊員などを特別講師として招き、年々レベルが上がってきている」
「何でこんな物を……」
資料を捲っていき、リストアップされている生徒を見て言葉を失った。
懐かしい感情などはなく、ただ衝撃でしかない。
彼女の顔写真が載っていた。この学校の生徒として。
「彼女が、ここに?」
「日本に数か所あるISCの研究機関から、自衛隊への所属が七か月前に正式に決定された。日本国内には数人しかいないエクシードプランの成功被検体となった彼女だ。機密事項により、お前には報告できなかった」
藤村は室内に置いてあるコーヒーメーカーでコーヒーを二人分淹れて佑一に渡す。啜って、ソファーに腰を下ろす。
「三上佑一。特別教育機関の人材育成及び里林梨絵の監視任務を言い渡す」
今度こそ、佑一は「え?」と声を上げた。
「不満そうな顔だな」
「……あ。いえ、そういう訳では。しかし育成と監視が任務というのは?」
「どちらも、鐘ヶ江高校の校長である門倉氏による依頼だ。生徒の人材育成を行いながら、里林梨絵の監視をしてもらう。自衛隊所属となった彼女には担当官が一人いるが、四六時中見ている訳にもいかない。学校にいる間、佑一に監視してもらう」
「監視、ですか……」
「問題はあるか?」
佑一は資料を見る。
彼女がいる。幼馴染みがいる場所へ。
資料を閉じた佑一は小さく息を吸い、立ち上がった。
「わかりました。問題ありません」
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