第13話
「ここって……」
リヴェータに連れられたのは、アスム地区の岩場に入り口のある、あの洞窟だった。
「お前もここはよく知っているだろう。ここの中なら力を暴走させても構わない」
「ここで? 影に詰めるものがそんなにあるんですか?」
「今ならな」
確かこの洞窟はこのアスム地区の人々が海産物を採りにやってくる場所であった。そこでルノの影の力を暴走させてしまったら、アスム地区の人が困るのではないだろうか。
そんな心配をしていると、それが顔に出たのか、リヴェータが説明してくれた。
「ここで面倒なものが繁殖してしまってな。それをついでに片付けろ」
「そういうことなんですね……。変なものじゃないですよね? 贅沢を言うわけではありませんが、できればしばらく影の僕を増やしたくないんです」
影に生き物を詰めれば詰めるほど、影がそれまで詰め込んだ生き物を侵す時間が伸びてしまう。
ルノは人間の影の僕を増やしたいこともあって、今は彼らの僕化を優先したかった。
「これを知っているか?」
リヴェータは爪先で地面を示す。
この岩場は表面が黒くてごつごつしている。遠目から見ても険しい足場だと分かるし、素足で歩けばすぐに傷だらけになってしまうだろう。靴を履いていてもその靴底からはっきりとした凹凸を感じることができた。
しかし彼が言いたいのはそのことではない。
ルノも指摘されるまで気づくことができなかった異変がそこにあった。
凹凸の激しい黒い岩場に同じくらい黒くて薄い、まるで海苔のようなものがいたるところに張り付いていた。
「その黒いもの、ですよね? 何ですか?」
「メサンという海草だ。今あの洞窟を中心に大繁殖している」
「へぇー、あんまり聞いたことのない素材ですね」
もしかしたら食用だろうか。加工品に使われていたりすると、魔女のルノが知らなくてもおかしくない。
「前からたまに見かけるものだったが、ここ数ヶ月で急に大繁殖してな。食べる事もできるが、それほど美味しいものでもないし、売れるわけでもない。これが繁殖したことで他のものも採れなくなっているんだ。だからこれを片付けろ」
なんか影の力をいい様に使われているような気がする。だが丁度いいのは確かだ。
「フー、おいで」
ルノが影を通じて呼びかけると、黒猫はすぐにルノの足元に現れた。
『なーに?』
「この黒い海草を好きなだけ食べていいよ」
ルノは腰をかがめて、黒猫にメサンを指先で持ち上げて示す。
フーは円らな瞳でルノを見上げる。
『おいしくなさそう』
「わがまま言わないの」
フーがそういうのは、ルノがこのメサンに価値を見出せていないからだろう。海草だし、食べられるのだから何か使い道はあるのかもしれないが、だからと言って欲しいかと言われるとそうでもない。
だからフーも食べたがらない。
「さ、行っておいで」
ルノは黒猫を洞窟の入り口に持っていくと、フーは渋々ながら岩場に張り付く海草をもそもそと食べ始めた。
猫が海草を食べる異様な光景にリヴェータも物珍しそうに見ていたが、あまり食の進まないのが気になったらしい。
「他の僕にも手伝わせろ。とにかく力を暴走させろ」
と言い残すと、リヴェータは面倒なのかさっさとその場を後にした。
リヴェータはそう言うが、そう簡単に力は暴走できるものではない。
これまでルノは力を暴走させないように細心の注意を払ってきたし、食の進まないフーの様子を見ても暴走まで至りそうにない。
だがリヴェータの言う通り今ここで暴走させれば、しばらくは心配事は無くなる。
ルノは影の中から影の僕を出してゆく。
黒いトカゲや黒い牛もフーに倣わせるように黒い海草を食ませた。
僕のトカゲはフーがラナケルでたくさん食べてくれたおかげで、数えるのも嫌になったほどいる。彼らを洞窟の中に行かせて、少しでも暴走を促す。
影の暴走まではまだ余裕があるが、多くの影の僕に何かを食べさせてゆけば暴走までいけるだろう。
それでもやはりトカゲも牛も食が進まない。
影の中にメサンが少しずつ入ってくるが、それでもいつもの暴走に比べたらその速度は緩い。
ルノは仕方なく、メサン以外も食べていい許可を僕たちに出した。
すると先に洞窟に送り込んでいたトカゲたちが途端に食欲を増し、影の中に海草以外のものがドカドカと放り込まれた。
僕たちの好き嫌いが激しい。
だがリヴェータが望んだように暴走を招くことができるだろう。
まだ暴走まで余裕があるので、ルノは洞窟の中に足を踏み入れた。
暴走したらルノは気を失ってしまう。
だとしたらそれに備えて動くべきだ。
大体一晩ほど気を失うので、その間無防備になる。空を見ると曇り始めていたから、もしかしたら雨が降るかもしれない。そうでなくても岩場の生き物に何かされるかもしれない。そもそも屋外で寝るのは危険だ。
洞窟の中で少しでも安全を確保して気を失いたい。
ルノは正直気が進まなかったが、洞窟の中で休むことにした。
影の中に横になるのに丁度いい大きさの絨毯を丸めて放り込んである。それを下に敷こう。
この洞窟は海底に向かって斜面になっているから、傾斜が緩やかなところを選ぶが、最悪海底洞窟まで行くしかない。洞窟の中での安全は、魔法で結界を張るしかない。外で寝るよりはまだ安全だと思えた。
海底洞窟に大海蛇がいるかもしれない。
皇国が攻めてきたとき、ルノは大海蛇に毒を盛った。
そのことを恨まれていたら、安全どころではない。そこで気を失ったらと思うとぞっとする。
ルノはふと洞窟にほんのりと魔力が満ちていることに気がついた。
そしてその魔力に覚えがあった。
「これって、あのときの……」
青ユリの妖精の魔力だ。
あの妖精がこんな植物の生えにくいこんなところにわざわざ来るとは考えにくい。だとするとその魔力がここで満ちている原因はルノがここで妖精を毒として大海蛇に盛ったことだろう。
ふと脳裏にリヴェータの言葉が過ぎる。
――――前からたまに見かけるものだったが、ここ数ヶ月で急に大繁殖してな。
ここ数ヶ月でたまにしか見ない海草メサンが大繁殖した。数ヶ月ということはおそらく皇国船団襲撃後だろう。
もしかしてこの魔力が原因なのだろうか。
いやもしかしなくてもそうだろう。
マルセリアの森に咲く青ユリの妖精が海辺の岩場にこんなところに現れれば何らか影響があってもおかしくない。状況的に見てもそうでしかない。
メサンがアスム地区の人を困らせているとなると、その原因はルノたちにある。
背中に嫌な汗が伝う。
と、とりあえずは暴走で海草をできるだけ回収し、それから魔力を何とかするしかない。
そう考えたとき、影(べつばら)から圧迫を感じる。
いつの間にか僕たちは影に物で満たしていたのだ。
中身をざらっと確認してみると目当ての海草メサンより、それ以外の海の幸のほうが多いようだ。
影の僕の好き嫌いに呆れながらも、影を通じてきちんとメサンを食べるように命じる。
だが僕たちから返事のようなものが返ってこない。
すでに影の力は暴走し始めていた。
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