第10話

 ふと我に返ったとき、ルノは見知らぬ建物の中にいた。


 オルミスでは近くで採れる白い石を積み重ねた建築様式が目立つが、ここは丸太の柱や梁が目立ち、そこには幾何学模様の彫刻が施され、その彫られた口に黒い染料が塗られ、線が際立っていた。



 ここはどこか。



 そんなのもちろん分かっている。


 自分で歩いてきたのだから、分からないはずがない。


 ただ気が付くまで夢の中にいるかのようだった。



 ここはオルミスの中のアスムという名の地区。以前エトと共に守り神たる大海蛇に一服盛るために通り抜けたことがある。


 それ以前にも一度訪れたことはあるが、すぐに立ち去ってしまった。


 異国風の建物の窓辺に佇み、休んでいたある者と目が合って……。


 そこでルノは思い至った。


 初めてアスム地区を訪れたとき、目が合ったあの青年。エトと共に海底へと伸びる洞窟の先で大海蛇と語らっていた者。そして今日ユニオンの広間でエルウィンらと対峙し、ルノをここまで導いたあの青年。


 全て同じ男だった。


 エトは彼の名を口にしていた。リヴェータ、と。



「入るぞ」



 丁度、まるでルノが正気に戻るのを待っていたかのように、その彼リヴェータが木の引き戸を引いて現れた。



 背の高い彼は、床に座すルノを自然と見下ろす形となる。そして一瞬だけ目が合った。再び恐怖のような凄まじい、逆らい難い、抗い難いものに襲われて、体が固まってしまった。


 まるで蛇睨みだ。


 唯一自由だと思われる心がそう思った。そして案外それは間違っていなかった。



 彼は目が合うと、ルノがどうなってしまうのか分かっているようで、ルノの正面ではなく、斜め向かいに腰を下ろし、胡坐をかいた。



「まずは名前を聞こうか」


「ルノ、です」


「ルノか。オレはリヴェータという。自分がどうしてオレについてきたか、分かっているか?」



 ルノは首を振って分からないと示す。



「なら順を追って話そう。前に、この通りでオレと目が合ったことを覚えているか」


「はい、でもあのときは急に怖くなって」


「逃げたな」



 リヴェータは気を悪くした様子もなく続けた。



「お前は他の竜や竜の子と会った事はあるか?」


「えっ」



 唐突にとび出した竜と竜の子という単語にルノはギョッとした。そんなに易々口にしていいのだろうか。


 戸惑うルノを見て、彼は眉をしかめた。



「会ったことがないのか? 全く? 珍しいものだ」


「あ、会ったことはあります。氷の竜の子の方と……。でもそんな簡単に口にしていいことだとは思いません」


「何を言っている。オレは竜だぞ」


「はぁ!?」



 そのルノの反応がリヴェータの笑いの壷を突いたのか、彼は吹き出し、しばし腹を抱えて笑い始めた。


 その笑いはまさに大笑いで、ルノがおかしくてたまらないといった様子で、ルノを馬鹿にしたその笑いにルノは面白く無さそうに憮然とした。



「そうか、そうか。よく知らないなら教える必要があるな。オレは竜だ。そしてお前は竜の子で間違いないだろう?」


「ええ。でもどうして知っているんですか?」



 まさか自分が気付かれていないと思っていただけで、実は公然の事実だと知れ渡っていたのだろうか。


 だとしたら、海に鞄を落とした偶然の幸運からの努力が無駄だったということ。


 だがリヴェータの答えは違った。



「目が合えば分かる。竜は目で通じ合うものだからな」


「目ですか?」



 言われてみれば、彼と目が合う度にルノは逆らい難い何かを感ずる。そしてラナケルで世話になったシアンも、目が合う度に他にはない親近感を抱いた。



「お前がオレと目が合い、逆らえないと思うのは、オレが自分より上だと直感しているからだ」


「そうなんですか?」


「そういうものだ。そもそも竜の子ごときが竜であるオレに敵うはずがない」



 その言い方にムッとして、ルノは彼の死角にある影に干渉し、そこからフーを押し出して、不意打ちを喰らわせようとしたが、押し出されたフーは彼を恐れるようにその場に縮こまり、後ろ足の間に尻尾を挟んだ。


 あの主すらないがしろにする影の僕が、リヴェータを恐れたのだ。



「だから言っただろう。オレには敵わない、と」



 リヴェータは背後のフーを振り返りもせず、ルノを見て言った。どうやらルノが何をしようとしていたのか、お見通しだったようだ。



「お前は竜や竜の子についてほとんど何も知らないのか。さっき言っていた氷の竜の子はどうだ」


「彼は私より詳しかったです。でも竜には会ったことがない、と」


「だとしたら帝国に行ったことすらないだろうな。そいつと目が合っても怖いとは思わなかっただろう」



 ルノは頷いた。



「それは竜の中では対等ということだ。竜はそれぞれ本能的に上下関係を作って生きている。その関係は主に血の純度、力の強さ、そして竜としての成熟度で決まる。竜の子は決して竜に敵わないのは、竜として力も弱く、未熟だからだ」


「そんな、それじゃ竜の子はずっと竜に逆らえないままなんですか?」


「竜の子は逆らえないし、敵わないだろうな。だが成長し竜となるなら分からない」


「えっ、竜になれるんですか?」


「お前は本当に何も知らないのだな」



 呆れるように、リヴェータは呟いた。そしてルノは言い訳をするように返す。



「これまで竜の子には一人しか会ったことがありませんから」


「そいつも大して知らなかったのだから当然だな。だが、運が良かったな。このオレに拾われたのだから。後で他の者も紹介しよう」


「えっ、他に竜の方がいらっしゃるんですか?」


「竜はいない。竜の子だけだ。と言っても二人だがな。竜も竜の子も集まってようやく成長できるのだ」


「そうなんですか?」


「そういうものだ。お前は今いくつだ」


「今年で二十六です」


「子どもじゃないか。いつ力に目覚めた」


「二十歳のときです」


「そんなに早く? 世話になっていた竜の子に育てられたのか」


「いいえ、私を育てたのは魔女です」


「魔女だと? ああ。なるほど。竜晶石目当てか。逃げ出したんだろう」


「違います。追い出されたんです」


「どうして」


「私が影の力に目覚めたから……」


「ああ、そうだったな。お前は影の竜の子だったな。だとすると丸呑みを恐れてか、力に助けられたな。だが魔女を偽るとは軽率だ。エルウィンはお前の正体に気付いているようだったぞ」


「そんな!」


「で、なければお前の身柄をこちらに寄越さなかっただろう。だから魔女どもに竜は無謀で愚かだといわれるんだ。魔女に育てられたから魔女を騙れると思ったのか」


「待ってください。私は魔女なんか騙っていません。私は魔女です」


「馬鹿な。竜や竜の子は魔力を持てない。だから魔法が使えないのだ」


「本当です。見ていてください」



 ルノはリヴェータを前にして、ごく簡単な魔法を使って見せた。


 魔女は無理矢理魔術師に言い換えると、その頭に生活という二文字が付くだろう。


 だからルノは家事で不可欠な火を中空に出現させた。手の平ほどの大きさの火。木造のこの建物に影響を及ぼさない程度のものにした。



「まさか……。ありえない」



 目を疑うリヴェータにルノは追い討ちをかけるように、次は手の平大の竜巻を出して見せる。この魔法を利用して床に散った塵や埃を集めたりする。



「本当に魔法なのか? 呪(まじな)いではなく?」


「魔法です。そうでないと私は魔女じゃないですし、エルウィン様もユニオンにいれてくださらなかったでしょう」


「まさか、どういうことだ。なぜお前は魔法が使えるんだ」


「なぜって言われましても……。魔力を持っていますし、師匠が、私を拾って育ててくれた魔女なのですが、魔法を教えてくださいましたから」



 リヴェータは何やら考えているような気難しげな顔をした。



「お前を育てたという魔女がお前に何かしたのではないか。本来竜や竜の子は魔法どころか魔力を持つことができない」


「そうなんですか? でも師匠は何も言っていませんでした」


「やましいことをわざわざ言うものか。本来竜と魔女はそれぞれ異なる魂を持ち、決して相容れない。だから竜の子であるお前が魔力を持つなど本来ありえないのだ。お前が魔法を使えることは、他の竜や竜の子には決して言うな。そして知られるな。気味悪がられ、輪が乱れる」


「でも私はユニオンにいましたよ?」


「それはいくらでも言い訳がつく。オレもはじめはお前が影の力を魔法と騙っていると考えていたのだから」


「影の力はそんな都合のいいものじゃないですよ」



 脳裏にあの魔法の鞄のことが過ぎる。


 偶然を利用してうまいこと切り抜けられたが、常に偶然頼りはできない。


 竜の力を魔法だと偽るのは至難の技だった。もう二度としたくない。エルウィンのように目ざとい魔女の前では特に。



「だが力も使い方次第だ。その力は特に珍しいからな、その気になれば何でもできるだろう」



 ルノは彼の言葉で先日のエトから聞いた話を思い出す。


 カナス戦線にいたという帝国の影の将軍のことだ。



「ともかく、お前の身柄はオレが預かった。これからはオレの命令に従ってもらう」


「それってエルウィン様の、ユニオンの敵になったってことですか?」


「別にあの魔女とは敵対してはいない。あいつはオレや竜の子の魂が欲しくてたまらないみたいだがな」



 リヴェータはニッと口の端を吊り上げた。


 あのエルウィンに対してこの言葉。先ほどのユニオン本部での対峙していた様子からしても、目の前の彼は只者ではないのは明らかだ。


 それにここには竜の子が二人もいるという。


 ルノは全く知らなかった。そしてその二人はエルウィンの手にかかっていないということは、彼らを庇護下に置くリヴェータがどれだけの力を有しているのか、を示している。


 それにもしルノが彼の庇護下に置かれている竜の子だったとしても、あのエルウィンの元にいる同胞に接触しようとは思わない。


 それがエルウィンの仕掛けた罠かもしれないからだ。


 そこでルノはふと思い出す。



「前に皇国が攻めて来た時に竜が現れましたが……」


「あれはオレではないぞ。そもそも洞窟にオレがいたこともお前は知っているだろう」


「どうして」



 知っているんですか。


 その言葉は彼と目が合って、体が竦み、声にならなかった。



「あれでよく身を隠せたと思えたな。まだお前は自分の影をまともに使いこなせていないようだ」



 あのとき、うまくやり過ごせたと思ったが、ただ単に彼に見逃されただけだったようだ。


 見逃してくれたのは彼の優しさか、それとも気まぐれか。



「あのとき船から現れたのは帝国の者だろう。北の空に飛んで行ったのを考えると間違いない。全く、とんだ無茶をしたものだ」



 最後の言葉は帝国の同胞に向けられたものだった。


 帝国の竜とはいえ、彼は敵視していないことが伺える。



「リヴェータさんは」


「様を付けろ。なれなれしい」



 リヴェータの鋭い一喝に、ルノは体が震えた。それでも改めて尋ねる。



「リヴェータ様は、帝国の方ではないのですよね?」


「もう何百年も前に出た。全く無関係ではないが、今の帝国のことは分からん。ところでお前の力は影だ。それなのに魔女に育てられたとは本当なのか? 帝国にいたわけではないのか」


「オルミスの前にはここより東のラナケルにいました。それ以前は師匠と共に森の中で暮らしていたのですが、それが正確にどこにあるのか、今も分かっていません」


「そうか。長く歩いて疲れただろう。部屋に案内するからまずは休め。これからのことは追々話していくが、まずはここのやり方に慣れるんだな」

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