第5話
悪いことというのは続く。
アルディオンに瓶の残骸を片付けさせながら、ルノも魔法で部屋を掃除していく。
部屋にぶちまけられた薬のにおいが充満しているのだ。
手で払うように消臭の魔法を振りまく。
魔法で割れた瓶を全てを元に戻すことができるかもしれない。だが、まだルノはその方法を知らなかった。
それにもし元に戻せても、ユニオンに下ろすときに一度そういう処置をしたと告げないといけない。
そこからはまた面倒なことが待っているのだ。
ユニオンとしてはユニオンの魔法薬として売り出すために検査をする。薬としての効果がちゃんとあるのか。一度床にぶちまけられたから、それによって汚染されていないか。また処置に使った魔法が薬に何か影響を与えていないか。
様々な検査が行われることになる。
そしてその検査のための手間賃も取られるので、結果として買取額がグッと減ってしまうのだ。
だとしたら、黙っていればいいのではないかと思うのだが、そこはやはり信用問題である。信頼に傷がつけば今度ユニオンに下ろす品全てが安く買い叩かれてしまうだろう。
ルノは部屋を粗方片付け終えると、すっかりやる気を無くしてしまった。
海に落ちる前から、最近ツイてないな、とは思っていた。
ルノは前世であったものを魔法で再現し、それをルノの発明品としてユニオンに登録していた。
初めは話題になって、そこそこお金が入ってくるが、すぐにそれは止まってしまう。
他のユニオンの魔女が改良してしまうのだ。
そうするとその発明品の利権はその改良した人に流れてしまうので、ルノの手元には何も入らなくなってしまう。
ユニオンに加入してから、そういうことが何度も何度も繰り返され、ルノはうんざりしていた。
せっかく考え出したのに、すぐに、早いときにはその翌日に誰かに利権を取られてしまうのは面白くない。
ただ、そのやり方は何の問題もなかった。
ユニオンとして、エルウィンが認めているのだ。
それもユニオン全体の利益に繋がるからだ。
もちろん、理屈としては分かる。みんなで意見を出し合うことで良くなっていくのだ。
何が問題なのかというと、ルノの実力だ。
ユニオンの魔力持ちの多くは百歳を越えるものばかり。ルノのようにまだ百歳未満というのはエトぐらいなものだった。
その年齢差が、そのまま実力と経験の差になっていた。
ルノも開示されている情報で少しでも他の魔力持ちに近づきたいと思っているが、百年の差は一年二年では埋まらない。
例え百年必死に頑張ったところで、向こうも同じように百年時を経ているのだ。
この差は埋まるとはとても思えない。
今さらながら、ユニオンに加入したことを後悔していた。
ここは幼いルノには厳しい世界だったのだ。
玄人も素人も同じ舞台で戦う。切磋琢磨できるといえば聞こえはいいが、自然界より厳しい弱肉強食の場でもあった。
そしてエルウィンの弟子でありながら、一人のユニオンの魔力持ちとして、エトもルノが直面している現実に思うところがあるようだった。
だからロイスの海運会社に協力を求めたあの魔法陣の板の実験へと繋がる。
あの板は見直すところがまだあるから、実用化まで遠い。でも船員たちからは熱望されているので、幸先はいい。
ルノは気晴らしに街に出ることにした。
ユニオンから仕入れた素材はもう底をついているし、また仕入れるよりオルミス近郊の森に行ったほうがまだ気楽だ。だが今街を出る気はなくて、街中の素材屋を回ることにした。
ルノは部屋から出ると、まずは港地区にある素材屋に足を向けた。
その素材屋は外国の素材が値が張るものの、各種揃えられているので、ルノは定期的に覗いていた。しばらく来られていなかったから、丁度良かったかもしれない。
潮の匂いが濃くなる。
潮騒も聞こえてきそうだが、人の喧騒の方がずっと大きかった。
本当は素材を仕入れに行く必要はなかった。
影の中に有り余っているし、山篭りできるほど蓄えがある。
でも今のルノは素材全てが入った鞄を海に落とし、何も無い状態。それに合わせてのアピールは不可欠だった。だが、慌てたり急いだりするのはやめていた。ボロが出るとまずい。
そもそもあの鞄を魔法だとうそぶいたことがまずかったのだ。
今度はうまくやらないと。
素材屋に寄った後、港に出よう。そこでフジツボとか海草とか、素材を採取するのもいいだろう。
あれこれ考えていると、ふと見慣れた顔が港の方からこっちにやってくるところだった。フードを目深く被っていたが、金髪が覗いていたし、その顔立ちが整っているのは隠しようもない。何より宝石のような目は意志が強く、輝いているようだった。
しかし彼はルノに気付かず、そのまますれ違おうとする。
ルノはちょっとしたいたずら心で、フーを呼び出す。
すると黒猫は本当にいつの間にか、影の中に戻っていて、素直に呼び出しに応じた。
影の中からフーを押し出し、彼の足元に絡みつかせに行かせる。
エトはどういうわけかフーが苦手のようだった。
始めは猫が苦手なのかと思ったが、野良猫には愛想よくエサをやっていることもある。だから別に猫が苦手ではないのだ。
一度どうしてフーが苦手なのか聞いてみたが、エトは曖昧な笑みを浮かべて、言葉を濁してしまった。
フーが彼に何かしてしまったのだろうか。
フーの主だけに心配だった。
「何だ」
港から歩いてきたエトは足元に絡みつくフーをうっとうしそうに足でのけようとする。
その乱暴な所作にルノは驚いた。ルノの前ではそんなことは絶対したことがない。それともこれが彼の裏の顔なのだろうか。
しかしフーは負けじとエトに絡んでゆく。
普段邪険にされている仕返しだろうか。
「エト……?」
ルノは驚きつつ、彼の前に現れた。
エトは、突然目の前に現れたルノに怪訝な目を向ける。そして思いもよらぬ一言を発した。
「お前は誰だ」
「えっ!?」
固まるルノに、彼は一人で合点したようだ。
「待て、さっき私をエトと呼んだな。もしかしてエトの知り合いか?」
そして彼はルノの右手首にあるユニオンの腕輪を見つけると、納得したように頷いた。
「ユニオンの者か。失礼した。私はエトではない。もし良かったらユニオンまで案内して貰えるか?」
「え、ええ。構いません。どうぞこちらへ。あっ、私はルノと言います。ユニオンの魔女です」
「ルノ、か。私はエヴァンだ」
エヴァンと名乗った青年は何から何までエトにそっくりだった
フードを取り払うと、強い日差しを受けて強く輝く金髪、意志の強さを感じられる青い瞳に、生命力に満ちた肌に凛々しい顔立ち。
少しエトより貫禄があって、目つきが鋭い。声もエトとよく似ているが、落ち着きがあって、力強さが潜んでいる。
よくよく見ればエヴァンとエトは違う。
エヴァンはエトより年上のようで、もしかしたらエトの兄かもしれない。
エトに兄がいるなんて聞いたことはなかったが。
「フー、おいで」
ルノはエヴァンの足の前で横倒れし、尻尾をパタパタと上下させていた黒猫を呼び戻し、抱き上げる。
「お前の猫か?」
「はい、私の使い魔なんです」
本当は影の僕だったけど、言えるわけが無い。しかし使い魔という言い訳は大変便利で、突然現れても不審がられない。
「見事な毛並みだな。まるで影のようだ」
その言葉にルノはドキリとする。きっと、ただフーを褒めただけで、彼なりの表現方法が影だったのだろう。悪い意味は無いはず。
ルノは微笑を返して、ユニオン本部である白薔薇の館に向かって歩き始めた。
「お前は魔女か?」
「はい、二年ほど前に加入しました」
「最近なのだな。エルウィン様やエトに変わりはないか?」
やっぱり彼はエトやエルウィンの知り合いのようだ。血縁者かもしれない。いや、きっとそうだろう。これだけ似ていて、赤の他人は考えにくい。
「お二人とも元気ですよ。エトは最近背が伸びてエヴァンさんぐらいになりました。本当にお二人はよく似ていますね。私もエトだと思ってしまって……」
「そうなのか。前に会ったときはまだまだ子どもだったのにな。それは楽しみだ」
「前はいつ会われたのですか?」
「十年ほど前だ。国を離れていたから、手紙のやりとりぐらいしかできなかった。だから今日は会えるのが楽しみだ」
「そうなんですね。エトがユニオンにいるといいのですが」
エルウィンとエトは別邸を持っているらしいが、基本はユニオン本部である白薔薇の館で暮らしている。だがいつもそこにいるとは限らない。エトは友人が多いので、出かけていることも多いし、師匠であるエルウィンに命じられてお使いをしていることもある。
それにしても十年ぶりの再会か。その間の交流が手紙だけというのも寂しい話だ。
エヴァンはエトの血縁者だろうから、魔力持ちだろうし、魔法で何とかできなかったのだろうか。
そのときルノは閃いた。
魔法で遠隔地と連絡を取れるようにできないか。それに写真のようなものがあれば、会えなくても寂しさを紛らわすことができる。
ルノの中で閃きが光源となり、自分でも驚くぐらい目の前が急に明るくなった。
エヴァンと話しつつ歩いていると、すぐにユニオンの白い館が見えてきた。
「ここだけは変わらないな」
どこか懐かしそうに目を細め、エヴァンは笑みを零した。
「案内に感謝する」
「いいえ、大したことはしておりません」
「ルノはよくユニオンに来るのか?」
「そうですね。納品もありますから、週に一回ほど来ますよ」
「そうか、それならまた会うことがあるだろう。そうだ、ついて来てくれ。北の国の珍しいお菓子があるんだ」
どうやらエヴァンは北の方に行っていたらしい。その土産は入っているらしい皮袋を持ち上げた。
「そんな、これからエルウィン様にお会いになられるのでしょう? お邪魔するのは悪いですよ」
「気にするな。皆で楽しんで菓子を摘んだ方が美味しいに決まっている」
「エヴァン、お帰りなさい。戻ったのですね」
二人の横、ユニオンの入り口から、落ち着きと威厳に満ちた声が掛けられ、二人は思わずそちらを見遣った。
「母上」
エヴァンは確かにエルウィンにそう言った。
ルノは耳を疑い、エヴァンを振り向くと、彼はさっきと変わらない様子、いや、エルウィンに会えて、どこか嬉しそうで、それでいて安堵した横顔。
「ただ今戻りました。母上もお変わりがないようですね。安心しました」
「全く、戻ってくるなら便りの一つでも寄越したらどうですか。そうしたらちゃんと出迎えることができるのに」
「やめてください。こっそり戻ってきたのですから。でもすぐに知られることでしょうね。でも久しぶりの息子の帰還です。少しは喜んでください」
「あら、喜んでいないわけではありません。さ、いつまでも表にいては注目を集めてしまいます。中へ入りなさい」
エルウィンはエヴァンを中に誘い、エヴァンはルノを手招く。
ルノは戸惑いながらも、それに従った。
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