第22話

 帰り道、エトの歩調は早かった。行きはルノに合わせて慎重な歩みだったが、今は小走りだ。

 暗視は続けていたものの、滑りやすく、上り坂のためか、足元の備えとして靴に魔法をかける。エトはルノにもその魔法をかけてくれた。魔法をかけられると靴は淡く光を放ち、エトが行きでこの魔法を使わなかったのは、この光のせいのようだ。


 なぜ彼が急いで外に出ようとしたのか。

 それは守り神の元を去って大分経ってからだった。


 行きの長さ分、帰りも長い。小走りなら、ずっと早く出られると考えていたようだが、間に合わなかった。

 帰りは上り坂だ。滑り止めの魔法があってもルノの体力からして辛かった。

 もうそろそろ出口、いや入り口が見えるだろう頃、地面、いや洞窟そのものが大きく揺れた。エトは踏ん張って持ちこたえたものの、ルノはバランスを崩し、尻餅をついてしまった。


「何……?」


 もしかして外ではもう地上戦が始まってしまったのだろうか。

 きちんと確かめたわけではないけれど、皇国の船団の中には大砲を備えたものがあった。大砲がついに街へ向かって打ったのかもしれない。


「大丈夫? 怪我はしてない?」


 エトが駆け戻ってきて、服が汚れるのをいとわず、片膝を付く。そして紳士的にルノの前に手を差し出した。ルノはその手を借りて立ち上がろうとするも、再び洞窟が大きく揺れ、二人の手は掠っただけで、持ち上げかけた尻が再び地面に落ちた。


「すごい揺れだ。急いで出ないと危ないな」

「この揺れは何でしょうか?」

「守り神様だよ。海底で暴れているんだ」

「さっきのが効いたって事……?」

「みたいだね。あの状態の妖精の毒は命には関わるようなものじゃないはずだけど、少しの間、暴れて貰おう。昔話にね、守り神様が暴れて大時化がたって、船がたくさん沈んだって話があるのを知ってる? それを再現しようとしたんだ。守り神様には悪いことをしたけど、オルミスを守るためには、こうするしかない。僕たちは完全に皇国に出し抜かれてしまったから」

「後で守り神様にちゃんとお詫びをしないといけませんね」

「ああ、とびっきりの極上肉をたくさん捧げよう。それぐらいしないと申し訳ない」


 それから三度洞窟は揺れたが、エトがしっかり支えてくれたおかげでルノは耐えることができた。ルノの手を握る手は、心なしか以前より大きくなった気がした。

 手を引いて、ルノの前を行く彼の背中も、広くなったように感じる。

 

 エトが最近大人びた気がしたのは、気のせいではないだろう。

 前にも増して、彼は頼もしい男になっていた。


 外への出口に近づくにつれて、外の音が、騒ぎの音が薄らと聞こえてきた。

 守り神たるあの大海蛇が暴れるというのは、とんでもないことをしてしまったような気がする。昔話では海は荒れに荒れて、船は全滅し、街や港にも大きな被害を与えたという。

 この策は、確かに皇国船団を壊滅できるかもしれない。しかし同時により多くの人が傷つくかもしれない諸刃の剣の策だった。


 街は皇国の攻撃か、海蛇の攻撃。どちらかの被害は受けてしまうだろう。


 ついに二人は洞窟から這い出た。そしてすぐに海を振り返るエト。


「やった。うまくいったんだ」


 暗視の魔法を解いても、外の明るさにはすぐ目は慣れない。ルノは手を目の上にやってかざし、少しずつ目を慣らしてゆく。

 エトも同じく目を細め、手をかざしているが、海上の様子をかろうじてだが見て取れたようだ。洞窟の入り口が丁度小高くなっていることもあって、海上の様子が伺えることも良かったのだろう。


「ルノ、見える? 海の方」


 しばらくすると、目が明るさに慣れてくる。海からの反射光は眩しく、なかなか状況を見極めるのは難しかった。しかし耳に届く破壊音は遠く、海の方からしか聞こえない。近くから聞こえるのは、破壊音より小さい人々のざわめきや喧騒。

 人々は驚きや興奮の音をざわめきに乗せている。その中に悲鳴や恐怖の色はあまりなく、人々は安心、もしくは畏怖の中にあった。

 そして、ようやく海上の様子をきちんと捉えられるようになったとき、ルノの目には、皇国の船団をその長い体を叩きつけたり、投げ出して破壊する守り神が暴れ回る姿だった。


 凄まじい光景だった。


 洞窟に入る前は、皇国の戦艦は恐ろしい死神、死の化身であったのに、守り神におもちゃのように弄ばれ、成す術なく、されるがままに攻撃を受けている。

 海岸線に並び、海上の様子を見守っていたオルミス市民から、次第に歓声が上がり始めた。


 人々が守り神の猛攻に喝采を上げているのだ。

 海上では守り神による一方的な攻撃が続いていた。数え切れないほどあった皇国の船は一刻もしないうちに壊滅されてゆく。

 ルノの目に、まともに船の形を残しているものが映らなかった。

 王国海軍の船もあったが、皇国船団を遠巻きにし、守り神の怒りを買わずに済む浅瀬で、市民と同じくただ眺めている。


 そのときだった。

 ボロ布のようにずたずたにされていく皇国の船団の中から、空に向かって何かが飛び立った。それは海岸線に立つルノたちからもはっきりと姿を捉えられるほど大きく、背中から生えた翼を大きく羽ばたかせ、ひたすらに上を目指していた。


 背筋がゾクリとする。

 その感覚は、いつか竜の子であるシアンに抱いたものと同じ。そしてアスム地区の彼に抱いたものとも。でも、アスム地区の彼のときより和らいでいて、シアンのときより強い。でもどちらかといえば、アスム地区の彼のときの方に近い。


「嘘だろう」


 エトがその光景を信じられず、呟いた。エトだけではない。海岸線に集まった市民もその光景にざわつき、どよめいた。

 皇国の船団から飛びだしたそれは、竜だった。

 濃紺の鱗を持ち、大きな翼を広げ、守り神に破壊される船から逃れた。さすがの守り神も空に飛び立つ敵には手を出せないようだった。

 人々は海上の惨状ではなく、空の竜に目を奪われていた。


「そんな、皇国の船からどうして……」


 ルノは思わずそう零していた。

 導かれる答え、皇国と帝国が繋がっていたと言う事。エトやエルウィンが予想していたことは全て当たっていたのだ。

 竜は皇国の船が海上で形すらなくなっているのを気に留めず、ついに北へと進路を変えた。

 誰もが帝国へ逃げていくのだと覚った。当然、王国にも空を飛ぶ竜を追うことはできない。そんな術はないのだ。

 ルノはふと竜に纏わりつく何かが気にかかった。東の空が白み始め、明るくなる。朝日を受けて遠ざかる竜を、ルノはじっと見つめた。


 竜には見たこともない黒い稲妻のようなものが蛇のように纏わりついている。そして不思議なことにその稲妻は飛ぶ竜を傷つけていた。竜は稲妻に傷つけられ、痛いようだったが、それでも飛び続けていた。

 ルノは鞄の中に手を突っ込み、影の中からいつか放り込んだ望遠鏡を取り出した。

 望遠鏡で竜を眺めると、竜には何人かの人間がしがみついていた。しがみつくとは言うものの、実際に形としては背に乗っていた。しかし剥きだしのまま竜の背に乗れば風圧がすごいのだろう。必死にしがみついている。


 皇国の人間だろうか。まずそう考えたけれど、ルノの感覚がそれを否する。


 彼らはルノと同じ竜の子なのだ。

 つまり、竜と同じく帝国の人間。

 ルノが影の力を持つように、彼らも竜の力を持ち、それを戦いに使っていたのだ。







 皇国の襲撃は、こうして幕を閉ざした。

 オルミスの行政にも関わるエルウィンやその弟子であるエトはそれからしばらく忙しくしていて、ユニオン本部である白薔薇の館に赴いても、姿をみることはなかった。

 少しして、オルミスの行政府から正式な発表があり、一連の出来事は帝国が皇国をそそのかしたものであると告げられた。皇国との今後は、国王に判断を仰ぐことになるのだという。

 そして、今回の一件で大活躍した守り神は、オルミス市民から更なる感謝と信仰を集めることとなったのである。

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