第21話
それは巨大な蛇だった。
遠めにも大きな岩山があるのかと錯覚するほど、その蛇は大きかった。その大きさなら人どころか、獅子、いや象すら丸呑みにできそうだ。
「守り神様だ」
エトは声を抑えて言った。
「これが?」
あの時船上から見た守り神の影は確かに大きかった。しかしそのとき想像したものより、実物ははるかに大きい。
その大きさに圧倒され、ぽかんと口を開けていた。
当の守り神こと、大海蛇は近づいてきたルノとエトを、口に対して小さすぎる円らな瞳で一瞥すると、気にした様子もなく、瞼を下ろし、体を休めるように頭部を地に下ろした。
守り神からしたら、成人前の少年であるエトやルノなど、指で潰せる羽虫のようなものなのだろう。
威嚇するどころか、気に留めた様子もない。
取るに足らない存在、か。
ルノは竜の子、魔女であっても、ただの人と変わらぬ、ちっぽけな存在であることはどうあがいても変わりそうに、変えられそうになかった。
「でも、これからどうするの?」
ルノは、エトについてきただけ。彼がどうやって地上の状況を変えるのか、全く分からないし、見当もつかない。
「これを使う」
エトの手には、見覚えのある青い妖精が握られていた。魔法で気絶させられているのか、だらりと手の中で倒れこんでいた。
ずっと昔に見たきりだったそれは、青ユリの妖精だった。
彼がまだそれを持っていることにルノは驚きだった。
「妖精?」
「そう。青ユリの妖精で作れる薬……この場合は毒薬かな。その効果を知ってる?」
「確か痺れ薬とか、錯乱薬でしたっけ」
知識としては知っている。でもルノは妖精が捕まえるというのが下手だった。妖精は捕まえようとする気配にはとても敏感で、思っていることが顔に出てしまうルノには捕まってくれなかった。だから青ユリの妖精を使った薬というのは作ったことがなかった。
そもそもルノの適性とか嗜好からして毒薬に類するものはまず作らない。
作るのはたいてい傷薬とか、栄養補助薬といった、簡単に作れて、需要が多いものばかりだ。
「そう、こいつを使うと竜すら効く毒薬ができる」
エトは手にした妖精に魔法をかけて、妖精は気絶したままその体の色を変化させて、鮮やかな青色をしていた髪はくすんだ茶色へと変化し、肌の色も桃色から黄色へと変わった。明らかに毒々しい見た目へと変貌した。
「これで、簡単だけれど毒薬ができた」
「これでいいの?」
「ああ。ルノ、手伝ってくれる?」
「何をすればいい?」
「守り神様の口の中にこれを放り込む。だから口を開けたいんだ」
「分かったわ」
と、応じたものの、これだけ大きい海蛇の口をどう開ければいいのか。
そもそも守り神の前でこんな会話をして、口を開けてくれるだろうか。守り神は目を閉ざし、呼吸に合わせて体を大きく上下させている。もしかしたら寝ているのかもしれない。ともなく、目の前で話すルノとエトを気にした様子はない。
その口を体全体を使って、こじ開けるのは難しいだろう。
守り神が大きすぎるし、守り神の表皮は体液でぬめり、わずかな光を受けて不気味に照り返した。
魔法でこじ開けることはできるだろうか。
残念なことにルノが使える魔法でそんな力技を成せるものはなかった。
一瞬、影を使えばできるかもと考えたが、エトの前で影の力を使うのはもうやめるべきだ。さっき咄嗟とはいえ、身を隠すために影の力を使ってしまった。これ以上使って、追求されるのは避けたい。影の力は魔力を発しない。ルノの正体に気付いてしまうかもしれない。
だとしたら、どうしたらいいだろうか。
こじ開けるのをやめればいい。守り神自身に口を開けさせればいい。
「守り神様って何を食べるんでしょうか? 魚?」
「肉なら何でも食べるはずだ。年に一回、漁師たちが守り神様に奉げ物をする。今年は牛一頭を海に投げ込んだ」
「丸々?」
「これだけ大きいんだから、細かくする必要がないだろう?」
「そ、そうね」
考え方とか、価値観の違いだろう。人を放り込むわけじゃないし、そこまでドン引く必要もないだろう。
肉ならルノは持っている。肩掛け鞄から、いつか特売で買った肉の塊を取り出した。
そして守り神に衝撃の魔法を軽くぶつける。守り神はやはり寝ていたのか、少し間を置いて煩わしげに円らな瞳を開けた。
ルノは肉塊を掲げ、ゆっくりと守り神へと近づく。そして守り神の口元に肉の塊を添えた。
においで気付いたらしい守り神は円らな瞳を動かして、ルノの手にある肉の塊に目を留める。ルノは守り神の目を見て、仕草で差し上げると伝えると、円らな瞳にわずかな喜びが混じる。
ルノは首だけ振り返り、エトに目配せした。
青ユリの妖精はルノの持つ肉の塊に対して小さい。これで本当に効くのか分からないが、エトと共に来たのだ。最後まで付き合おう。
守り神は肉の塊を丸呑みにするつもりなのか、ルノの頭を丸呑みできるぐらい口を開けた。想像より大きく開かれたので、ルノは自分ごと飲まれるのかと怯む。エトが小さくルノの名を呼び、ルノは慌てて肉の塊を口の中に滑り込ませた。
エトはそれに合わせて、青ユリの妖精を放り込む。
一拍遅れたエトの手を危うく守り神の鋭い歯がかすった。
ルノの肉の塊も、エトの青ユリの妖精も、守り神はゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。
「行こう」
エトはルノの腕を引く。
「もういいのですか?」
「ああ。飲み込んだし、ここにいたら危ない。早く地上に出よう」
守り神の前から立ち去るエトの足は、慌てているように早く動いた。
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