第18話
「師匠、お帰りなさい」
「エルウィン様、お疲れ様でした」
港で夕日を堪能した二人は、霧が晴れたことに喜び、表に出てくるオルミス市民たちの間を縫って、白薔薇の館に戻った。妙にテンションの高いユイナに玄関先で出迎えられ、どうだったのかとしつこく聞かれた。
どうと聞かれてもただ夕日がきれいだったとしか言えず、ユイナはどこか残念そうにしていた。
間もなくして、東の城門からエルウィンが戻ってきて、三人は館の主を出迎えた。
「楽しかったですか? ルノ」
なぜかエルウィンにもそう問われ、
「はい、夕日がとてもきれいでした」
とルノは答えた。エルウィンはどこか残念そうにぎこちなく頷き返した。
「そうですか、良かったですね。さて、魔法はうまくいったようです。これで街や王国軍に借りができましたね」
不敵に微笑むエルウィン。
その表情はこのオルミスと言う街であつく信頼される魔女であり、オルミスの外にもその名を広く知られる有力者としてのエルウィンがよく分かるものだった。
そのとき館の玄関が体当たりされるような勢いで、大きな音を立てて開けられる。
ルノもエトもユイナも、そしてエルウィンも驚いて、全員の視線がそこに集まった。
「ど、どちら様ですか……」
来客への対応も仕事としているユイナがおずおずと進み出る。
客人はドアに体を寄りかからせたまま、顔を真っ赤にして、肩を大きく上下させて、館の玄関先に揃う四人を順に目をやった。服装からして、王国海軍の人間だとわかった。
「し、失礼致します。私は王国海軍東司令部の」
息も絶え絶えな若い軍人にエルウィンは一喝した。
「挨拶は結構。用件は手短にお願いします」
「は、はい。エルウィン様、オルミス沖に皇国軍の戦艦が多数出現。ユニオンにも対応への協力を、願います」
その場にいる誰もが息をのむ。
「皇国の戦艦ですって? そう、ついにこのときが来たのね」
エルウィンは驚きはしたものの、すぐに冷静に受け止める。
霧を晴らす前のお茶会で、すでにエルウィンはその可能性を口にしていた。彼女にとっては予想の範囲内で、すでにどう対応するのか決めていたようだ。
「分かりました。ユニオンの何人かの魔力持ちに声をかけましょう。私もすぐに閣下の下に向かいます」
「あ、ありがとうございます」
呼吸が整いつつある海軍の伝令はホッと胸をなでおろした。
エルウィンはルノたちを振り返る。
「さ、これから戦闘になるかもしれません。ルノもエトもしばらくここにいなさい」
「師匠、僕も」
「いけません」
エトの言葉をエルウィンが鋭く遮る。
「あなたはここにいなさい」
「でも」
「駄目よ。それとも縛られて動けなくさせたほうがいいかしら」
頑として譲らないエルウィンにエトは渋々、その命令を受け入れた。
「分かりました」
「ルノ、あなたもエトと一緒にいてあげて頂戴。これから何が起こるか分からないのよ」
「分かりました」
エルウィンはよほどエトのことが大事なようだ。ただの師弟と思っていたが、エルウィンの弟子を思う愛情はかなり深く、雑で軽薄なルノの師匠と大違いである。その関係がちょっとうらやましくもあった。
エルウィンはエトの肩に手をやり、「大丈夫ですから、心配はいりません」と言い残し、海軍の伝令と共に扉から出て行った。
エルウィンと伝令は馬に乗ったらしく、馬の嘶きがして、すぐに蹄が石畳を乱れ打つ音に変わり、やがて聞こえなくなった。
エトは目を閉じ、馬の足音が完全に聞こえなくなるのを確認してから、二階へ上る階段へと飛びついた。
「エト!?」
ルノは慌ててその後を追う。しかしエトはルノを振り返ることなく、階段をさらに上り、上を目指す。
三階、四階、そして五階も通り過ぎ、ルノも知らなかった屋根の上へと通じる扉を乱暴に押し開け、夕闇の中に飛びだした。
「待って、エト。どうしたの!?」
ようやく追いついたルノは、屋根の縁から海の方を見遣るエトの黒い背中に問いかけた。
西日はすでに水平線の下に沈みこみ、西の空にかすかに赤を残すのみで、東から夜が染みている。家々の窓からは頼りない火の灯りが漏れ、通り沿いのガス灯には揺らめく火が順番に点されてゆく。霧が晴れたことで人々は外に出て、それを祝うかのようにいつもより賑やかな空気が下から流れてくる。
「あの時見た船影は、報告にあった皇国の戦艦だったんだ」
「港で見た?」
「そうだ。どうしてちゃんと確かめなかったんだろう。そうしたら、もっと早く動くことができたのに」
声から、エトの悔やむ気持ちが察せられた。
「でも仕方ないですよ。あの時私たちが皇国の戦艦だって分かったとしても、何ができたんですか? それにオルミスや王国を守るために王国海軍がいるのでしょう? 市民の私たちがやるべきことは逃げることとか、そういうことじゃないんですか?」
「そうだね。でも僕は逃げちゃいけないんだ」
どこか悲しげに、そして辛そうにエトは声を低めて言った。
どうしてそう思うのかルノには分からないが、せめて何かの励ましになれば、と思ってわざとらしく声を弾ませて、海を指差した。
「見てください。軍港から何艘も船が出ています」
さすがに王国海軍も自分の目と鼻の先に少し前まで目立った問題のない交易国の戦艦が現れたら黙っているわけにはいかない。その戦艦も大きいものがパッと見五艘はあって、一回り小さなものが十艘以上はある。明らかに友好を目的としたものではないと分かる。
今、王国海軍は大慌ててで戦闘の準備をしていることだろう。
エトは右目を閉じ、右手をその上に添えた。その仕草は、彼の系譜の魔法である、遠目の魔法を使うときのものだった。ルノは使えないが、エルウィンはその魔法でかなり遠くまで見ることができるらしい。
「やはり皇国の戦艦だ。大砲も、武装した兵もたくさん乗ってる」
「そんな、まさか……」
「やっぱりオルミスを攻めてきたんだ。王国は帝国にとって邪魔になるから」
「まだ帝国と確定したわけじゃ……」
確かなのは、オルミス沖に突如皇国の戦艦が現れた、ということ。いや、突如ではない。霧に隠れていたのだ。隠れて、静かに着実に近づいていた。
皇国の戦艦が現れたことから、あの霧はやはりあの戦艦と深く関わっているのだろうと嫌でも分かる。
そのとき、海からオルミスの街へと大きな爆発音が響いた。雷が落ちたかのような轟音。続く破壊音と暗くなった海に立ち上る水柱。
今し方、軍港を出た王国海軍の船のうち、一隻が大砲で沈められたところだった。
その一撃で、王国と皇国の関係が決定的なものとなる。
「もう、後戻りはできないな」
エトはそう呟いた。彼の考えが正しかったことが示された。
ルノは目の前の光景が信じられず、ただ呆然と口に手を当て、見つめているしかできなかった。
たった今、目の前で戦争への火蓋が切って落とされたのだ。
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