第12話

 鍋の中で薬剤がふつふつと気泡を湧き上げるのを見つめつつ、ルノは最近よく見るようになった夢について考え始めた。


 夢の中で、ルノは必ずアルディオンという王国の王都に住む貴族の青年になっていて、夢とは思えないほど現実味がある。まるで追体験しているかのようだった。


 本当にあれは夢なのだろうか。しかし眠っている間しか見ない。


 でも夢というのはそんなに長く覚えているようなものだろうか。そして夢は自分の記憶や想像上のものしか現れないと思うのだが、夢の中の王都は恐ろしいほど細かく、鮮明であった。もちろんルノは王都に行ったことはない。

 そんな夢は毎日見るわけではないし、ただの夢。日常生活に支障があるわけではないので、気にするほどのものではない。

 しかし同じような内容が続くということもあるのだろうか。


 アルディオンの夢はただの夢ではないような気がした。


『ルノ』


 フーに呼びかけられ、ルノは意識が現実に引き戻された。何かと問いかけようとして、目の前の鍋が吹き零れていることに気付いて慌てる。


「あ゛っ! 鍋!!」

『だから言ったのに』


 フーは呆れた様に告げると、そそくさとルノの影の中へと逃げていった。


 ただ呼びかけただけじゃない。


 心の中で毒づくも、ルノが考え事に没頭していたのがいけない。

 消沈しつつ片付け、作り直そうと薬品をしまいこんでいる戸棚をのぞくと、あることを思い出す。先日ユニオンへ作った薬を卸したが、薬品の買い足しを忘れていたのだ。そして今回も製薬用のスペースにあるだけの薬品を使って、できるだけの薬を作ろうと考えていたのだ。


 残り少ない薬品を駄目にしてしまった。


 ルノは小さくため息を吐くと立ち上がり、アパートのドアの隣にかけてある肩掛け鞄を手に取った。

 とにもかくにも、買出しに行かなければ何もできない。気分転換も兼ねて外に出ることにした。

 どこか苛立ったルノが部屋を出るのを察してか、フーが肩掛け鞄の隙間からひょっこりと顔を出す。こういうところはちゃっかりしている。


 ユニオンに所属していると、薬を作るための素材を融通して貰えるが、その素材の用途をある程度告げねばならない。別にやましいことは無いけれど、なんだか窮屈に思えた。全てユニオンに卸す物品に使うわけではなく、薬の開発や研究のためにも用いることがある。そういうのも探られているような気がした。

 だからユニオン所属は自分で素材を集めに行くのことも珍しいことではなかった。もちろんエルウィンはそれを禁じていないし、監視が付くわけでもない。でもオルミスから長く離れるときは事前に報告をしなければならなかった。


 オルミスは広い。まさに大都市だった。そしていろんな地区があって、素材を売る店もたくさんあった。素材と一言に言っても、ただ魔法にも使えるというだけで日用使いできるものもたくさんある。それに素材を求めるのは何も魔女だけでなく、ただの薬師や医者だっている。素材屋というのは思っている以上に需要があるのだ。


 ルノはオルミスの端の方にある地区へ足を向けていた。

 そこはアスムという地区で、オルミスの中でも貧しい人が多く住んでいる。オルミスの賑やかな喧騒もここには届かず、代わりに黒々とした岩場に打ち付ける波が白く泡立つ音が際立つ。その岩場は潮の満ち引きで大きく姿を変えるが、海草や貝類、甲殻類の住処となっており、アスム地区に住む人々の収入源となっていた。


 この地区に素材屋があると聞いたのはつい最近。アスムという地区があるのも知ったのも同時だった。

 地区の大半を占める岩場には海の底に通じる洞窟があるらしく、そこで採れる貝殻は特殊な成分を含んでいるらしい。その素材が手に入りやすいのがここアスム地区の素材屋だという。


 素材の特徴はある程度聞いているものの、知識と経験ではやはり違う。実際にその素材を手に入れ、研究しないと、ちゃんと扱えるとはいえないだろう。

 アスム地区へ続く道を歩いていたが、視界の端に黒い岩場が見えてきたのでそろそろ地区の中に入ったようだ。


 この辺りでは岩場の石も建材に使っているのか、立ち並ぶ家々も黒っぽく、地区そのものが岩場に溶け込んでいるようだった。地区の住民も昼間は漁に出ているのか、人気はない。目的の素材屋は道沿いにあり、看板が下がっているのですぐに分かるという。

 オルミスのほかの地区では白っぽい砂色の石を積み上げた建物ばかりで、街全体が白っぽい。その中で黒っぽいアスム地区は風変わりで、同じオルミスという街でこうも違うのかと思うとなかなか面白かった。


 ふと風変わりな地区の中により目立つ、趣の異なる建物に目が留まる。

 その建物は明らかに色が異なる。それどころか建材さえ違うようだ。他は石でできているが、そこだけは木材で、建物の様式すらどうも違う。例えるなら、パリの街中に和屋敷が突然あるようなものだ。

 建物に使われている木の風化具合からしても、長くそこに建っているようだった。


 何の建物だろう。


 一瞬これが目的の素材屋かと思ったが、それならそういう看板が立っていて、話を聞いたときにそう説明があるはずだ。しかしこの建物には素材屋ではないと分かる図柄の看板、いや垂れ幕が下がっており、趣は異なるとはいえ、どこか目をひく外観をしていた。


 オルミスにも教会はある。しかしラナケルとは違い、ここでは教会の力は弱い。教会は排他的な一面を持っており、彼らが勢力を強めていると他国の様式は受け入れにくくなるという特徴があった。ラナケルはそれでも昔から交流のあった南方諸国の品々は多少なりとも流れてはきていた。南方諸国は、教会にも王国にも害をなさないと判断されたからだろう。


 ここで言う、いわゆる異国風の建物は、やはり目が行く。木造であるものの、前世でよく知っている和風とも中華風にもどことなく似ている。しかし似ているだけで、やはり違う。妙に心を惹くその様式はルノは人目もはばからず見つめていた。


 その建物は周りと同じ二階建てではあったが、周りの建物より一段低くなっていた。

 二階の窓は屋根のすぐ下にあり、屋根が二階を抑えている形で、そのために建物が低くなっているようだ。


 ゆっくりと前を通り過ぎていく間、ルノはずっと見ていた。二階の窓から垂れ下がった垂れ幕からして何か商売をしているのだろうけれど、そこに描かれている図柄には見覚えも無く、職業が見当もつかなかった。


 ふと、その建物の二階の窓の奥に人がいるのに気が付いた。

 窓と言ってもガラスは嵌められておらず、部屋の中に灯りもないので、すぐには分からなかった。動く影に気付いてようやく、誰かがいると分かったのだ。

 その人が窓の近くまでやってきた。


 髪が長い。女の人だろうか。


 見上げるルノとその人の目が合った。

 瞬間、背筋から首筋へと鋭い電撃が駆け上った。その電撃は恐怖をかきたて、途端にルノは獅子に咆えられた獲物のように、その場から逃げ出した。

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