第8話

 足を踏み出すと、黒い革のブーツが赤く毛足の長い絨毯に沈み込む。

 赤い絨毯は真っ直ぐ前に伸び、赤い道の先には、十段ほどの昇り階段。その上には豪奢な椅子があり、壮年と老年の狭間をさまよう男がもたれかかるように座り込んでいた。

 赤い絨毯をゆっくりと歩み、階段の前で片膝を付いて頭を下げる。


「陛下、召喚に応じ、参りました」


 顔を上げ、段上の男を仰ぎ見た。男――――国王は気だるげな様子で応える。


「ああ、よく来た」


 疲れたように一呼吸吐いてから続けた。


「お前を呼んだのは他でもない。お前の力が必要になったのだ」

「私めにできることならば、何でも致しましょう」


 それは彼の裏の顔への命令だった。

 普段は王都近郊に居を構え、小さくも賑やかな宿場町を運営する一貴族だが、先祖代々この裏稼業も担ってきた。昔から王族に仕え、彼らにとって疎ましい存在を秘密裏に消してきた。


「そうか、では今回お前に任せたいのは」

「陛下の王位を脅かすガキよ」


 国王の言葉を横から掻っ攫ったのは、玉座のある段上に我が物顔で現れた女だ。腰まである波打った赤髪を揺らし、白い布を巻いただけの露出が多い服を着ている。反射的にギリリと奥歯を噛み締めていた。

 その女の声は高慢で、十代のような瑞々しい肢体を自慢げに晒す。そして玉座の肘掛に片膝を付き、国王の首にまとわりつくように抱きしめた。

 親子、下手すれば三世代も年が離れたように見える二人の、人目をはばからない痴態に目のやり場に困ってしまう。


 国王も玉座の上で、謁見の最中だというのに鼻の下を伸ばし、女の頭を愛おしげに撫でる。

 この女は嫌いだった。特に顔の上半分を覆う、細やかで不可解な模様の刺青が気味悪い。


「さっさと殺してやりたいところだけど、あの忌々しい魔女が常に傍にいるの。それにあの魔女ったらガキに魔法を教えていたのよ? 全く、困ったものね。うっとうしい廃王子は戦火に放り込んだのに。このままじゃあの魔女に全て奪われてしまうわ!」


 赤毛の魔女の金切り声に耐えつつ、心の中で盛大にため息を吐いた。


 本当にこの女が嫌いだ。


 国王はこの魔女に夢中で、魔女は国王を振り回している。今回のこの命令は王国のためにも正しいだろうが、赤毛の魔女の対抗心が燃えているからかもしれない。


「王国のために頼んだぞ、アルディオンよ」


 片膝をついたアルディオンは国王に深々と頭を下げ、謁見の間を静かに後にした。







    ○ ● ○







 ルノが目を覚ますと、固い地面に顔の左半分を押し付けてうつ伏せに倒れていたことに戸惑った。強張った体を起こし、辺りを見回すと、昨夜フーやトカゲたちをもぐりこませた森のすぐ外。昨夜フーやトカゲたちの食事が終わるのを待っていたところだった。

 いつの間にか、眠ってしまったようだ。


「フー、いる?」

『なに?』


 黒猫はすぐに現れた。


「昨日、ちゃんと食べた?」

『うん!』


 フーはご機嫌に頷いた。フーの言う通り、影の中のものは増えている。しばらくは大丈夫だろう。そして物の入り具合からして、暴走したわけではないようだ。

 つまり、ルノはただ待ちくたびれて、眠ってしまっただけのようだ。


 それにしても変な夢だった。


 ルノは王国貴族の青年となって、国王に会い、誰かの暗殺を命じられるという夢を見た。そして夢には赤毛の奇妙な魔女も出てきた。


 本当に夢だったのだろうか。


 あの魔女は、知らない魔女だった。確かに顔の半分を刺青が覆っていたが、ルノの知っているその特徴の魔女はフレイヤで、彼女は輝かんばかりの金髪で、顔の上半分を刺青が覆っていても、圧倒するような美しさを備えていた。

 夢の中の魔女は確かに若く美人ではあったけれど、フレイヤほどではない気がする。魔法で容姿を変えることはできるだろう。しかしあの迫力ある美を取り払ってまで容姿を劣化させ、国王に取り入る意味が分からない。フレイヤならそのままで十分だと思う。


 ルノはそこでハッとした。


 自分はあの夢を現実だと捉えていた。

 確かにあの夢は他の夢と違って現実感があって、夢にしては細部が細やかで、視点になっていた貴族青年の心情がありありと感じられた。

 夢とはもっとこう、自分の想像や経験、記憶の範囲内のものが描かれると思う。しかしあの夢はルノの記憶や想像の範囲を超えているように思えた。


『ルノ?』


 考え込んでいたルノは、フーの呼びかけで意識が現実に引き戻される。


「ああ、ごめんなさい。オルミスに戻りましょう」


 ルノはフーを抱き上げる。今日のフーは影(おなか)が一杯のためか大人しい。そのわりに腕の中のフーは軽く、片手でも楽に支えられる。ルノはもう片方の手で顔や髪、服に付いた砂を払うと、オルミスに向かって歩き始めた。

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