第7話
オルミスでの生活はラナケルでのものと大きく違った。
今のルノは雇われの魔女という言葉がふさわしく、ユニオンという大きい枠組みの中に組み込まれた歯車のひとつだった。
前世でもそうだったけれど、雇われているほうが楽というのはある。面倒なことを全て雇い主が片付けてくれるのだから。もちろん必要最低限の手続きなどはあるけれど、仕事に専念できるのは確かだった。
『お腹すいたー』
ユニオンから借りたレシピで薬を作っているときだった。フーが影から出てきて、ルノを見上げる。
ついに来てしまった。影の空腹が。
ルノは薬作成の手を止め、考え込んだ。
そろそろマルセリアの森での暴走から三ヵ月。前回の暴走でかなりのものを影に詰め込み、ここしばらくフーは空腹を訴えなかったから、忘れかけていた。
そういえばあの時飲み込んだものの確認や整頓もしていない。しかし飲み込んだものの中に生きた人間があると思うと、どうにも触れたくない。まだ彼らは影に染まっておらず、影から出すこともできない。だとしたら、ルノにはどうしようもない。とりあえず、彼らには申し訳ないが、五人の人間は影の深いところに押し込んだ。
フーはルノが困惑しているのも気にせず、足元に擦り寄り、甘えてきた。
それにしても、どうしようか。
オルミスに来てここでの生活やユニオンとの関係も落ち着いてきたものの、まだ余裕はない。オルミスを出たことがないのだ。オルミスはラナケルよりずっと広く、街中だけでも十分に暮らしてゆける。それまでラナケルでは街の外に採取に行かないと手に入らなかった素材も、オルミスでは街中の店先に並んでいる。
そうでなくても、ユニオンに掛け合えば、有料で融通して貰える。本当に魔女として、魔力持ちとして、魔法を研究するのには困らない。
しかしルノは魔女だけでなく、竜の子でもあった。
竜の力の暴走は何としても食い止めなければ。
もしオルミスの街中で影の力が暴走したらと想像すると、背筋がぞっとする。
ルノは薬を一通り作り終えると、鞄を斜め掛けにした。
「フー、お出かけしよう」
『なにか食べる?』
「そうね。探しに行こう」
とにかくオルミスは大きな街だった。たくさんの人が住んでいて、王国西部の海運の中心だけあって、王国海軍の基地も、専用の港も、オルミス港の隣に併設されている。オルミスの大きな港は、オルミスという街が港に向かって緩やかに傾斜がついているためか、港は街のどの地区からでも見下ろすことができる。
そしてオルミスの大通りにはガス灯が設置されており、夜でも比較的安心して出歩くことができた。
ユニオン所属の魔力持ちは、腕輪を与えられる。出歩くときはそれを利き手の手首にするのが規則で、ルノも今、右手にしていた。これだけでユニオンの魔力持ちで、エルウィンの庇護下にある人間だと示すことができる。
エルウィンの影響力はルノが思っていた以上に大きいようで、街の衛兵や王国軍人すらもその腕輪を目にすると、ギョッとした顔をする。エルウィンは有力者と聞いていたが、その辺の有力者とは一味違うようだった。
常時解放された街門を出ると、暗い道、石畳が伸びていた。ルノは魔法で灯りを作り出すと、それを頭上に浮かせた。目指すはオルミスの近くにあるという森。マルセリアの森とは違う森で、もっとずっと小さいものだとは聞いている。
何でもいい。とにかく何か影の中に詰め込まなくては。
『じぶんで歩く』
ルノの腕に抱かれていたフーはそう言うと、体をくねらせ、ルノが腕を解くよりも先にとび出した。
「あんまり私から離れないでね」
『わかった』
そう返事をしつつフーは灯りの白い光が届かないところへと進んで、夜闇に紛れてしまった。
本当に分かっているのかな。
どうにもフーは主であるルノの言うことを聞いてくれなかった。影の僕であるはずだが、彼だけはうまく扱えないでいた。
そういえばこうして一人で出歩くのも久しぶりだ。最近出かけるというと常にエトが隣にいてくれた。彼は明るく、人懐っこく、親切だ。信頼できる人であるけれど、竜の子であることはとてもじゃないが明かせない。
ルノの脳裏にあの美しく青い竜晶石が過ぎる。
彼だけでなく、誰にも竜の子であるとは明かさない方がいい。
間もなくすると、ルノの前に黒い影となって、ルノを覆わんとする森が現れた。フーもちゃんと近くにいるようだ。
ルノは影の中から何体かのトカゲを出し、森に向かって解き放つ。
「好きなだけ食べておいで」
トカゲたちは意気揚々と森の中へと消えていった。ルノは道を外れ、全くない道の往来の邪魔にならないところで腰を下ろす。
まだ暴走するほどではないから、好きなだけ、と言っても適度にしか食べてこないだろう。フーにトカゲ数匹じゃすぐに影は埋まらない。
ここで星を見ながら影の僕の帰りを待った。
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