第6話

「これ、ここに置いておくね」


 エトは抱えていた木箱を部屋の中央に置かれていた机の上に置いた。木箱の中でガラス瓶がぶつかり合い、不安を掻き立てる音を立てた。木箱のガラス瓶の中は全て薬品で、ユニオンから無償提供されたものだ。新人歓迎サービスみたいなものだろう。


 通常手に入れようとするなら、なかなか値の張るものだけに、実にありがたい。

 部屋を見渡したルノは、いろいろな思いが込められたため息を吐いた。


 狭い部屋だった。


 もちろんそれはラナケルの大紅葉の屋敷と比べて、だ。オルミスでは一家四人が暮らせる間取りの部屋、アパートだ。

 ユニオンに加入したことで、エルウィンという後ろ盾を得られた。そして彼女から与えられたのがこの部屋。ここでルノは魔女として活動していくことになる。しかしそれはこれまでの形ではなく、すべてユニオンを通しての仕事となる。


 仕事から生活まで全てを世話してもらえると考えるか、管理されると考えるか、それは自由だろう。

 しかしユニオンから部屋を借りているという状態のため、ルノは毎月家賃をユニオンに支払わなくてはならなかった。相場よりは安いらしいが、ルノにとっては安くない額。ここでの生活費も考えると、のんびり暮らすなんてまずはできないようになっていた。


 ユニオンは絶妙なバランスで加入する魔力持ちたちに恩恵を与え、そして対価を差し出させていた。

 ともかく、加入してしまったのだから、ユニオンの敷いたレールの上を走るしかない。ルノなんて、ユニオンに所属している他の魔女に比べたら、ひな鳥も同然なのだから。


 ルノに貸し与えられたのは騒々しい港や市場から離れたところにある住宅が立ち並ぶ地区にある、アパートの一室。アパートは四階建てで、ルノの部屋は四階。日当たりも良くて、アパート自体、小高いところに建っているために、窓からは海が望めた。


「ありがとう」


 ルノはエトに礼を告げると、部屋の中を順番に見ていった。

 南向きの大きな窓からは強い日差しが差し込んでいる。昨日は結局そのままユニオン本部である白薔薇の館で部屋を借りて夜を明かし、日が昇ってからここにやってきた。

 このアパートは白薔薇の館からそう遠くないところにあり、作成した薬などを売りに行くのも楽そうだ。

 窓には落下防止のためだろう、鉄の手すりが設置されていた。手すりは茶褐色の塗装が成されており、植物を育てる鉢を置くためだろう、手すりの下部は大きく膨らんでいた。


「何しようとか、考えてる?」


 エトが隣にやってきて、尋ねた。


「まずは、教えてもらったレシピを習得していって、余裕が出来たらオルミスの人が何を欲しがっているか探ろうと考えています」

「そっか。僕にできることがあったら何でも言ってね」

「ありがとうございます」


 エトは人懐っこい少年だった。ルノにとても良くしてくれる。


『もう着いた?』


 ルノの影から黒猫の姿をしたフーが出てきて、新しい部屋を見渡した。突然現れた黒猫にエトはぎょっとした。ルノは慌てて説明する。


「この子、私の使い魔なんです。フーって言って」

「そ、そうなんだ」


 エトの顔は引きつったまま、頷いた。そんなに驚くようなことだっただろうか。確かにフーはルノの影から出てきたが、魔法に携わる者なら使い魔ぐらい珍しくもなんともない。突然現れたりするのも不思議ではないのに。

 フーは暴走したとき以来、久しぶりに外に出てきた。しばらくぶりの外が気持ち良いようで、大きく伸びをしていた。


「そうだ。市場に案内しようか」

「いいんですか? お願いします」


 さすがにエトがいる前で影からあれこれ出すわけにはいかない。

 オルミスに来て間もないこともあるし、エトに甘えることにした。


 ルノはフーを部屋に残し、扉に鍵をかけた。

 フーを始め、影の僕はルノの影か、ルノが自分の影と繋げた影からしか出入りができなかった。ルノが部屋を離れたら、フーはしばらく影に戻れないが、フーは気にした様子はなさそうだから、大丈夫だろう。そもそもラナケルでもよくやっていたし。

 オルミスには市場がいくつもあるようだったが、幸いにもオルミスで最も大きな中央市場はアパートの近くにあり、ルノの足で半刻ほどだ。市場が近づくにつれて喧騒が耳に届き、行き交う人も増えた。


「オルミスは王国西部の海運の中心なんだ。大陸各地からいろんなものが集まるんだよ」

「へぇー」


 エトの言う通り、市場の通りには様々なものが所狭しと山積みにされていた。

 市場は石造りのアーチが幾本も道に沿って立ち並び、そのアーチの間がそれぞれの店の間取りとなっているようだった。通りは人で一杯で、まるでラナケルの収穫祭のようだった。

 でもあのときより今のほうがずっと人が多い。

 多いのは人の数だけではない。様々な人種を見かけた。

 ルノのような黒髪の人もいれば、赤毛の人もいる。エトのような金髪もいるし、茶褐色の人もいる。肌の色が黒い人もいれば、戦化粧を施した人もいる。服装も多種多様で、半裸の男もいれば、丈の長いスカートを履いた女もいる。


 ルノの知る世界はあまりにも狭すぎたようだ。

 ルノは御のぼりさん丸出しで、立ち並ぶ店や行き交う人々に忙しなく目を移した。このときばかりは幼い容姿が役立った。ルノの興味津々な瞳を受けても、子どもと分かると仕方ないというように微笑んでくれた。


「あ、おじさん! こんにちは」


 ある果物を売る店の前でエトは足を止めた。声をかけられた色黒のおじさんは、白い歯を見せて二カッと笑う。


「エト坊じゃねぇか。おつかいか? おっ、そっちのお嬢さんはどうした」

「ルノだよ。こっちに引っ越してきたんだ」

「こんにちは」


 エトの紹介に合わせて、ルノは愛想よく笑った。

 エトは懐から銅貨を取り出し、差し出した。


「おじさん、リンゴちょうだい」

「毎度あり」


 おじさんはおまけしてくれたようで、リンゴを五つもエトに押し付ける。エトは落としそうになりながらも、片手で四つのリンゴを抱えて、一つのリンゴを服にこすり付けて汚れを拭い、ルノに差し出した。


「どうぞ」

「ありがとう」


 ルノが両手でリンゴを受け取り、笑顔でお礼を告げた。

 そういえばこっちの世界ではリンゴは初めてだ。ラナケルでも見たことがなかった。


「北の方の国の果実なんだ。あと高地でも育てられてる。とっても甘くて美味しいんだよ。きっと気に入る」

「本当? 食べてみてもいい?」

「もちろん。あ、ちょっと待って」


 エトはズボンのポケットからハンカチを取り出し、開いている手の上で広げた。


「そのリンゴ、ここに載せて」


 ルノは言われたままに、渡されたリンゴをハンカチの上に載せた。


「見てて」


 エトはルノがリンゴを見つめるのを確かめてから、得意げな声音で高らかに詠唱した。


「果実よ。その身を晒し、捧げよ」


 エトの系譜は言葉を用いる魔法のようだ。エトの師はエルウィンだし、彼女も同じような魔法を使うのだろう。

 エトの手首にはエルウィンにあったような魔女の証はなく、彼はエルウィンの弟子ではあっても後継ではないようだ。もしかして、エルウィンが始めたユニオンが何か関係しているのかもしれない。

 ルノの目の前で、ハンカチの上のリンゴは一人でに皮がむけ、切れ目が入り、芯からペロリと剥がれて、食べやすい八つ切りへと変貌した。


「わぁ!」


 思わず歓声を上げたルノに、エトはそのリンゴの載った手を差し出した。


「どうぞ」

「ありがとう。すごい魔法ね」

「僕が考えたんだ」


 誇らしげなエト。

 面白く、便利な魔法だった。ルノはただただ感心し、エトははにかんでいる。そんな二人を果実の山の向こうで店主のおじさんがほほえましく見守っていた。

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