第5話
西日が差し込む中、ルノはエトの案内で白薔薇の館を訪れた。
エトの師匠にして、ルノが尋ねるエルウィンという人物は日中忙しくしているらしく、この時間ならゆっくり時間が取れるだろうとのことで、それまでエトにオルミスの街を簡単に案内して貰っていたのだ。
しかしオルミスの街はラナケルと比べても大きい。半日も満たない時間ではこの街の主要なところのいくつかしか回ることができなかった。エトはもっと連れて行きたいところがあったようだが、それは後日案内して貰うことにした。
白薔薇の館はオルミスの城門から港へと伸びる主要道路沿いにあり、道に対する間取りも幅広い。建物自体もその名にふさわしく白く麗しく、荘厳だった。お城みたいと思ったが、あくまで館で、しかもこの建物はエルウィンという魔女の居城であり、彼女が始めたという魔力持ちの共同体の本拠地でもあるという。
エトは慣れた様子で館の玄関扉を開くと、ルノを中に誘う。
玄関ホールは役所のようにカウンターが並んでおり、何やら取引が行われているようで、抑えた声でカウンター越しに問答が交わされていた。
「ルノ、こっち」
エトはルノを手招き、壁際にある階段の方へと誘った。
「あそこは買取と相談窓口。師匠が始めた魔力持ちの共同体――――ユニオンの設備なんだ」
「賑わっているのですね」
「そこそこね。師匠はもっと仲間が欲しいって言ってる。でもそう簡単に魔力持ちは集まらないよ。条件が厳しいからね」
「そうなのですか?」
「人によってはね。でも、ルノが僕たちの仲間になってくれるなら、嬉しいな」
外から見たときから分かっていたが、白薔薇の館は幅が広いだけでなく、高さもある。五階はあるだろう。当然、移動手段は階段しかなく、高いとそれだけ歩くことになる。しかしこれぐらいで根を上げるような貧弱者は、この世界では生きていけないだろう。
「こっちだ」
てっきり最上階まで行くのかと思っていたが、エトは三階まで昇ると四階へと続く階段には向かわず、廊下へと出た。
そしてある扉の前で足を止めた。ルノを振り返り、笑顔で頷いた。
ここが彼の師匠エルウィンの部屋らしい。
エトは小首を傾げて、ルノに心の準備ができたか尋ねた。ルノは頷いて返す。エトは頷いて、扉を軽くノックした。するとすぐに中から返事があって、エトが名乗る。扉の向こうから入室の許可が返ってきた。
「失礼します、師匠」
西日が差し込み、橙に染まる部屋にエトに連れられルノも部屋の中に入る。
「エト、お帰りなさい。そちらのお嬢さんはどなたかしら」
部屋の奥、執務机の前にその女(ひと)はピンと背筋を伸ばして立っていた。
高く結い上げられた黒い髪に意思の強そうな瞳。レースのあしらわれたブラウスに、体の線がはっきりと分かる黒いロングスカート。背が高く、ルノを見定めるように鋭い眼差しで見下ろした。
「ただいま戻りました。こちらは魔女のルノ。マルセリアの森で出会いました」
「まぁ、魔女ですか。立ちっぱなしは良くないわ。さ、お掛けになって」
彼女にすすめられ、ルノはいかにも座り心地の良さそうな綿入りの椅子に浅く腰掛けた。浅く腰掛けたのは椅子が高くて、足が床に着かなかったからだ。さすがに客人とはいえ、足をぶらつかせるのは無礼だろう。
エトの師匠は丸机を挟んで向かいの椅子に腰を下ろし、エトはその後ろに立った。
彼女は椅子に座っていても背筋を伸ばし、真っ直ぐルノを見た。威圧するような鋭い目つきに思わずルノは身を竦めた。
「初めまして、ルノさん。私はエルウィンと申します。ここまではエトにつれてきてもらったようね」
「は、はい。エト……、エトさんにはとても親切にしてもらいました」
「そうなの。でもどうしてあなたは今日こちらに?」
「あの、私、実は先日までラナケルという街にいまして……」
「ラナケル? あの大火のあった?」
この人の耳にもラナケルの大火の噂は届いていたようだ。あの大火からは一月以上経っているが、あんな田舎町、こんな大事件があればすぐに代名詞となってしまうのだろう。
「師匠、ルノがあのラナケルの魔女なんだよ」
そっとエトが耳打ちをした。すると、エルウィンの目は驚きで見開かれた。
「あなたが? ごめんなさい、もっと大人びた方を想像していたから驚いているの」
「仕方ありませんし、気にしていません。その、私はどういうわけか成長が遅いみたいで……」
魔力持ちはある程度の年齢まで普通の人間と同じように成長するという。しかしルノは竜の子でもあって、その成長は通常とは異なる。だが竜の子ということは知られたくないので、あくまで成長の遅れは個人差で片付けようとした。
強引な手ではあるが、それしかない。
エルウィンはエトのような弟子を抱えるような魔女であることもあって、三十代の落ち着いた女性に見られるが、実年齢が百を越えていても不思議ではない。
「それで、実はラナケルの魔女監視官があの大火で亡くなってしまって、領主からこちらに向かってみたらどうかと薦められたのです」
あの領主と目の前の女性がどんな関係かは分からない。だから悪口のように聞こえてはいけないと、ルノは穏やかな言い方をした。
床に置いた肩掛け鞄から、いつかもらった領主からの紹介状を取り出し、エルウィンに差し出した。
「こちらはその領主から渡された紹介状です」
「拝見いたしましょう」
エルウィンはルノから紹介状を受け取ると、丁寧に封を切り、中の書類を取り出して目を通した。一度エルウィンは片眉を跳ねさせたが、それだけだった。
「なるほど、よく分かりました。さて、ルノ。私は今様々な系譜の魔女や魔術師を集め、魔力持ちの共同体を作っています」
「ユニオン、でしたよね」
ルノがその名前を口にすると、エトが誇らしげに胸を張った。
「僕が教えたんだ」
「そうなのですか。でも、きちんと説明させてください。理解を得られないまま加入し、後で問題が起こってはいけませんから」
ルノは気になっていたことを口にした。
「そのユニオンは魔女だけでなく、魔術師も加入しているのですか?」
「その通りです。魔力を持つ、魔法に携わるもの全てです。難しい話ではありません。職人が集まってその技術の共有をしたりする協同組合(ギルド)があるでしょう? つまりは魔法のギルドですよ。領主はそれにあなたを推薦したようです」
「私をですか? でも私はこれまで通り魔女として活動ができれば、と考えているのですが……」
「分かりました。それではもしこのユニオンに加入してくださるのでしたら、この私があなたの身分を保証し、この街、もしくはこの近辺で魔女として活動できる場を用意いたしましょう。いかがですか?」
目の前の女性は、ルノが思っている以上に力を持っているようだった。
教会ではなく、彼女自身が身分の保証をすると言い、それが可能だという。この大都市の主要通りのど真ん中にこんな大きな館を構えることができるぐらいだ。この人はただの魔女ではない。
でも、ルノはすぐには受け入れなかった。
「先に確認してもよろしいですか?」
「どうぞ」
「今どのくらいの方がこのユニオンに加入しているのでしょうか? それに加入してすぐにユニオンが共有している知識とか技術とか、教えてもらえるのでしょうか?」
「なるほど、なかなか慎重な方なのですね」
エルウィンは感心したように頬を緩めた。
「今ユニオンには五十人を越える魔力持ちが参加しています。魔女がほとんどですが、魔術師もいますね。そして加入してすぐに全ての知識や技術を得られるわけではありません。情報の持ち逃げはして欲しく在りませんから。ですが各系譜や系統の初歩的なものなら、すぐに得られます。魔女が必ずしもその系譜の魔法に最適というわけではありませんからね。適性があるものを伸ばすべきでしょう。そして実力が認められ、信頼を得られれば、段階的に次の難易度の情報が開示されてゆく仕組みになっています」
そこでエルウィンは一息ついた。
「さて、もうお気付きでしょうけど、情報は与えられるだけではありません。加入していただいたら、あなたの持つ魔法の知識や技術も全てユニオンに提供していただきます。よろしいですね?」
「でも私、見ての通りまだ駆け出しの魔女で、大した知識や技術を持っているわけでは……」
「その場合は、ユニオンのために働いて貰うので大丈夫です」
なるほど、働かざるもの食うべからず、か。間違ってはいない。
とはいえ、ルノにはラナケルの大紅葉の館で手に入れた魔女フレイヤの資料がある。全く何も与えられないわけではないから、多分大丈夫だろう。どちらにせよ、魔女として活動できるという確約が得られたなら、それに越したことはない。
寄らば大樹の陰、だ。
ルノは大きく頷いた。
「分かりました。ではユニオンに加入させて貰えませんか?」
「いいのですね?」
「はい。ここで魔女として活動できれば、きっと前より魔女として腕が上がるはずなので」
ユニオンにいれば、商売の競争相手が増えてしまうだろう。でも、それだけルノが腕を磨けばきっと勝ってゆける。今すぐは無理でも、勉強ができる。そもそもルノは師匠に住んでいた森を追い出されたのだ。ちゃんとした魔女として認めてはくれても、ルノは自分が未熟だと自覚していた。
ラナケルでやっていけたのは、ラナケルがずっと田舎だったからかもしれない。
「いいでしょう。ようこそ、ルノ。私たちはあなたを歓迎します」
エルウィンは椅子から立ち上がり、ルノに右手を差し出した。ルノは椅子から飛び上がるように立ち上がり、その手を取った。二人が握手を交わしているとき、ルノはエルウィンの右の手首に、ルノとは異なる形ではあるが、魔女の証が刻まれているのを確かに目にした。
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