第3話

 火が小さく爆ぜる音で、ルノは目を覚ました。頬を冷たい夜気が撫ぜる。目の前にどこか心許なく燃える焚き火があって、辺りはすっかり暗く、空には星が散っていた。


「気が付いたかい?」


 焚き火の向こうから声がかけられ、ルノはそこに誰かいることに気が付いた。


「誰……?」

「僕はエト。森の中で君が倒れているのを見かけて、結界を張っておいたんだ。とりあえず目を覚ますまで見守ろうと思って。具合はどう?」

「悪くないです。ちょっと貧血を起こしたみたいで……」


 全くの健康体だが、倒れていたもっともらしい理由がそれしか思いつかなかった。


「でも親切にしていただき、ありがとうございます。私はルノという魔女です」


 エトの瞳がわずかに輝いたような気がした。


「魔女? ってことはもしかしてオルミスに行こうとしていた?」

「よく分かりましたね」


 行商隊の人の話によると、このマルセリアの森を抜けた先にオルミスという港街があるという。ここにいるなら、大体はオルミス行きか、オルミスを発ってきたのだと分かるらしい。


「よく聞く話だからね。僕も魔力持ちで、今は魔法の修行中なんだ」

「エトさんも?」


 ルノはじっくりと焚き火の向こうの少年を見つめる。言われて見れば彼から魔力を感じる。しかし、それ以上に気になったのは、彼の服が右肩を中心に赤く染まっていることだった。


「待って、あなた肩に怪我を……!」

「ちょっと転んだんだ」


 エトはすかさず答えた。慌てているようにも見える。そして理由を続けた。


「見た目はすごいけど、大した怪我じゃない。もう手当てもしてあるし、薬も飲んだ。ああ、そうだ。僕のことは呼び捨てでいいよ。きっと同じくらいの年だろうしね」


 少年エトはまだ十四、五歳ぐらいのようだ。ルノはそろそろ十九を迎えるが、見た目は幼いまま。大体十二歳ぐらいに見えるだろう。魔力持ちは大体普通の人間と同じように成長し、二十代から三十代ぐらいになると成長が緩やかになる。長い寿命のからみると、成長が止まっているようにも見えるらしい。しかし遅くとも確かに成長し、老化が進んでいる。


 ルノが竜の子だということは言わない方がいいだろう。


 脳裏にあの青く美しい魂の結晶が過ぎる。


「分かったわ、エト。ところでここはマルセリアの森ですよね? あなたはどうしてここに? 今この森に魔物が出るって聞いていたけど」

「そうなのかい? 初めて聞いたな僕はオルミスから来て今朝この森に入ったけど、魔物のいた形跡なんてなかっ……あ」


 話しながらエトは何か気付いたようだったが、取り繕うように笑顔を貼り付けた。


「きっと勘違いか何かじゃないかな? それにほら、この森には木の実とかたくさん採れるから、誰かが独り占めにしようとしたとか?」


 今、周りを見回しても、あるはずの森の実りはどこにも見当たらない。全てルノの影の中だ。影からの圧迫感がすごい。ゲップできたらどれだけ楽だろうか。しかし影は別腹に例えられても臓器でも何でもない。影が広がるのを待つしかなかった。


 ただ今の何も無い森の状態が、エトの言葉を裏付けているように演出した。


「そ、そうかもしれませんね。そうだ、お腹空いていませんか? 簡単なものならありますよ」


 と言って、ルノは傍に置かれている鞄を探った。これはただの肩掛け鞄だが、ルノが影の力を用いることで、誰にも怪しまれずに、影から自由に物を出し入れできる素敵アイテムに早変わりする。

 影の力と言わなくても、魔法だと言ってしまえば、たいていの人は納得してしまう。魔法を会得している人でも、魔女の系譜によって様々な魔法があるので、そういう魔法もあるのだろうと考えてしまうのだ。


 ルノは鞄の中から、いつか放り込んだ鶏肉とレタスをパンで挟んだ軽食を二つ取り出した。影の中は時間が経過しないので入れたときのまま、ホカホカと温かい。

 一つをエトに渡した。


「ありがとう、それも魔法かい?」

「ええ。師匠発案の魔法なんです。すごいですよね」


 エトは受け取ったものの、どんな魔法か探るためだろう、しばし見つめ、匂いを嗅いだ。ルノも人前であることから大口を開けるのがためらわれて、小口で少しずつかじってゆく。

 ルノが口にしたのを目にして、エトもようやく食べ始めた。

 無言の食事が終わると、ルノはすっかり気持ちが落ち着いた。


 実際の胃袋も膨れ、影もとりあえずは大丈夫だろう。今は夜で、森の中。見知らぬ森の中をうろつくのは大変危険だ。エトが結界を張っているし、夜が明けるまでここでじっとしているのが正解だろう。


 ルノはそう考えたが、エトは違うようだった。

 彼は膝に手を置き、立ち上がった。


「実は僕、師匠から課題を出されていて、それを達成しないとオルミスに帰れないんだ。今からちょっと片付けてくるから、ここで待っていてくれる?」

「えっ、今から森の中に出て行くのですか? 危険です。日の出を待ってはどうですか」

「課題が、とある妖精を捕らえるっていうものなんだ。それなら今しかできないだろう?」

「ですが、エトは今怪我をしているじゃないですか」


 血の匂いを嗅ぎつけた獣に襲われるかもしれない。


「大丈夫だって。ちょっと妖精を捕らえてくるだけだから。もちろん結界もそのままにしておくよ?」


 ルノは自分の身よりエトのほうが心配だった。せっかく助けて貰ったのに、危険と分かる場所に一人行かせるのは見過ごせなかった。


「じゃあ、私も行きます。火や光も出せます。魔物が出たら、追い払うことぐらいできますから」


 ルノは立ち上がり、そう訴えた。


「でも……」


 渋るエトにさらに畳み掛ける。


「もしエトに何かあったらこの結界も消えてしまうのでしょう? そんなの不安でいられません。邪魔はしないので、駄目ですか?」


 エトも心のどこかに不安があったのかもしれない。ルノの訴えかけを受け入れ、同行を許してくれた。







    ○ ● ○







「マルセリアの森には青いユリが生えているんだ」


 エトの足取りに迷いはない。目的地ははっきりと決まっているようだった。


「師匠から青ユリの妖精を捕らえるように言われていて」

「青ユリの……」


 こっちには青いユリなんて生えているのか。きっとこっちの特産なのだろう。何かの役に立つかもしれないので、数本手折らせてもらおう。


「エトのお師匠様は何か妖精を使って魔法でもなさろうと?」

「そういうわけじゃないさ」


 妖精は特別大きな魔力を持っている。おだてたりして力を貸してもらうということもできる。だからてっきりそのために捕らえるのかと思った。それ以外に妖精を捕らえてどうするのだろうか。


「僕の実力を測るためだろうね」

「なるほど」


 ルノは納得した。妖精は好奇心旺盛だけど、勘がいい。捕らえようと思っているといち早くそれを察して出てこない。そんな妖精を捕らえるのは魔術師としての腕の見せ所というわけだ。

 妖精を騙すというのも一つの技術なのだ。


「それに薬の材料にもなるし」

「妖精が、ですか?」


 青ユリそのものならば話は分かる。妖精を素材にした薬があるなど、ルノは初めて耳にした。


「そうだ。調合の仕方にもよるけど、妖精を使うと強力な痺れ薬や錯乱毒になる。実際にどうかは分からないけど、その薬は竜にも効くんだって」


 唐突にとび出した竜という単語にルノの心臓が大きく脈打った。


「へ、へぇー。それじゃあよっぽど強い素材なんですね」


 竜は体が大きい。当然、薬も毒もそれだけ多くなければ効かないだろう。量を増やさずに効果を得られるなら、それに越したことはない。その代わり、人に使えばひとたまりもないだろうけれど。


「みたいだね。師匠がどう使うかは僕には分からないけど。でも青ユリはこのマルセリアの森にしか生えていないから、そこそこいい値で売れるんだ」

「市場にも出回りにくいのですか?」

「たまにあるみたいだけど、確実に欲しいならここまで出張らなきゃいけない」

「そうなんですね。でも私も付いていって大丈夫ですか?」


 珍しい素材の採取場所は時に極秘扱いで、厳重に守られていることもあるという。それだけ価値が高いこともあるからだ。ついさっき出会ったばかりのルノに教えていいものかどうか。

 ルノの心配を他所に、エトは笑顔で振り返った。


「大丈夫だよ。でも、あんまり人に教えないで欲しいな」

「分かりました。私も青ユリ自体初めて知ったので、使い道もよく分かりませんしね」


 ルノも魔女だ。薬を作ることもできる。しかしよく知らない素材を使って新しいレシピを作るのはまだ怖い。特にその素材が強力ならなおさらだ。素材の研究中に事故死なんて、絶対に嫌だ。


 でもいつか使えるかも知れないので、素材を集めることを怠りはしない。もったいない精神も加味されているだろう。


「ほら、あそこだ」


 エトが指差す先には、森の木々の間に月光を受けて青々と輝くユリが広がっていた。


「すごい」


 美しく、神秘的な光景にルノは言葉を失う。青色のユリはゆらゆらと夜風に揺れていた。まるで目を閉ざし、夜の静けさに耳を済ませている淑女のようだった。


「この季節だけの光景なんだ。そして妖精は花が咲いているときにしか現れない」


 エトはここに何度も足を運んだことがあるのだろう。


「それじゃ、ちょっとここで待っていて」

「ええ」


 ここまで来れば、魔物の心配はないだろう。エトの課題を邪魔しないようにルノはユリの花畑の片隅で彼を見守ることにした。

 この青ユリ、もしかしたら魔女が植えて、育てたものかもしれない。

 この森の名前はマルセリアの森。かつて魔女が住んでいた森は、その魔女の名前がつくことがある。森に魔女が住むと、その森は魔女に影響されて、広がり、育つ。だから昔にマルセリアという魔女が住んでいて、この珍しい青ユリを植えたのだ。


 しかし魔女が去り、森と青ユリは残った。

 魔女がなぜ森を去ったかなんて分からないけれど、その魔女がここで生きていた証は今も色濃く残っていた。

 エトは青ユリの中を歩き、只中で立ち止まると懐から何かを取り出し、辺りに声をかける。いくつもの青い光が現れ、彼の下に集った。エトが取り出したものはよほど良いものだったようだ。

 エトはルノに背中を向けていたために、彼の手元に何があるのか分からない。それでも、青い光――――青ユリの妖精が彼の手元にたくさん集まっているのは分かる。


 魔法の音がした。


 彼の周りに集まっていた青い光は慌てて消えうせる。しかし、彼がルノを振り返ると得意げな顔をしていて、踵を返してこちらに歩いてくると、その胸元には三つの青い光が留まっている。


 すごい、一度に三匹も捕まえるなんて。


 彼は魔術師として、明らかにルノ以上の腕を持っているようだ。

 エトは魔力持ちで、まだ十四、五歳ぐらいのはずだ。その年齢でこれだけの実力を有するということは、彼が魔法の才に恵まれているか、それとも彼の師匠の教え方がいいのか。もしかしたらその両方かもしれない。

 この辺りにはもういい魔術師がいる。

 ルノが魔女として活動をするには、もっと別の場所のほうがいいかもしれない。最も、まずは領主から紹介された人に会ってからになるけれど。

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