第二章

第1話

 ルノは、街道を行く行商隊の中にいた。


 ルノのいるこの地は、ラフツベルム王国と呼ばれ、砂時計のような形をした大陸の下の膨らみの上部辺りに位置していた。大陸の一部を西から東まで領土としているので、大陸の南北の陸路を押さえていた。

 そして王国内では東西を繋ぐ街道が整備され、今ルノが歩いているのはそのうちの一つだった。


 ラナケルを発って早二週間。最初に行き着いた宿場町でこの行商隊と出会い、合流させて貰った。

 ルノが向かうのは王国の西端の街オルミス。行商隊の目的地もそこだったので、都合が良かったのだ。いくら魔女とはいえ、一人旅は危険だ。行商隊も隊の中に何かと便利な魔女がいると心強いようで、お互いの利害が一致した形になる。


「あとどれくらいでしょうか?」


 ルノは近くを歩いていた、行商隊の雑用係であるサニアに尋ねた。二十代中ごろの女性で、行商隊の隊長である商人の姪だという。


「この調子だと明後日にオルミスに着けるだろうね」

「明後日……。まだかかるんですね」

「今回は順調な方さ。野盗にも狼にも遭遇していない。これも魔女様のおかげかね」

「私は何もしていないですよ」


 ルノは両手を胸の前で忙しなく振り、否定する。謙遜ではなく、本当に何もしていなかった。

 行商隊の人々の中には、魔女がいるとその旅は安全であるというジンクスがあるようだった。ルノにとっては初耳であったが、そのおかげもあって、ルノが歓迎されたようだ。


 ルノがラナケルを発つことになったのは、あの大火から二ヶ月が経とうというときに、大紅葉の屋敷に突如領主の使いが訪れたことがきっかけだ。領主の下に召喚されたルノは突然領地からの追放を命じられてしまった。


 領主の言い分としては、領内の魔女の管理は教会に一任しており、教会が次の魔女監視官を派遣しないのであれば、領内に魔女を置いておけない。だから出て行ってくれ、ということらしい。

 いくら魔女とはいえ、領主に逆らうのは得策ではない。


 結局その命令に従って、ルノはラナケルを離れることとなった。領主も領民によくしてくれた魔女を追放するのは後ろめたいのか、即時追放というわけではなく、二週間の猶予を与えてくれた。

 さらに王国西端にあるオルミスという都市にいるエルウィンという有力者への紹介状も書いてくれた。

 そのエルウィンという人物は魔女や魔術師、魔力持ちを集めているらしく、きっとルノも喜ばれるだろうとも語った。


 そして、その日も無事に宿場町に着くと、早速ルノは荷馬車の方へ向かう。


「こんばんは、今日は大丈夫ですか?」

「おお、魔女様。いつもありがとな。ちょっと来てくれ」


 荷馬車の御者に手招かれ、荷馬車の後ろに回る。ルノはこの行商隊に世話になっている間、少しでも彼らの力になろうと考え、魔法の力を惜しみなく提供していた。


 御者は馬車の幌が破れそうなことを指摘すると、ルノは内側から適当な布をあて、魔法で接着した。見た目はあまり良くないが、穴が開いて雨や泥が入り込むよりずっといいだろう。


 こういうことをしているからか、行商隊の面々はより一層ルノを気に入っているようだった。冗談か本気か分からないが、行商隊に加わって、王国中を練り歩かないか、と誘われたりもした。

 行商隊との旅も悪くはないが、ルノはやはりラナケルでもそうであったように町の中で魔女として生きたいと考えていた。


 順調だった旅路もそこまでだった。

 翌朝、いつものように行商隊の下へ向かうと、どういうわけか出発する様子ではなかった。


「どうしたんですか?」

「魔女様、おはようございます。面倒なことになっちまったんだ」


 行商隊の護衛の男が言った。苦虫を噛み潰したような顔だった。


「この先にマルセリアの森ってのがあるんだが、運悪くそこに魔物が出ちまったんだ。討伐隊もまだだっていうし、しばらくは通れそうにない」

「そんな。道を戻って迂回するってのはできないんですか?」

「森が広くてな、迂回するとなると余計に時間がかかっちまう」

「それじゃあ討伐隊を待つということですか?」


 護衛の男は頷いた。


「これまで順調に来てたから時間に余裕はある。どうせ三、四日の辛抱だ。ゆっくり休もうって隊長のお達しだ」


 しばらくここでゆったりか。

 行商隊との旅は急ぐものではないものの、ルノは少し焦っていた。


 小腹が空いていたのだ。だったらすぐに目の前の屋台で何か買えばいいだろうけど、空いているのはそっちではなく影(べつばら)の方だ。行商隊との旅で、猫がちょろちょろしていては迷惑をかけるだろうとフーは影の中に押し込んでいる。


 が、フーは影の中の空き具合を何とかしようと躍起になっているのがよく分かる。

 このままでは、この宿場町が大変なことになってしまうだろう。


 丁度良かったのかもしれないな。


 ルノは人目を忍んで町を離れ、宿場町の向こうに広がる森へと潜り込んだ。

 季節は晩夏から初秋に移ろいつつある。大陸の、中央南部に位置するこの辺りはすっかり実りの季節を迎えていた。森の中は思わず目を輝かせるほど実りに満ち溢れていた。

 森は魔女でも危険な場所だった。でも日の高い明るいときなら大丈夫だろう。


『いい匂い!』


 ルノの影から、真っ黒な猫が飛び出して、木の根の陰に生えていたきのこを丸呑みにする。一つでは満足できないフーは次々生えているきのこを口にする。猫がきのこを食べるという奇妙な光景に目を丸くしつつ、ルノはほっと胸をなでおろした。


 影の力を、町の中で暴走させずに済んだ。


 ルノは食べることに必死な愛猫を見つつ、影の中が少しずつ埋まっていくのを感じていた。

 フーの食べ方はもう猫離れしていて、口を大きく広げて丸呑みにし、口に入れた途端に飲み込んでしまう。ちゃんと歯があるのに、咀嚼なんてまるでしない。そして飲み込んだものはルノの影に入り、吐かないことはありがたい。


 ルノの影は、ルノが望んでいないにも関わらず、日々広がっていた。背が伸びるように影も広がるのだ。そして影の中にたくさん物を詰め込んだ後は、どっと広がってしまうことも分かった。

 ラナケルを離れるとき、突然追放を言い渡した領主への怒りもあって、大紅葉の屋敷を空っぽにしてやった。食糧庫も書斎も居間も、何も無い。あるとすれば空気と埃だけだろう。あと床と壁と天井か。家具も全て影の中。フーはその気になれば何だって食べられるのだ。


 そしてこの後、影が信じられないほど広がり、ルノは暴走を防ぐために奔走する破目になった。

 フーはフーなりに頑張って木の実やきのこなどを飲み込んでいるが、影の中はなかなか満たされない。日暮れまでには終わらせたいがこの調子だと明朝までかかってしまいそうだ。


 どうしたらいいのか。


 ルノがふと思い悩むと、まるでそれに応えるかのように足元から伸びる影からワサリと黒くうごめくものが湧き出し、数え切れない瞳がルノを見上げた。


「ひっ」


 思わず喉の奥から引きつった声が漏れる。

 影の僕となったトカゲだった。


 そして数多のトカゲも、影からとび出し、フーに続くように森の中へと散ってゆく。そしてトカゲたちもそれぞれに森の実りを飲みはじめたようだ。

 あのトカゲの数なら、たしかに夜には間に合うだろう。


 今この森は魔物がいるのだ。


 魔物は危険だが、森に住み着くようなのは夜とか日差しの届かないうっそうとした場所とか、決まった条件で出てくるし、火や光で追い払える。日暮れまでに森を出れば、遭遇しないだろう。

 そろそろ十分だろう。

 ルノの影の中が森の恵みで埋まりつつある。ルノは影を通じて全ての影の僕に戻ってくるように告げて、首を捻った。

 どの僕も戻ってくる様子がないのだ。そして相変わらず僕の口を通じて、影の中に物が放り込まれてゆく。


 ルノの首筋に冷たく嫌な汗が伝う。


 影の力が暴走していた。

 こういうときはどうしたらいいのだろう。

 前に暴走したとき、もうずっと前のことだが、必死に頭を回して思い出す。あの時は確か影の限界以上の物をフーが丸呑みにして、ルノが気絶したのだ。と、いうことはフーやトカゲはルノの限界まで飲もうとするということで……。


 まずい。


 ルノは必死に僕たちに食べるのをやめるように命じたが、その全てが無視された。

 そしてついに恐れていたことがおきてしまう。

 ルノの影の中にとびきり大きな物がいくつも放り込まれ、その瞬間、ルノの影は限界を迎えた。影からの凄まじい圧迫感に襲われつつ、ルノは放り込まれた大きいものを確かめた。大きさからして、森の実りとは考えられなかったのだ。


 そして遠ざかりゆく意識の中、辛うじて確かめたそれは信じ難いことに、生きた人間だったのだ。

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