第12話
秋になり、ラナケルの外に広がる麦畑が黄金色に埋まる。前に暮らしていた森の傍の集落が農民の集落だったこともあって、この時期の農民の忙しさをルノはよく知っていた。だからか、収穫に追われる農民たちの下に足しげく通い、収穫に使う道具に魔法をかけたり、怪我が増えるこの時期に、先回りして薬を売ったりした。
農民の人たちを思っての行動であったが、商魂逞しいといえば、そうだろう。
結果としては、農民の人たちに喜ばれたのだから、悪いことではないはずだ。
そして、ラナケル周辺の農村が収穫を終える頃、ルノはようやく一息つくことができた。月日はあっという間に過ぎていて、いつの間にか月の中旬。下旬になると収穫祭が催される。聞くところによると、周辺の農村とラナケルが合同で行うので、とても盛大なお祭りだという。そしてラナケルの大通りには食べ物などの屋台が立ち並び、普段食べられないものがお腹一杯食べられるというので、今から楽しみでならなかった。
そしてそんなときに玄関扉のドアノッカーが叩かれた。
ルノは読んでいた本に栞を挟んで、玄関へと小走りで向かう。客人はせっかちなのか、ルノが駆けつけるまでにもう一度、ドアノッカーが叩かれた。
「はい、どちら様ですか?」
玄関扉を全身で押し開けて、ルノは顔を出す。客人は逆光で顔がよく見えなかったが、大柄な男のようだった。
客の男は、出てきたルノに目を丸くしながら口を開く。
「ここに魔女が住んでいると聞いたんだが」
「私です。どちら様でしょうか?」
ラナケルはこの辺りでは大きな街だったけど、彼がこの街の人ではないことぐらい、ルノにも分かる。そもそもこんな体格のいい人、すぐに衛兵たちが仲間にしようと勧誘を始めるだろう。彼らは毎夜のように酔っ払いの相手に苦慮していて、大柄で威圧感のある人間はそれだけで貴重な人材だ。
「お前が?」
客の男に困惑が混じる。そしてルノを疑わしげに見下ろした。
すっかり忘れていたけど、ルノは見た目十二歳で、とても経験豊富に見えない。だが、このラナケルで半年やってきただけの実力がある。
ルノはひとまず本物の魔女であることを証明するために、右手の手首にある魔女の証を見せ付けた。それで男は納得したようだ。
「そうか、俺は旅のものだ。剣に付呪をしてもらいたい」
「分かりました。中へどうぞ」
ルノは身を引いて、男を中に招きいれた。
玄関から入って右に居間があり、左にあるのが魔女の仕事部屋だ。そちらに男を通す。
「どのような付呪をなさいますか?」
物に魔法を込めるのが付呪だ。たいていは農具や道具などを丈夫にしたり、切れ味を良くしたり、そういう効果を付ける。もちろん武器への使用も十分に可能だ。血なまぐさい地ではそちらの方が多いだろう。
「切れ味を良くしてくれ。そんで火も頼むわ」
「分かりました」
ルノは壁に取り付けた棚から使用する素材を取り出した。
男は不呪を施す剣を部屋の中心に置かれている机に置く。
「この街には最近来たのか? 魔女がいるなんて知らなかった」
街の人の噂でも聞きつけたのだろうか。
「半年前ぐらいに来ました」
ルノは置かれた剣の周りに素材を並べてゆく。
「ずいぶん若そうだが、大丈夫なのか?」
「心配でしたら、付呪が成功したときのみ、代金をお支払ください」
失敗することはないだろう。付呪はわりと簡単な魔法だ。付呪において大事なのは使う素材で、ルノにとってはどれも使い慣れたものばかりだった。
「傭兵をなさっているんですか?」
剣をよく見てみると、とても使い込まれていることが伺えた。戦いを生業にしている人でないと、こうはならないだろう、と考えた。
「みたいなもんだな。こっちにはほとんど来ねぇけどな」
ラナケルを含むこの地域は大きな争いもなく、平穏そのもの。深い森などもあるが、人里に獣や魔物が下りてくることはなく、人も森の奥に足を踏み入れることもなく、共生していた。
害がないのにあえて森の奥に踏み込むのは、蜂の巣をつつくようなもので、良くない。
そして、実際にこの辺でそこまでしても得られるものなどほとんどなかった。
それなのに、彼はどうしてここに来たのだろうか?
ルノはそんなことを考えながら、剣への付呪作業を淡々と進める。そして白と橙の光に刀身が包まれ、刀身の鍔近くに文字が刻み込まれて、作業は完了した。
「できました」
ルノは机から一歩下がって、男に剣を確かめるように促した。
「いい出来だ」
剣をあらゆる角度から眺めて、満足げに男は頷く。
「何か狩るのですか?」
「そんなところだ」
剣を鞘に収め、そして懐をまさぐる男。そして、「ほら」とルノに代金を押し付けた。その乱暴なお金の渡し方に顔をしかめつつ、渡された数枚の硬貨を確認して驚愕する。
「こ、こんなにいただけません!!」
押し付けられたのは五枚の金貨。付呪の代金としては高すぎだ。せいぜい高くて銀貨二、三枚で、これではルノがぼったくったようなことになってしまう。
慌てて返そうとするルノに、男は「いいから受け取っておけ」と無理矢理握らせた。
「俺はある噂を聞いてこの街にやってきたんだ」
「どんな噂ですか?」
わざわざ剣に付呪するぐらいだから、やはり戦いをしにきたのだろう。しかし最近この辺りで何か出たという話は聞かない。以前にルノがイスミアの森で火蜥蜴(サラマンダー)に遭遇したけど、それっきりだった。その後もやはり誰も見ていないという。
今思えば、フーに追い払ってもらうのではなく、食べて貰えばよかった。属性付きの影の僕がいたほうが何かと便利だろうし、それが何よりの証拠にもなっただろう。
しかし、仮に火蜥蜴を狩りに来たとしたら、火を付呪するはずがない。
「お前は知らないのか? この街に竜がいるって」
「えっ?」
ルノは素できょとんとした。そしてルノのその様子から、彼はルノが知らないものと判断したようだ。
「何だ。魔女だから何か知っていると思ったんだがな。まぁ、いいさ。その金は取っておけ。竜晶石を手に入れりゃ、その何千倍もの金貨が手に入るんだ。惜しくねぇ」
彼はそういい残すと、意気揚々と大紅葉の屋敷を後にした。
○ ● ○
『あいつ、なんか嫌なにおいした』
男が去ると、ルノの下にフーがやってきて言った。
「血の匂い?」
『たぶん』
「傭兵だって言っていたものね」
彼の目的は竜晶石だ。だとしたら、どちらのものを狙っているのだろうか。いや、ルノを狙っているとしたら、付呪を頼まずにあの場で殺されていただろう。
付呪を施した属性を考えると、彼の狙いはやはり氷の竜の子であるシアンだろう。それか、ルノもシアンも知らない別の竜か竜の子だ。
「フー、ちょっと頼まれてくれない?」
黒猫は聞かなかった振りをして、踵を返して立ち去ろうとする。愛猫のその反応を予想していたルノはすかさず言った。
「行ってくれたらおやつあげる」
『ほんとう!?』
フーは黒目をまん丸に見開き輝かせて振り返った。段々ルノもこの猫の扱い方が分かってきた。
「本当。でも、ちゃんとやり遂げたら、ね」
『ちゃんとやる。何する?』
「ちょっと待ってね」
ルノは部屋の隅に無造作に置かれていた紙に、あの男のことを簡単に記して細かく畳む。そして紐に通してフーの首に巻きつけた。
「この手紙、シアン様に届けて、絶対にね」
『分かった』
フーは早くおやつにありつきたいのか、換気のために開いていた窓からとび出して行った。
フーはこれぐらいのおつかいならこなせる。もちろんご褒美が必要だけど。
フーが喜ぶおやつというのは、鶏肉や魚ではなかった。そういうのも食べるときもあるけど、塊でないと決して食べてくれない。フーの口の大きさに合わせて細かくしたものなんか見向きもしない。
でも別にフーが丸呑みにしても、ルノに損はなかった。フーが食べたものは全てルノの影の中に入るのだから。
使用するときに影から出せばいい。
フーはルノの影の中に何か詰められればそれでいいらしい。
そして台所の椅子に座り、フーの帰りを待っていたとき、ルノは心配し過ぎかもしれないと思った。
竜晶石だけでなく、魂の結晶である晶石を造るには、魂を取り出す相手に魔法をかけなくてはならない。今日訪れたあの男は魔力持ちではなさそうだったし、シアンも竜の子で、ルノより戦い向きの力を持っている。自分の身くらい自分で守れるだろう。
とにかく全てが杞憂に終わることを願った。
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